死後(葬儀記含む)

紀 聡似

小説

7,330文字

人が亡くなるとどうなるのか。一度は考えた事があると思います。
答えが出せないジレンマと、こうであって欲しい希望を、一つの手記として残します。

 

 読者の皆さんのみならず、誰しもが一度は考えた事がおありでしょう。

 

 人間は死んだらどうなるのか。

 

 それを考え始めると、さっきまでの眠気が飛んでしまったので、手記の続きを書くことにしました。
死後に関しては、自分の希望というか、要望を想像をする事が多いでしょう。

 死後の世界とは、天国とか地獄とか今はそう言う事は少し省かせて頂くとして、先に亡くなっているご先祖様や、親戚の方々と再開したりして、痛いとか苦しいとかも無い世界。

 若い方はご存知ないかも知れませんが、俳優の故丹波哲郎さんの映画「大霊界」のような世界は、和気あいあいと、人間社会の延長のような世界が用意されているとか。それはそれで楽しいかも知れませんが、私は人間関係が苦手で、仕方なく無理矢理コミュニケーションを取る為におどけてみたりして、結局自分が疲れてしまうような馬鹿な所がありますので、ですから死んでからも人間関係が続く世界には、ちょっと抵抗があります。

 

 私個人的に、人間関係に疲れた時に想像する死後の世界は「全くの無で結構だ」という事。感覚的には、眠っている状態の延長と想像してもらえると簡単です。眠っている時は、夢の中で稀に、これは夢だからサッサと覚めちまえば良いのにと思わない限り、自分が今眠っているという現実を認識する事はほとんど無い。つまり無意識の状態なので、例えば手術を受ける時の全身麻酔がかかっている時と同じ状態です。

 

 これほど楽な死後は無いと思います。これならば、自分は死んでしまったとか、自分は死んだけど、この後ってこれからどうなるのだろうとか、そんな不安とも無縁になるので、痛くも痒くも怖くも何も無い。

 

 では今現在の私のこの「意識」はどうなってしまうのだろうか。いや、無意識だからこそ、そんな事すらも考える暇も無いでしょう。だとすると、無意識ってどんな状態なのであろうかと悩みに入ります。

 

 こう想像すると、これも例え話になりますが、宇宙の始まりがビッグバンであって、その超強大爆発によって宇宙空間が拡大して、銀河系が出来て惑星が出来て、地球が出来上がって・・・。いやいや、ではそのビッグバンが起こる前に、そもそも「そこ」には何があったのか。では「そこ」で何が元になってビッグバンは起こったのか。

 考えても答えが出ないので頭がこんがらがってしまうのだが、それと同じ様に死後も分かっていないので、怖かったり不思議だったりして、余計に神秘的だったり好奇心が湧いたりもする。

 

 もう一つだけ仮に、これは宗教的ですが、人間は死んだら「魂(今後もちょくちょくこのワードは出てきます。)」だけになって、ふわふわとそこら辺に漂って、四十九日が来たらあの世に成仏して、大きな魂と一つになって、また生まれ変わったりすると仮定しよう。単純に考えれば「ハイそう言う事ですか」と腑に落とせるが、ちょっと待て。魂になってふわふわと仮定すると、その魂になった自分を想像してみましょうか。

 ちょっとその前に、今の私は当然生きているので、つまり肉体を持って生態活動をしている。眼で光りを感じて、耳で音を聞いたり、呼吸をして、脳からの電気信号でもって身体を動かして物を触ったり。要は物理的に生活をしている。ところが、魂になってしまった自分を想像してみるとどうだろうか。魂とは物質なのかそれすらも仮定できないが、つまり魂になると、息を吸ったり吐いたり、角膜を通して見ていた景色とか、鼓膜を震わせて聞こえていた音とかは、その五感は一体どうなっているのだろうか。

 

 そんな事を考えていると、実際に息が苦しくなり、うまく呼吸が取れなくなるような、死に脅迫された様な状態に陥りそうなので、深くは考えられなくなる。

 どうして私が今その事を思い悩んでいるのか。それは後に説明するとしますが、それには印象深かったきっかけがありました。

 

 

 あの時、私はたった一人で、祖母の景子が永眠に入った棺の前におりました。

 もちろん、たった一人でと言うのは今だけであって、通夜に参加している私の両親や姉、叔父や叔母、それに祖母の孫世代である私の従兄弟ら、更にその子供である曾孫らも揃っての親戚一同(寄せ集めると総勢30人ほど)は、別室にて寿司を食べたり酒を飲んだり、曾孫らはかけずり回って遊んだり。

 叔父叔母が生前の祖母景子の話で、あの世でお父ちゃん(私の祖父の福助の事)に会えているだろうとか、そんな話をしておりました。

 

 檀家である川口にある寺で通夜は行われました。過去に祖母の母ツルと、祖父福助の葬儀もこの寺で執り行ったが、住職は60歳くらいで、つるりと頭を丸めていて、品の良さそうな丸型の銀縁メガネをかけている。法衣を纏っているせいで身体を大きく見せているが、たっぷりとした二重あごを見れば、法衣の下の肉体も、丸々と肥えているのも容易に想像できました。

 

 過去2回の葬式の時、1度目は曾祖母ツルの時、私は中学1年生であった。2度目の祖父福助の時は20歳であったが、その2回とも同じような疑問を抱いた。それはそもそも住職、つまり仏門に携わっている人間は、厳しい修業の日々の連続なのに、この住職はどうしてこんなに太っているのだろうかと。

 奥さんも居て子供も居て、高そうな車にも乗って、私は若いなりにも不思議に思ったが、それは私が若かったからであって、33歳になっていた当時の私には、お寺の住職という「職業」について、一定の理解をするに至っており、今現在は前よりも見る目は厳しくはない。

 

 そんな住職のお経の後、私もお堂から離れた別室に居て食べたくもない不味い(気分的に。味は旨い)寿司だとか、車の運転係なので酒も飲めないので、普段は絶対に飲まない、瓶に入ったオレンジジュースをガラスコップで飲んだりしておりましたが、どうにもワイワイしてるこのお座敷から、長い廊下を進んで左に折れた先にある、キンキンギラギラした広いお堂の中心で、須弥壇の日蓮大聖人像の元で見守られながら眠っている、祖母の景子一人だけを棺の中に残しているというこの現状に限界が来て、そっと座敷部屋を抜け出して、棺の前にあった肉厚な座布団に腰を下ろしていたのです。

 

 祖母は88歳で往生しました。私の幼少期には、これは本当に沢山の思い出があります。お正月には親戚一同が祖父母の家に集まって、大きな新年会があったり、夏休みになれば泊まりにも行きました。お祭りに連れて行ってもらったり、街に行ったり、空き地で花火をしたり、しかしこれらのお話は別の機会にして割愛させてもらいますが、とにかくよく面倒を見てもらいました。

 晩年の祖母はアルツハイマー病もあって、私の事どころか、自分の子供、亭主福助の名前すら忘れてしまっており、すっかり純情で幼女のような、朗らかで愛くるしい性格になって旅立ちました。

 

 棺の中の祖母景子は、死亡して一日以上が過ぎ死後硬直が解け始めたからか、顔の筋肉が緩んで引力で引っ張られ、顔を刻んでいた無数の皺はすっかり伸びきってしまい、次女である私の叔母の友美が塗った真っ赤な紅と、頬の桃色がかったチークがヤケに目立っていて、古い中国人形のような、そんな面持ちになっておりました。

 その顔は、私の知っている祖母とは明らかに違っており、まるで別人のようでしたけれど「あなたが居なければ、今の私たちは存在しなかった。ありがとうございました。これまで本当にお疲れ様でした」と、たくさんの花々に顔の半分が埋まってしまっている祖母を覗きながら、私はボソボソと伝えました。

 

 人間は死んでしまったらどうなってしまうのだろうかと考えたのは、そんな時の事でした。

 

 翌日は告別式を終えてから火葬場へ。私はこの場所が苦手であります。まあ得意な人の方が珍しいでしょうが、この香の匂いと、それと断言は出来ませんが、人が焼けた後の匂いが混ざっているような、そんな独特な空気が鼻に付いて離れなくなるのと、棺を取り囲む喪服姿の一団と続々とすれ違うたび、どれだけの人が毎日毎日人生を終えているのだろうかと、そう思うと益々死後という事柄に、恐れと興味が、まるで混ざり合わないマーブル模様のようになって脳内をかき回してくるのでした。

 

 火葬場が苦手な理由はまだあって、これが一番嫌なのですが、火葬炉がある炉前室に入った時です。火葬炉が六機ほど、どこか大きなデパートとかホテルのエレベーター(上手く言えば天国へのエレベーター)のような構えで、しかし一切の華やかさは当たり前に無く、冷蔵庫のように冷え冷えしていて、低い機械音がゴウンゴウンと唸っております。

 ああ、ここに入ったら本当に最期の最期。いよいよ形があった人間が、人間の形で無くなってしまう時が来るのです。それが、愛おしければ愛おしい存在なればこそ、尚更に悲しみが増幅されて、胸をかきむしられるような、膝の力が抜けて地に足が着かなくなるような、狂おしいほどの悲劇の大波が、何べんも何べんも全身をしごいてくるのです。

 

 何かの使者の様な格好で、完全に感情を押し殺している火葬場の係員が、帽子の天辺を我々に見せると、住職の揺らす鐘の音と、鼻にかかった野太い声の南無妙法蓮華経が炉前室内に乱響します。エレベーター(?)の扉が開くと、そこにいよいよ棺が入れられてしまい、分厚い二重の鉄扉が次々にドシンと閉ざされます。

 ここで私はいつも想像するのです。いつか私にもこの時が来るのだ。絶対に来るのだ。出来れば、死んだ後に意識と言うか、魂があったとしても、最低限肉体からは離れた状態であって欲しいと思うのです。閉所恐怖症というのもありますが、この狭っ苦しい棺桶の中に居て、火葬炉の中に閉じ込められて、且つ焼かれるシーンを、リアルな自分目線で絶対に経験はしたくないのです。

 こんな時、何故かは分かりませんが、丸々と肥えた住職の高らかなお経が妙に有難く、身にしみて響いてくるのでした。

 

 私の斜め前で「もう気が狂いそう」と言ったのは、昨晩、通夜の途中で心労で倒れてしまった次女の友美で、その隣に居た旦那さんの哲郎(この6年後に急逝)は「大丈夫?」と優しく妻の友美(哲郎急逝の半年後に死去)を支えていたのを、今となってはより切ない記憶として私に上乗せされております。

 

 祖母景子は死去の数年前に大腿骨を骨折し、その時の手術で固定したボルトが、火葬後の乳白色の骨の山の中から、骨埃をかぶって粉っぽくなっていたが、黒く焼けて見えていました。

 火葬されると当然のように骨カスになります。生きていた痕跡が、もうたったこれだけになってしまい、今後、世界中のどこを探しても、もう亡くなってしまった人には永遠に会えず、話す事も、全く触れる事も出来ないのです。

 永遠に?さてここで、前にありましたが、人間は死んでしまった後どうなるのか。

 

 

 祖父福助が亡くなった時に、私は少しだけ不思議な夢を見ております。鈴の音が聞こえています。中国の水墨画のような白黒の風景ですが、黄山みたいな尖った山々が大小何本もつっ立っていて、所々は霞がかって遠くまでは見えずにいましたが、一本の砂利道が遠く遠く奥の方まで続いてます。後ろ姿でしたが祖父だと分かりました。

 白装束を着た祖父は、右手には身の丈ほどの細長い杖を持って、左手には黄金色(思えば鈴だけは色が付いていました)の小さい鈴が何個か束になっていて、間の置いたテンポでそれをシャリシャリと鳴らしながら、祖父は私に背を向けたまま、静かに歩いて行きました。

 目を覚ました私は、祖父はあの後無事に目的地(天国?極楽?)に辿り着けたのだろうかと思いましたが、いかんせん夢でしたし、私も20歳とまだ若かったので、ただの印象の強い夢としか残りませんでしたが、それから20年以上も経つのに、未だにハッキリとその夢を憶えているところをみると、自分の中でも何か大きな意味を持った夢だったのかも知れません。

 

 

 死後の世界が有る無し関係無く、生まれ変わりという現象があったとしたら、どうして私には前世の記憶が残っていないのでしょうか。たまに前世の記憶が残っていると言う人が居ますが、それを証明させて万人を納得させる証拠を示すのは難しいです。が、私は「これは前世の記憶の痕跡か?」と思う時があります。

 先にも出ましたが閉所恐怖症、それと高所恐怖症である事です。

 あくまで想像の範囲でありますが、前前世では落盤事故とか事件とかで生き埋めにされて死んだとか、前世では高い崖から誤って転落死したとか、突き落とされたか。前世の一件が、現世では恐怖症となっている。それは、生き埋めになった息苦しさや恐怖とか、必死にもがいても叶わず、高い所から落下してしまった時の感覚とかを容易に想像できてしまうから。果たしてそれも痕跡なのだろうか。

 

 私は多少大丈夫ですが、ゴキブリが苦手な方は本当に大勢いらっしゃいます。私からすると、こんなちっぽけな虫を皆は気持ち悪がって、何で見るのも触るのも嫌がるのだろうかと不思議に思う事もありますが、あのビジュアルは確かに不気味。

 まさかであり、あくまで仮説でありますが、過去にゴキブリに相当な悪さをされた「超前世の記憶の痕跡」が皆さんに残っているからなのではなかろうか。

 大昔、ゴキブリは体長が1メートルあり、時速60キロで走ったとか。雑食なのと激烈な繁殖力・・・。あんなのがデカくて、ウジャウジャ居たらどうだったのでしょうか。少し気持ち悪くなってきたのと、話の道筋から脱線したので、ゴキブリの話題はこの辺でやめておきましょう。

 

 前世の記憶が丸々残っていたとしたら、現世と記憶が混同して脳がパンクしてしまったり、幼い時点での人格形成(生まれた時点で前世の記憶を全て持っているとすると、かなり色々な弊害が出る可能性があると思います)に問題が出てしまったり、下手をしたら歴史にも影響を及ぼしてしまうような、歴史的事実と、人類の記憶の錯誤が発生してしまったりするでしょう。

 しかし、前世の時代の情報が残っていたら楽しい事もあるのかも。今と全く違った時代や生活、その言語だったりの経験がそのまま記憶されていると、もしかしたら現世に活かされて、より充実した今生を送れるのでは。

 ただし、現世で生きているのが辛いから、TVゲームのリセットスイッチを押すように、簡単に自死を選択してしまいがちになるかも知れない。となると、肉体的に記憶を持たなくて正解なのかも知れません。

 肉体的な記憶媒体はソフトウェアであって、潜在的な記憶はハードウェアにある。なので前世の記憶は、肉体には無いのだけれど、魂にある記憶の痕跡が、稀にアップトラウマされるのでは、とも考えられますが、これも空想です。

 

 ここまで書いていて思い返したのが、やはり死後に関しては、自分の希望というか要望を想像してしまうという事です。

 

 

 風が窓ガラスを揺らしています。外を見ると、月明かりの届いていない黒い木枝が、枯れ葉を数枚だけ残して右に左にと暴れています。しかし、奥に見えている星空には、黄やら白やらオレンジの瞬きが沢山あって、思わず窓ガラスを開いて月を探してみたくなりましたが、あいにく私の身体には管が何本か刺さっていて、それは容易ではないのです。

 

 読者の皆さんがこの手記をご覧になっている今頃には、恐らく私はもうこの世には存在して居ないでしょう。私は半年前に、進行性の胃がんで末期と診断されました。よって現在は病室にてこの手記をPCに残しています。もはや骨と皮だけの身体になってしまった私は、これ程まで人の死を真剣に考えるタイミングは他には無いでしょう。

 

 私は近しい人の死から、何を汲み取ってきたのでしょうか。

 家族どころか彼女も居ない、仕事も病気を機に辞めた私ではありますが、やはり両親よりも先にこの世を去る事に、多少の心の痛みがある事に嘘はありません。私が他界した時、私の両親はどんな思いで炉前室に居るのでしょうか。火葬炉の中の私の棺を、どのような気持ちで見送るのでしょうか。不本意な親不孝者だと、棺を覗き込みながら親戚たちには言われてしまうのでしょうか。

 

 死ぬ時の恐怖や不安よりも、死んだ後のこの世の不安の方が増幅している現在の私ではありますが、私には、それを大きく励まして下さる方たちが大勢おります。それは祖父母をはじめとする、先に亡くなった全ての方たちに他なりません。

 

 特別に私を励ましてくれているのは、私が好きだったアーティストの方です。その方は若くして亡くなっております。私の青春を捧げたあのアーティストの方でさえ、私よりも先に黄泉へ旅立っているのです。

 人類の歴史が始まって以降と見積もっても、1千億人もいるのか分かりませんが、先人の方たちは皆さん平等に死を迎えています。当然歴史上の人物も、そうでない方たちも。

 

 今、この手記をご覧になっている読者の皆さんも、後のち同様に死を迎えるのです。なので私は怖がらず、どんとした気持ち(痩せ我慢ですが)で「その時」を迎えよう思います。

 

 さて、自分が瞑目する時に見える最期の景色とは、いったいどんなものなのでしょうか。このままでは病室の天井という事になってしまうでしょうが、出来れば自分の愛する人、自分を愛してくれる人の顔を見て、ちゃんとしたお別れができたらどんなに幸せだろうか。そんな虚しい空想が止めどありません。

 

 

 夜回りの看護師さんに身体に障りますよと言われました。間近に一人でも温かい言葉をかけてくれる人がいるだけで、どんなに安らかな気持ちになるでしょう。

 ですので、今日はもうこの辺にして眠ろうかと思います。

 

 

 

 

2022年3月15日公開

© 2022 紀 聡似

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