Adan #41

Adan(第41話)

e.s.

小説

3,749文字

はじめてのアルバイト〈9〉

まあ、聞いてくれ。

 

荻堂亜男はオフの日でも聖良ちゃんが出勤なら店に出向く――それは七夕にどれだけ願い事を唱えても叶うのは短冊をつくっている製紙会社の願いだけっていうのと同様の、あるいはその助言者に先見の明はなくとも「やめておけ!」って助言は的を外さないのと同様の〈天則〉と言っていい。僕がその日もエアロビクスウェアに身を包んでいたことも天則と言って差し支えないだろう、と思う。

 

で、おかしなことを言うようだけどそもそもその天則ってやつは我々のために設けられたものではないんだ。設けられたのは我々のほうさ。そう、我々は天則を生かすために存在しており、そして我々はその天則の延命のために犠牲を払い続けなければならないのである!

 

と僕が天則について大声でそう断言できるのは、アルバイト先のスタッフ専用駐車場にローライダーで乗りつけるや否やあまりに酷い――惨憺たる光景を目の当たりにしたからなんだ。いや、それは愛に満ち溢れた光景とも言えるものなのだけどとにもかくにも、スタッフ専用駐車場には学生服姿の正人くんと聖良ちゃんがいた。二人は向かい合っていた。正人くんは足を広げて立っていた。聖良ちゃんは膝をついて正人くんの股間に顔をうずめていた。

 

うん、そうなんだ。聖良ちゃんは正人くんのコニードッグを頬張っていたのだ。「チョップド・オニオンもきちんとトッピングされていたよ!」などという下品な冗談は言わせないでくれ。

 

二人は僕の存在にすぐ気がついた。それはあの小粋なマフラーが僕に代わって悲痛な泣き声を上げていたからだろうね。

 

二人はその体勢のまま、つまり正人くんは自身のコニードッグを聖良ちゃんに咥えさせたまま、聖良ちゃんは正人くんのコニードッグを咥えたまま僕を見ていた。まるで宇宙人を目撃したかのような表情で。地球内生命体を見ている表情ではなかった、そのときの僕の見た目はさておいて。

 

僕も同じような表情で二人を見ていたかもしれない。その場にいた三人の誰も望んでいないシチュエーションだ。僕はまだ聖良ちゃんに夢を見ていたかったし、二人にはまだ続きがあっただろうし。僕ら三人は「こちらが要求しないものから優先的に提供される天則」に誤謬がないことを再認識できたってわけだ。再認識させてくれって要求しなかったから。

 

僕はその場にいることに耐えられなかった。即刻その場から逃げ出したかった。第二宇宙速度(地球脱出速度)で逃げ出したかった。できることなら地球からも、いや宇宙からも逃げ出したかった。宇宙脱出速度で。構造の外側の構造へ。実存の内側の実存へ!

 

僕は車をバックさせようと思ってギア・スティックを掴んだ。けれども僕はギアをRに入れることもできなかった。正人くんに止められたのさ。彼はギア・スティックのように出来上がっていたソレをズボンの中に押し込むと僕のところに第三宇宙速度かと思わせるスピードで走って来て運転席の窓をノックしたんだ。僕はこのときスパイホップしたシャチと目が合った氷上のアザラシの気持ちが分かった気がした。

 

僕はおそるおそるパワーウインドウのスイッチを押した。「開くな!」と心の中で復唱しながら。

 

薄情で臆病な窓がドアの中に隠れると、シャチは僕と話がしたいと言った。あいにく僕はこの上なく暇だった。したがって僕はシャチの誘いに応じた。

 

僕はスタッフ専用駐車場に車を駐めて運転席から降りた。すると正人くんと聖良ちゃんのほうからこちらに歩み寄って来た。

 

「荻堂さん『冗談』って言葉、知ってます?」と僕にそう尋ねたのは聖良ちゃんさ。彼女は堂々としていた。塀も何もない開放的な場所で西日を背に正人くんのコニードッグを頬張っていたのは伊達じゃない。

 

「知ってるよ」と僕は聖良ちゃんに言った。「日本国はアメリカ合衆国51番目の州である、というような発言のことだよね、冗談って。違ったっけ?」

 

聖良ちゃんと正人くんは顔を見合わせていた。それからしばらくして聖良ちゃんが、ぜんぶ冗談なんです、と僕に言った。僕はその言葉の意味が飲み込めなかった。困惑した表情を見せていたと思う。が、彼女はそんな僕のことなど歯牙にもかけないといった様子で語り始めた。

 

正人くんのコニードッグを頬張っていたその行為が冗談というわけではなかった。聖良ちゃんの言った冗談というのは、ローライダーに乗っている男性が好き、という発言のこと。逆に彼女はローライダーのような車に乗っている男性を生理的に嫌悪しているとのこと。それから続いて正人くんが話し始めた。彼の話の内容は僕に語った聖良ちゃんの男性のタイプもすべて冗談というもの。つまりレインボー・アフロでエアロビクスウェアを身にまとった男性は聖良ちゃんの好きな男性のタイプではなく正人くんの冗談だったってわけ。

 

信じてもらえないかもしれないけど僕はその人の言ったそれが冗談かそうでないかその見極めができる人間だ。それこそ、ぜんぶ冗談でした、とこのとき二人の言ったそれが冗談なのではないかと推し測れたくらいなんだ。僕が今まで見極められなかった冗談といえば十五年ほど前に姉の言った、数を最後まで数えたことがある、という冗談だけ。ではなぜ聖良ちゃんと正人くんの冗談を荻堂亜男は見極められなかったのか、その理由は極めて素朴なものさ。僕が二人の冗談を見極められなかった理由それは、恋をしていたから、である。

 

「もちろん冗談だって分かってたよ!」と聖良ちゃんと正人くんに向かって叫んだのは僕さ。「君たちの冗談を真に受けるっていう僕なりの冗談だったんだけど分かりづらかった? こんなの冗談に決まってるじゃないか! レインボー・アフロでエアロビクスウェアをまとっておまけに紫色のローライダーに冗談ではなく本気で乗っていたらそいつは変態だよ!」

 

僕が嘘をついてしまったのは自己防衛を任務とする自嘲部隊の働きによるものと考えられる。嘘をついて恥の上塗りをする、そのほうがより盛大に自嘲できるというものだ。ただし言うまでもなくその勇敢なる自嘲部隊の働きが決まって僕に嘲笑をもたらすとは限らない。僕の嘘を聞いた聖良ちゃんと正人くんの反応はというと、二人は肩をすくめ合っていた。

 

それから正人くんが、僕たちは二か月前から付き合っているんです、と僕の耳に心地の悪いことを言い、続けて、僕と聖良がさっきやっていた営みのことは誰にも言わないで欲しい、口外したらぶっ殺すぞ、と僕に言った。正人くんはそれを言いたくて僕を引き留めたようだった。僕はそんな正人くんに対し、荻堂亜男という男は口が堅いから安心して、と彼の耳に心地の好いことを言ってやり、さらに、この駐車場で愛を確かめ合うときは駐車している車の陰でやるかさもなくば衝立ついたてか何かを立てたほうがいいかもね、と年上らしくアドバイスもしてやった。

 

数日後、僕はファストフード店のキッチンスタッフの職務を遅滞なく退いた。僕は退職するまでそのままの姿で居続けた。レインボー・アフロの頭にエアロビクスウェアを着、紫色のローライダーに乗って出勤したんだ。僕は道化師ピエロの振りをし続けて体裁を取り繕うのを余儀なくされたってわけさ。結局のところ道化師になりたいのなら自分のままでいたほうがいいみたいだね、人間は。皮肉なことにわざわざ道化を演じる必要はないみたい……ああ! 自分のままでいたほうが道化師になれるなんて! 悲しい喜劇!(あとこれは余談なのだけれどグレート・ルート・ベアみたいなアルバイトの女子高生と店長が不倫関係にあったことはスタッフ一同、知らぬ者はいなかった)。

 

僕はファストフード店のアルバイトを辞めたあとただちに車と服装を戻した(ローライダーは自宅マンションの駐車場で今も休眠中さ)。髪型も元の黒髪のミディアム・アシンメトリー・エアリー・ヘアに戻したんだけど、髪のダメージは心に匹敵するくらい大きかった。そうそう、元の姿に戻ったヒーローを目にした利亜夢の反応はどうだったのかというと、彼は残念がるというより立腹してたなあ。何度も舌打ちしていたっけ。

 

それから僕は元の姿に戻る前にローライダーとツーショットで北斗に写真を撮ってもらった。思い出を形に残しておきたかったわけじゃない。必要だったのさ。「ハッピーハロウィン!」っていう偽りの題をつけて僕はその写真をパソコンからママに送った。ローライダーはハロウィンのイベントを盛り上げるためだと言って買ってもらったんだ。写真くらいは送っておかなければならない(キャンプ・フォスターとアメリカンビレッジのハロウィンのイベントは実際にあったけど僕は参加しなかった。失恋した直後だ。のん気に仮装なんて出来る精神状態ではない)。

 

ママに写真を送ったらさっそくiPhoneに着信があった。ママは電話口で開口一番、僕にこう訊いた。

 

「亜男、あなた誰の仮装をしているの?」

 

はじめてのアルバイト〈了〉

2020年4月24日公開 (初出 https://note.mu/adan

作品集『Adan』第41話 (全45話)

© 2020 e.s.

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