まるで定刻になっても、一向に訪れる気配のないバスを待っているかの如く、その一瞬は永遠であるかのように感じた。
19.9秒。僕らの世界では、その数字は途方もない時間の浪費を意味する。その19.9秒のうち、殆どの時間は、二人のピットクルーが半ばヒステリーとパニックを起こしながら、タイヤを引っ張ったり、揺すったりしながら、どうにかして、たった1本のタイヤを履き替えさせるためだけに費やされた時間だった。
その時、僕はホイールガンという工具を手にしていた。ホイールガンはタイヤのナットを締めたり、緩めたりする為に使用される工具である。その工具の担当を任されている人間であるということは、梃子でも動かなかった左リアのバースト寸前の古タイヤの問題の責任の所在も僕にあるということだ。
僕らは精密機械でなければならない。勿論、僕らはひとりひとり、人格を持ち、思考や所作に個性という名のクセを必ず持っている。しかし、この仕事では、そのようなクセは歓迎されない。僕らピットクルーは精密機械になる為に、軍人でさえも裸足で逃げ出すような、徹底した反復訓練を絶えず繰り返し、そして、そのことで俸給を得ている。
僕らがそのような非人権的な仕事に誇りを持って邁進するのは、僕らの緻密で一糸も乱れてはならない動作のひとつひとつに、レーサーが文字通り命を託していることを肌で感じているからに他ならない。思わぬタイムロスを被った我がチームのエースドライバーは、ピットを出るや否や、無線でFから始まる言葉を吐き捨て、中継はすかさず、その言葉をビープ音で伏せた。
シケイン、高速ストレート、ヘアピンカーブ。レーサーの腕を推し量るように設計された5kmちょっとのサーキットをライバルとチェイスを繰り広げながら僅か1分台で疾走するレーサーにとって、およそ20秒の出遅れが持つ意味はそれほどに重い。
特に今日、このレースに賭ける彼の意気込みは鬼気迫るものがあった。レーサーのアドレナリンを惜しみなく開放させるコースのレイアウトには常に猟奇性が潜んでいる。
このコースで言うなれば、今、我がチームのエースがアクセルを目一杯ふかせて駆け上る緩く長いアップヒルストレートの先で待ち構える傾斜の異なる矢継早の連続コーナー。そこに潜む悪魔は、時としてレーサーと風が一体化する刹那だけに飽き足らず、その者自身の永遠さえも気まぐれに奪い去る。たとえ、我らがエースにカーレースの楽しさと素晴らしさを教え、最期に身をもってその残酷さをも伝えた彼の兄が相手であったとしても、だ。
兄の魂が眠るグラベルにシャンパンの香りが染み込んだ花束を手向け、接吻をする為に、彼は研ぎ澄ました神経を駆使し、ここまで、0.1秒を削り続けてきた。それをピットクルーのボーンヘッドひとつで台無しにされながらも、”fXXk”の一言で水に流し、今もこうして、連続コーナーが課す5Gの遠心力を鍛えた斜角筋と冷静に滾る血で捻じ伏せている姿は申し分ないくらいにエースの資質を備え、輝いていた。
しかし、そのような魂の震えるような走りをレーサーたちが披露しても、関心のない者たちの目には、伊達や酔狂に命そのものをかけるチキンレースの延長、極めて不謹慎なものにしか、映ってこなかったことは、モータースポーツが晒され、受け続けてきた批判の歴史が物語っている。
資本、環境、安全性、ポリティカルコレクトネス、あらゆる面において、その存在そのものが不経済であるという烙印を押される度に、「進歩」を旗印に掲げるモータースポーツはそれらの概念すらも包括しながら、より速く強い世界を見せようと躍起なまでの改善を重ねてきた。
今、フォーミュラカーの動力源となっているのは、心地よい爆音をかき鳴らすV8のターボエンジンではなく、ハイブリッドなエンジンやバッテリーに最新のエネルギー回生システムを内包したパワーユニットと呼ばれる高価で精密な動力システムとなっているし、ヘルメット一つかぶっただけで、音速の世界の中、剥き出しになっていたレーサーの身体は、マシンに装着されたヘイローというカバーや耐火性において格段に進歩したレーシングスーツに護られるようになった。彼らはよりスピードのみを求めることに、幾ばかりかは専念できるようになった。
また、市販車の世界よりも遥かに早くパワーステアリングとセミオートマ化に成功し、フィジカルのハンディキャップを幾分和らげたフォーミュラカーは、モータースポーツのメンタルスポーツ化にも貢献した。例えば今、僕の視界の脇にチラチラと見え隠れしながら、チームのエースが奮闘するレースの動向をメカニック達と一緒に見届けるアジア人の少女は、リザーブドライバーと呼ばれる、いわばレーサーの練習生だ。
レーサーの父とレースクイーンの母のもとに生まれ育ったサーキットの申し子のような少女が、パラソルを片手にレースの華となることよりも、自分自身でマシンを走らせる方に興味を持つようになり、また、その才能と努力が発見されるようになったのは、メカニック達の執念深い開発と、そうして生まれたマシンを実際に走らせるレーサーの優れたレスポンスが齎したものと、無関係であるなんて、決して言えないはずなのだ。人種に関しては、もはや僕らが語ることは何もない。ただチャンピオンの繰り出す異次元の走りを見れば、全ての言葉は不毛になる。
それでも、この世界がどうしても頑固に譲歩できないものがあるとすれば、この世界が愚直に速さを求めている以上、「優しい世界」になることはどうしてもできないということだ。
レーサーは速さの為に、身を投じ、狂えなければならないが、同時にしたたかすぎるほどに冷静さを保っていなければならない。限られた財源の中、大枚を叩いて作り上げたマシンを責任を持って動かし、ステアリングを通じて生きたマシンに常に問診を施し、マシンが訴える症状をメカニックや戦略を司るレーシングディレクター、さらにはピットクルーたちに伝える仕事もレーサーの大事な役目の一つだ。それはただのスピード狂には到底務まらない大役である。
そのようなしがらみの中で、自身の手腕を遺憾なく発揮できるマシンを手に入れ、そして、勝利を掴めなければ、一流であると呼べないレーサーにとって、世間では手放しで賞賛されるであろう浪花節的な人情ですら、必ずしも美徳とはなり得ない。うんざりするほどに魑魅魍魎とした世界だ。それもこれも、誰よりも速くサーキットを駆け抜けることを原理主義的に追求するが故である。
リザーブドライバーは、エースのドライビングテクニックを学習しながらも、既に電気系統のトラブルで不運なリタイアを喫したセカンドドライバーの第2マシンのギアボックスやエアロパーツ、コックピットの形状とボタンの数を盗み見ることに余念がない。虎視眈々とシートを見据える彼女はきっと優しくない優秀なドライバーとなるだろう。
レーサー、エンジニア、ディレクター、ピットクルー。アドレナリンの存在が蔑まれ、ドーパミンがこの世の全てを牛耳る世界に、僕らのような人種が居座れるような場所はきっとどこにもない。だいたい、このような邪念が僕の心によぎる自体、不徹底なのだ。エースは今も渾身の走りでタイムを縮めている。未だ人事も満足に尽くせない未熟な僕は、「どうか彼の味方をしてはくれませんか」と祈るような気持ちで、曇天の空を見つめた。
「何、ボサっとしてるんだ。早く仕事に取り掛かれ。タイヤを用意しろ」
天は何も言葉を返してくれなかったが、かわりにピットのガンクルーから、怒号のような命令が飛んできた。ヘリウムを一気に吸い込んだかのような呆れるくらいに甲高い声、僕らのチームのレーシングディレクターの声だ。そして、彼が言葉とともに交えたジェスチャーはタイヤの中でも、青いラインが入ったものを要求していることを僕に伝えていた。青いラインの入ったタイヤ。それは高い排水能力を持つウェットタイヤのことを指す。
「今、必死にラインを攻めているアイツに感謝しろよ。あと一回、汚名返上のチャンスが来るぞ。レーダーの端っこに、サーキットとは反対方向に流れていく積乱雲が映っているだろう。このペースを何とか続けて、タイヤもすっかり履き潰れたラスト数周、風向きが変わって、天啓のような雨が俺たちのもとに降り注ぐ。そうなってしまえば、ほかの連中も一足遅れてタイヤを履き替えないわけにはいかなくなる。殆ど、ギャンブルだが、このままじゃあ、アイツの走りがノーポイントと無駄になることには変わりない。それでいくぞ」
レーシングディレクターはそう口早に告げると、最後にニカッと笑みを見せ、僕の肩をポンと叩いた。エースは、「このペースで後、10周だって?! 正気の沙汰じゃないよ」と不平をこぼしながらも、またギアを一段階上げた走りを見せる。隣のピットクルーからは、「やけくそだ」、「予選だと思っているんじゃないか」、「うっかり大事なマシンをクラッシュして泣きをみるよ」と嘲りを隠そうともしない無線が飛んだ。
膨大な予算のもと組まれたプロジェクトによって集められた卓抜した頭脳を持つ空力学の天才たちが額を突き合わせ、開発した繊細で複雑なマシンを信じられないほどの集中力を持ってステアリングを捌くレーサーと、徹底した反復訓練を重ねた精鋭ぞろいのピットクルーたちに託して、0.1秒を競う。そんな世界の中で、最後に縋るのが雨乞いだなんて、笑けてしまうかもしれない。
しかし、その雨に濡れたサーキットというシチュエーションこそ、マシンの能力格差、チームの資金力、レーサーたちのコネクション、コンストラクターの国元の政治力、気まぐれすぎるほどの時の運、そして何よりそのレーサー自身が残酷なほどに予め各々備えている才能という理不尽の前ではあまりに頼りなく、そよぐ葦のような存在である努力という力が、いつもより、何倍も増して、その力を発揮するシチュエーションでもあるのだ。容赦なく、レーサーの体力と集中力を奪う土砂降りの雨は、あらゆる格差をも流してくれる。残るのは、純粋なレーサーの根性。若いのに随分と多くの不遇を受けた我がエースの一番の自慢、セールスポイントがずばりそれなのである。
またタイムを前のマシンより0.3秒縮める、次は0.1秒、0.5秒、0.2秒、1.1秒……中継もついに我がエースの猛追に気付き、オーバーテイクの瞬間がファイナルラップに訪れるという予測と、その1周前に呆気なくタイヤがバーストするはずだいう計算を同時に披瀝した。
「まだ降りませんよ! 今からでもインターミディエイトに変えた方がいいんじゃないですか」
「馬鹿言うな、それじゃあ今までアイツが魂削ってやってきたことは何だったんだ。なあ、そうだろ。ポイント、取りに行くぞ。振ろうが降るまいが、ウェットで行く。インターミディエイトじゃトップチームとの差は埋まらないんだよ」
「まったく、うちのチームはイカレているよ。なあ、兄さんもそう思わないかい。fXXk! fXXk!」
品性の欠片もない無線のやり取りは、「Box…Box…Box…」というレーシングディレクターの呟きによって閉められた。ピットインの準備が整った合図だ。
他チームの連中や、中継の実況解説は、順位を上げることをすっかり諦め、次戦に向けてマシンを温存するのだろう、もしくはやはり無理な走行でマシンにトラブルが生じたのだろう、ひょっとしたらファステストラップ狙いかつ、後は他力本願、相手のミスで入賞圏内に滑り込む偶然を期待しているのではないか、各々、好き好きに思っていることを口走った。僕はそれらの雑音には、耳も貸さず、ホイールガンを手にして、持ち場へと向かう。ロリポップを手にしたチーフがコキコキと肩を回す。
空力の追求の為に間抜けなノーズをした我らがマシンと、センスを疑うデザインのヘルメットをあしらった我らがエースがピットに向かって突入してくる。
STOPと書かれた面を翳しながら、チーフがロリポップを下げる。
すかさず、ジャッキマンがジャッキをマシンに嚙み合わせ、車体を持ち上げる。
僕は車体が浮いた、その刹那を見切って、ホイールのナットにガンを突っ込んだ。
タイヤの表面は熱を持ち、ところどころ気泡で膨れ上がって破裂寸前の状態になっていた。
ウェットのタイヤをタイヤマンたちが取付け、事が済んだ瞬間、GOと書かれたロリポップがあがった。
その間、2.1秒。僕らが出来ることはすべて終わった。
仕事を終えた僕らのスーツに無数の線が当たって、その表面で撥ねた。エースはステアリングをギュッと握りしめ、ピットの誰もが天を仰いで雄叫びをあげた。
諏訪真 投稿者 | 2021-03-28 14:52
続きが読みたいです。是非、何卒。
小林TKG 投稿者 | 2021-03-28 14:57
面白かったです。
で、春風亭さんは一切悪くないんですけど、ホントそれは間違いないんですけど、むしろ私が悪いという事だと思うんですが、超個人的判断で合評会への提出順で読んでまして、春風亭さんのこの作品はすごく真面目という印象です。はい。
「テーマに真面目に取り組んでる。すごいストイック!」
という感じ。
ですからこれを最初、あるいは最初の方に読みたかったというのが正直な所。もちろん作品ごとに気持ちをリセットできない私が悪いんですけども。
でも例えるなら、去年のM-1の決勝です。おいでやすこが、マヂカルラブリー後のオズワルドみたいな。
いやほんとすいません。個人的な印象ですので。ええ。
松尾模糊 編集者 | 2021-03-28 15:27
F1への愛を感じる素晴らしい掌編だと思います。レーサーではなく、ピットクルーが語り手となっているところにも好感が持てます。自分はセナくらいは知ってる程度で、F1のファンではないのですが、とても読みやすく、イメージもしやすい文章で流石だなと感じました。
Juan.B 編集者 | 2021-03-28 17:35
実のところ免許もない身なのでそれに増してF1とかモータースポーツはよく知らないのだが、お台場にある博物館とかを見て分かればとても面白いのだろうなと思っている。それを再確認させられた。F1にせよラリーにせよ、技術とチームワークの結晶を寸分のすきなく突き詰めていくのは凄い事だなあと思った。
諏訪真 投稿者 | 2021-03-28 20:57
上のは個人的な感想ですが、今回のテーマに対して最も直球勝負で挑んできた一品だと思います。
19.9秒というのが素人目に見てもF1では致命的な数字であること、それに対してfxxkと吐き捨てながらも一瞬でレースに集中するドライバー。
これらをピットクルーの視点で眺めているのも、最もレースを第三者視点で見ることが出来るポジションだからかと思います。
F1のタイヤ交換は、もう一種のアートだと思っています。
「今、フォーミュラカーの動力源となっているのは、心地よい爆音をかき鳴らすV8のターボエンジンではなく、ハイブリッドなエンジンやバッテリーに最新のエネルギー回生システムを内包したパワーユニットと呼ばれる高価で精密な動力システムとなっている」
F1はもう個人技ではなく全体としてのシステムであることを感じさせます。
「タイヤの表面は熱を持ち、ところどころ気泡で膨れ上がって破裂寸前の状態になっていた。」
の辺りに匂いすら漂ってきそうなほどの解像度かと思いきや天候すらも予測し、対策を立てるところで俯瞰視点になったり、非常に大満足でした。
(だから続きを何卒
諏訪真 投稿者 | 2021-03-28 20:57
>サーキットの申し子のような少女が、パラソルを片手にレースの鼻となることより
ここだけ誤字の修正をお願いいたします。。
春風亭どれみ 投稿者 | 2021-03-28 23:58
そうなんですよねえ。間に合わなくてあきらめるくらいなら、拙速だろうが、出すのノリでやったので……(笑)
今、直すのはフェアじゃない気がするので、編集会議のあと、こっそり2,3なおしておきます
大猫 投稿者 | 2021-03-28 22:54
どれみ節炸裂ですね。疾走感あるノリノリの文章、F1用語は分からないまでも、臨場感がビシビシ伝わって来ます。諏訪靖彦さんの作品でも感じましたが、F1が本当に好きなんだなあと思いました。クルーが主人公だから当然ですが。
好きすぎてF1の現況の諸問題に関する言及に力点が多く置かれてしまい(それはそれとして興味深く読みました)、ドラマとしてのレース、例えばレーサーと亡き兄とのエピソードや、語り手がこの職業に就くに至った経緯とか、あるいは一番知りたいレースの顛末がちょっと置き去りにされた感があり。もう少し長い枚数で書いた方が良いと思います。
古戯都十全 投稿者 | 2021-03-28 23:29
熱いですね。F1への愛が伝わってくるとともに、その愛をいかに文章で表現しうるかということに挑戦する気迫も伝わってきました。
どんなに訓練して、どんなに完璧な準備をしても最後には雨乞いに縋るしかないという一種の理不尽さのようなものがまた、F1を熱いドラマにしているのだろうと感じました。
Fujiki 投稿者 | 2021-03-29 12:14
F1に対する愛はひしひしと伝わってくる。ただ、背景知識を前提にしている語りなので、何も知らずに読んでいる私にはよくわからなかったり、説得力を欠いているように映ったりする部分も多かった。「モータースポーツが晒され、受け続けてきた批判の歴史が物語っている」と言われても、それを知らない私は「ホントにそこまで批判されてたのかなー、ちょっと大げさじゃないの?」と素朴に思ってしまうし、モータースポーツのメンタルスポーツ化の例のはずが、なぜ人種の話に続くのかよくわからなかった。女性の体力ってことなのかもしれないが、それが技術面の問題に帰することができるというのがあまり腑に落ちない。
諏訪靖彦 投稿者 | 2021-03-29 15:53
チームクルーの視点というのが面白いですね。昨夜のボッタスのピットインでもそうでしたが、タイヤが外れない、タイヤ交換が終わってないのに車体を下げてしまった、それによってますますタイヤが外れない、ドライバーは勿論のことクルーの精神的ダメージはいかほどかと考えてしまいます。
ドライバーは人が良さは逆にディスアドバンテージになったります。チーム間で車の速さが違うから自分の速さを証明するためチームメイト同士激しく対立したりする。シーズン初め仲の良かったドライバー同士がシーズンが進むにつれ険悪になるのを何度も見てきました。その辺の人間模様もまた面白いんですよね。
専門用語が多かったのが少し気になりましたが、F1愛が伝わってきて面白かったです。
波野發作 投稿者 | 2021-03-29 19:38
ガチ勢がまたひとり!
あと誤字の修正は面白さに関係ないので気付いたら速攻で直していいと思います。俺は直します。
鈴木 沢雉 投稿者 | 2021-03-30 13:58
90年代にF1から離れて久しいのですが、それでも今の現場の熱気が伝わってくる力作でした。長いのに、まったく冗長さを感じずにラストまで一息で読めました。
ひとつだけ、「の」の反復と明らかな語彙の誤用は直した方が格段に読みやすくなると思います。