サボテンのくだ

深澤うろこ

小説

3,487文字

生きてるのに生きてないような顔をしているあなたがきらい。

 塩と水だけで一週間生き延びたという話が、イリヤという男の唯一の自慢であるらしく、なんかもう十回くらいは聞いている気がする。それだけ聞いているのに、私はこの話でいつも笑ってしまう。どうして? 付き合っているから? よく分からない。最初に聞かされたのは私のシフト初日だった。バイトリーダーという謎の肩書きを背負わされた彼から、コンビニバイトのいろはを教えられたあと、朝四時くらいの駐車場でだらだらと煙草を吸いながら、彼の話ははじまった。「僕、すごい貧乏でね、でもどうしても働きたくない時期があったんですよ……」

「で、カップヌードル。カップヌードル買って、コンビニでお湯入れて、道歩きながら食べたの。家まであと数十メートルだよ? 全然待てない。もう、口のなかの天井みたいなとこベッロベロに火傷しながら、ガツガツガツ。三口くらいじゃない? 実質三口くらいで食べ終わってる」
「三口は絶対うそ」私は笑う。
「マジなんだって。みっちゃんは知らないから、その世界を。あのスープのうまさは、彦麿呂ですら黙る」
「世界とか語るのマジでやめて。一週間断食したくらいで」
 いやいやいやいや。イリヤは首を横に振ってから煙草を口の端でくわえる。サングラスの奥の目が細くなる。射精するときと煙草を吸うときの顔が一緒なのを、私は知っている。
 はじめて私の部屋にきたとき、イリヤは塩と水だけで一週間生き延びた話をしなかった。高校生のころビートルズが好きで、それが父親の影響でみたいな益体のない話をしていた。塩と水の話が益体があるかというとそうではないんだけど、なんというか、よりパーソナルな話を彼は選んだ。そしてパーソナルな話が私は好きではなかった。だからキスをしたんだと思う。気まずいくらいなら、キスでもした方がマシだったから。
 
「僕、当時親の金で借りた1Kの家でサボテンを飼ってたんですよ。サボテンとかの多肉植物ってなんであんなかわいらしいんですかね。まんまるで、全然植物のグロさがないんですよ」
「え、植物ってグロいですか?」私は聞いた。段ボールの縛り方を手を動かして復習しながらだった。
「グロいですよぉ。なんていうのかな、必死な感じ」
「必死?」
「生きることに? 細い茎のなかに色んな管とおってんですよあいつら。薄い葉っぱにいっぱい気孔っていう穴があいてるし」
「それは動物も同じでは……」
「動物がグロくないとは言ってないですけど、まぁ植物のグロさっていうのはつまり、ピュアな感じなのかなぁ。ピュアに生きる意志を持ってる。愚直な、感じ」
「愚直はグロいですかねぇ」私は納得できない。段ボールの結び方も、空手でやればやるほど正解から逸れていく気がしてやめた。
「ってべつにいまそのことはどうでもよくて、だから、僕はサボテンを飼ってたんですよ。で、サボテンになりたいと思ったんです」
「そもそも『サボテンを飼う』っていう言い方が気になってきたんですけど」
「ちょっと、それはあとでしますから。そうじゃなくて、僕は塩と水だけで生きてみようと思ったんですよ」
「サボテン好きが高じて?」
「そんなにサボテンメインの話じゃないんですけど」
 私は笑った。その後に続いた彼の断食生活の話の間ほとんど笑い続けた。なにに対してそんなに笑っているのか分からなかったが、それは失業して以来たぶんはじめての大笑いだった。

「真介を縛るのマジで、もうやめてあげて」
 女は泣いた。喫茶店だった。どこかのルノアール。ルノアールを指定したのは女の方だった。
「真介、夜中に手を握ってくるんですよ。なんか温もりが不足してる子どもみたいじゃないですか。あたし、握りかえして、そのまま朝まで眠れないんだよ、真介がかわいそうで」
 女の後ろに観葉植物が立っていた。観葉植物は、女を即座に呑み込むほどの背丈があり、エアコンの風に微かにゆれていた。
「イリヤのスマホのパスワードよく分かりましたね」
 私の言葉に、女の目が少し開く。お洒落なボブは、私の手入れされてない長髪とはあきらかに違う。
「『0930』。私入力してみて爆笑したんですよ。『オクサマ』っていうバンドが少し前にいてね、イリヤの部屋でそれのCD見つけて、まぁそのときも笑ったんですけど、それを入力してみたらロック解除されて」
そこでコーヒーを口に運んだ。あまり笑顔を見られたくなかったからだ。それでもマグカップを持つ手はあきらかにふるえてしまって、口元の笑みも存分に見られてしまっているだろう。
「自分のひらめきが怖いです。別に、どうだってよかったのに、0930だけ暇つぶしに入れたらロックは解除されちゃって」
女の顔がさっきまでより赤くなっていた。涙は止まっていたし、最初から止められる涙だと女も私も分かっていた。
「あなたは、全然世代じゃないでしょ? どうやってたどり着いたんですか?『0930』に」
「なんなの?」女は言った。
「なに器おおきいふりしてんの? 『浮気相手の前でも寛大な妻』みたいな顔して。笑える。自分以外と寝てることくらい平気です、みたいな。バカじゃないの。そうやってハードルさげて、自分が性欲処理マシーンですって自白して。あんた自分が真介とすればするほど価値を下げてるって分かってないよね?」
「まさか『0001』から順番に打ったの?」
「最後は自分のもとに戻ってくるみたいな。昭和かよ。他人とやりまくって立たないカスカスの男ぶら下げて、私健気なんですぅーって。みじめ。ひたすらあんたがみじめ。そんなの男の理屈の上に寝ころんだただの娼婦じゃん」
「じゃああなたもそうだね」
「自覚してるかどうかの話だよ。それに私はあなたとちがって……」
 私は女の顔を見る。女の瞳孔が少しゆるんだのが分かってしまった。そこに同情のかけらが見えて、私は目を逸らした。カップルがパンケーキを食べている。溶けたバターがパンケーキの上をすべり落ちた。

「六日目、まさかの試練。両親からの宅配便ですよ。しかも、パイナップル! なんでだよ! なんの連絡もなくパイナップルだけ送ってくるってなんなんだよって僕悶えましたよ。はじめてですからね? 全然、パイナップル農家とかじゃないですから。ていうか実家青森ですから。いや、そこは林檎! っていう。パイナップルの匂いってそれまでまったく気にしたことなかったんですけど、もうまがまがしいですよ。甘さを鼻で感じさせようかっていう、神経にねじ込んでくる感じすごくて。いつの間にか失神してました。いや、ほんとに! ほんとに! 人間甘さで失神するんですよ。まぁそれ以来僕、パイナップルが苦手ですよね」

 なんど聞いても、イリヤの話は七日目、カップヌードルを食べるところまでたどり着く。バカみたいな話だが、私はそれで安堵する。同じ世界線の上に今日もいるということに安堵するのだ。もしかしたらイリヤは五日目に死んでいたかもしれない。そういう分岐があったかもしれない。「僕ね、塩と水だけで一週間生き延びたかったんですけど、死んじゃいました」と言われたらどうしようか。いや、そんな告白あり得ないのだが、というか、それはそれで私は笑うのかもしれない。私はイリヤのなにを笑っているのだろう。サボテンはその後どうしたんだろう。イリヤの部屋にはなかった。サボテン死んでんじゃねーか! 私の頭のなかで、東京03の飯塚さんの声でそれが響いた。私と付き合ってからイリヤは契約社員になった。いらっしゃいませー、ありがとうございましたー。私は知人のつてで小さい印刷会社で働いている。イリヤが力んでいる。一生懸命腰を振っている。汗が私のお腹の上に落ちそうで落ちない。落ちろよ!
 私は笑っていた。いつの間にか笑っていた。それを見て、イリヤの目がおおきく見開かれた。動きが鈍くなり、完全に止まった。
「アイラブユー」
 私は言った。イリヤは無言でうつむいていた。「アイラブユー」私はもう一度言った。イリヤのぺニスが引き抜かれた。むき出しのぺニスは萎んでいた。思い詰めた表情。向こうの町ではたぶんもう雨が降っていますね、というような雨雲の色。
「ごめん」
 イリヤが言った。
「アイラブユー」
「みっちゃんごめん、俺、嘘ついてて」
 そういえば私は結局、段ボールの結び方を覚えたんだったか?
「全部、嘘」
「なにが」私の声が胸から出た。低くて、しゃがれていて、弱っていて、突っ張った声。イリヤは驚いた顔で私を見た。イリヤのおおきな喉仏が上下した。
「塩と水だけで一週間生き延びた話」
 私の拳は両方とも力いっぱい握られていた。シーツが湿っていた。
「ほんとは一日だけなんだ」
 私は渾身の力で笑って、それはほとんど悲鳴だった。

2019年11月22日公開

© 2019 深澤うろこ

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