東京ギガストラクチャー(十一)

東京ギガストラクチャー(第12話)

尾見怜

小説

10,677文字

アラミド繊維におけるパテント王、そして現衆議院議長金剛コウイチは経歴から「不死鳥」と呼ばれている男だ。戦前は事実上の名誉職に押し上げられてしまった今よりももっと政治的影響力をもっていた。経団連会長から与党幹事長就任、圧倒的な資金力で行政に対しても絶大な影響力を持っていた。仕事で培った米国や中国の政治的なルートをもっていたが、戦後対立勢力に骨抜きにされ、一度政治資金規正法違反で更迭された。
十年後、支持基盤として自らが興した金剛化学の勢力下にある長崎から息を吹き返し、与党内で復権し現在の地位に至る。金剛化学は業界内再大手の企業であるにもかかわらず、SUAの支配下にない珍しい企業でもある。政治家として大衆向けメディアに露出が多く、どれだけ難しい議論やきわどい論調を繰り出そうと、最終的に即興のダジャレや冗談でオチをつけるような、きわめて親しみやすいキャラクターで売っている。
野村の立てたシナリオにおいて、彼の協力が必要不可欠だった。野村はあくまでも行政府をSUAシンパが支配していることを問題視しており、有力代議士の協力が無いとシナリオが作りづらいとの意見を出した。若手官僚の間でかなりの影響力を持つニシキでさえ、省庁上層部にはあくまで経産省ぐらいしか力が及ばない。茂山も勝手知ったる自衛軍や、民間企業に対しては情報収集が可能であるが、防衛省以外の省庁に関してはほぼ手出しができない状況だった。となると、政治的な後見人がほしくなってくる。現与党において、ある程度の実力者をシンパにしたい、それは最優先事項であった。またニシキが経産省から引っ張ってくる予算にも限界があり、会社としてやっていく分ならまだしも、軽井沢の訓練施設等の箱ものや装備の維持費や、諜報員の活動費なども含めると金銭的なフォローが必須だった。茂山は自前の衛星が欲しいなんて言ってくるし、平岩はどんどん研究員をスカウトしてくる。財布を握っているアオイの表情がどんどん険しくなり、組織内の空気は悪くなっていった。

「僕、金剛さんには何回か会ったことあるよ、なんか感じのいいオッサンだったけどなぁ」
金剛宅へ向かう車の中でニシキが言った。
「珍しく正直にものを言う人だからマスコミとか人権派弁護士とかに受けは悪いけどな、ポリティカルコレクトネスに欠けるというかね、ただキャラクタで得してるな、汚いことも結構やってるだろ」
金剛にアポを取るのは拍子抜けなほど簡単だった。
もちろん彼のキャラクターは予習済みであったのだが、警戒は解けなかった。下手なことを言えば、帰り道に俺たちを始末することなど彼にとっては簡単だろう。図太いニシキもさすがに緊張している様だった。アポを取ったニシキと護衛役の葛野と俺の三人で、世田谷のギガストラクチャーぎりぎりに位置する彼の自宅に訪問した。日本家屋を想像していたのだが、実際はやたら広い、無機質なコンクリートの巨大な塊だった。
「こりゃ右翼だろうが左翼だろうが、クラシックな焼き討ちをしようとしても無理だね」

中に入ると、彼の秘書らしき人物が邸内を案内してくれた。ニシキはきょろきょろと周りを訝しげに眺めていた。葛野は万が一が無いよう、警戒していた。人当たりのよさそうな別の秘書がこれまた広い応接間に通してくれた。殺風景と言ってもいい、IT企業の会議室のようなところだった。
「めずらしいな」ニシキがつぶやいた。
「なにが」
「写真がない」
「写真……」
「僕の知ってる政治家宅の応接間なんてさ、とにかく豪華にして自分の権威を示してくるはずなんだ、例えば後援者とかはその政治家に献金して得なのかどうか、人柄と影響力を測りにここに来てるわけなんだけど、結局初っ端の印象操作が不可欠なんだよね、応接間に必ずあるのは、各国の元首相や中央銀行総裁とか、元国連事務総長とかとその政治家が握手している写真だ、必ずと言っていいほどあるんだよ、それで国外にもコネがあることをアピールするわけ、日本の政治家は全部それ」
「なるほどな、でも金剛にはそれが無い」
「そう、経済団体主催ゴルフコンペのトロフィーも、先輩政治家に書かせた座右の銘も無い」
「つまるところ、自身の魅力とかはったりとかのソフトパワーで勝負する奴じゃないんだろう、ステレオタイプの口だけ政治家ではなく、自分の実力に自信があるということだ」
「とにかく今のところ僕の知っている政治家像とはかけ離れてる、僕の経験で通用する相手じゃないかも……」
ニシキが弱音を吐いた時、金剛が近代的な応接間に合わない着流し姿で現れた。自分の印象をどうしたいのか全く読めない、むしろそのアンバランスさに驚いている俺たちの反応を楽しんでいるかのようだった。六十代後半の、熟年俳優のような美しさとヤクザの親分のようなすごみが同居している男だ。眠そうだが感情が現れない眼をしていて表情に動きが無い。ただこの印象から真逆の、とぼけた冗談を不意に飛ばされると、不覚にも好意を持ってしまうだろうなと俺は思った。
「やあニシキ君、まだ親父さんは生きてんのか、今度ゴルフでもどうかと伝えといてくれ」
はきはきとして、腹から響くような大きい声だ。そういえば、いつかネットでみた国会中継で、金剛の「静粛に」と叫んだ声がすさまじくデカくてびっくりしたのを思い出した。
秘書が玉露と和菓子を持ってきた。屑切りの食感が素晴らしく滑らかで、上品な甘さだった。できれば雰囲気のある和室で食べたかったが。
まずはニシキが形式ばった官僚らしい挨拶をし、俺たちの組織の紹介をした。ある程度リスクを覚悟して、SUAの独裁体制に反逆することが目的であることをいの一番に説明した。金剛はうんうんとうなずきながら熱心に聞いてくれていた。途中からニシキも熱が入り、また演説のようになっていたが、金剛の態度は変わらなかった。

一通りこちらの説明が終わり、ニシキは金剛の反応を待った。この反応次第で、最悪俺たちは終わりだ。
「あんたたちがSUAに危機感を抱いていることと頭がいいことはわかったよ、私も彼らに関して、同じ思いを抱いている、やつらはでかくなりすぎたね、あんたらは近代から現代の日本社会構造において、最も簡単に力を手にするのはどうすればいいか分かるか」
説明を終えて虚脱状態にあったニシキは突然の抽象的な質問にポカンとしている。ひとまずは安心するのが先で、質問の回答は用意できない様だった。
「既存の集団に入ることです」
俺はすかさず答えた。
「その通り、もっと正確に言えば、政治家でもなく、個人でもない事だ、政治は立憲主義により憲法に縛られて動けないし、国民に嫌われたらおしまいだ、また日本社会は、個人という最小単位では全く力を行使できないようになっている、最も力を持つのは中間組織だ、企業、官庁、業界団体、経済団体、教育団体、マスコミ、そして、宗教団体だ、結果的にこの国で力を行使しようと思ったら、組織に入るしかない、まあとびぬけて才能があるやつは起業したりするけど、結果的に組織に取り込まれるか、海外に行くか、つぶされるかのどれかだ、君たちは今でこそ楽しそうだが、最終的にはどうなるだろうね」
「俺たちがこの社会で全く通用しないってことがおっしゃりたいのですか」
「君たちは私が先ほど挙げたすべての団体を敵に回そうとしているんだよ、SUAは産業とマスコミと行政を一つの塊に統合してしまおうとしている、それは日本の権力が集合することと同義だ、そもそも和を以て貴しとなす、という悪癖を持つ日本人に、建設的な議論が前提である民主主義なんて出来っこないんだから、政治が力を持つわけがないんだ、我々政治家と命令系統上の下部組織である自衛軍は、彼ら共同体の仮想敵、あるいは傀儡として踊らされ続けるしかない、私もそれぞれの団体の間でふらふらしている媒体でしかないんだ、取り換えの効く部品、いや、潤滑油の方が的を得てるかな、私もいずれ、日本と言う名のギガストラクチャーに取り込まれて、一部となってしまうかもしれないんだ」
「自分が産業界でのし上がった男だからこそ今の権力を維持しているというだけで、自分は政治家としての才覚はないと」
「その通り、というか日本に政治家はいない、各団体の利益の代表者がいるだけさ、私もしかりだ、そいつらが国会で怒鳴りあってもそれは議論ではない、日本の政治家には悪い意味でエゴが無いのさ、個人として勝負しているのではないからな、太平洋戦争の後百年間、エゴを持つ政治家は田中角栄一人だけしか現れなかった、彼もまた、なにかに取り込まれてしまったがね」
「ではあなた個人の意見はどうなんですか、日本が立ち直ることはできるんですか」
ニシキが興奮しながら問いかけた。
「私の意見を言ってもそれは力を帯びない、すべては共同体内の無意識的なすり合わせで決まる」
この男は日本に絶望しすぎていやしないだろうか、とおもった。この国で蔓延している個人の無力感は、大物政治家さえ包み込むのだろうか。すべての日本人が個を失ってしまったら、いや、そもそも日本人に純粋な個の意思を持つ者など居た試しがあるのだろうか……。
金剛は自らの能力に自信があるわけじゃなかった。彼は肥大化した組織に絶望し続けた結果、この政治家らしからぬ殺風景な応接間にすることで、無意識にささやかな抵抗をしているだけであった。
ただ、俺やニシキという人間を金剛があくまで個人的に気に入ってくれれば、これより心強い後ろ盾はない。彼は資金と政治的調整力を持っている。
全員がお茶を飲み終えた後、金剛は俺を見ながらこう言った。
「私は人を見るときには、鷺沼君のような優秀な人間の紹介ってことと、あと一つ信用するにあたって条件があるんだ、私がバカだと確信している人間が君を批判することだよ、優秀な人間の行動を叩くバカってのは、背理法的観点からその行動の正当性を証明することにより存在意義がある、私はバカでも使い道があると思っているんだ」
金剛は無表情を崩さなかった。
俺は嘘をついていると直感した。
この男がそんないいかげんな理論で人を信用するかしないかを決めるわけがない。そもそも馬鹿に使い道なんてあるものか。
こんなよくわからない抽象的な話をして、俺たちが意図を汲める頭があるのか試しているのだ。
「じゃあこれ以上話しても無駄ですね」
俺は話を切り上げた。ニシキと葛野はびっくりしていた。金剛は微笑んだ。
「今日のところはまあこれくらいでいいじゃないの、鷺沼君とまた相談して、また遊びにいらっしゃい、今度は寿司でも食いに行こうよ」
そういって金剛との面会は終わった。

俺たちは尾行を警戒しながら上野オフィスに戻った後、俺の執務室でニシキと二人で反省会を行った。ニシキはまだ緊張が解けない様だった。殺されるかとおもったよ、と何度も繰り返した。
「オレ、まずかったかな、いきなり俺たちのことをあけすけに話して……」
「正直に話してまずいことは無い、SUAを敵視していることは確認できた、あのおっさんが回りくどくて慎重すぎるだけだよ、彼が言ってるのは、誰が敵で、誰が味方かはっきりさせろってことだ、あいつは俺どころか、まだニシキも信用してない、いや、期待してないってのが正しい表現かな」
まったくニシキは理解してなさそうだ。そうかなぁ、とつぶやく。
「俺が思うに、後半に金剛が言っていた、『優秀』または『バカ』って言葉は、政治家にとって意味を持たない、政治家なんてバカでもやれるからだ、官僚だったら必要だけどね、言い換えると、『味方』か、『敵』かってことだ、政治家の世界はそれをはっきりさせないと動くに動けないんだよ」
「つまり、反SUAの政治家を、もっと集めろってこと」
「いや違う」
俺やニシキがそんなことをしたとしても、金剛は意に介さない、それとも俺が何に気づくか、ということを見ている。もっと何か別の事だ。
「順番が逆なんだ、あいつは俺たちを利用して、誰が一番の敵か知りたいんだ、謙遜して諦めているような発言をしていたけど、国政の中心になる気満々だよ」
ニシキはまだピンと来ていない様子だ。
「ニシキ、反SUAの思想を持った非正規情報機関が、ある政治家の庇護のもと出来つつある、という噂を流せ、有名なジャーナリストに匿名で」
「それやったらまずくないか、いいけどそれでなにが」
「金剛は俺達同様、与野党内でSUAに陰で通じている敵が誰か全く見えていない、ただ敵はその噂の出所を徹底的に探るはずだ、少なくともしたっぱが探りを入れてくる、その動きを金剛はとらえようとしているんだ、そうすればSUAを支援している政敵が分かるってもんだろ」
「俺たちが餌になれば敵対勢力の姿が少しは見えるだろうってことか、さっきの会話で遠回しに命令していたってことか」
「試されてるって認識がないとわからんだろうね、そんな部隊がいるって噂レベルでもSUAに伝わってしまうのは俺たちにとってリスクだ、ただ金剛の支援だけは必要不可欠だからしょうがない」
「じゃあ金剛の調査が終わり次第情報共有してくれるかな」
「おそらくそれはない、あくまで利用されるだけだよ俺たちは、教えてくれるのは実際にSUAを潰す時だ、ただ、金はそれなりにくれるとおもうよ、ごきげん取りは頼んだぞサラリーマン、あまり情報は出しすぎるなよ、シナリオの共有もするな」
「了解、後々あいつが政権を裏で操る立場になった場合を考慮して、いくつか弱みを握っとくよ、ああいうタイプには女が一番だ」
「衆議院議長経験者は総理になれないから傀儡の準備も進めさせないとな、警戒されるとおもうけどたのんだぞ」
俺がそういうとニシキは安心して自分の部屋へともどった。

同じ日に、俺は野村の手引きで、アオイが話題に出したテルという女と会うことに成功した。
野村の話によると最近ちょうどテルの歌詞を書いた、と言う事なので、その挨拶も兼ねて、という名目ですぐに会うことが出来た。
ギガストラクチャー銀座エリア二十五階、道路に面したカフェのテラス席だ。テラス席と言っても、あくまで六角柱の中にある室内なのだから、外と錯覚できる様調整されたホログラム映像と空調と疑似太陽で外の雰囲気を作り出しているだけだ。テルは白いワンピースを着ていた。長く美しい黒髪、手足が細く、顔も小さかった。
俺がこの女に会おうとしたのは、テルの話で興味を持ったというのもあるが、この女がもしかしたらSUAのキーマンとつながっているかもしれないと考えたからだ。もしそうだった場合危険な賭けではあるが、奴らの中核に迫ることができるチャンスでもある。

「作詞家の方ですね、初めまして」
テルは甘ったるい声で野村に挨拶した。
「どうも初めまして、野村と申します」
「テルです、可愛い歌詞をありがとうございました」
動画で見るより背が高く見えるな、というのが第一の印象だった。
彼女はSUAではアイコンとなっている女性で、SUAのイベントや動画番組に出席しては置物の様に座っている。時折話すこともあるが簡単な感想に終始することが多く、ただビジュアルのみが俺の脳内に鮮烈に残っていた。それは作られた純真さと、その奥に潜む空虚さと、男を挑発する大人らしさという真反対の印象が混在している様に感じていたからだ。
それはそうと、俺は野村みたいな汚いおっさんが依然として女性歌手の歌詞を書き続けていることがおかしくてしょうがなかった。俺たちの組織に加わってからも、なぜか作詞家の仕事だけはかたくなに続けており、この前も俺の目の前でテルのシングル、「ふしぎフーコー」の作詞に頭をひねっていた。俺が出来た歌詞を読んでも、それは支離滅裂でわけがわからないものだった。彼女にとってこれがかわいいという事なのだろうか。ただ唄う本人を表す歌詞を書くという面においては、野村はまさにプロの仕事をしたと言えなくもない。テルも一見では理解しがたい、見る人にバラバラの印象を抱かせる女だった。野村としても、俺が普段難解でキナ臭いことばかり考えさせているので、作詞はいい息抜きになっているようだ。真面目な顔をして歌詞のコンセプトだの、この部分は恋愛の隠喩だの言っている野村を見るのは実に滑稽だった。
俺は個人警備会社の営業マンとして野村に紹介してもらい、とりあえず商品紹介を行った。説明しても、全く手ごたえは無かった。彼女は恐らく何も理解していない。
「私のファンは優しい人ばかりなので、警備とか必要ないと思いますよ」
「万が一ってことがありますから」
「でも、私のファンですから」
意味のない笑顔を振りまいている。確かに美しいことは美しい。
内容のない会話を続けていくうちに、彼女の中身も空っぽであることに俺は辟易していた。十六歳らしいが、実感としては小学生以下の知性しか感じられず、話がかみ合わない。むしろ、純粋でいることを強制させられているというのが近いと感じた。
気になるのは、話している時右手がやけに落ち着かない事、開いたり閉じたり、じっと凝視したり。初対面で精神的に落ち着かないのか、または嘘をついている時の癖か、それとも何か体調が悪いのか。
隣で仏頂面をしているマネージャに見張られているような雰囲気も感じられた。彼がいる限り、下手な質問は出来ないだろう。例えば、SUAの偉い人のこと知ってるのか、なんて気軽に聞くことは許されないムードを彼は出していた。俺は野村に目配せをして、マネージャの排除を試みた。
「飯島さん、ちょっといいですか」察した野村が席を立ち、マネージャーを呼びつける。どうやら喫煙室に誘うつもりのようだ。たばこ一本なら最短でも十分程度か。彼はあっさりと立ち上がり、俺とテルは二人だけになった。マネージャーは少し離れた喫煙所から彼女をしっかりと監視はしている、話の内容は向こうには伝わらないだろう。盗聴器でも彼女についていたら別だ。

「SUA関係の仕事が増えましたよね、最近」
俺から話を切り出す。
「そうなんです、わたし、ティーン向けの雑誌モデルだけで精一杯かなって思ってたんですけど、ネットCMがいっぱいオファー来ちゃって、今暇が全く無くて大変なんです」
相変わらずの舌足らずで耳にまとわりつくような声だ。馬鹿女の演技はマネージャーが居なくても続くようだ。
「偉大なる家の仕事も結構多いんですよ、集会が結構地方でもあって、結構内容はポップなんですよ、あたしステージで歌とか歌う時もありますし、あとビンゴ大会とか、おもしろいでしょ、教義の内容とかわたしぜんぜん知らないんですけどね」
テルはあっけらかんとした表情でにこにこ笑っている。背も高く、大人びた外見をしているが、笑ったり喋ったりするとやはり子供だ。そのギャップが受けているのだろうが、少し違和感が残る。俺にはヘタクソな演技にしか見えないのだ。何から何まで虚構の存在。仮面をはぎ取っても、そこには空洞があるだけだろう、それが彼女に対する俺の感想だ。
テルはSUAの前身組織である「偉大なる家」の広告塔として、このテルは突如各メディア上に現れた。もともとはファッションモデルだったらしいのだが、一般層のデルタやエプシロンユーザにタレント的な人気を博している。今旬な芸能人として話題に上がる人間の一人だ。確かに美人だが、俺はどこか怪物じみたものを感じていた。

「SUAの偉い人とは会ったりするの」
意を決して俺は尋ねた。

「わかんない」

一拍間を置いて、テルがそう答えた瞬間、彼女の演技がコンマ一秒途絶え、眉が寄り、口角が下がり、目の奥に暗い穴が開いたような無表情になった。無邪気な子供だったのが、一瞬にして二十年ほど年を取ったような醜い表情だった。俺はなぜか、人種差別を無意識的に行う白人女性の、別人種の男を見るときの見下した表情を思い出した。今のセリフは、絶対に嘘だ。
「そうなんだ」
俺はそういって微笑んで、話を早々に切り上げた。
彼女と雑談を五分ほどした後、マネージャーと野村が戻ってきたため俺たちは、挨拶もそこそこに座を辞した。

俺はテルのすべてがきにいらなかった。
「和泉、どうだった」
野村が帰路それとなく聞いてきた。
「明確には聞けなかった、でもSUAの上層部とつながりがあるとおもう、茂山に行確させる」
「俺はあんなバカそうな子とはおもわなかったけどな、もしかしたらだれかお偉いさんの女かもしれないけど、確かにきれいな女の子だ、おそらく手に入らないものなんてないだろう、男の事も内心見下しているだろうし、あのくらいの年の女には誰も敵わないんだろうな」
そんなことを言う野村こそフェミニストだ、とおもった。
「理屈ではないが、彼女には何かある」
俺は今、なにかある、と言った自分に矛盾を感じていた。
なにかあるのではなく、彼女には過剰なほどなにかが欠けているのだ。
アオイの言う通り、馬鹿女、いや馬鹿女以前の問題で、ただの子供だった。
彼女は物事を深く考えておらず、事務的なことは彼女の傍にいるマネージャーがほとんどの質問に対して答えた。主体性の無さ、いや、もっと根源的な何かが欠けている。
俺とアオイが感じた不快感、俺はその正体に気づく日がいずれ来るだろうと予感していた。

「そうだ、あんたの歌詞さ、さっき話に出た」
野村は運転しながら平気で煙草を吸いつつ、
「なんだ」
「本気で書いてるのか」
「どういうことだ」
「歌詞の主人公も誰なのかわからないし唐突に難解な哲学用語を出したと思ったら、ダジャレみたいなアホ臭いワードも出てくるし」
野村は煙草を窓から外に捨て、
「テルの曲に書いた詞の事か、あれはね、依頼通りなんだよ」
「どういうことだ」
「いいか、あの子を売り出すコンセプトとして、聴いたやつを現実から乖離させる、っていうのがあるんだ、意味不明で乙女チックな歌詞と、とにかくキャッチーで中毒性があるメロディと、無機質な彼女の声が相まって浮世離れした印象を与えるんだ、神聖な感じっていうかな、とにかく理解しがたい、でもどこか魅力的だ、という感覚を与えるのが目的だ、二十一世紀前半の身近で手が届くようなアイドルとはまったく違うコンセプトでな、あのテルって娘の情報を得ようとしても、ネットのどこを探しても無いんだ、情報管理を徹底している、情報に対する飢餓も神聖なイメージを助長する一因だ」
「そうなのか、よくわからないが気に入らないな、気持ち悪いよ、野村みたいなおっさんが十代の女の子に好き勝手理想を押し付けてさ」
「まあ気持ちは分からなくもない、でも日本に大昔からある文化だ、卑弥呼だってそうだろ、それに俺の理想じゃなくてクライアントの依頼だ」
「クライアントってSUAだろ」
「そうだ、彼女のコンセプトを考えた奴には俺は近づく事さえできない」
「気持ち悪いよ、大嫌いだ、あんなの女ですらない」
「まあそう言うなよ、でも、あの子は今の社会に必要なんだよ、需要があるから居るんだ」
「何で必要なんだ」
「あの子は仮想現実の申し子みたいなもんだ」
「仮想現実」
「そうだ、映画でもアイドルでもアニメでもなんでもいいが、二十世紀後半に、現実と仮想現実は提供する快楽の量において決定的に逆転したと俺は考えている、そしてその差は今も拡がり続けているんだ、もはや現実なんてなんの魅力も無い、ってやつばかりになってもしょうがない、現実より簡単な快楽装置がたくさんできてしまったんだからな、都合のいい幻想が必要なんだ」
野村は俺が感覚で捉えている事を言語化するのがうまい。そのとおりだ。
「なんかちょっと経済格差が広がり続けるのと似てるな、今の若くて貧乏なやつらは金持ちになるのはとうに諦めてる、そういうやつが仮想現実でオナニーばっかりしてるんだ、ほんときらいだよ」
野村は運転しながら鼻で笑った。当たり前のこと言うな、という意味だった。エリートから大衆への嫌悪感は、どれだけ気を付けても隠し切れない。
「そんなやつらをまとめて、現実に連れ戻すにはどうすればいいとおもう」
野村がわざわざ後部座席にいる俺の方を振り向いて言った。
「無理だろ、手遅れだ」
俺はそんなやつらはまとめて殺すべきだと考えた。一生幻想の中で生きていればいいんだ。現実は俺たちのものだ。
「バカを現実に戻す方法は二つある、戦争か、飢餓だ」
野村はまた皮肉っぽい笑みで俺の方を見た。
「あぁなるほどね、じゃあもうすぐだな、俺がそれに近い状態を演出してやる」
「きっと無意識で戦争を望んでいるエリートはいっぱいいるぞ、おまえとニシキはそいつらのヒーローになるかもな」
「そうなったら野村さんは早く自分の詩を書けよ、詩聖になるんだろ、俺の詞を作ってほしいな、テルのみたいに嘘じゃないやつがいい」
「SUAを潰したあとだ、隠居したらな」
そう言って笑った。
すっかり夜になった上野は汚い身なりのアジア人しか歩いていなかった。野村はなんどもクラクションを鳴らして、車に近寄ってくるアジア人を追い払った。
「それより今キューバの音楽にハマっているんだ、お前キューバはすごいぞ、日本のポップスとはクオリティが比べものにならない、いちど聴きに行かないか」
「それは興味無いからいいよ」
野村の運転はかなり荒っぽかったが、俺は野村との会話が好きだったので気にならなかった。二人とも野蛮な気分になり、興奮していた。テルと会話したからかもしれない。

俺は野村と別れ、上野オフィス地下に作った射撃練習場に向かった。ニシキとアオイと葛野も誘って、四人で銃を一心不乱に撃ち続けた。ニシキは彼のお気に入りであるデザートイーグルの反動に参ってしまってほとんど撃てなかった。アオイは俺のベレッタを貸したら、意外にも筋が良かった。俺はターゲットをまだ見ぬSUAの支配者に見立てて、人型ターゲットの心臓ではなくヘッドショットを試みる。山口で暮らしていた時より射撃の腕が鈍っていることにいら立ちを感じた。
部屋に帰った後も幻想のターゲットに対して、俺は想像の中で発砲していた。金剛という実力者、テルというSUAに近いと思われる人間の二人に会ったことで、敵について想像を繰り返した為、少し興奮しすぎているのかもしれない。九ミリの弾丸は想像上のSUA指導者の脳天を捉えた。日本を覆う甘い幻想が、脳みそと一緒に吹き飛んだ。俺は死んだ奴の腹の肉をナイフでこそぐように割いて犬に食わせる。そんな愉快な妄想をした後、俺はリラックスして深い眠りにつくことができた。

2020年3月21日公開

作品集『東京ギガストラクチャー』第12話 (全35話)

© 2020 尾見怜

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