蝉が鳴いている。ミンミンゼミかは知らない。 人は今年を「平成最後の夏」なんだと言う。今までと、そして、これからの夏とは何が違うのかは分からないし、知りたくもない。知るのは秘密だけでよかった。机の抽斗から白い布が輪っかを作ってしどけなく垂れている。それに気づいた小麦色の細い指がむりくりに、布をもう一度、抽斗の奥に押し込んでいる。それだけだった。 人が啼いている。呻いているのかもしれない。 けれども、喉を鳴らした主が知らない、言っていないと認めないなら、それはもう呻きでも喘ぎとも呼べなかった。はじめから無かったものでしかなかった。ささくれを乱暴に毟ったせいで皸にも似た傷を作った無愛想な親指が躊躇を諦めて、隙間の中に潜りこんでいく。脈をうっていた弁は力なく、柔らかく融解していった。あっけなかった。 メガホンが叫んでいる。窓の外の彼はもう選ばれないのかもしれない。 そして誰かが「χデーは日曜だ」などと、ささめきだつのが聞こえた。がなり声から抽出した言の葉の綾は紐解くと弱弱しくて、消沈していた。湿った細い指が絡まって、薄い肉の板の上に寝転びだす。なんだかくすくすと嘲笑っているようでもあった。大言壮語をいくら繰っても、その若い鼓動には何も述べる権利なんかというのにと言わんばかりだった。 そして液晶が影を象る。よもや感情などいらない。 長方形の世界は向こう側のかんかん照りと、伝う汗にひりつく頬をまるで無視しているように、可と不可を瑕もなく分けていた。交わってはいけない。視たままを認めて知能は果たしてそう囁けるのだろうか。たとえば無邪気にお菓子のグミを噛みきってしまうことといったい何が違うのかは、誰も教えてはくれないのだろうと、信じ込んだ。そうするしかなかったからだった。 ――ねえ、ねえ。 耳朶の産毛を揺らすように、息漏れて乙なるものがそう囁くと、何かが始まるような気がした。それは気のせいかも、臆病風かも、それとも時期外れの世紀末の残り香がそうさせたのかもしれなかった。けれども、窓からいくら眺めても、夕立はいっこうに降る気配も見せない。空には雲一つない。青白くて骨ばった親指はそれが堪らないといっているみたいに、相棒の人差し指と一緒に絡まりながら、つつりと糸をひいてみせた。本当は、もぞもぞと揺れて、ひたひたと肌の間を潜り抜けたいのに、奥へ奥へと他愛なく進んでいくことを止めなかった。 まだまだお天道さまは未練がましくて、暮れていこうとしない。滴が垂れている。くぐもった息遣いと気怠そうな含み笑いが零れる。恥じらっているのかもしれない。何ももう考えられないし、感じてはいけなかった。
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