燃えるごみのパレード

合評会2019年11月応募作品

深澤うろこ

小説

2,438文字

いつか必要になると思うの、と、彼女は銃を置いていった。

 まったく、くそったれしかいないと思う。いまこの場にくそったれしかいない。ぼすぼすぼすと袋を踏みながら進む、進んでいるのか沈んでいるのか本当のところはわからないが、ごみの上を走るこの真夜中の山のなか。
 智恵子オオオオ! と正木の声が追いかけてくる。その声は血がにじんだように掠れている。実際のところ正木の頭部からは真っ赤な血が流れている、さっき峰田がレンチで殴ったところから、どろどろと。
 臭い。なにかこれは、ガスが、なんらかのガスが発生している感じのにおいだ。踏んでいるのは固体も液体もおそらくは混じって、ぶよぶよと腐敗して融解して、この世のものでここより汚れた場所は想像がつかない。吐き気はしかし、徒労に近い動作による荒い呼吸に圧されて感じる暇もない。数メートルの距離にいる峰田が大丈夫ですか! と声を出す。大丈夫なわけあるか! お前と関わったがために私はいまこうして息を切らし、汗を流し、ごみに埋もれているのだ、お前が、お前が目の前に財布をぶらぶらと、不相応にも高級そうな財布をぶらさげて歩いていたから私はそれを奪おうとし、奪えず、逃げようとするとお前が喫茶店に誘い、私は従った。私はあのときお前を殴ってでも逃げていればよかったのだ、私が金を欲しがる理由が正木にあるなどと、お前に話さなければ。
 一緒に正木を殺そう、などとお前が言わなければ。
 ずぶ、とまた足が埋まる。濡れていた。なんの液体か。獣の死骸のその体液であってもおかしくはない。なにせここはごみ溜めだ。ごみは人間の悪意の集合体。死ね、死ね、死ねと垂れ流された残骸のなかで、生きたい生きたいと足を前に運ぶ自分の憐れさよ。生きたいのか、私は。おそらく死なんて一瞬のしびれのようなもので、あとは永久に無があるだけなのに、それをおそれている。どうして? だいたい、これから先どうする? この場を逃げきって、峰田とふたり、逃げつづける? この冴えないシリコン入りシャンプーをノンシリコンと偽って売る詐欺師と。体臭のうすいことだけが取り柄のような男と。
 泥水をすするような人生を、それでも終止符を打たずにやりつづけようとするその動機はどこにある?
 小さな破裂音がふたつ。銃だ、銃を持っている。正木が、殺すぞくそがぁぁぁぁと叫んで狙っている。私はついには銃に狙われる人生になってしまったかと、半分壊死したように冷えている頭で思った。東京に出てきた日の、千住のアパートの脇に座っていた浮浪者の顔がなぜかいま鮮明に思い出されるような気がした。それがいまつくられたのか、本当に過去のことなのか誰にもわからないだろう。交差してすらいない誰かは、私の人生と関わりないという一点に支えられて存在している。知らないことがたくさんあった。いまも数かぎりなくあり、知ることはできない。知らないものが、それでも存在しているということが私を形づくっている。
 私の内側には私すらいない。それは常々そうだった。私は自分のことすら充分には語れず、行き届かず、触れられることのない場所はそのまま埃をかぶっていた。その蓄積こそが自分なのだと、掻きむしって教えてくれたのが正木だった。正木は自分のことのように私のことを語った。私がどういう人間か、正木が教えた。正木は垢まみれの私を愛した。垢まみれだからこそ愛した。私はいつの間にかあの頃のにおいを失なっていて、それは誰のせいでもない。

 峰田が私に並走した。呼吸は不規則で歯の隙間から漏れ出すような音だ。私に横顔を見せながら必死にごみをかき分け、みっともなくつんのめり、また前を向く。そのとき発砲音がして、峰田が口元を歪めたかと思うと、ぷっと吹き出した。
「耳かすった! 死んでたよ俺!」
 その顔は子供のように幼く笑っていて、いまにも泣き出しそうに張りつめている。
「でもずっと死んでたからどうせ! チエコさん俺、耳が痛い! 大丈夫? って聞いてくれる人、ずっといなかったんだ!」
 私は目を逸らす。一心に膝をあげ、ぐちゃぐちゃになった足を前にやる。心もからだも別々の方を向いて、がちゃがちゃとやかましい。
 後方で正木のうめき声。思わず顔を向けた。正木がごみに腰まで浸かっていた。噴き出した血で左目はふさがっているようだ。顔半分が黒く染まっている。銃口を漠然とこちらに向けながらうつむいている。
 怖いんですよ朝は。初めて峰田とセックスした日の明け方。白みはじめた空が窓も染めていくのを見ながらコーヒーを飲んだ。なにかが始まるということをずっと恐れてる、僕は。私もそうだった。昨日を永遠に引きずりたいと思っていた。
 パァン。
 どこかにあたった気もする。痛みはないけれど、全部命中して私はとっくに死んでいるという気がする。殺意はパラレルに私たちを引き裂くのだと思った。選びとらなければならない。自分で、自分を語らなければ。
 ずん、と視界が下がった。足の裏に地面がない。太ももまで埋まり、生臭いにおいに途端にえづきそうになる。
 峰田が気づいて、近づいてきた。私のひじのあたりをとって引き上げようとするが、自分も同様に足場が悪いため、大した効果はない。
「なんなんですかここは!」
 嬉々とした声に聞こえる。悲鳴にも聞こえる。「くせぇ!」
 智恵子! 智恵子! 正木の声が、カラスの声とミックスされたみたいに歪んでいく。
 私にはなにもない。なにもない私の名前を呼ぶくそったれ、手を引くくそったれ。ほとんどごみ同然の私たちが、まだかろうじて生きていることを告げるのは、この夜においてはざわざわと風にゆれる木々と、鼻腔にへばりつくにおい。風が吹く。なんて鈍感に生きてきたのだろう。 本当のことはマンホールみたいに蓋をされていて、いつも素知らぬ顔で通りすぎてしまう。知りたい。もっと知りたい。もっと知ったうえで死にたい。
 私はつかんだ。金属製のなにか。冷たくてぬらついている。それを頼りに全身に力を入れると、足がごみから抜け出た。
 銃声がした。
 チエコさん愛してるよぉ!
 智恵子オオオオ!
 うるせえよ。全員死ね。

 
 

2019年11月12日公開

© 2019 深澤うろこ

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"燃えるごみのパレード"へのコメント 17

  • 投稿者 | 2019-11-13 12:44

    なんのこっちゃよく判りませんが、なんのこっちゃよく判らないなりに最後まで楽しんで読めたのは怒濤の文章に依るところが大きい。ほんと、何でこんなに面白いのでしょうか。

    • 投稿者 | 2019-11-13 20:31

      コメントありがとうございます。なんでこんなことになったのか自分でもわからずにいます。物語は自分のなかにあるんですが、それが伝わらないのは力量ゆえです。でも楽しんでいただけたならそれはそれでいい気もします。ありがとうございました!

      著者
  • 投稿者 | 2019-11-13 17:54

    何度か読み返したのですが、頭から終わりまで分かりませんでした。
    ですが、それは読者にそれぞれの考察をさせるためだったような気もしてくるのです。
    こういうのを前衛的、というのでしょうか?
    ありがとうございます。

    • 投稿者 | 2019-11-13 20:34

      コメントありがとうございます!感想もらうのってやはり嬉しいものだな、と思っています。
      今回は、実は長編にしたい物語の一部だけを切り取る(圧縮)するような感じでやってみたのです。あまりに意味不明なのに、最後まで読んで感想くださるなんて神様ですね。
      それとは別に、色々な考察が飛び交ってくれたら嬉しいです!

      著者
  • 投稿者 | 2019-11-13 22:08

    シリコン入りシャンプーをノンシリコンと偽って売る詐欺師っていうのが僕は結構好きですね。

  • 投稿者 | 2019-11-13 23:18

    夢の中みたいな話でした。この夢自体は悪夢なんだろうけど、でも目覚めたらそんなに落ち込む感じでもなく、むしろ得体の知れない活気に包まれるようなそんな印象を受けました。

  • 投稿者 | 2019-11-20 18:41

    頭がぐわんぐわんなってなかなか話を整理できませんでした。
    智恵子は峰田の財布を盗もうとしたが叶わず、なぜか喫茶店に連れ込まれて一緒に正木を殺そうと誘われ実行するも殺しきれず、銃を持った正木が追いかけてきて峰田と一緒にゴミの中を逃げる話でいいのかしら。
    これは奇書の類ですね。

  • 投稿者 | 2019-11-20 22:42

    最後の一言が最高です。これよ、これ! って思いました。腐ったゴミ沼からわたしは抜ける。男どもは死んじまえ。

  • 投稿者 | 2019-11-21 01:40

    拝読いたしました!
    理解を拒みながら物語が疾走していく感じがたまりません。メタ的な理解なんかうっちゃって、グルーヴ感に身を任せると心地よかったです。
    「俺だけ物語をわかってればそれでいい」という姿勢で書くことによるグルーヴ感だと思うので、逆にこれが分かりやすい物語のラインがあると少し違う印象になってしまっていたのかなと思うと、この書き方はこの物語にしっくりハマっているのかと思います。自分にはなかなかこういう引き出しがないので興味深かったです。
    すごく個人的な話ですが、どっちみち(とってもいい意味で)わけのわからない物語なので、途中の「私の内側には私すらいない。」から始まる文章はぐっと読む速度が落ちてしまって、ここで可読性を落とすよりは最後まで全速力で走りきってしまったほうがよかったのかな? と思いましたが個人的な意見で申し訳ございません。

  • 投稿者 | 2019-11-22 07:29

    山奥の不法投棄現場で繰り広げられる痴情のもつれ。リアリズムを離れた象徴的な舞台設定は、ミケランジェロ・アントニオーニの映画が砂漠や工業地帯、霧に包まれた風景を人間の精神的荒廃や混沌を象徴する舞台として用いたことを彷彿とさせる。「私が金を欲しがる理由が峰田にあるなどと、お前に話さなければ」という文で「お前」は峰田のはずなので、文中の「峰田」は正木の間違いではないかと思った。単に私がちゃんと読めていないだけかもしれないけれども。

  • 編集者 | 2019-11-22 14:05

    舞台をリンボ的なあの世とこの世の境目として読みました。最後の金属的なもので二人とも殺すというカタルシスは良いなと。ただ、峰田の財布を奪おうとして喫茶店で正木の殺害計画を話すという流れが些か引っかかってしまったので、例えば偽装の件でユスルとかもう少し知能犯的な金の奪い方を機にした方が殺害計画への流れが自然な気がします。

  • 投稿者 | 2019-11-23 14:19

    藤城さんがいうように、この部分が気になりました。
    「私が金を欲しがる理由が峰田にあるなどと、お前に話さなければ」という文で「お前」は峰田のはず、文中の「峰田」は正木の間違いではないかと思った。

    これは正木では?

    セリフや主人公の内面状態より、舞台設定のほうがおもしろいので、そちらの描写をしっかえり読みたかったかもしれない。

  • 投稿者 | 2019-11-23 14:20

    〇しっかり

  • 投稿者 | 2019-11-24 00:24

    セリフ、描写、心情など、すべてが殴り書きのように書き連ねられた小説だと思いました。その書き方が物語の混沌さとマッチしていると思いました。とはいえ、最初は物語に乗れないまま読み進め、フルスロットルのままよく分からず終わってしまった感がありました。語りに緩急があるとより良かったかもしれません。

  • 投稿者 | 2019-11-24 12:40

    読んでいたらゴミの匂いがしてきた。良作だと思う。

  • 編集者 | 2019-11-24 13:58

    行き着く所が見えない不安が作品の退廃的な要素を強めてるのだろうと思う。ふてぶてしく頑張れ、チエコ。

  • 投稿者 | 2020-09-08 06:02

    正木も峰田も最高です。追いかけてくる正木なんて全部が不協和音の様だし、峰田はちょくちょく音を外す伴奏者の様です。そしてチエコさんは一心不乱です。最高です。これが私が破滅派に登録した理由の破滅派です。

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