正直な木こりの金の斧

伊藤卍ノ輔

小説

5,113文字

戯作のようなものですがわりかし切実な気持ちで書きました。よろしくお願いいたします。

昔々あるところに、少し具体的に言えば紀元前六世紀頃のギリシアに、正直な木こりと嘘つきな木こりがいました。
正直な木こりは正直なので、伐採した材木は正規の値段以上に売りつけることはせずに、貧しい生活を営んでいました。一方嘘つきな木こりは業者に対してあることないこと言い募り、なんのかんのと材木を高く売りつける術を心得ていたので、適度に手を抜く割にはなかなか裕福な暮らしをしていました。
正直な木こりはそんな嘘つきな木こりの暮らしぶりを羨ましく思わないこともありませんでしたが、やはり自分に口先で商売をする才覚がないことを自覚していました。またなによりも、やはり人柄というのは伝わるもので、正直な木こりがみんなから慕われているのとは対照的に、嘘つきな木こりはどこか敬遠されている風でもあったので、やはりそういう人々の心の機微に感づいてしまっている以上、積極的に嘘をついてみんなから嫌われてまで金が欲しいとも思わないのでした。
ある日のこと、正直な木こりが湖の畔で月桂樹を伐採していると、なんの弾みか手が滑り、木こりの使っていた斧が湖に落っこちてしまいました。正直な木こりは絶望しました。斧がなければ商売ができません。しかし正直な木こりには新しい斧を買う金さえなかったのです。
いよいよ僕も借金しなくてはいけないみたいだな、せめて消費者金融ではなく銀行のカードローンから借りよう、しかし審査が通るだろうか。正直な木こりが立ち尽くしたままそんな思案に暮れていると、突然湖の水面に映る冴えた緑の木々がゆらゆらしはじめたかと思うと、湖の中から全裸の青年が出てきました。この青年はヘルメスという名のオリンポスの神々の一柱であり、惚れた女から金のサンダルを奪い、それを盾にして無理やり性交をするというとんでもないクズ野郎でした。
しかし本人はイチモツが小さいくせに、子供のイチモツは極端に大きいという憐れむべき一面もありました。
とにかく、ヘルメスは両手に一本ずつ斧を持っていました。一本はぬらぬらと金色に輝く金の斧であり、もう一本は鈍い輝きを放つ銀の斧でした。ヘルメスは言いました。
「いま斧落とさなかった? これ、どっち落とした?」
正直な木こりはすかさず「いやどっちでもないです、もっと汚い普通の鉄の斧です」と言いながら、少しそうやって答える自分に歯がゆい感じがないでもありませんでした。
「まじで、もっかい探してくるから待ってて」
ヘルメスはそう言うと、もう一度潜っていきました。
しばらくしてヘルメスが湖から顔を出すと、その手にはしっかりと、正直な木こりの汚い鉄の斧が握られていました。
「ごめんごめん、これか! あったあった、よかったねぇ」
正直な木こりがお礼を言って受け取ると、そんじゃあね、と言いながらヘルメスはまた湖の中に帰っていきました。
正直な木こりはなんとも言えない気持ちでした。折角カードローンの借り入れをせずに済んだというのに、素直に喜べませんでした。
僕があのとき、その金の斧落としたんですよぉ、と言ったら或いは金の斧が貰えたのかな。あれさえあれば嘘つきな木こりみたいに、いやそれ以上にいい暮らしができたかもしれないな。ラーメン次郎とか月一なんて制約なしで食べられるようになったかもしれないのにな。
しかし正直な木こりはそこまで考えて、強く頭を振りました。
だめだ、そんなこと考えちゃ。とにかく斧を返してもらえたんだ。感謝こそすれこんな感情になんてなるべきじゃないな。
正直な木こりは自分に言い聞かせると、またせっせと月桂樹の伐採に精を出し始めました。
正直な木こりはその話を後悔混じりに冗談にしながら友人に話して聞かせました。友人はヘルメスのイチモツが小さかったという点についてばかりこだわりしきりに笑っているだけでした。しかし陰でその話を盗み聞きしていた男がいました。それが嘘つきな木こりでした。
嘘つきな木こりは考えました。
もしもそこで金の斧を落としたといえば、俺は億万長者になれるかもしれないな。やってみよう。でも念のためにめっちゃ安い斧でやろう。
翌日嘘つきな木こりはめっちゃ安い斧を持って湖に行くと、エイッ、と斧を湖に投げ込みました。少し待つと、正直な木こりの言った通りイチモツの小さいヘルメスが出てきました。
「まじで笑うよ。最近みんなうっかり斧落としすぎでしょ。そんな落とすもんなの? 斧って。あ、いま落としたの君だよね? どっち落とした?」
両手にはまた金の斧と銀の斧が握られていました。
「その金の斧っす! すんませーん」
嘘つき木こりが答えると、ヘルメスはそのまま金の斧を渡してきました。
「気をつけないとだめだよ? なくしたら商売あがったりでしょうに。それにしても、木を切るなら金より鉄のほうがよくない?」
嘘つきな木こりは金の斧を受け取りながら、ヘルメスのそんな忠告も聞こえないくらい有頂天になっていました。
すげぇーなにこれ純金かよしかもこんなでけぇ塊! 売ろ! しかしどこで売ればいいんだ? ハードオフ? さすがにそりゃまずいか! あはは!
嘘つきな木こりは早速その金を、お店を吟味したうえで売り払いました。一夜にして莫大な財産ができました。更にその資金を元手にした株の運用でも成功し、一生遊んで暮らせるほどの巨万の富を築き上げました。それで嘘つきな木こりは成功者としてみなから羨ましがられる存在となり、しかもよく村人たちにキャバクラやなんかを奢ったりしたものだから、いつの間にか皆から好かれるようになっていました。
しかしそんな成功を喜ばない男がいました。正直者の木こりです。
本当は、あのときの返答次第では僕があの巨万の富を手に入れていたはずだったのに。あそこで選択さえ間違わなければ、今頃「牛角ってまずくはないけど、肉があんまよくないよねぇ」とかふざけたことを普通の顔して言ったりしてたはずなのに。
いてもたってもいられなくなった正直な木こりは、湖に走っていき、自分の斧をもう一度投げ込みました。ヘルメスが出てきました。手には先ほど投げ込んだばかりの鉄の斧が握られていました。
「ドジっ子過ぎてむしろ愛おしい」
ヘルメスはわりかし真顔でそういうと、鉄の斧を返してくれました。正直な木こりはもうそれ以上なにかを主張する気には到底なれませんでした。
それから正直な木こりは、これからは積極的に嘘をついてやろうと考えて、業者相手に見様見真似でいい加減なことを言って材木を高く買わせようとしましたが、冗談だと思われて笑われました。それで正直な木こりはもうムキになって、ほとんど泣きそうな気持でいい加減なことを必死になって言いました。最後には業者も眉を顰めて、あきらかに不快になった様子でしぶしぶ気持ち程度の金額を正規の値段に上乗せして買っていきました。しかしその表情をみたとき、自分は取り返しのつかないことをしたのだ、と正直な木こりは愕然としました。
僕がいままで築いてきたものを、たった今自分でぶち壊した。もうだめだ。貧乏で、その上人から軽蔑なんてされたら僕に何が残る。もうだめだおしまいだあああああ死にたいでも死ぬ勇気はさすがにない。
その日から正直な木こりは仕事をさぼりがちになり、酒も結構飲むようになりました。焼酎よりは日本酒派でした。借金もしました。ちばぎんカードローンの審査が通って喜んでいたのも束の間、限度額いっぱいになってしまったので、やむを得ずアコムからも借り入れしました。そうしてアイフル、プロミス、といくつもの金融会社を掛け持ちするようになってしまいました。「いくら借金が残ってるかで語るんじゃねーよ。いくら枠が残ってるかで語るんだよ!」という愉快なアフォリズムまで生み出してしまいました。
そうなると、元々彼の誠実な人柄に惹かれていた周囲の人々も次第に疎遠になっていきました。しかしもう正直な木こりは以前のようには戻れませんでした。ときにはもう一度やり直してみようか、という気が起こらないでもありませんでしたが、そのたびにヘルメスの持っていた金色に冷たく輝くあの金の斧が思い出されるのです。
やがて正直な木こりは老い、仕事をすることも出来なくなって終日家で時間をつぶすようになりました。見兼ねた嘘つきな木こりは、自分の財産を築き上げるきっかけを教えてくれた恩もあり、正直な木こりの借金を全て返してやりました。老後細々と暮らしていける程度のお金もくれました。嘘つきな木こりは嘘つきなだけで、根はいいやつだったのです。
しかし正直な木こりにはそこから這い上がる気力もなく、ついには立てなくなり、万年床から出られなくなりました。安いヘルパーさんを雇って、なんとか身の回りの世話はしてもらえましたが、もう自分で行きたいところに行くこともできません。することといったら、毎日ヘルパーさんに在りし日の自分の過去を語ることだけでした。毎日仕事に行って、金はなかったけど友達は多かったこと。木こりの後輩たちから尊敬されていたこと。夜の営みのウマが合わなくて別れてしまったけど、可愛い彼女がいたこと。働いた金で食べていた、月一回のラーメン次郎が体に悪そうだけどすごく美味しかったこと。
いくら語っても尽きることはありません。ヘルパーさんはどこか面倒くさそうに、しかし一応笑顔は絶やさずにきいてくれました。安い賃金で働かされてる上に老人の自慢話なんか聞かされてちょっと可哀想だな、とも思いましたがとにかく止まらなかったのです。
ある夜正直な木こりは考えました。
ワシはどうしてこんな人生を送るはめになったんじゃろうか。金の斧が手に入らなかったからじゃろか。しかしヘルパーのレオニダス君に語る自分の人生は、金なんかなくても光り輝いとったんじゃなかろうか。それこそあの金の斧の輝きなんかに負けないくらい、きらきらぴかぴかと。正直者がバカを見て嘘つきが得するんじゃと、若い頃のワシは気づいてしまって、それで堕落してしまった。しかし考えてみれば当然の話なんかもしれぬ。嘘つきは得するために嘘をつくんじゃ。得するための努力をしているから得をする。なんじゃなんじゃ、自然なことじゃないか。じゃあワシはなんじゃ。得をしたくて正直に生きとったのか。正直に生きとったら金の斧が手に入ると思うとったんか。違うわ、そんなこと思わなかった。矜持じゃろ。自分は正直に生きとるという矜持。自分は自分の信じた道を力強く歩いとるという矜持。それがワシを正直者にしとったんじゃ。でもワシは、くだらん欲に眩まされて、そんな矜持をすっかり捨ててしもうた。それでもその矜持の残した死灰はワシの中で匂いを立て続け、ときにはまた燻ったりなんかして、ワシはその匂いや地味な熱さに邪魔されて、嘘をつき通すことも出来なかった。得をするために必死になれなかった。当然じゃろうが、ワシのこの人生は。矜持も持たず、得するための努力もせずに、日本酒ばかり飲んで、ピンサロばかり行っておったんじゃないか。ワシはヘルメスに金の斧と銀の斧どちらを落としたか聞かれて、迷わず普通の斧と答えた。そうして鉄の斧がたしかに返ってきた。あのとき気付くべきだったんじゃ。ワシがいまああやって答えたのは、なんとなくじゃないぞ、ワシはいま金の代わりに、自分の矜持をヘルメスからたしかに貰ったんじゃぞ、と。
正直な木こりの心に、在りし日の実直な感情が戻ってきました。それは堪らないくらい懐かしく、堪らないくらい熱く、堪らないくらい美しい感情でした。正直な木こりの皺と染みと垢にまみれた頬を、一筋の涙が伝いました。それはなんだか濁っていて、しかし月光を反射してきらきらと、たしかに輝いていました。
翌日ヘルパーさんがやってくると、正直な木こりは死んでいました。ヘルパーさんはヒャンッ、と声を上げて早速救急車を呼びました。救急車を待つ間、ヘルパーさんは思いました。
死体だなんて嫌なもん見ちゃったよ最悪だよもぉ。今日はヘルスでも行って厄払いしようそうしよう。指名料かかるからフリーではいって、そしたらオキニのピューティアーちゃんにあたるかわかんないけどまぁ仕方ないさね。そんでまぁ金かかるからオプション料金の発生しない程度で遊んで、そんでコトが済んだあとでのイチャイチャタイムで女の子に向かって言うんだ。「僕、君にマジで惚れちゃったかも……」なんつって。これで誠実な男だと思ってもらって、なんかいい人だな、とかなったりしちゃって。うひょー、えへへ。いやー楽しみだなぁ。
ギリシアの空は晴れ渡っていました。その果てしなく青い空にぽっかりと、優し気な雲がひと千切りだけ浮かんでいました。

2019年6月30日公開

© 2019 伊藤卍ノ輔

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