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チャッキーの誕生日の翌日、僕は朝からアレンさんの自宅兼レコーディングスタジオにいた。そのレコーディングスタジオは普天間飛行場を一望できる高台にあって、建物の外観は英国風二階建て一軒家だった。中に入ると十平米くらいの部屋があり、そこにはベンチソファーや一人掛けソファーやローテーブル、それから僕をフッた女の子の数くらいつまみのたくさんついたミキシング・コンソールという音響機器やスピーカーなどがあった。で、その部屋から防音ガラス窓をへだてた向こうにドラムセットやグランドピアノやギターアンプなどの置かれた部屋があって、さらにそのとなりにボーカルブースと呼ばれる小部屋があった。
アレンさんについて述べる。彼は五十代だと僕に話していたけど、ぱっと見た印象では七十をすぎた老人に見えた。いや髪はふさふさだったんだよ(彼はロマンスグレーの長髪をいつもポニーテールにしていた)、でもさ、がりっがりの体に白いヤギひげ 、落ちくぼんだ目にくわえて顔全体にくまなく生成したシミとシワが彼の非生命力を感じさせる要因になっていた。そうそう、アレンという名はプロギタリスト時代から使用している芸名とのこと。彼は若い頃ギタリストとしていちおう生計を立てていたらしい。あ、ギタリストって単語をタイプして思い出しちゃった。その頃ちょうどボヘミアン・ラプソディが映画館で上映されていたせいでね、僕はアレンさんからクイーンのギタリスト(名前はブライアン・ジューンだったかメイだったか忘れてしまった)の話をいくどとなく聞かされたんだ。「ブライアンは6ペンス硬貨でギターを弾くんだ!」ってアレンさんは僕に何度も言った。だから僕は「2ポンド硬貨やるからその話はもうやめてくれ!」って何度思ったことか。
そんなアレンさんとワタキミちゃんは朝から火花を散らしていた。彼らのそばにいた僕が引火物として生を享けてなくてほんとよかったと思ってる。ワタキミちゃんは新曲にいたく力を入れていて、彼女は朝からずっとアレンさんがコンピュータで作った編曲にいちゃもんをつけ何度も作り直させていた。アレンさんはアレンさんでいちゃもんをつけるワタキミちゃんにいちゃもんをつけながら何度も編曲し直していた。
「なんだかんだで一番最初に聴かせたアレンジがいいと思うがなあ」と言ったのはアレンさんさ。彼はミキシング・コンソールの前でキャスター付きの椅子に腰かけていた。「ヴァニラ・アイスみたいな甘さもないし。ホット・ホット・ベイビーな仕上がりだと思うがなあ」
「一番最初に聴かせてもらったやつは甘すぎ。ヴァニラ・アイスどころかグラブ・ジャムン」とワタキミちゃんが言った。「アンダー・プレッシャーみたいな雰囲気のベースラインがいいって何度も言ってるじゃない。アレンさんの頭の側面についてるそれ飾り? ねえマネージャー、あなたからアレンさんにアレンジのアドバイスしてあげて。甘味なしの」
ワタキミちゃんは素足にデニムのショートパンツというこちらの目のやり場に少しも困らない姿で一人掛けソファーに足を組んで座っていた。ちなみに彼女の言ったアンダー・プレッシャーという曲はクイーンとデヴィッド・ガールだったかボウイだったか名前は忘れたけどその人との共作曲らしかった。で、ワタキミちゃんに返した僕のセリフなんだけどさ、それはまあ次のとおり。
「そんな圧力をかけられると発言しづらいんだけど、アレンさんが一番最初に聴かせてくれたアレンジは悪くなかったんじゃないかな。あのベースラインなら君の好きなジョン・ベーコンさんも納得してくれるのでは?」
「マネージャーの耳は飾りじゃないね」とアレンさんが言った。「ジョンを塩漬けにしちゃったことはさておき、僕が女王なら君にナイトの称号を授けたいくらいだ」
僕がアレンさんのなで肩を持ったその理由を説明しなきゃ。それはね、フォトグラファーとしての彼を評価していたからなんだ。アレンさんはカメラが趣味らしく、それでワタキミちゃんのインディーズデビューCDのジャケット写真の撮影を無償で引き受けてくれていた。ひょっとすると彼は音楽家よりヌードフォトグラファーの素質があるのかもしれない。というのも、撮影現場となった無人島でアレンさんはワタキミちゃんの服を言葉巧みに一枚ずつ脱がせていき、そうして彼は最終的にワタキミちゃんを下着姿にさせたのだ。僕がアレンさんの味方についたのはそんなビッグな恩があったからなんだ(でも結局CDジャケットはワタキミちゃんのリリックで彼女のシルエットを形象したカリグラムになったけどね)。はい、というわけで次に示すのはアレンさんを擁護した僕に向かってワタキミちゃんが発したセリフだよ。
「せっかく地獄へ道連れにしてあげるつもりだったのに……マネージャー、あなたはもう天国へ独行して地獄を見るがいいわ!」
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