Adan #59

Adan(第59話)

eyck

小説

1,830文字

ワタキミ的アイスバーグ作戦〈7〉

僕はリリックの書かれた紙を彼女に返して言ったんだ。

 

「素晴らしい。君は世界に必要な人間だ。決めた! 君の力になるよ。迷惑じゃなければ君の音楽活動費用そのすべてを僕に援助させてほしい。僕には音楽の才能がからきしないから、音楽家の人には嫌味なくらい尊敬の念を抱いてしまうんだ。ついこないだも『一万人の指揮者の前で第九を歌いたい、一人で』というクラウドファンディングのプロジェクトにわずかながら資金援助したばかりなんだ」

 

ワタキミちゃんは怪訝な顔をしていたけれど、僕が連絡先を交換しようと願い出るとそれに応じてくれた。

 

僕とワタキミちゃんは明日レコーディングスタジオで会う約束をして別れた。別れぎわ彼女は僕にこんなことを訊いた。

 

「もう一度確認させてください。本当に当たり屋じゃないんですよね?」

 

「断じて僕は当たり屋じゃないし」と言って僕はつい吹き出した。「かと言って『はずれ屋』でもないよ」

 

ワタキミちゃんとそのようなやりとりをしてからたった半月さ。その半月のあいだに彼女の三曲入りインディーズデビューCD〈じつはこれ、ワタキミ的アイスバーグ作戦〉は完成し、そうして時を移さず彼女はそのCDをひっさげて沖縄本島内でライブツアーをスタートさせた。作戦、開始。

 

僕はツアー初日からマネージャーとして彼女に同行した。その頃からワタキミちゃんは僕のことをライブハウス関係者にマネージャーだと紹介した。そういうわけで僕はワタキミちゃんのマネージャーとして恥ずかしくないよういつもスーツを着、頭もポマードをつけて七三分けにし、そして黒縁の伊達眼鏡を常時かけることにした。マネージャーの質もワタキミちゃんの評判にかかわることなのだ。

 

ワタキミちゃんは精力的だったよ。彼女はライブの出演交渉だけは自身でしていたんだけど、驚くべきことに毎日ライブしていた。オリジナル曲のカラオケを流して赤い拡声器ラウドスピーカー(彼女はそれを「血塗られた拡声器」と呼んでいたっけ)をもちい悪態をつ——いや、ライムするというのが彼女のスタイルだった。曲はまだ三曲だけだったけど、その三曲とも軍事基地反対を訴えた曲だったよ。

 

十二月の中旬、ワタキミちゃんは米兵たちの前でライブした。彼女がその日ライブした場所は普天間ふてんま飛行場の近隣にあるライブハウスで、見たところ客の多くが米兵だった。彼女は米兵の前でも米兵の悪口をライムしていたけど、唾を吐かれた米兵たちはワタキミちゃんに温かい拍手を送っていた。彼女のリリックは基本的に日本語だから意味は通じてなかったと思われる。

 

「痛快だわ。あの兵隊ども自分がけなされてるのに拍手するんですもの」

 

ライブを終えて控室に戻ってきたワタキミちゃんは僕にそんなことを言って鬼歯を光らせた。僕は彼女のその鬼歯を見て、なにか愛情深い殺意のようなものをいっつも感じていた。だから僕は彼女にタオルを渡しながらこう言ったのさ。

 

「芸術って殺意をどれだけこめられるかどうかなんだよね。君が言葉という武器を使って『武力とは緊張をもたらす肘掛けだ!』って米兵たちに向かって叫んだとき鳥肌たっちゃったよ」

 

それから僕はアレンさんより新曲のデモが出来上がったとの連絡を受けたことをワタキミちゃんに報告した。作詞作曲は全曲ワタキミちゃんなんだけど、編曲アレンジは彼女のインディーズデビューCDの制作にもたずさわったレコーディングスタジオのオーナーでもあるアレンさんが一手に受け持っていた。もちろんアレンさんのその仕事の報酬も僕が支払ってたよ。

 

ワタキミちゃんは新曲のデモの件を僕から聞くと両手を僕に差しだした。したがって僕はヒップホップミュージシャン特有のハンドシェイクを彼女と交わした。そのハンドシェイクを覚えることが最初の仕事だった。

 

ライブを終えたらすぐ帰宅する、というのもワタキミちゃんのスタイルだった。だからね、だから僕は高級車専門の送迎会社に彼女の送迎を依頼したのさ。送迎車は白のロールス・ロイス・ファントム・EWB。「ファントムで送迎して」ってワタキミちゃんからの要望があったからね。

 

兵隊たちに兵隊不要論をぶちまけたその日も、ワタキミちゃんはいつものようにそのおばけファントムに乗って帰っていった。僕はいつものように深々と頭を下げて、その幻影ファントムを見送った。

2020年10月29日公開

作品集『Adan』第59話 (全83話)

© 2020 eyck

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