朝が焼ける前に

短編ノナグラム(第5話)

合評会2019年11月応募作品

諏訪靖彦

小説

3,896文字

2019年11月合評会「銃」参加作品。

 
 西武新宿駅北口のほど近く「東京都健康プラザハイジア」の周辺では多くの立ちんぼが客を取っている。最近は出稼ぎに来た外国人の立ちんぼが増えたが、深夜一時を過ぎると日本人の立ちんぼが目立つようになる。出稼ぎ外国人は終電前に帰るのだ。残った日本人は風俗店で雇ってもらえない容姿であったり、腕や足に注射器で作った隠しきれないほどのケロイド状の痣のある者で、その殆どが近所のネカフェで寝泊まりしている。外国人のたちんぼが捌けるころには相場も低くなる。一万五千円ではまず客が取れない。一万円ですら客が付かないと、口で三千円や手で二千円とサービス内容を変えていく。綾子はそんな立ちんぼの一人だった。
 街灯の灯りが意味をなさなくなる頃、綾子は最後にハイジアを一周してネカフェに戻ることにした。ハイジア正面入り口から右回りにラブホ街を抜け、左手に大久保公園を望む通りに出ると、公園の敷地と歩道を分けるガードパイプの上に腰を下ろし、一人じっと足元を見つめる男がいた。体躯に対して幾分大きいカーキ色のミリタリージャケットを羽織り、長い髪が顔全体を覆っている。上客には見えないが、プチですら客を取れなかった綾子は男に声を掛けることにした。
 明け方の車通りのない横断歩道を赤信号のまま渡って公園側に出ると、歩道を通って男に近づく。「カツカツ」とヒールの音が響かせながら向かって行くも、男は下を見つめたまま顔を上げない。綾子がすぐ横まで来て男はようやく振り向いた。だらしなく伸びた髪の毛から覗く耳にイヤホンが刺さっている。綾子は手の平を男に顔に向け、二度三度ひらひらと動かしたあと、男の正面に移動した。男はポケットから手を出し耳元に持っていく。そして、イヤホンを外しながら綾子の足先から顔にかけてゆっくりと視線を移動していった。綾子と目が合うと、イヤホンのケーブルを首にかけてまた下を向き、ポケットに手を入れる。
「なに聴いてんの?」
「落語」
「ふうん、そう。それって面白いの?」
「それなりに」
 男はアスファルトを見つめたまま口を動かす。綾子は膝を折ってしゃがみ込み、男を見上げた。油分を含んだ前髪から覗く男の目が、綾子を捉える。
「ホベツイチでどう? ナマチュウならイチゴ、プチならクチワリテンサン、テワリテンニだけど、どうする?」
 返事を待つが、男の口元は動かない。
「私を買ってくれるなら、そこのアパホテルを使って。あそこなら安いしフロントを通さずに部屋に行けるよ。この時間にサービスタイムが使えるラブホはないからね。口や手でいいならネカフェや公園のトイレでもオッケーだよ」
 男の視線が綾子の右頬に移動する。綾子は膝の下で組んでいた手を離し、男の視線を遮るように右手で頬を覆った。
「その顔で売りしてんのか?」
 綾子は男の目を見つめたあと、視線を外した。
「そう、じゃあね」
 地面を擦るピンク色のコートの裾がふわりと持ち上がる。綾子が立ち去ろうとすると、男の手がさっと伸びて綾子の腕を掴んだ。
「待てよ。買うよ、お前を買う。買うけど、行為じゃなくて時間を売ってくれないか? 二時間ばかり俺に付き合ってくれ」
 時間を買う客もいる。その殆どが性行為の撮影が目的だ。動画は間違いなくネットに流出するため、立ちんぼの多くは撮影を断る。が、綾子は拒まない。動画を見られて困る相手はいないし、何より高く買ってもらえる。
「いいよ、二時間ならこれで」
 そう言って綾子は男に向かって指を三本突き出した。
 

2019年11月7日公開

作品集『短編ノナグラム』第5話 (全9話)

短編ノナグラム

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© 2019 諏訪靖彦

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2.7 (12件の評価)

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"朝が焼ける前に"へのコメント 15

  • 投稿者 | 2019-11-09 10:21

    最後に何が起こるか楽しみに見てたのに、結局オチが分からない終わり方でした。読者の想像に任せる、といういい意味でのオチが分からない終わり方という意味です。
    諏訪作品ならではのサスペンス、ミステリーを感じました。
    あと、綾子って、可愛い女の子のイメージですよね!

  • 投稿者 | 2019-11-12 19:11

    拝読いたしました!
    結局最後まで何がどうなのかわからずじまいで、けれど男が最後にポケットに手をいれるのはつまりそういうことなのかな? となんとなく考えたりしました。普段ミステリーはあまり読まず、その分野に暗くて申し訳ないのですが、謎が謎を呼ぶという様な形で結局はぐらかされて終わるのも面白いなと感じました。
    個人的には、文章が謎を作るだけにとどまらずより広がりがあるといいのかなと感じました。
    例えば自分は車谷長吉さんの赤目四十八瀧心中未遂という小説が好きなのですが、この小説は中盤以降、主人公がある事件に巻き込まれていくのです。その事件の中核はなかなか見えてこないのですが、とにかく主人公が踏み込んではいけない領域にどんどん引きずられて行ってしまっていることだけはわかるのです。そのときの主人公の気持ちや周りに充満する不穏な空気が丁寧に描かれているからこそ、読者としてはものすごくハラハラしてしまう。
    この作品も綾子が危ない領域に足を踏み入れてしまっているのですが、それによってあまり感情が刺激されないのは、やはり「謎を作り出すためだけの文章」に留まってしまっているからなのかなと考えました。綾子がどういう女性であれ、恐らくこのような犯罪の匂いがすることに巻き込まれたら少なからず恐怖を感じるのではないかなと思うので、そこを丁寧に追っていく、それによって物語が付いてくる、という書き方をすると、ぐっと引き込まれるものになるのではないかなと感じました。
    勿論物語の筋で魅せる、そのために敢えて登場人物の主観を排するという書き方もあるとは思いますが、そう書くのであれば謎事態に十重二十重の置く息が必要になるのではないかと考えます。
    素人の馬の骨の感想でした。軽く受け流しながら聞いていただけると幸いです!
    長文失礼いたしました。

    • 投稿者 | 2019-11-12 19:19

      置く息→奥行
      でした。そもそもな間違いでお恥ずかしいです申し訳ないです。

  • 投稿者 | 2019-11-12 22:42

    謎を謎のまま終わらせるのは誰にでもできるし、モダンな手法なんだけど、そこに面白さを持たせるのは難しい。
    この作品はとてもスムーズに読めるし、謎もあるし、語り口もリズムがあって軽妙だ。一方でキャラクターたちの心情、特に綾子の心の内への考察もはかどり、重厚に読むことができる。物語に入り込むことも容易で、短編小説として隙がない。

  • 投稿者 | 2019-11-14 22:26

    拳銃の引き金をひくことはありませんでしたが、そのことが逆に男の闇を引き立たせているように感じました。ここで描かれている男の闇は単なる序章にすぎず、この先にずっと深い闇が潜んでいるのではないかと思いを巡らせました。

  • 投稿者 | 2019-11-16 21:41

    「朝焼けや雨、夕焼けは晴れ」という言葉がありますが、テクスト中ではすでに「雨=血」が「降る=吹き出る」ことは決まってしまっているのでしょう。 あるいは「男」のごっこ遊びなのかもしれないけれど……。

  • 投稿者 | 2019-11-22 07:18

    カーキ色のミリタリージャケットを羽織る必要があるくらいの肌寒い季節の夜明け前なら公園脇に停めた車の中で立ちんぼを待てばいいのに。そもそも何かの計画に立ちんぼを必要としているならなんでこの男は落語なんかに夢中になっているんだ? 自分から声をかけないってことは彼の計画もとっさの思いつきなのか? 周到に「練習」までさせているのに? といった細部の不整合(と私には思えた)がかなり気になった。あと著者には珍しく誤字脱字が多い点も気になった。

  • 編集者 | 2019-11-22 13:24

    綾子と男の出会いや会話は上手いなと思いました。ただ、Fujikiさんの指摘にもありますが落語を聴いているというフックは物語に全く掛かっていないというところは残念な気がします。あと、重要な拳銃?らしきものに綾子が触れた時のリアクションが薄いのも気になりました。

  • 投稿者 | 2019-11-23 00:04

    えっ、これで終わりですか? 面白く読んでいたのにそんな殺生なー! というのが最初の感想です。何か重大なことを読み飛ばしてしまったかと読み返してみましたが、どうしても男の意図が分かりませんでした。合評会の場での解説を待つ。

  • 投稿者 | 2019-11-23 08:46

    読んでいて、底の方から不穏さが這い上がってくる様な感覚がありました。最後の了の字、銃の発射音と共に画面が暗転する光景を思わせました。しかし、未だ謎は多く、この作品には続きが、或いはもっと前置きがあるのではと感じます。

  • 投稿者 | 2019-11-23 14:37

    綾子と男のやりとりは面白かったが、小説上の必然性があまり感じられず、道しるべがないために「本当になんだったんだ」で終わってしまったのが悲しい。

  • 投稿者 | 2019-11-23 22:07

    面白く読みましたし種明かしがないのも自分にはマイナスにはなりませんでした。するすると流れる展開にすっかり読まされました。面白いです。
    ただ、イヤホンで落語を聴いている、というのは個性を持たせる(意外性を持たせる)ためだとしたら少し弱いかな、という感じでした。ストーリーに繋がるわけでもなかったので。

  • 投稿者 | 2019-11-23 22:29

    なんなかっこいいなあ感と、なんだったんだ感が紙一重の作品でしたが、やっぱりなんなかっこいい感があって良かったです。なんかかっこいいの「なんか」の部分を出すのは技術が必要と思いますが、今作においてそれは丁寧に書かれた描写によってつくられていると思います。

  • 投稿者 | 2019-11-24 13:08

    シチュエーションに終始する作品が多い中、ドラマを動かしている。ニンゲンが2人いればドラマは発生する。そこに意味があろうとなかろうと、事態は動く。好きな作品。

  • 編集者 | 2019-11-24 18:45

    オチが意図的なものだとしたら、ある意味これも他の小説に出てた「チェーホフの銃」への挑戦的な意図なのだろうか。ドラマが以前も以後も続いていくような感覚にしびれを感じた。妙な作品だった。

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