太陽が消えた日

紀 聡似

小説

7,379文字

いつも通りの朝のはずが太陽が昇っていない。
まだ普段が残っていつつも、徐々に異変に飲み込まれていく数時間のお話です。

 

 スマホのアラームが鳴っている。仕事の日の朝は、この瞬間が本当に嫌い。

 頭が重い、けれどなんだか妙に身体は軽く感じた。腰痛持ちの私は、起床時のこのタイミングで、一日のコンディションが分かる。

 にしても部屋の中が真っ暗。いくら真冬とはいえ、6時半にしては外が暗過ぎる。

____今日は雨でも降っているのかな。いや、昨晩の天気予報では、今日は一日を通して快晴だったはずだけど。

 

 アラームが変な時間にセットされていたのか。布団の中からスマホに手を伸ばし、時間を確認すると、確かに今は6時半だった。

 昨晩の遅くまで、メッセージのやり取りをした親友の優ちゃんから、夜中の3時くらいに「やっぱり彼氏と別れた」と画面にポップアップされていた。

____だからあんな浮気男、さっさと別れちゃえば良かったのに。

 だってあの男、私の元彼と性格がソックリだったもの。

 

 なんだ、やっぱりもう起きなければならない時間だったのか。私は二重に大きな溜め息をついた。

 暖かい布団の中から冷え切った空間へ、頑張って身体を持ち上げた。

 やっぱり今日は身体が軽い。まるで酔っ払ったときのように、ふわふわとして、いつもより首や腰の痛みは感じなかった。

 今朝はまた一段と冷え切っている。私は起き抜け即座に、エアコンのスイッチを入れた。

 

 やけに暗過ぎる外を見ようと、カーテンの隙間から眺めると、その風景は、まだ綺麗な夜景のままだった。

 コンクリートジャングルと言われている首都の眺望は、このマンションの7階から見れば、まだ見捨てるには勿体ない程度に、多少の癒やしを私に与えてくれていた。

 

 どうして今朝はこんなに暗いのかしら。部屋の電灯を点けるのと同時に、TVの電源も入れておいた。そして、今度はカーテンを大きく開けて、首を伸ばすように空を見上げてみた。

 

 窓越しの真っ暗な夜空には、ガラス玉を散らしたような星々が、ひとつひとつ存在感を放っていた。私は故郷の山形の夜空を思い出していた。都会生活に疲れを覚えていた私は、5年勤めた会社を辞めて帰郷しようかと、そんな相談のメッセージを母に送ったばかりだった。

「好きで上京したのでしょう。もう少しだけでも頑張りなさいな」

 母のその返答に、私はまだ既読したまま返信は送っていない。

 

 

 歯を磨きながら、寝ぐせで絡まった髪の毛をほどいていると、TVの写りが悪いことに気が付いた。

____嫌だなぁ、この間に新しいのを買ったばかりだったのに、もう調子が悪くなったのかな。

 しかし、TVが悪かった訳ではなかった。朝の情報番組は、いつもと明らかに雰囲気が違っていた。写りが悪いながらも、映し出されているテロップの文字に、我が目を疑った。

 

「太陽が消滅したもよう」

 

 深刻そうというよりも、いつも顔馴染みのベテランTVキャスターが、化粧でも誤魔化しきれないほど顔面蒼白で、その表情は、TVでは有り得ないほどに引き攣りきっていた。そう、まるで気味が悪いほど、別の人が話をしているようだった。

 

 過去に何度か大きな事件や事故、大災害などを報じているところを見てきていたが、その切迫感とは比較にならないほどの形相だった。

 事件や事故、それ以外の報道で、例えば不景気で物価が上がって、一般庶民は月々の支払いが大変だとか、収入が少なく、将来の先行きが不安だとか、そんなニュースに対して、あたかも同情するようなコメントをTVキャスターやアナウンサー、コメンテーターの芸能人が話しているのを見ると、あんたらは高給取りの仕事に就いているクセに、一般庶民の苦労とか不安の実感なんて分かってないだろ、なんて冷めて見てしまう。

 

 が、今は、どのチャンネルに切り替えても、どの局に写っているキャスターやアナウンサーも、早くこの場から自分の家に帰りたい、仕事どころではない、仕事なんて投げ出して家族や大切な人と一緒に居たい。そんな悲劇的な焦りと、絶望的な表情と声色をしていたが、それが彼らの本音の叫びだったのだろうか。

 皮肉にも、この際になってTVの中の人たちの感情が、ようやく視聴者の私に、ダイレクトに伝わってきていた。

 

 私は口に歯ブラシをくわえていることなど忘れて、もう一度、外の様子を見に窓際へ向かった。

 一見、いつも通りの夜の風景と同じであったが、やはり午前6時46分にしては暗過ぎるし、どの方角に目を配っても、朝焼けすら見える様子もない。

____本当に太陽が消えてしまったの?

 しばし唖然と、私は夜空(?)を見上げているらしかったが、空一面に瞬く星が、プラネタリュウムの中にいるように、左下から右上の方へ、肉眼でも分かる速度で一斉に動いているのが分かった。

 それを認識したのと同時に、後ろからTVの音が聞こえてきた。

 

「今後、地球に及ぼす影響はどのようなことでしょう」

「そうですね、太陽エネルギーを失った今、地球の温度はどんどん低下していくでしょう。どれくらい下がるのか、あくまで推測の域ですが、場所によってはマイナス100度から200度に達するでしょうし、当然、植物も死滅、光合成も止まります。よって酸素不足も大いに懸念されると思います。あとは重力の問題もあります。場所によっては海面上昇、凍結や地形変動なども起こり得ます。なぜ太陽が急に消滅したのか、まったく不明であります。膨張も収縮もせず、一切の予徴もなく、電灯を消すように、突然フッと消え去ってしまいました」

「ちょっと、この現実に言葉が思い付きませんが・・・。と、ここで総理大臣の会見の模様が入ってきました」

 

____太陽が消えるなんて、これっぽっちも考えたことがなかった。

____毎日毎日、当たり前に陽が昇り、当たり前に陽が沈んで、何があったって、また当たり前に陽が昇っていたのに。

 

「今の地球は帆を失った船であり、何処に行く当てもなく、風に吹かれるまま、潮に流されるままに、宇宙という途轍もない大海原を彷徨っている。つまり地球は、宇宙を漂流しております。それが今の現状であります。しかし国民の皆様、どうか混乱せずに。世界の有識者と英知を結集して、この地球規模の難局を打開する策を練っております。どうか落ち着いて、可能な限り通常通りの生活をお過ごしください」

 

 総理大臣の言葉なんて、それこそ今まで真剣に聞いたことなんてなかった。でも会見をしている総理大臣の表情は、あのTVキャスターと同様に、明らかに異質な面持ちをしていて、発した言葉には、これはいつも通りだが、なんの説得力はなかった。

 

____だってこの状況で通常通りの生活なんて!!

 

 けれど一大事であることくらいは、私も段々、ようやく理解し始めていた。

 それは今の星空から容易に納得ができたから。この速度で動いている星々を目の当たりにする限り、もう地球は太陽の引力から解放されて、いわゆる太陽系の軌道から離脱してしまったのだろう。

 

 故郷である山形では、綺麗な星空は日常だった。私は、そんな夜空が大好きで、しょっちゅう星空を眺めていた。だから宇宙の仕組みとか、銀河系とか太陽系とか、惑星とか地球とか、専門家ではないけれど、図鑑くらいの知識はそれなりに持っていた。

 

 でも上京してからというもの、仕事や遊びだったり、日々の都会生活に没頭してしまって、思い返せば夜空なんて、ほとんど見ることは無かったと思うし、当たり前の日常に、星空なんてものから関心が薄れていたのだと思う。

 

____そもそも、大都会の空を見上げても、星なんて見えやしないし・・・。

 と、私は急に下腹部に違和感を感じて、慌ててトイレに駆け込んだ。

 

____おかしいな、先週に終わったばっかりだったのに。

 

 トイレから出て、途中だった歯磨きをようやく終え、洗面台で口をすすぐのに水を出すと、跳ねた水滴が落ちるのがスローモーションのように遅く見えて、それを見ていると不思議に、乗り物酔いに近い、少し気持ちが悪くなる気がした。

 スマホを見るとメッセージが届いていた。

 ひとつはグループメッセージで、会社の上司から「業務は当面の間は休業すると社長から全社員への連絡が入った。今後、この世の中がどうなるのか見当もつかない。今は各々、身の安全を確保して過ごして欲しい。また追って連絡します」

 

____へぇ、こんな状況なのに出て来いと言われるかと思ったけど、案外うちの会社って良い企業だったのかも知れないね。

 なんて思いながら、外で動いている車のライトや、歩いている人たちを眺めながら勝手に哀れんで、勝手に私は感慨していた。

 すると微かに揺れを感じた。

____地震?やめてよね、こんなタイミングで大地震とか。

 ここはマンションの7階だから、少しの揺れでも大きく感じるけれど、この揺れは地震の揺れよりも細かい振動。地面が揺れているというより、空気が振動している感じだった。すると窓ガラスがビリビリと音を立て始めた。

 

 私はまた窓際へ急いで夜空(??)を見上げた。

____あぁ、やっぱり地球は漂流をしているのね。

 そう理解できたのは、さっきは左下から右上へ、斜めの方に動いていた星々が、今度は右から左へ水平に、これも目で追える程度の早さで流れていたからだ。

____あ、そうか、多分もう月も何処かへ行ってしまったのかな。だから私の身体にも異変が?

 

 何処を見回しても、慣れ親しんだ月は、文字通り見る影もなかった。

 それよりも、細かな振動はそれをやや強めながら窓ガラスを震わせていた。

 冷たくなっている窓ガラスに指を当てると、爪の先から肘の辺りまでを、私をくすぐるような振動を感じさせた。

 

 太陽が消え去ってもまだ星が瞬いているのは、遠くの星ほど、過去の太陽の光を反射しているから、と本で読んだ記憶がある。だから逆に、近ければ近い星ほど、もう輝きを失っているということ。月も案外、まだ地球の傍に、ピッタリとくっ付いているのではないか。そんな風に思って、空に目を凝らして探してみた。と、ちょうど私の目前の空の三分の一くらいを、丸い形をした真っ黒な大きな影が、ポッカリと星空をくり抜いているように現れていた。

 

____なにあれ?

 

 カタカタと、さっきまで細かかった振動が、今は大きな鳴動のようになって私の頬を揺らすほど。不安になって窓ガラスから指を離すと、今度は家の中の家具や食器がガタガタ、カチャカチャと騒ぎ出し始めた。

 するとその大きな影は、空を覆うほどの大きな影になって、私の頭上を音も無く過ぎて行った。

 

 その後は、またさっきまでと同様に、星たちは普段よりも足早に宙空を泳いでいる。

 一瞬だけ、窓越しでも、その大きな丸い形をした影の表面が見えた気がした。

 

____今のは多分・・・・。

 あの大きな黒い影の表面にはクレーターの凹凸が、気持ちが悪くなるくらいに近くに見えた。色は無かったように見えたけど、白と黒とで作られていて、でも室内のガラス越しで見ていたから、そう見えたのかも知れない。

 でもそう、今のは見慣れていた月だったと思う。

 

 呆気に取られていたら、もう振動はすっかり治まっていて、部屋の中はTVの音と、エアコンの吹き出し音と、室外機のうなりだけになっていた。

 雑音ばかりのTVでは、今度は米国大統領の会見が同時通訳で流されていた。

「現在の地球は、正しく自転しています。しかし、不安定に回転しながら、宇宙空間を漂ってます。太陽系が崩壊した今、地球内の所々で、重力場の変動が起こっていると報告があります。ある地域では0.8Gであったり、ある地域では1.2Gだったり。地球上の生命体にこれが、どのような影響を与えるのか、それは分かってません。あと月が、地球の唯一の衛星だった月が、地球から離れていったようです。宇宙局によれば、海流に・・・潮の流れや、それが天候・・・気候に、多大で深刻な影響を与えるとしています。スノーボールアースという言葉を、皆さんは聞いたことがあるでしょうか・・・・」

 

 母からメッセージが届いた。

「今ならまだ電車も動いているでしょ」

「早くこっちに帰ってきなさい」

「お父さんは車で東京まで迎えに行くと言ってるわ」

 

____確かに仕事も当面は休みだし、恋人もいる訳でもないし。なにも東京に|拘《こだわ》る必要はないわよね。

____でもこんなときに、会社と母からしかメッセージが来ない私・・・。

____いやいや違う。お母さんから来ただけで充分じゃない。早く荷物をまとめて山形へ帰ろう。

 

「うん、直ぐに荷物を作ってそっちに帰るね。まだ新幹線は動いているみたいだから。お父さんには大丈夫って伝えてね」

 少し手間取ったけれど、母にはこう、メッセージを送り返した。

 

「最も重要なのはエネルギーになります。当面は原子力、火力、稼働できる全ての発電施設を、フル稼働させます。予測ができませんが、こうは考えられないでしょうか。いつの日か地球は漂流を終え、別の銀河にある、太陽のような恒星の、軌道に入る。それまで、これから来たる氷河期を、ひとつでも多くの生命を、繋いでいけないか」

 

 困り顔の大統領の会見は続いていたが、それは私の片耳にだけに留め、詰め込めるだけの荷物をキャリーケースに押し込んだ。どうせ大統領も首相も政治家も、それに社会的地位のある大金持ちとかは、核シェルターのような施設にこれから匿われるのでしょう。

 

 地獄の沙汰も金次第って、なにかで聞いたことがあったけれど、こういう局面で露呈する、人間っていう生き物の本性とか醜態だとかを、これからどれだけ見たり感じたり経験することになるのだろう。考えると少し怖くなってきた。

 またここに戻って来ることはあるのかな、とか、今の私は感傷に浸ることは一切なかった。ただ早く故郷に帰りたかったから。

 

 

 外へ出ると、思った以上に空気が冷え切っていたので、コートのフードを深く被ってマフラーを鼻の辺りまで引き上げた。散々荷物を詰めたキャリーケースは、わりに重さが軽く・・・。

____そうか、さっきTVで言ってたけれど、この辺りの重力って、少し軽くなっている地域なのかしら。

 と、今さら気が付いた。

 

 でも逆に重力が重たい地域だったら腰痛も酷いだろうし、こんな荷物は持てたものじゃなかったはず。

____軽重力も悪くないのね。

 

 最寄りの駅に向かおうと、マンションから一本先の通りに出ると、道路は真っ赤なイルミネーションが連なっていた。

____クリスマスの時期だったら綺麗だったのにな。

____っていうか、みんな何処に行こうとしているの。何処へ行っても、なるようにしかならないのに・・・。

 笑えるほど、私は明らかに矛盾していた。でも人間ってそんなもので、自分は良くても、他人がやると目障りに感じたり、うっとうしく思うもの。

 でも不思議と街の人たちは案外冷静で、とても絶滅危機の、破滅的な香りは何処にもしなかった。

 

____それはここが日本だから?諸外国にでも行ってみれば、きっとオカルト的なことだったり、その土地の風習であったり、宗教上のことだったり。それが発端で暴動とか起こったり、略奪とか、戦争みたいになっていたりして。そう考えると宇宙とか自然現象も恐ろしいけど、人間も負けず劣らずってところよね。

 

 駅までの近道で、ビルとビルの間にある細い道に入った。

 と、周囲が細かく振動を始めていた。また空気が震えている。空を見上げると、どうしてか星なんてひとつも見当たらない。ビルとの隙間には、漆黒の闇しかなかったのだった。

 

____さっき月が通り過ぎたときと同じ。今度はなに?

 

 私は暗闇を見つめ続けた。

 

 すると、あるのは闇だけではなかった。紫色をした複数の横線が、うっすらと浮かび上がってきたけど、それが何なのかよく分からない。数回だけ強めに瞬きをしてみた。改めて見てみると、それは巨大な瞳のようだった。

 存在に気が付いたときには、瞳は薄らと焦げ茶色をしていた。そんな途轍もなく大きな瞳が、ビルの隙間から見える空の全体を埋め尽くして、私を睨みつけながら迫り降りてくる。

 

 急激に空気の振動は強くなってくる。恐怖なのか振動のせいなのか、私の膝はガクガクと怯えきっていた。

 遠くの方で、人が騒いだり、悲鳴を上げている女性の声が鳴り止まない。

 私は、あえて大きく深呼吸した。冷たく乾いた空気が、喉の奥を爪でひっ掻いたように、微弱な快楽に近い痛みを与えた。

 次のときには、真っ白い吐息が、私の顔の周辺を取り巻いていた。

 

 少し冷静になってみると、私は空の、この大きな瞳に見覚えがあった。

 確かあれは、子供の頃に図鑑で見たことがあって・・・。

 

____そうだ、これは瞳ではなくて大赤斑?

____そうこれは、木星の大赤斑!!

 

 思った刹那、一気に空が真っ白に輝いた。私はとても目を開けてはいられなくなって、というよりも、両目を千枚通しで突き刺されたような衝撃が走って、たまらず両手で顔を覆って地面に踞った。

 

 空全体が雷のような轟音を立てて私の背中を乱打して、呼吸ができない。

 そして地面からは、強大な怪物が暴れ狂ったような鳴動を、私の両膝から身体全体を突き上げた。

 

____重い!身体が鉄の塊のように重くなって地面に食い込んでしまいそう・・・。

 

 後頭部に巨大な鉄球が激突したような衝撃を感じ、目と鼻と口から脳みそが噴き出す感触がした。

 

 遠くの方で、爆風で物が散乱している音が聞こえる。

 

 その音は、段々と聞こえなくなっていき、枯れ葉が舞っているように散り散りな音になったところが最期で、私から五感の全てが消え去ってしまいました。

 

 

 

2022年3月15日公開

© 2022 紀 聡似

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