影なき小説家(ペイパーバック・ライター) 第18話

影なき小説家(ペイパーバック・ライター)(第18話)

勒野宇流

小説

2,721文字

 
 内田がやってきて、依本は原稿を渡す。
 
「ほう、もう完成したんですか。助かります」
 
 表情は変わらないが、一応お褒めの言葉は引き出せた。とりあえず目標の一つは達成したことになる。根をつめた甲斐があったと、依本は胸中に充実感が満ちた。
 
「さっきメールに添付してデータでも送っておきましたよ。で、どうしても内田さんの注文どおりハッピーエンドにすると、ちょっとラストがこじつけっぽくなっちゃうんですがねぇ」
 
「そうですね。そこのところはしょうがない部分です。詠野作品である以上、ハッピーエンドは約束ごとですからね。AからZまですっきりと、というのが特色の作家ですから。彼は」
 
 彼は、と存在しない人間のことをしぜんに言う内田に、依本は思わず苦笑を浮かべてしまう。そしてまた、笑っている自分に対しても笑いが込み上げる。影なき小説家を名もなき小説家が務めているわけなのだ。
 
「でも読んでみて、よほどの無理を感じたら少々手直ししてもらいます。なんにしても校正原稿を数日後にデータで送りますので、よろしくお願いいたします」
 
 内田はそう付け加え、アパートをあとにした。
 
 本というものは原稿を書き上げればでき上がるわけではない。もちろん原稿を書き上げることが大前提だが、その後に校正という、原稿をチェックする作業が入る。どんな手馴れた作家だって、校正を入れずに世に発表できるものではない。昔の貸本作家には校正をまったく行わない猛者がいたということだが、販売を前提とする現在の出版業界においては、たとえ作家が不要と言い張っても出版社が許してくれないだろう。
 
 原稿が完成すると、それを預かった編集者がまずはチェックし、それを著者がさらにチェックし、そのように編集者と著者の間を原稿が行き来して完成に近づいていく。暴露本や技術書のような場合は、著者の文章力がからっきしということもあり、そのような原稿は編集者にびっしり赤ペンを入れられてほとんど全部と言っていいくらい書き換えることになる。しかし著者も分かったもので、自分はネタやアイデアの提供が役割で文の構築は編集者の仕事ですよと決め込み、粗い原稿を完成品だとばかりに平然と渡し、チェックは丸投げしてしまう。編集者は直しの分量こそ大変だが、なにしろその手の著者は自分の文章へのプライドとこだわりがないので遠慮なく指摘でき、気を使わずに校正していける利点もある。
 
「あと、今後も継続して受けていただけるということで……」
 
「あ、はい。よろしくお願いいたします」
 
 昨晩内田から来たメールには、次回以降の打診も書かれていた。もちろん依本は承諾した。継続した仕事を得られるのだから、断わるはずもない。
 
 内田は次回作の方向性とトリックを記した紙を依本に渡した。内田が示した主人公のキャラクターや場面設定などの条件を入れて、作品を完成させなければならない。
 
「近く、また振り込ませていただきますので」
 
 内田は駅で別れるときに言った。
 
 それにしても、なんともあっけないカタチで本が一冊できあがるわけだ。いとも簡単に、と言いたくなるくらいに。当然依本の文章力も一役買っているわけで、それはそれで満足感があった。しかし個人の気持ちは置いておくとしても、これが全国の書店に並んで、ある程度の売り上げをたたき出す商品になるのかと思うと、呆れてしまう。また感嘆するべきことに、この進行具合が完全にマニュアル化されているようなのだ。
 
 だとしたらあの内田は、「詠野説人プロジェクト」に打ってつけの人物だ。長いこと関わってきたせいで打ってつけの人物に変化していったのかもしれないが、おそらく天性のものに違いないと依本は考えていた。
 
 表情からも口調からもなにも読み取れないところが、まず、いい。こんな不思議な依頼だから、書き手としては訊いてみたいこと、詮索したいことが山ほど出てくる。しかしあの男にはどうも質問しづらい。面と向かって訊くことをためらってしまう雰囲気を、自然と醸し出している。きっとこれは自分だけではないと、依本は思った。誰もが内田には訊きづらいはずだ。いや、訊きづらいというだけではない。単に訊いてこないようにバリアを張るには強面の男でもいいわけだが、内田は独特の無表情で、そして生真面目さがそれを包む。拒まれているというよりは、なんだか詠野Zに関することを根掘り葉掘り訊くのが面倒にさせるのだ。また今度でもいいかな、という気分に、自然となってしまう。この術中に、だれもがはまっていることだろう。
 
 世の中にサラリーマンの処世本は数多くある。しかし、ある種の雰囲気作りを意図しないでできるという記述はほとんど見当たらない。しかしそれこそが、接客や応対のとてつもない武器となるのだ。内田はその必殺技を身に付けていた。
 
 それでも内田が能面のような男かというと、そうではなかった。先日連れ立って呑みに行ったとき、途中で自転車と乗用車が接触寸前という場面に遭遇した。そのとき内田は「あっ!」と大きな声を上げ、
 
「いやぁ、ぶつかったかと思いましたよ」
 
 と、身振りとともに安堵の表情を見せた。だから感情の起伏のまったくない鉄面皮ではない。内田なりに感情は揺れて表情にも出るが、それがどうも人に伝わらない、というような感じだった。
 
 こういう人間はけっこういて、何か食べても、ちっとも美味しそうに見えない人がいる。そういう人間も人並みに美味しいと感じているのだが、人に伝わるときに差が出てしまう。キツい運動をしてもたいしてキツそうに感じない人間もいるし、遅れても焦ってなさそうな人間もいる。人の感情の起伏というのは千差万別だろうが、感情が他人に伝わる度合いも千差万別だ。
 
 まぁ詠野Zのことは、折を見てさり気なくさぐってみよう。この折を見て、というところがすでに内田の術中にはまっているのだが、依本はとりあえずそう思った。とにかくこの仕事を、今のところ失うわけにはいかないのだ。いらぬ動きで面倒なことになったら目も当てられない。
 
 どうも夏風邪をひいてしまったみたいで、喉が痛くて鼻水が出る。熱を測ると7度2分で、たしかに体全体が熱っぽかった。
 
 しかし依本は寝込むことなく書き続けた。プロ意識と言えばカッコいいが、正直なところ、それほど辛くはないのだ。熱がもっと高くてふらふらだったり、頭痛や下痢で苦しかったりすれば別だ。しかし外出の必要もなく、思いのままにすごせる自室で楽な格好で座っての作業。どうしても辛ければ寝てしまえるという、気持ちの余裕もある。だから通常時に比べれば多少だるいという程度で、体調不良の影響はほとんどなかった。そういう仕事なのだ、文筆業というのは。依本はその後も快調にキーを叩いていった。
 
 
 

2018年1月12日公開

作品集『影なき小説家(ペイパーバック・ライター)』第18話 (全19話)

© 2018 勒野宇流

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