弥生おばさん

応募作品

大猫

小説

3,832文字

故郷、地元……生まれ育った地で一生を過ごす人もいれば、他郷に根を下ろして暮らす人もいるでしょう。流れ流れて異郷で人生を終える人もいるし、あるいはそもそも地元など持たないという人もいるでしょう。いろんな「地元」に思いを込めて書いた掌編です。2019年9月合評会参加作品

母の妹である弥生おばさんを、私はいつまでも好きになれなかった。

弥生おばさんの何かが特別気に入らなかったというわけではなくて、直接的には母の実家を訪れるたびに、祖母から繰り返し聞かされる悪口のせいだった。

弥生おばさんはふしだらな女なのだそうだ。一度、嫁いだ家があったのに、そこが嫌だと飛出したばかりか、その後、勤めに出たスナックでは、色恋をめぐる刃傷沙汰に巻き込まれて警官まで出動した。田舎の村のことだ。警察のお世話になることがどんな意味を持っていたか、小学生だった私にも想像がついた。

実家を勘当になった弥生おばさんは、その代わりのように隣町に住む私と母の家にちょくちょくやって来た。いつでもお土産は駅前に売っている手焼せんべいだ。私も母も嫌いなのに、おばさんが自分で食べたいから買ってくるのだ。

「洋子ちゃん、大きくなって!」

私の姿を見掛けては、大袈裟な大声を出す。ほんの二月前に来たばかりなのに。

 

弥生おばさんと母はあまり似ていない。おばさんは固太りで背が大きく、赤ら顔だ。母は中肉中背で色白というよりは青白い細い顔をしていた。どっちがきれいかと言われたら、断然、母がきれいだったと思う。もっとも二人とも美女の類ではなかった。

「あんた、今、どうして暮らしてるの?」

「まあ、なんとかね」

弥生おばさんが来るたびに母は決まってこう尋ねた。水商売が性に合っていると言う割には、一つ所に居ついたためしがなく、聞くたびに住んでいる町が違っていた。実家のある海辺の村にだけは決して立ち寄らなかったが。

「まあ、何日か泊まってお行きよ。女ばかりで遠慮もいらないし」

もちろん、おばさんもそのつもりで来ている。

実は私の母も父と離婚をしている。揃って男運の悪い姉妹らしい。けれども、母の場合、悪いのは夫の方だった。慰謝料だってちゃんと出たそうだ。自分から家を飛出した弥生おばさんとは違う。

 

その秋は、実家の村の神社の十年に一度の大祭に当たっていて、その準備で村中、男も女も大忙しだった。隣町に住んでいた私の母も村の婦人会に呼ばれて、毎晩のように勤めの後、車を飛ばして出かけていった。帰りは深夜になることもあった。

夜、一人で留守番をするのは寂しくないわけでもなかったが、大切な用事だと分かっていたし、私ももう六年生だった。

ある夜遅く、突然、弥生おばさんが現れた。

「洋子ちゃん、一人でお留守番なんだって? 辛かったろう?」

おばさんは赤ら顔をほころばせながら、家に上がり込んできた。

「今夜はおばさん、泊まってったげる。お二階で一緒に寝ようか!」

私はおばさんが来ても、別にうれしくもなかったし、ましてや一緒の布団で寝るなんてまっぴらだった。けれどもおばさんは私の様子にお構いなく、ドスドスと二階に上がって、勝手に押し入れを開けて布団を敷くと、早く寝る支度をしろ、と言った。

仕方なくパジャマを着て二階の部屋へ行くと、おばさんはもう布団に入っていた。白い蛍光燈におばさんのいやにうきうきした顔が赤く光るように見えて、嫌でたまらなくなった。それで蛍光燈を消した。

「あたし、一人で寝るから」

「なんで? 今夜は冷えるから二人で寝た方があったかいよ」

「でも……」

「いいから、おいで!」

断りきれずに布団に入ると、あったかいというよりは熱すぎるおばさんの体温をもろに感じて、私はますます嫌になった。

「洋子ちゃんは可哀相な子だね。お父さんと別れて、お母さんはお仕事でお家にいなくて」

「別に」

「いつも寂しい思いをしてるんだろう? あれ! 洋子ちゃん、冷たい手だねえ。足もこんなに!」

「今、手を洗ってきたばっかりだもん」

「洋子ちゃん、おばさんが手を握っててあげるから、安心してお休み」

普段嫌っているおばさんと狭い布団に二人で寝ているのはたまらなく嫌な気分だった。その上、手まで撫でさすられて、ほとんど気持ちが悪くなりそうだった。

「ね、子守り歌でも歌ったげようか?」

「もう眠いから、いい」

「子供にこんなに冷たい手をさせておくなんて、お母さんもまったくだよねえ、昔から気がつかない人だったけど……」

「……」

「山王さんだか八幡様だか知らないが、そんなに地元が大事かね。あんな田舎村のために子供をほったらかしにするなんて、あたしにはわからない。亭主をほっといたのとはわけが違うんだ」

私はついに我慢ができなくなって、布団を飛出した。

いつ、私が寂しいなんて言った? いつ、おばさんに来てほしいなんて言った?なんでお母さんの悪口を言うの? 私は寂しくなんかないし、お母さんはいつだって優しいんだから。

おばさんは闇の中でしばらく黙っていた。それから、さっきまでの猫撫で声とは別人のような声で、ボソボソ呟くのが聞こえた。

「……可愛いげのないことを言う子だね。子供はもうちょっと素直になるものさ」

私はその声を無視して、隣りの部屋に布団を敷き直してさっさと寝てしまった。

 

それから数年間、弥生おばさんの便りを聞くことがなかった。

時が経つにつれ、私はあの時の自分の行動を後悔するようになった。後で母に聞いたら、弥生おばさんは洋子に嫌われた、と見るからにがっかりしていたそうだ。母が留守がちなのを聞いて、わざわざ隣県から飛んで来てくれたのだという。

押し付けがましかったとはいえ、おばさんは間違いなく私に愛情を注いでくれようとした。でも私はそんな形の愛を受け入れるのに慣れていなかった。母のように、さりげなく淡々とした愛情しか知らなかったのだ。おばさんはまるで熱すぎる味噌汁みたいで、私の口にはとても合わなかった。

 

私は中学校三年生になり、県内でも進学校と呼ばれる高校を受験して、無事に合格をした。地元の新聞の合格者一覧の中に私の名前も載っているのを見て、ちょっと誇らしい気分だった。

母と二人でささやかなお祝いのごちそうを作った夜、思いがけず弥生おばさんから電話があった。洋子、おめでとう、と言ったその声は、以前のしゃがれた大声よりは、幾分、落ち着いて聞こえてきた。

「おばさん、今までどうしてたの?」

「なんとかやってるよ。たまたまね、今日、用事があってそっちの役場へ電話したら、洋子のことを聞いてね。電話しようか、どうしようかって、ずいぶん迷ったんだけどさ」

「おばさん、今、どこ?」

「あんまり近くじゃないからね。洋子にも会いたいけど」

「じゃあ、来れば? 待ってるから」

「ありがとう。じゃ、そのうち行くからね。入学祝いをしてあげようね。何がいいかね?」

「そんなのいらないから」

「いいんだよ。おばさんの心だけなんだから、貰っておいておくれよ。洋子ちゃんの晴れ姿が見たいねえ。入学式はいつなんだい?」

「四月五日だって」

「おばさんも行ってもいいかい?」

「いいよ。お母さんと一緒に来て」

「ありがとう」

電話は切れた。

 

結局、入学式の前日になっても、弥生おばさんは姿を見せなかった。

ただ、東京の知らない町から小荷物が届いた。差出人も全然知らない人だった。開けてみると綺麗な淡いピンク色のワンピースだった。中に小さなメモがあるのを読むと、おばさんが洋品店に頼んで発送してもらったことがわかった。ワンピースは私にはちょっと大き目で、おばさんたら、自分の体型を基準に選んだんだなと、ちょっと可笑しく思った。ここの高校には制服がない。ちょっと派手だけど、せっかくだからこのワンピースを着て入学式に行こうか、と母と相談をして決めた。

入学式の日はあいにくの曇り空だったが、新しいピンクのワンピースを着た私はうれしかった。こんないかにも女の子らしい服は、今まで買ってもらったことがなかった。並んで歩く母は地味な黒いスーツだった。

式典を終え、記念撮影も終えて、私たちは校庭に出た。ここの高校は河原の土手を背にして立っていて、土手には県内でも有数の長い桜並木が続いていた。校庭から土手を見上げると、どこまでも続く薄紅色の靄のようだった。もちろん校庭にも何本もの桜の木が満開になっており、散り始めた花びらが、軽い雪のように、ゆっくりゆっくり地上に落ちていた。

やっぱりこの服にしてよかった。桜の花よりもちょっとだけ濃い色のワンピースは、歩くと長いフレアーの裾がゆらゆら揺れて、はらはら散る花びらが、スカートの小さな風に合わせて舞った。ちょっと花の精にでもなった気分だった。

 

その時、校門近くの桜の老木の下に、弥生おばさんの姿を見た。

おばさんは少し痩せたようだ。私と同じピンクのワンピースを着ていた。母より少し年下なだけだから、こんな服を着るような年ではないはずなのだが、桜の下にいるせいか、別に違和感はなかった。以前の赤ら顔はすっかり白くなって、こうやって見るとやっぱり母に似ている。

私はおばさんに大きく手を振った。おばさんも笑って手を振った。

「お母さん、ほら、見て! 弥生おばさん!」

「えっ?」

駆出そうとする私を引き止めて母が言った。

「弥生おばさん? どこに?」

「そこ! すぐそこの桜の下……」

おばさんはいなかった。

 

弥生おばさんが東京の小さな病院で息を引取っていたことを知ったのは、それから数日後だった。私にワンピースを送ってくれた直後のことだったらしい。

遺骨は故郷の村へ戻さず、公共墓地にでも無縁仏として葬ってほしい、との遺言を母は守ってやった。

弥生おばさんは東京郊外の共同墓地の片隅に眠っている。墓標はひともとのしだれ桜だ。

2019年9月15日公開

© 2019 大猫

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"弥生おばさん"へのコメント 15

  • 読者 | 2019-09-16 20:47

    以前なら「洋子」として読んだと思いますが、弥生おばさんに感情移入して読みました。何か辛い…

  • 投稿者 | 2019-09-24 20:28

    きれいにまとまっている。まさか弥生おばさんの体温が高かったことが病気の初期症状だったわけではないだろうが、何かもっとわかりやすい伏線があったらラストがもっと強くなったかなと思った。

  • 投稿者 | 2019-09-25 12:51

    おばさんに抱いた悪感情がそのまま、うら淋しい気持ちに変わっていました。洋子さんと対比すると余計に。もしかしたら布団の中で握った手は、幸福をプレゼントしてくれたのではないかと思っています。

  • 投稿者 | 2019-09-26 02:41

    ただちょっとしたことが不器用なだけで「私」たち周りからは疎まれてしまう一生懸命生きようとするおばさんの優しさが「私」に伝わってよかった。
    でもそのお返しが本当にはしてあげられたかどうか。人を亡くすとは大なり小なりその後悔があったりもしますよね。

  • 投稿者 | 2019-09-26 18:37

    素面で読んで正解でした、酒飲んで読んでたら完璧に号泣ものです。
    負けました、完敗です、

  • 投稿者 | 2019-09-26 23:25

    切ないですね。自分にもまだ健在ですがこういう叔母がいて、成長すると微妙な距離感になってしまうんですよね。優しくなりたいと思いました。

  • 投稿者 | 2019-09-27 03:25

    とってもよかったです。こういう話に弱くて、単純にうるっときそうになってしまいます。
    弥生おばさんは洋子の事を愛そうと懸命なんだけど、それが洋子にはうっとおしい。でも少し大人になるにつれて、弥生おばさんの愛情に気づいて後悔するようになる……弥生おばさんがうっとおしい気持ちもわかるし、でも冷静になると後悔する気持ちも分かる。もっと言うと弥生おばさんの気持ちもすごくわかるのです。
    弥生おばさんの性格が変わったわけではないけど(自分サイズの自分好みで服を選んじゃうし)、洋子の視点がかわることによってそれを受け入れられるようになって、受け入れることによってまた成長する。というのは人生経験豊富な方だからこそ書ける物語かと思います。
    人間をしっかり描くってこういうことなのかなと思ったり。すごく好きな作品です。

  • 投稿者 | 2019-09-28 00:57

    大きく逸脱した大猫さんの話もいつか読みたいです

  • 投稿者 | 2019-09-28 16:47

    めちゃめちゃ好きです。子供のころの後悔ってずっと残りますよね。実木彦は子供のころの後悔が通常の三倍です。

  • 投稿者 | 2019-09-29 02:48

    おばさんはまるで熱すぎる味噌汁みたいで、私の口にはとても合わなかった。という一文がとても好きです。そして泣きそうでしたが堪えました。

  • 投稿者 | 2019-09-29 06:19

    文章の上手さ、読みやすさはずば抜けていますね。いい歳になり、子供もおらず、誰からも褒めてもらえない人生を送っている私と、弥生おばさんの境遇を重ねて読み進めました。甥っ子に愛情を注ぐも弟の奥さんから疎まれている私は、弥生おばさんの気持ちに胸が締め付けられる思いがしました。

  • 編集者 | 2019-09-30 02:54

    洋子の立場で読みながら、おばさんの気持ちになっていく。離婚や引越しなどを経て壁が出来てしまう親戚の距離感の難しさと、それでも続く優しさが染みる小説だった。大猫さんにしか書けない話かもしれない。

  • 投稿者 | 2019-09-30 10:58

    油断していたらフィニッシュでいきなり背骨を折られた。敗北感しかない。

  • 編集長 | 2019-09-30 13:31

    親戚という近いようで遠い関係の中で、ときおり深い交流を持つ家族未満のような存在がうまく書けていた。文章に厚みがある。

  • 投稿者 | 2019-09-30 19:12

    人の描かれ方が素敵でした。登場人物の心情が胸に迫ってくるようです。地元というテーマを強く感じました。

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