Adan #39

Adan(第39話)

eyck

小説

2,114文字

はじめてのアルバイト〈7〉

僕は窓を開けて、それでは始めます、とみんなにそう告げた。ホッピングの練習はできなかったけど僕は動揺していなかった。僕はこの新しい友が飛び跳ねる画を脳内[注1]に鮮明に映し出せていた。イメージできていた。だから僕は陽気に口笛で「耳笛みみぶえ」というミュージシャンの「鼻笛を吹きながら」という曲を吹きながら四つあるうちの一番左端のハイドロスイッチをつまんで、それをためらうことなく上にあげたんだ。

 

「独り言なんて呟いてる場合じゃない」と独り言を呟いたのは僕さ。というのも、アースグリップを接続したにもかかわらずローライダーがノーリアクションだったのである。

 

僕はトランクを開けて再度アースグリップを繋ぎ直した。そうして運転席に戻って四つのハイドロスイッチを上下させたり押したり引いたり叩いたり、さっきより力を込めて睨みつけたりもしてみた。が、結果は同じ。まあ睨んだ通りだったね。ローライダーは無意味なアイドリングでCO2の排出に励むだけで僕の求めにまったく応じてくれなかった。

 

それでは始めますと宣言して三分が過ぎ、五分が過ぎ、七分が過ぎていった。小粋なマフラーを装備しているものと思われる。渋い排気音がかえって恥ずかしかった。でね、そうこうしているうちに聖良ちゃんのお母さんが事故に遭うことなく無事に愛娘を車で迎えに来てしまったんだ。

 

僕はエンジンを切って車から降りた。そして僕はハイドロスイッチをいじくり過ぎて痺れていた右手をいたわりながら運転席のお母さんと何やら話している聖良ちゃんのもとに駆け寄ってこう言ったのさ。

 

「ローライダーのやつ今日はどうも気が乗らないみたいなんだ。こんな日もあるよね。人間だって飛び跳ねたくない日に飛び跳ねようとは思わないもん、うん。車のくせにわがままだって僕はそうは思わないね。わがままな自分とは距離を置けって言われているけど、距離を置かれたほうのわがままだと判断されたその自分からすれば距離を置いたそっちがわがままだって思うだろうからね。わがままな自分と距離を置こうとするなんてそれがもうわがままな行為なんじゃないかな。つまり、わがままで居続けてもわがままな自分と距離を置いても同じ、いずれにせよわがままだってこと! って僕はそんな考えを持っているから、この車のわがままや人のわがままに対して寛容になれるんだよねえ、自分のわがままに対しても。聖良ちゃん、ホッピングショーは後日改めて開催しようと考えてるんだけどまあそんなことはさておき、よかったら今度あのローライダーで一緒にドライブしない?」

 

聖良ちゃんの背後には愛娘の乗車を運転席で待っている彼女のお母さんがいた。窓が開いていたから聖良ちゃんをデートに誘った僕の声はお母さんの耳にも届いていたはずさ。けど、僕の声を聞いたであろうお母さんの反応は描写できないんだ。聖良ちゃんに隠れていて僕の視界からお母さんの姿は見えなかったから。なんだって? なぜお母さんがいるのにデートに誘えたのかだって? それは僕ではなく「恋」に訊いてくれよ。そんなことより聖良ちゃんの返答なんだけどそれは次のようなものだったんだ。

 

「そのような素敵な外見でそのうえあのようなクールな車に乗っている荻堂さんとこんな田舎臭い私では誰の目にも不釣り合いな男女に映ります。そういうわけなのでお疲れ様です」と聖良ちゃんはそう言ったのさ。そして彼女はお母さんの車の助手席に乗り込んでしまった。

 

僕はこのとき初めて聖良ちゃんのお母さんを間近で見た。聖良ちゃんとは血が繋がってないのかなあ、とそんな疑問を抱かせるお母さんだった。そう言えば僕はこのとき聖良ちゃんのお母さんにお辞儀して「こんばんは!」とボールドにするくらい大きな声で挨拶したんだ。けれどもお母さんは挨拶を返してくれなかった……でもね、聖良ちゃんのお母さんは僕のことをずっと見てた。お母さんは車を発進させてからも顔を前に向けずに大通りに出るまでずっと僕のほうに顔を向けていた。

 

「聖良はいま荻堂さんよりずっと落ち込んでいると思います。荻堂さんと付き合えるチャンスを『プライドという名の幼馴染み』に邪魔されたわけだから」と僕に歩み寄って来てそう言ったのは正人くんさ。僕と聖良ちゃんの会話が彼の耳にも届いていたみたい。「聖良をテークアウトするためにこの店に潜入したという荻堂さんのその言葉を借りて言えば、ファストフードのような安くて簡単にテークアウトできる軽い女だと聖良は思われたくなかったんでしょう。だから気後れしているふうを装ったんです」

 

駐車場には僕と正人くんの二人しか残っていなかった。店長とグレート・ルート・ベアはいつの間にかいなくなっていた。

 

その正人くんも僕をうんと慰めてくれたあと例のおんぼろスクーターに乗って帰って行った。僕がローライダーの運転席に戻ってハイドロスイッチのつまみのすぐそばにあるスイッチを起動させる〈電源ボタン〉に気づいたときには、もう誰もいなかった。

 

つづく

 

[脚注]

1.脳内

2020年4月8日公開 (初出 https://note.mu/adan

作品集『Adan』第39話 (全83話)

© 2020 eyck

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