進歩的文化人と呼ばれた一人で、「行動する学者」とも称された日高六郎が本日午前5時31分、京都市左京区の高齢者介護施設で死去した。101歳だった。葬儀は行われないという。

日高六郎は1917年に中国の青島で生まれ、1941年に東京帝国大学文学部社会学科を卒業した。一時は陸軍に召集されるものの肺病により除隊し、1944年秋からは海軍技術研究所に嘱託として参加している。終戦直前の時期に講和に向け方策を練ったものの、国体を保とうとする上層部の意図に従えず解職された。戦後は東京大学の教授を務め、民主主義や反戦運動の活動にも参加した。1968年に発生した金嬉老事件の際には在日朝鮮人差別の存在を指摘して金を擁護し、ベトナム戦争中には脱走米兵を匿う活動にも加わった。日本赤軍との関与を疑われ捜査を受ける、オーストラリア政府からビザ発給を拒まれるなどの抑圧や議論を呼ぶこともあったが、「行動する学者」として様々な活動を続け、1976年から89年まで京都精華大教授を務め、89年から2006年まではフランスに在住していた。

日高六郎の著書は数多く多岐に渡り、訳書ではエーリッヒ・フロム「自由からの逃走」の翻訳でも有名であった。