帽子岩

応募作品

伊藤卍ノ輔

小説

3,509文字

永山則夫連続射殺事件を下敷きに書きました。永山則夫が育った青森にも賽の河原はあるそうです。
2019年11月合評会応募作

ポケットに手を当てていた。分厚いジャケットの生地越しに硬いピストルを感じながらタクシーの外へ視線を移した。広い国道に並行して背の高い街路樹が並んでいた。その尖った濃緑色は鈍色の空を切り取るようにくっきりと浮かんで見えた。

 

逢いたい気持ちがままならぬ
北国の街は冷たく遠い
粉雪舞い散る小樽の駅に
嗚呼 ひとり残して来たけれど
忘れはしない愛するひとよ

 

ノリオのぼうとした頭蓋骨に響いてきた。運転手が口ずさんでいた。流行曲の一節だった。元々はノリオもその曲を想って小樽にしたのだ。
七飯町ですよ
そこの道
ノリオが指さした方へタクシーが曲がった。
寒かった。セーターの徳利襟を引き上げて顔の半分を隠した。荒れた唇が粗い繊維に引っかかって痛かった。息苦しかった。体の芯まで冷えているのに吸う息だけ熱くて脳味噌がカッカした。

 

小樽は寒かろ東京も
こんなにしばれる星空だから
語り明かした吹雪の夜を
嗚呼 思い出してる僕だから
必ず行くよまってておくれ
まってておくれ

 

いつの間にか窓の外が白かった。車内も白かった。熱い吹雪かと思った。しかしまだ十月だった。熱いのも呼気と脳味噌だけだった。なんにもわからなくなった。

 

いきどまりですよおきゃくさんおきゃくさんおきゃくさん
ノリオはがくりと頭を垂れた。
おきゃくさんおかねおかね
じゅうえん
えおきゃくさんじゅうえんてなにあんたまさかじゅうえんしかないの
おやじがね死んだときじゅうえんしかなくてね
おきゃくさんえなにあんたじゅうえんしかないわけじゃないだろうね
こわかったなあおふくろががみがみいうんだじゅうえんじゅうえんていやだったんだおれ
おきゃくさんおかねおかねもうななえちょうだよ
おやじやさしかったのおぼえてるひゃくえんやろうかっておれあにきになぐられるのこわくてにげちゃったけどおれおやじやさしいのしかしらないんだ
おきゃくさんまいったなおかねだよおかね
ぶつだんのおくにさおやじの死たいのしゃしんあってみちゃったんだおれきったねえかっこうでさそれでかおがちがうんだねかおがもう死んでんのひふでできたはりぼてのなかみががらんどうなのがわかるんだねおれあれみてさぜんぶめちゃめちゃになっちゃってなんでいきてんだろうっておふくろとおやじはなんでおれのことうんでそれでなんでおれ死なずにいきてるんだって
おきゃくさんこまるよおかねおかねおかね!

 

白い砂浜の波に洗われたところだけ黒くなる。海面が青い空を映しながら眩く光る。
低い潮騒と磯の匂いが満たしていた。オホーツクから渡ってくる風は冷たかった。姉の背中にしがみ付いたところだけがぽかぽかした。
則夫ホレ 帽子岩
言いながら姉はノリオを背負いなおした。ノリオは顔を上げた。東北東の沖合いに白い塊のような巨岩が小さく見えた。ぼおしいわと口の中で小さく呟いた。姉はそれ以上なにも言わなかった。ノリオはまた姉のドテラの肩に顔を埋めるようにして押し当てた。目を瞑って息を吸った。埃の匂いがした。
また少し歩いた。姉の背中で揺られながらぼおしいわぼおしいわと思った。
アラッ こんなにたくさん
目を開けた。波に洗われたところに白い大きい貝殻が四、五枚落ちていた。波が来て引いてもまだ同じところに残っていた。じっと見つめた。ざあざあと波が来て引いて来て引いた。
拾ってみ
言いながら姉はノリオを下ろした。砂を踏む足元が覚束ない。風が急に冷たくなった。泣きそうな気持でドテラの裾を掴んで姉を見た。姉は少し笑った。
姉ちゃんいてやるからホレ 濡れないように拾ってみい
ノリオはドテラを離して少し歩いた。貝殻を拾って振り向いた。姉は笑いながら頷いた。ノリオも笑った。投げてみたがあまり飛ばなかった。
それから貝殻を拾って投げて拾って投げながら少しずつ進んだ。息を吸い込む度に喉の奥が冷たく乾いてひりひりした。不安になって振り向けば必ずそこに姉がいた。必ずいた。そこにいた。すぐ近くにいた。ノリオはどんどん拾って投げた。
それを帽子岩が見ていた。

 

せつ姉さんがいかれちゃったときのことおぼえてるよおれなんかねさかのうえのびょういんかなそのまどからいしゃとかかんごふとかいっしょにこっちみてておれわからなかった
おきゃくさんいいかげんにしてよなにいってんのさっきからあんた
それからすぐだったみたいだけどおぼえてるのはおふくろいなかったことだけふゆでさむくてさでもおぼえてるのはらへってわああってないたことだけ
おかねだよおかねどうしようかなこのひとは
ごみあさったりみなといったりなんでもいいからくえるものさがしてたよねうちあげられたさかななんてえらのところからしろいあわぶくぶくでててくさくてでもくったよくえるものはなんでも
おきゃくさあんきこえてるかいあんたどうしたの
きんじょのひとにみつかるとぼうきれでがつんとやられたりなんかしてでもそんなのはまだよかったおれがはらすかしてないてるとあにきたちがなぐるんだなぐられるたびにせつ姉さんせつ姉さんておもうけどおれびょういんいったことなんとなくしってたからだまってたんだ
おいいいかげんにしてくれよおかねだよかねかねかね!

 

長いトンネルを抜けると動悸が少しおさまった。右手に並ぶまばらな木々の間から冷たい水の匂いがした。湖があると思った。少し歩くと視界が開けた。欄干に身を凭せて辺りを見渡した。
眼下に広がる湖面は細波を立てながら重油のように黒く光っていた。ぐるりを低い山が囲む。稜線はノリオの正面で左右からなだらかに下り裾を重ねていた。浅い椀型に切り取られた空は曇っていた。静かだった。揺れる水の音だけ足元から響いてきた。
網走の海岸で死のうと思って来た。ノリオの心の中にはいつも姉に背負われて見た帽子岩があった。
考えることが多すぎるような何もないような気がする。とにかく頭が働かない。昔読んだ一首の短歌を思い出した。

 

頬につたふ
涙のごはず一握の
砂を示しし
人を忘れず

 

確かに全てが一握の砂だった。掴もうとするほど指の間から零れていった。実体のない重さだけが胸の裡に積もりすぎた。
ノリオは踵を返して来た道を戻り始めた。姉さんはあそこにはいないと呟いた。涎を垂らして男とまぐわう姉の姿が頭から離れない。姉は青森の病院に行った。網走にはいない。それが死から逃げていく自分への言い訳なのかノリオにはわからなかった。

 

あにきが死ねっていうんだおれあばしりで死ぬっていったらどうせ死ぬならあたみでいいじゃないかっていうんだこのやろうとおもってあばしりいこうとおもってでもはこだてからきがついたらおたるでおりてなんでだろうおれ死ぬのがまだこわいんだふたりころしてそれなのにまだじぶんは死にたくないんだおいあんたいいかげんにしてくれよけいさつよぶぞかねはらわないんだったらさむくてねこわくてはらもへってふたりころしてもそれはかわらないんだおれぽけっとのなかにピストルいれてるでしょだからだいじょうぶとおもったのに死ねないんだきいてるのかあんたさっきからなにいってんだけいさついくぞほんとうにこのままおやじのかおおもいだすんだおふくろとあにきのことおもいだすんだせつ姉さんのことおもいだすけどよだれたれておとこのひととおれそれしかおもいだせないんだだからあんたはなんなんだいったいこれがさいごだぞけいさつがいやならかねはらえかねかね!

ノリオはポケットに手を突っ込んだ。体温で温まったピストルを握った。それから自分がピストルを取り出したのかピストルである自分が取り出されたのかわからなかった。
銃声が二度響いた。薄いガラスが破裂するような頼りない音だった。タクシーが後ろに急発進した。生垣にぶつかって止まった。少ししてピストルが車から降りてきた。その手には千円札が八枚と小銭が握られていた。しかし金はどうでもよかった。ピストルは他の何にも目をくれず俯いたまま歩き出した。考えていた。
二週間前、東京のホテルの前で警察官に向かって引き金を引いたのは自分である。その三日後、京都にある神社の境内で引き金を引いたのも自分である。それでは今引き金を引いたのは誰だろう。今あの人を殺したのは誰だろう。最早自分がピストルだのに。
このピストルはそれから十日後名古屋でも発砲された。一人死んだ。ピストル自身に向かっても引き金が引かれたが湿気っていて弾は出なかった。自殺念慮も湿気った。

五か月後に逮捕され、一九九七年八月一日死刑が執行された。
骨は網走の海に撒かれた。それを帽子岩が見ていた。黒土に立つ墓石のようだった。

2019年11月4日公開

© 2019 伊藤卍ノ輔

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純文学

"帽子岩"へのコメント 24

  • 投稿者 | 2019-11-05 12:56

    永山則夫連続射殺事件を初めて知りました。
    彼の今までのバックグラウンドを、戦慄に書かれています。犯罪者がただ理由もなく犯罪者になるわけではないと。

    読んだ人は永山則夫に同情するでしょうか?それとも石を投げつけるでしょうか?
    そういう議題を暗に読者に投げつける、作品と感じました。

    読ませていただきました。
    ありがとうございます。

    • 投稿者 | 2019-11-21 03:25

      コメントありがとうございます。
      その疑問を本当の意味で読者の方に投げかけたいのなら、原稿用紙十枚じゃとても足りなくて、いずれ自分の納得いく形で書いてみたいという想いはあります。

      著者
  • 投稿者 | 2019-11-09 21:30

    読みました。
    数年前に買った無知の涙がほったらかしになってるんですが、これ読んで、そっちも読んでみようかなという気持ちになりました。

    • 投稿者 | 2019-11-21 03:29

      コメントありがとうございます!
      自分はまだ木橋しか読んでいませんが、無知の涙は物語ではない分より実直な想いが綴られていそうですね。自分も読んでみます。

      著者
  • 投稿者 | 2019-11-11 20:25

    永山則夫をモチーフに書くとすれば、彼の小説の贋作をものそうという誘惑に駆られるのは書き手からすれば当然のことですが、あえてそこを外したのは正解だったと思います。タイトな文章がグッド。ただ、末尾の文章がやや凡庸に感じました。

    • 投稿者 | 2019-11-21 03:30

      コメントありがとうございます!
      改めて読み返すと、末尾の文章は気の利いたような表現よりも、より細密な描写を突き詰めたほうがよかったかもしれません。
      ご指摘ありがとうございます。

      著者
  • 投稿者 | 2019-11-15 00:32

    ほぼひらがなで構成されたノリオとタクシーの運ちゃんとのやりとりが印象的です。ノリオが幼い頃に帽子岩のことを「ぼおしいわ」と呟いているのを読んで、あのひらがなのやりとりはノリオが「退行」している表れなのではないかと思いました。その中で「死」と「姉」と「ピストル」という文字だけが浮き出て見えました。

    • 投稿者 | 2019-11-21 03:33

      コメントありがとうございます。
      そこを連動させることはあまり意識していませんでしたが、なるほど、そういう読み方もできますね。
      自分で意識しなかった読み方を開いていただけると、すごく嬉しいです。ありがとうございます。

      著者
  • 投稿者 | 2019-11-18 13:10

    永山則夫、文芸を志すとスキャンダルな事件というのはやはり興味をそそりますね。歌謡曲の歌詞とノリオに話し掛けるタクシーの運ちゃんの言葉が全て平仮名表記にすることによって、ノリオの思考がバグっているのをテキストとして表現する試みは凄いと思いました。ただ、発砲の描写がとても簡素で(それは発砲へのためらいの無さを敢えてそう表現したのかもしれませんが)個人的には残念でした。

    • 投稿者 | 2019-11-21 03:35

      コメントありがとうございます!
      仰せの通りでその意図はあったのですが、それなら感情を削って細密な描写をするということもできるわけで、検討する必要を感じました。
      また、大猫さんのご指摘のように敢えてそこを書かないということもできたわけで、それも含めて再度考えてみようかと思います。

      著者
  • 投稿者 | 2019-11-19 20:50

    永山則夫の事件のことはなんとなく知っていましたが、ウィキペディア先生に教えを請いながら読み進めました。私が読み手として失格だということを踏まえて読んで頂けたら……ひらがなによる記述が、その効果より、読みにくさが先に来てしまい前後の文で息継ぎしているような状態になってしまいました。句読点などがあればよかったですが、それでは心情が霞んでしまうのでしょう。気に障ったらごめんなさい!

    • 投稿者 | 2019-11-21 03:38

      コメントありがとうございます!
      気に障るなんてとんでもないです、ご指摘ありがとうございます!
      実はこの作品を呼んでくれた知人からも指摘があったのですが、ひらがなが塊でくるからウッとなるとのことで、多分諏訪さんのご指摘やその知人の指摘を踏まえると、ひらがな部分をもう少し短くすればよかったのかもしれないと考えました。
      ありがとうございます、大変参考になりました。

      著者
  • 投稿者 | 2019-11-20 02:56

    記憶の、情報的な所を漢字かな交じりの文体で、ノリオの感情的な叫びをひらがな文で書くことで、後者が際立ち、1文字1文字を頭に入れるように読まないと理解できないようにすることで、叫びの叫びたるゆえんを強調できているのが、目新しい。とくに、運転手という他者とと自分の叫びが同じように扱われているのが、何か、他者を殺すことで自分を殺しつづけているような感じを覚えさせる。

    • 投稿者 | 2019-11-21 03:41

      コメントありがとうございます。
      その感覚が伝わるか不安だったのですが、読み取って頂けてとても嬉しいです。自他の垣根をなくすことによって自死の願望が他に向かってしまう部分を描きたかったのです。
      可読性を落とす、ということがどれほど成功しているか分かりませんが、そういっていただけるととても嬉しいです。

      著者
  • 投稿者 | 2019-11-20 22:55

    好きな作品です。北の国の寒々とした詩情にどこか現実味のないひらがなだけの会話。人の体温はわずかに姉しか知らず、人間らしい生を生きられなかった男。
    個人的な好みを言えば、具体的な殺人描写はなくても良かったと思います。もっとも、永山則夫を知らぬ世代の読み手には必要なのかもしれません。

    • 投稿者 | 2019-11-21 03:43

      コメントありがとうございます!
      若い世代に必要かもとのことでしたが、そういう納得感のようなものは今回深く求めなかったので、それならば敢えて犯行の描写は省くという選択肢もありましたね……。
      思い至りませんでした。もう一度じっくりと検討してみようかと思います。ありがとうございます。

      著者
  • 投稿者 | 2019-11-20 23:21

    面白かったです。
    ひらがなによって言葉が分解され、視覚と脳で感じるところにズレが生じるような気がしました。終盤、直接的にテーマを表している(ように思える)箇所は無くても良いのかもしれませんが、とにかく全体として楽しめました。今村昌平の『復讐するは我にあり』を思い起こさせるラストでした。

    • 投稿者 | 2019-11-21 03:44

      コメントありがとうございます!
      たしかに、たしかにです。そこはむしろ省いてしまったほうがよかったと、読み返して感じました。
      ご指摘ありがとうございます。

      著者
  • 投稿者 | 2019-11-22 07:05

    よく書けている。タクシー運転手殺害に至るまでの荒涼とした風景描写と切羽詰まった心理描写は昔観たポーランドの短い映画を思い出した。連続射殺魔・永山則夫の話だとわざわざ注釈せず、読み進める中で読者に気づかせたほうがいいかもしれない。この作品は単なる事件小説ではなく、フラストレーションと暴力への衝動について掘り下げた普遍性のある物語だと思うからだ。背景知識のない読者が元の事件のことを知らないまま読んでも十分伝わるものがあるはずだ。

  • 投稿者 | 2019-11-22 23:25

    浅学なもので、この作品で永山則夫氏と、彼の起こした事件のことを知りました。
    銃の引き金が引かれる前後の温度差、或いは湿度差が上手く書かれていて、読んでいてクセになります。ひらがなだらけの部分は読みにくいですが、混沌とした内面を表現する方法として最適だと思いました。
    永山則夫氏はどうやら小説を書かれているみたいなので、今度読んでみようと思います。

  • 投稿者 | 2019-11-23 14:47

    舞台設定とひらがなの技法がとてもいいと思いました。面白かったです。

  • 投稿者 | 2019-11-23 22:00

    永山則夫連続射殺事件について僕は何も知りません。ラストの方、ピストルを扱う主体から客体へ転じ、自らをピストルとする感覚を面白く感じました。あるいはそれは責任転嫁でもあるけれど、ピストルとなった彼の引き金を引き続ける記憶を丁寧に書かれていると思いました。個人的には、ひらがな部分の文章の勢いに対し、描写部分がやや負けている印象を抱きました。比率的にはむしろ逆のほうが良かったかもしれません。

  • 投稿者 | 2019-11-24 13:34

    合評会でタダ読みしていい作品なのかどうか、もっと相応しいステージがあるのではないかと思わされたが、本人が出しちゃったんだからまあいいじゃん。読み得読み得

  • 編集者 | 2019-11-24 18:56

    永山則夫には、自分も「廃兵」で扱って思い入れがある。永山の生きた時代の雰囲気が浮かぶようでとても良い作品だった。会場でも詳しく聞きたい。

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