(9章の4)
調度品などない玄関で殺風景そのもの。モルタルの壁にはひびが稲妻のように走っている。靴箱は埃まみれで、手前に傾ければ砂利がざっと落ちてくることだろう。もうちょっとマシな宿を想像すればよかったと、わたしは後悔した。
日の暮れかかる田舎の路地を、一人さまよう旅人。ひと時代前のドラマや漫画で出てくる、哀愁を掻きたてる一場面。しかしそんなこと、実際にはほとんどなかったことだろう。知らない土地でうろつけば、むしり取られるだけなのだ。
古きよき時代などと、過ぎ去れば昔を賛美するが、過去がバラ色の時代というわけではなかった。しかし喉元すぎればで、懐かしさが、「いい時代」に昇華させる。それに、古きよきと言う人々は時代を乗りきった連中だ。彼らはその当時、若く、体も動き、全盛時だった。だから振り返ったときに、とてもいい時代に映ってしまうのだ。
懐かしんで「昔はよかった」と言う気持ちを分からないではないが、わたしが生まれた頃は手放しでいい時代と言えるものではなかった。まだ、社会的なコンプライアンスもなにもない時代。皆が貧乏で、金に執着していた。とにかく稼がないと、と誰もが躍起になり、悪質でいい加減な業者が世の中にはびこって騙される者も多かった。正直なところ、平成の方がよほど暮らしやすい。昭和40年代は、右も左も悪徳業者ばかり。何をするにも警戒を怠れなかった。さすがに戦後間もなくのように食うや食わずの人間が溢れているわけではなかったが、まだまだ貧しく、人が善意のみで行動することは少なかった。
そんな魑魅魍魎とした昭和の中期から後期が、平成の世では讃えられている。現代の嫌な部分とだけ比較し、過ぎ去った時代のいいとこ取りをしているにすぎない。
「お部屋の用意ができました。さぁ、どうぞこちらへ。お履物はそのままでけっこうですので」
2階から降りてきた女中がスリッパを並べながらわたしを促した。
かがんだときに髪の毛が垂れ、細いうなじがわたしの目に飛び込む。わたしは虚を突かれ、ハッと息を呑んだ。
「荷物は他にございませんか?」
ほんの少し掠れた声。これもまた、わたしの好みだ。
「荷物ですか。ワタクシ、これっきりの男なんですよ」
などとにこやかにカバンをパンパンと叩き、その拍子に階段で脛でもぶつければフーテンの寅さんといった様相で、女中と気の置けない会話へと進展するところだが、わたしは平々凡々な気の利かない男ときている。だから捻りの欠片もなく大丈夫ですと返答をして、黙って女中のあとを付いて行く。
トン、トン、トンと、小気味よい音で女中は階段を上がっていく。わたしもそれを追う。
女中はわたしの肩掛けカバンを大事そうに胸元で抱えながら、どうぞと部屋に促す。通された2階の一室は、わびしさの募る6畳一間だった。この世界の季節設定が夏であるのに、冷たいすきま風でも吹いてくるようだ。膝小僧を抱えて、部屋の隅でじっとしていたくなる。そんな気分にさせる部屋だった。
女中がお茶を淹れてさがった。シーンと静まり返る。ぼったくったんなら、せめて最上級の部屋を与えてくれればいいのに。わたしは憤慨する。しかしそこでわたしは外観を思い起こす。そうか、最上級の部屋などないのだろうな。どの部屋も似たり寄ったりなのだろう。
靴下を脱いでベルトを外すと、ちょっとした解放感に浸った。あぁとため息のようなくぐもった声を発しながら、うしろにひっくり返って大の字になる。6畳間は男一人が大の字になるに充分なスペースだった。そのまま眠りに落ちる、というのが通常なのだろうが、この世界には眠りがないので天井を見つめた。
しばらくすると、階下からいい香りが漂ってきた。たんたんたんと階段をリズミカルに上がってくる音に、扉をノックする音が続いた。老婆の粘着的な足音とは違う、軽やかな足音。
「失礼いたします」
わたしは上体を起こして茶を手にする。だらしなく寝そべっているところを見られたくなくて繕ったのだが、どうせ作られた世界なので、寝っ転がったまま応対しようが構わないわけだった。しかしとっさの行動は、ついつい今まで自分が取った行動に則してしまう。
節目がちな女中の目。ちょっと腫れぼったそうな一重瞼もわたしの好みで、この世界のことだからと、遠慮なく見つめた。
食事ができたので階下へ、と促され、階段を降りていく。なんだか、板がバリッと割れて下に落ちてしまいそうな階段だ。愛想のない老婆に食堂の場所を聞くと、
「あっち」
と一言。あっちだけではよく分からない。それを補うように、あとから降りてきた女中が案内してくれた。
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