ルサンチマンが想う超人になる方法

すべて得られる時を求めて(第6話)

浅野文月

小説

2,888文字

『すべて得られる時を求めて』第6話
ご飯を食べながら読まないでください。また、本作をお読みになって気分がすぐれなくなったら、本谷有希子著『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(講談社刊)などの良質なる文芸作品をお読みください。

東北道E4の佐野パーキングで森田と二人して佐野ラーメンを食った。旨かった。

 

外はなかなかにして激しく雨が降っている。二十三万キロの走行距離を誇るマーチはタイヤをいつ取り換えたのかさっぱり憶えていなく、おそらくツルっツルだったのであろう。ブレーキを踏んでも「ツーっ」と初心者のアイススケートのように止まらないので、教習所で習ったアクアプレーニング現象(故今宮純氏や川井一仁氏はハイドロプレーニングと云う)だろうと思い、これまた教習所で習ったポンピングブレーキをしながら、なんとかパーキングに入ったのだ。

 

めし時とも思い、こうして佐野ラーメンをズルズルと食べている。薄いチャーシューが一枚しか入っていなかったので、チャーシュー麺にしておけば良かったと後悔しているが、森田との間にあるアクリル板には森田が「ズルっ」、とラーメンを啜るたびに、ちょこっとだが、汁が飛び跳ねて付く。淫靡な薄茶色の液体が。

アクリル板を上にあげてみた。森田が「ズルっ」、とすると汁が跳ねてきたが、思ったほど熱くはなかったのでつまらなくなりアクリル板を下げた。

 

佐野ラーメンを食べ終わり、「タバコ吸いたくなったから喫煙ブースに行くわ」と森田に言うと、「お客さんタバコ吸うの?」、と聞いてくる。

「たまにはね」と答えると、「ナノも行く♡」、と云った。

 

「吸うんだ?」

「人前じゃあまり吸わないんだけどね?」

「なんで?」

「感じ悪くない?」

「別に」

「じゃあお客さんの前では気兼ねなく吸うね」、と恋人トークが弾み、二人して雨中を走ってトイレ横にある喫煙ブースに行った。

 

三面ガラス張りのそこは雨の音に囲まれて、数時間前のラブホテルのエレベータのような密室に感じられた。

森田はおしゃれな細いタバコに火をつけた。ピチピチの黒いブラウスに同じくピチピチの白いデニムのパンツ、ヒールが長めの茶色のサンダルを履いている森田にタバコは良く似合う。

 

タバコを銜えながら「森田スタイルいいな」と言うと、「そうでもないよ」、と謙遜をするのがキャワイイ。咥えタバコで話したから煙が目に染みて涙が出てきた。恥ずかしい顔を森田に見られたくないので横を向いた。

 

その時である。ガラスに打ち付ける雨つぶ。その雨つぶのひとつが上に昇っていくのだ。「おい、森田! こっち見て!」

「どうしたのよ?」

「どうしたのよじゃない! 雨つぶが昇った……」

「ハっ?」

「だから雨つぶが上に昇ったんだよ」

「そう」

「不思議じゃない?」

「別に……」

「えっ、だって昇ったんだよ」

「そういうこともあるわ」、森田は細いタバコを吸いながら冷静に答える。

 

大丈夫かこの女は? と思ったが、森田がそういうのなら理由があるのだろう。

「どうして昇ると思うのか聞かせてくれないか?」と言うと、「お客さんはどう思う?」、と質問返しをされた。

 

「どう思うと言われてもなぁ。偶然?」

「偶然なんてこの世にはないの。調べればすべてが必然であることがわかるわ」

「それでは森田はこの不思議な現象をどう解釈をするのかね?」、森田は「プハァー」、と紫煙を口から出しながら答えた。

 

「まず一般的には二通りの現象が考えられるわね。一つはお客さんがその雨つぶを見ていた時に地球の自転速度が速くなった。もう一つは……」

「ちょっと待ってくれ、自転速度が速くなったとはどういうことなんだ?」

「説明必要?」

「あたり前田のクラッカー」

へたこいたかと思った。年寄りか童貞しか言わないギャグを放ってしまったと後悔をしたが、森田はまったく意に介さずに話を続けた。

 

「えーとね、お客さんちょっと上にジャンプしてみて」、と云われたので「ピョン」とジャンプした。

「いまジャンプして落ちた地点はジャンプする前と変わった?」

「いや、変わっていない」

「そうよね。これは地球が等速で自転しているから。等速は動いていないのと同じだから」

「先生!」

「はい、なんでしょう?」

「さっぱりわかりません」

「そのまま聞いていてね、もし加速しているのならどうなる? 車で考えてもいいわ。加速しているとき椅子に座っているお客さんは身体がシートに押し付けられない?」

「若干そんな感じになるね」

「ブレーキを踏んだら?」

「つんのめる……かな?」

「よくできました。ではずっと時速60キロで走っていたら?」

「普通かな」

「そう。普通ね。だから同じ速度で走っているのは普通で、止まっているときと同じなの」

「そう言われればそんな気がしないでもない」

「今はそう思ってね♡ そして、地球は同じ速度で回転しているのよ。それはわかるでしょ?」

「なんとなく」

「なんとなくでいいわよ。今度はここにハンマー投げのハンマーがあると思って」

「うん」

「ハンマーって大工さんが持っているものじゃないわよ」

「違うの?」

「違うの。鉄の玉からワイヤーが伸びて持ち手に繋がれている。それをぐるぐると身体を回転させて離して遠くまで飛ばすの。イメージできるかしら?」

「室伏?」

「そう。その重いハンマーをぐるぐると回すイメージをして。お客さんの身体はどうなる?」

「遠心力で手が攣りそうだね」

「良い答えよ。地球が軽かったら地球の回転による遠心力で私たちは宇宙に放り出されちゃう。だけど、地球は重いから引き付ける重力があるの」

「またわからなくなってきた」

「今はわからなくていいわよ。ただ、重いものは磁石のように引き付ける力があると思って。地球は重い、だから引き付ける。重いものほど引き付ける力は強い。でもね地球は回っているから遠心力という重力に反するエネルギーも産まれているわけ。遠心力はハンマー投げを想像しても分かる通り、ゆっくり回すよりも速く回した方が外に向く力が強くなるでしょ?」

「わかるよ」

「だから、お客さんがガラスを見た時はすこし地球が早く回って、重力と遠心力のパワーバランスが崩れて雨つぶが上に昇っていった」

「なるほど……」と答えながらもどうも解せない。

 

「あのさ、それならば他の雨つぶも上に昇っていくんじゃないかな?」

「よく気が付きました」

「へ?」

「これで一つ目の仮説は崩れたわね。もう一つは……」

「次が答え?」

「焦らないでよく聞いてね。もう一つは、その雨つぶは生命体で意志を持っていた、だから他の雨つぶと違い上に昇っていった」

「それで?」

「おしまい」

「へ?」

「さあ、先を急ぎましょう。ボウリング場閉まっちゃうんじゃない?」、そうして不思議なことを云って(不思議なことを聞いた答えなのだが)森田は小走りでマーチに戻っていった。

 

パーキングを出てしばらくしたら「蓮田……はすだで、ばくはつ」、と森田はつぶやいた。「はすだで、ばくはつ……プっ!」、森田はまた独り言を云いながらひとりでクスッと笑った。その瞬間、今まで生きてきた中で一番幸せだなと感じた。この瞬間をまた味わえるならば同じ人生を何度繰り返しても良いと思い、これからは会う人々に永遠回帰を説いて回ろうかなとちょっぴり思ったりもした。

2022年12月7日公開

作品集『すべて得られる時を求めて』第6話 (全7話)

© 2022 浅野文月

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