私の庭の紫陽花が咲いた。
上下左右に重なり合って、いくつもいくつも次々に咲いた。
始めのうち、蕾は黒っぽい濃紺だった。膨らむにつれて次第に紺が褪せて行き、幾層もの小さな花が開き始める頃には、深い深い青色に変わっていた。
数日経って庭を覗いてみると、開き切った花々は青紫色になっていた。薄緑色の葉を押しのけ、手毬のような青紫が重たげに首を垂れていた。
紫陽花は土壌によって花の色を変えると聞いた。土が酸性だと青くなり、アルカリ性だと赤く変わるという。そこで紫陽花の周辺に石灰を撒いてみた。私の紫陽花はいつも青い花をつけるけれど、たまには赤い花も見てみたいと思った。
その年は紫陽花は花をつけず、ただ葉だけがやたらに伸びた。じとじと続く雨の中、葉だけの紫陽花は不機嫌に押し黙っている人のようだった。
翌年になって紫陽花はまた青い花を咲かせた。人の浅知恵を嘲笑うかのように、差し出口に抗議するかのように、例年よりも一層青い花を咲かせた。
梅雨寒の京都の町を歩いていた。
観光目的の大きなお寺を見学した後、すぐそばに寂れた小さな寺があるのに気づいた。門前にくたびれた木製の案内板があって、「××天皇御霊廟」と書いてあった。江戸時代の終わり頃の短命な天皇の名前だった。
くだんの天皇の墓所は、人の背丈ほどの石塔が一つ建っているきりで、戒名や墓碑銘が書いてあるわけでもない。一応、周りを鉄柵で囲んで人が寄れないようにしてはあるものの、「天皇」の名には程遠い侘しいたたずまいで、盗掘の類を働く気などちょっと起こりそうもない。
その裏は公家墓地だと言うが、言われなければ誰もそうとは思わなかっただろう。寂れた寺の寂れた墓所だった。朽ちかけた卒塔婆が数本、後は無数の石の墓標が秩序もなく乱れ建っていた。
天皇よりも大きな墓石がないのは当然だけれど、それにしても小さな墓ばかりだった。大きくても人の腰あたりまでしかない。明治時代になって、京都の公家はほとんど東京へ移ってしまったし、死に絶えてしまった家も多いのだろう。墓は手入れもほとんどしていないようで、どれもこれも苔むした灰緑色で、墓碑銘は剥がれ落ちて満足に読み取れない。傾いたものや倒壊して割れるがままとなっているものもあった。
小さな墓石の周辺を取り巻くように、もっともっと小さな石の墓標が埋まっているのに間もなく気づいた。牛乳パックほどの大きさしかないそれは、墓標というほどのこともなく、路傍の石ころと見間違えてしまいそうだった。乱雑に埋め込まれたそれらの石ころが、生まれて間もない赤子の墓だということを、かろうじて読み取れた極小の墓碑銘で知った。
「××院××童子 享年一歳」
と戒名が書いてあるのはまだいいほうで、
「××家 ××之子」
戒名どころか本来の名前も与えられないまま、親の名だけが記されているものは、生まれてその場で死んだのだろう。二,三人まとめて葬られているものもあった。
母の胎内を出て、呱々の声も上げぬまま屍となり、そのまま焼き場へ送られて焼かれた無数の赤子の、小さな柔らかい骨灰が、苔むした墓石の隙間からスルリと滑り出てくる錯覚がした。
それでもこうして荼毘に付されて墓が与えられているものはまだましなのだろう。月足らずで生まれて人の形もしていない子は、墓にも入れずそのまま始末されたのだろう。望まれぬ子はどうだっただろう。
そこら中に埋まっている石ころのような墓石を踏んづけないよう注意しながら、雨と苔で滑りそうな泥道を歩いていたら、広くもない墓所の片隅で小さな紫陽花が花をつけているのが見えた。
紫がかった薄紅色の花が、わずかに三つ、四つ。
嫁いだ私は孤独だった。それで自分の庭をこしらえてみた。庭に咲く小さな花々は人よりもずっと誠実に思えた。
時折、実家の母がやってきては、私の庭を誉めた。庭のいろいろな花の中でも、母が一番好きだったのは紫陽花だった。洗濯物のついでに、よく庭先に出ては咲きかけの蕾を眺めていた。
ある時、私は家人といさかいを起こして泣いた。もういけない、もうやっていけない、死ぬか殺すかどっちでもいい。でもこのままではやってゆけない。
電話に出た母は多少、狼狽していた。
そりゃあお母さんはお前の味方だけど、でも、お前、少し冷静になって考えてみたら? 悪いことばかりじゃないだろうし。あんなにいい家に住んでいて、庭には綺麗な花も咲いているのに。
お母さんには何も分からないんだ。電話を切った私は、庭を見ながらそう思った。
突風が吹いて、満開の紫陽花がゆらゆら揺れた。
母が死んだその年も、私の紫陽花はたわわな青い花を咲かせた。
雨の朝の通勤電車はいつもより混雑していた。エンジンのかかりきらないモーターのような貧血気味の頭の中で、とりとめもないよしなしごとが行くあてもなく、ぐるぐると回っていた。
乗り合わせた人々は、皆、雨の匂いがした。髪に、肩先に、袖口に、鞄に、靴先に、じっとりと雨を吸い込んで、重苦しげに不機嫌に黙り込んで発車を待っていた。
突然、怒鳴り声が聞こえた。
甲高いその声に、皆、一斉に首を回して外を見た。
一人の女が、ホームを歩きながらわめいていた。サラリーマン風の男の後を追いかけながら、罵っているようだった。掴みかからんばかりの勢いだった。内容など聞き取れない。早口でがなり立てる激烈な呪詛の言葉に、聞いている者の耳まで痛くなりそうだった。
先に歩く人は完全無視の体で、後ろをついて来る女など眼中にないふりをしていた。女の声はどんどん激昂して、怒号とも金切り声ともつかなくなり、しまいには人間の発する音声とも思えない支離滅裂な咆哮になった。
速足で先に歩いていた人は完全無視の態勢のまま、サッと電車に飛び乗った。女はホームでまだ罵っていた。とこうしているうちにドアが閉まって、電車は発車した。ドアが閉まった後も女の怒号は聞こえていた。
朝から嫌なものを見た、と人々は視線を宙に浮かせた。そして何事もなかったかのように黙り込んで電車の揺れに身を委ねた。
私も視線を泳がせたまま、回り切らない頭でぼんやり考えた。
いったい、どうして、朝の通勤ラッシュ時に、大勢の人の目も構わず、身も世もないほど人を罵らねばならなかったのか。なぜ電車に乗った人を引きずり下ろすことをしなかったのか。自分も電車に乗り込んで、相手に掴みかかることだってできたはずなのに、女にはそれができなかった。それでホームに残ったままただひたすら罵っていた。
女には罵ることしかできないと相手の男は知っていたのか。悪口雑言の限りを尽くしても、決して電車に乗り込んで来たりはしないことを分かっていたのか。
ホームに取り残された女はどうしただろう。まだ罵っていただろうか。ガックリとその場に崩れ落ちただろうか。それとも去った電車に背を向けて、しょんぼりと帰って行っただろうか。
電車はちょうど飛鳥山公園前を通過していた。
小高い丘の上の公園の丘の麓では一斉に紫陽花が咲いていた。
涙にかすんだ目の前を青紫色の花の群れがさっと走り抜けた。
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