作家の大江健三郎が3月3日に死去した。88歳だった。家族葬が既に行われ、後日お別れの会が開催されるという。

大江健三郎は1935年、愛媛県大瀬村(現・内子町)で生まれた。大瀬村の自然の中で戦前・戦後の時期に多感な少年時代を過ごす。高校では文学部で同人誌に執筆し、同級生には後に映画監督となる伊丹十三らがいた。1953年に上京し、東京大学教養学部文科二類(現在は文科三類)に入学、短編や脚本の執筆を始める。

1957年、小説小説「奇妙な仕事」が評価され、短編『死者の奢り』で学生作家としてデビューした。1958年、短編「飼育」により第39回芥川賞を23歳で受賞し、戦後文学の担い手として小説家としての地位を築いた。その後、『個人的な体験』(新潮社文学賞)、『万延元年のフットボール』(谷崎潤一郎賞)他多くの作品を執筆する傍ら、戦後民主主義を擁護する立場から社会的問題への発言も行った。1963年には、長男の大江光が知的障害を持って生れており、大江の作風などに影響を与えている。

1994年、ノーベル文学賞を受賞する。受賞講演は、1968年に同賞を授賞した川端康成の講演「美しい日本の私」を引用して「あいまいな日本の私」とし、日本の歴史と自身の小説の意義を総括した。2018年より『大江健三郎全小説』が講談社から刊行された。2021年2月には、自身の直筆原稿計1万枚や資料などを東京大学に寄託していた。