便秘男

児島啓祐

小説

7,182文字

――俺は神を産むのだ。曇天雷天のみ発症する便秘男は二条城を徘徊していた。この男の便秘とは一体何であったのか。異常性について考える。

二条城が歪んで見えやがる。以前は荘厳な切り詰め崩しの石垣を見て、涙腺が腐るほど感動したというのに今はどうだ。組み合わされた石の小さな隙間を見つけては、手を抜きやがってと毒づいて舌打ちばかりしている。唐門の裏側に置かれた掃除道具や埃を被った消火器がたまらなく胡散臭い。城内を散策していても落ちているゴミばかりが目に入る。ここの職員は一体何をしているのだ、俺は拾わないぞ、捨てた奴と職員が悪いのだ。

二の丸御殿に入っても苛立ちが消えることはなかった。それに俺はずっと歴史とは関係のないところばかり観察していた。フラッシュ撮影をする中年の禿げたオッサン――フラッシュする必要ないだろ――くだらん話ばかりしていて何しに来たのかよくわからない学生グループ――とりあえず三回土下座してから土左衛門ズでも結成しろ――得意げに拙い知識をひけらかす初老のジジイと、それを鵜呑みにする頭の悪い三十半ばのオバサン――さっさと駆け落ちしてしまえ――。障子に刻まれた非常口のマークや「穴を開けないでください」の注意書き――そんなに穴を開けて欲しいのか――。

いいかげんにうんざりしてきた。俺は何をやっているのだ。なぜそんなところばかり目に入るのだ。いや、原因ははっきりしている。便秘だ。五年前から続く陰湿かつ拷問的な通行止めのせいだ。正確に言うならこれは便秘であって便秘ではない。普段はごく普通に処理できるのだが、曇りの日になると突然便秘のような症状が出るのだ。排出した直後でも再び滞った感覚が尻の奥に降り積もり、急いでトイレに駆け込んで踏ん張ってみても、いっこうに出てくる気配がない。病院にも掛かったが、体調はすこぶる良好で「そんなことはあるはずがない、精神的な問題ではないか」と言われるばかりだ。一応精神科にも掛かってはみたものの、検査をしても異常なところはない。

「そういえば、雷が鳴り出すと痛みが激しくなりますね」

「ではあなたの過去にくもりや雷の天気の日に何かトラウマになってしまうことはありませんでしたか?」

「そうですね、特にないと思います」

どんな医者でも必ず最後にはさじを投げる。しかし自分自身それほどの支障をきたすということはなかったからそのままにしておいた。いつのまにか五年の歳月が経過していた。

雲の覆われた空を見上げるたびに、肛門が締め付けられる思いがして、便意が込み上げてくる。トイレに行っても時間を浪費するだけだ。いたたまれない気持ちを紛らわすために足を動かし、必死に別のことを考えようとした。

徳川家康。

ふと奴のことを思った。奴もこの一新された時代の象徴として自分の権威を示すために城を築きたいと考えたのだ。そして奴は駐留地としてであったが二条城を建設した。奴の遺志は息子たちにも受け継がれ、江戸時代初期の段階で五層の天守閣まで増築された。

悔しい、そんな感情に囚われた。なぜ奴ばかり報われるのだ。確かに奴にはそれだけの才覚も忍耐強さもあっただろう、天下一統を成し遂げたほどの男なのだ。しかし俺が望むのはもっと小さなことである。たかだかこの不可思議な便意を解消したいだけなのだ。そんなに贅沢なことだろうか。俺はクソも満足にできないほど、器がちっぽけな人間なのだろうか。憎い。家康を歴史の大河から抹殺してしまいたい。殊更今日は、観光を楽しみにきているのだ。

パンフレットを破ってやろうかと思った矢先、不意に年表の一文が目に入ってきた。

『センナナヒャクナナジュウネン ゴソウノテンシュ ライカニヨリ ショウシツ』

グギャギャギャ。笑いが止まらなかった。奴の欲望も燃え尽きて、跡形もなく失われてしまったのだと思うと心地良い気分になり、小掘遠州が造ったと言われる二の丸庭園の美しい景色が目に飛び込んできた。便意は酷くなる一方であったが、風情あふれる池の中に埋められた石を見ていると、静謐な力強さが感じられて、少しだけ様々な感情が収まっていくような気がした。

しかしそれは錯覚にすぎなかった。すぐに、蕾を振るわせている梅の木の下の紙くずを見つけて、憂鬱な気持ちがぶり返した。赤と黄の混じった苔の上に紙くずは落ちていた。近くには異人のジジイが一人、折り畳みの椅子に腰掛けていた。そのジジイは、池の方を見つめながら短いクロッキーを指先で器用に操り、メモ帳のような小さなスケッチブックに絵を描いていた。反映した風景が揺れる池の前でスケッチをしている老人を見ていると、なんだか不思議な感動が巻き起こった。無論便意をこらえながらである。異邦人同士お互い名前も知らず、ただ偶然出くわしただけというには、あまりに滑稽すぎやしないだろうか。確かに吹きゆく風は雲を集めて便意を運び、流れる時は歴史となって人を運ぶ。それでもこれは仕組まれた喜劇ではないのだ。異国のジジイは日本の歴史の美に感じ入った様子で飽くこともなくスケッチを続けている、その後ろから五年間も特殊な便秘を抱え、今もその発作に苦しめられている二十一の男が覗いている、これが現実なのだ。そう考えたとき急にこのジジイの素性を知りたいという衝動に駆られた。だがそうする勇気を持てなかった俺はちょっとした妄想を膨らませた。

彼はつい先日長年連れ添った最愛の妻を亡くしたのかもしれない。彼女が好きだった日本の美を、弔う代わりとしてスケッチして歩いているのだ。妻の好きだった風景は、彼女が最も尊敬した彼の絵となって棺の中に入れられるのだ。何とも素敵な話ではないか。夫婦の永遠の愛の象徴として、彼は彼の記憶を記録している。そしてその最も尊ぶべき行為の後ろで日本の便秘男が突っ立っているのだ。傑作ではないか。いや待てよ、喜劇として最高の面白い形を取るのであれば、もう一つ設定を加えなければならぬ。無論便秘だ。最愛の存在を亡くした彼は謎の便秘に苦しめられているというのはどうだ。彼の近くに転がる紙くずも便意の苛立ちから気に入らないスケッチを破いて捨ててしまったのだと考えてみれば面白い。うむ悪くはない。二条の庭に便秘男が二人、家康も想像出来まい。まあ、真に残念ながら俺の勝手な妄想にすぎないわけなのだが。

しかしその妄想が実際の事情に寸分の狂いもなく合っているような気がしてきて、たまらなく彼の記憶の中に刻まれてみたくなった。つまり便秘男が描く便秘男は一体どのようなスケッチになるのか興味が湧いてきたのだ。ジジイの描く激烈なタッチの中で、俺はどのように生まれ変わるだろうか。試しに「please draw me」と言ってみよう。通じるだろうか。きっと伝わるさ、そうに決まっている。なぜなら我々は同類なのだ、同種なのだ、同族なのだ。便秘男には便秘男にしかわからない確信めいた予感が存在するのだ。恐れることなど何もない、彼も欲しているはずだ。

ちょっと冷静な自分の中の自分が、よくもまあこのような思い込みが出来るものだと嘲笑したが、ある意味では感心していたと言えなくもなかったので口を開くのを拒まなかった。俺は俺自身の了承を得たのだ。

「please……」

「NO!」

彼はこちらを振り向いて嘘をつき損ねた嘘つきのように狼狽と焦燥に駆られた顔で思い切り叫んだ。凝視する輪郭のはっきりしない二つの目はひどく濁りきっていた。少なくとも愛妻の死を悼んでいるような色には見えなかった。青と肌色を混ぜ合わせたような、分類しにくい色だった。

ジジイは甚だしく気分を害された風を装い、実は核心を突かれて戸惑っているような印象で荷物を片付け去っていった。追悼旅行のスケッチの中に俺のような部外者が介入することに腹を立てたのだろうか。それとも俺が彼の行為を馬鹿にしているように彼には感じられたのだろうか。ただ単純に、突然の意味不明な発言の襲来に憤りと鬱陶しさを感じただけかもしれない。常識的に考えれば三番目の説が有力といったところか。しかしどうにも腑に落ちないのは、やはり彼の不自然な様子である。濁った目と激しい動揺であった。

いずれにせよ彼の瞳は俺の抑うつされた過去を強引に掘り起こす結果となった。五年前の忌まわしい記憶だ。俺はあのときの残酷性と屈辱に耐えかねて知らず知らずのうちに封印していたらしかった。もしくは物理的な衝撃があって、部分的な記憶喪失が起きていたのかもしれない。どちらも否定出来ないし、その両方の可能性だってあり得る。あの曇天の二条城で俺は何をしていたのか、そうだ、俺はやはりあの日も便意を堪えていたのだ。

 

俺はつまらないイジメに遭っていた。高二の頃のことだ。始めは些細なことだったが次第にエスカレートしていき、背中に画びょうを刺されたり、階段から突き落とされたりと、愚鈍で非人間的ないじめグループの標的にされていた。イジメという性質の例に漏れず、イジメられるにあたって特段の理由は何一つとしてない。陰湿で非人道的な虐殺社会の縮図。それこそ人間らしいという考え方も出来なくはないが、俺は奴らを人としては観ていなかった。ただ愚劣で無機的なマシーンとして、奴らが惨殺を目的として生まれたのなら、俺自身は奴らの愚行を蔑み嘲笑うために生まれた優越生物だと思い込み、従順で素直なペットに仮装した自分の姿をむしろ楽しんでさえいた。崇高で威光に溢れた自分自身のいじめられる姿を客観的にイメージし、眼球の機能を麻痺させてしまうぐらい激しく興奮した。

摩訶不思議な話だった。俺は抜け殻の自分自身を傍観していたので、傍観者という立場でもあり、それと同時にさらなる快楽を得ようとイジメグループを煽っていたという意味では加担者と言えなくもない立場にあった。また実質上、魂が体を抜け出して様子をつぶさに観察していたとは言ってもイジメを受けている被害者の立場にいるのは紛れもなく自分なのである。

加担者と傍観者と被害者、どの自分が本当の自分であるのか、それは当時の俺にとって大した問題ではなかった。どちらもとてつもない心地良さを俺に与えてくれたからだ。俺はその瞬間天国にいたのだ。天使は微笑み、祝福の演奏を俺に投げかけてくれた。全てが光に満ちていた。やさしくやわらかくあたたかく、偽善に満ちているのだ。ああ偽善ほど美しいものはない。偽善ほど己を癒してくれるものはない。偽善は幸福を、天上の恵みを与えてくれる。俺は素晴らしいマシーンを得たのだ、と自然と考えるようになっていた。彼らが俺をいつでもどこでも昇天させてくれる。克明で鮮明な人生のイメージをかき立ててくれる。何とも使い勝手の良い麻薬であった。

イジメられる自分を見つめている自分。傍観し眩暈を引き起こすほどの興奮を得た自分をこれまた見つめ、無意識に下腹部に手を差し伸べ自慰行為に耽る自分。無限の自分の連鎖が、上限のない刺激を生み出し、体中の毛細血管を快楽が貫いている。性欲のように本能的な衝動に駆られ快感に心をくねらせる。もちろんそんな自分を悲観し、憤怒する自分もいる。でもそんな自分の感情までもが快感の激流に飲み込まれ、勢力を拡大していくのだ。まるで業を注ぎ続ける人間の自我のように、永遠と克服されることもなく強くなるのである。

もっと痛めつけろ、痛めつけてくれ、これ以上痛めつけないでくれ。

もっと悲観しろ、悲観させてくれ、これ以上悲観させないでくれ。

もっと喪失しろ、喪失させてくれ、これ以上喪失させないでくれ。

俺は奇妙な同居生活を余儀なくされた。傍観者の俺。加担者の俺。被害者の俺。自分自身を観察することが趣味であり、イジメに加担することが趣味であり、被害者として悲嘆し続けることが趣味であった。あまりに完璧で膨大な生きがいであった。しかしそういったものに限って均衡は絶妙であり、すぐに崩壊するのだ。簡単に壊れていくバランス。俺の場合は麻薬への欲望が通例に漏れず飛躍的に増大したことが原因であった。そこで俺はある方策を講じたのだった。

俺たちの修学旅行は京都・奈良に出掛ける予定だったが、その出掛けに俺はその方法を思いついた。いじめのグループは三泊四日の旅行を利用して俺に最上の舞台を用意してくれていたのだ。これ以上ない陵辱と苦痛である。それは人為的な便秘を発症させることだった。彼らは俺がトイレに行こうとするたびにグループの力を総動員してトイレを占領するのだ。小便は外で出来るが大便となれば別だ。正常で健常的な精神の持ち主であればすぐにその異常事態に苛まれることだろう。だが俺は違う。俺は恥辱を求めていたのだ。究極の快楽を求めていたのだ。だからこそ俺は彼らの馬鹿馬鹿しい行為を逆に利用してやる計画を思いついた。担任の教師に相談するでもない、マシーンに降伏を宣言するのでもない、俺は我慢することにしたのだ。無論四日近くも便を我慢できるはずもない。いつかは必ず限界のときが訪れるはずである。そしてそのときこそが俺の待ち望んだ瞬間であるのだ。奴らは俺を笑い者にするためにクラスメイトに呼びかけるであろう。そして俺は尻を剥く。これまでにない屈辱体験を思う存分味わうのだ。何とも奴らは優秀で都合の良いマシーンなのだろう。想像しただけで絶頂に達しそうであった。

そして三日目。修学旅行最大の行事である『限界』がやって来た。

二条城の天守跡に俺の姿はあった。辺りでは雷雲が立ち込め、遠方では張り詰めた空気がうなり声をあげている。このときも雷が鳴っていたのだ。俺は即座に魂の離脱を推し進めた。周囲の映像が柔らかくなり、次第にフェードアウトしていく。形を失った意識のしずくを再びかき集め、心に提出する。そうすると第三の俺が完成するのだ。尻をむき出しにして四つんばいになっている自分が見える。極限のエクスタシー、地球を破滅してしまうほどの自我の爆発を求めているのだ。眉間に皺が入り、顔中真っ赤に染め上げられている。見事だ。伝説的な屈辱だ。しかしまだ足りない。俺は腹を空かしているのだ。クラスメイトを全員集めろ、もっと冷えた目で俺を射抜け。俺の醜態を見届けろ、そう念じると下腹部に力が入る。むけたばかりの赤らんだペニスの亀頭から黄色い液体がほとばしる。力んだ表情からは限界から解き放たれる瞬間に向かって準備しているように感じられる。ああ、複数の人格が俺への賛美歌を捧げている。この城を築いた徳川家康には届いているだろうか。そんなことはどちらでもいい。クラスの傍観者の連中め、見ろ、俺はこの世界で誰も経験したことのないような快楽を得ることが出来るのだ。もっと羨望の眼差しを俺に向けろ、畏敬の念を抱け。俺はお前らみたいなマシーンとは違う。俺は神を産むのだ。

俺は神を産むのだ。

そう念じたとき、もう俺の意識はなかった。自分がどこにいて何をしていたのかもよくわからなくなった。青と肌色の混じったような色の光が俺を包み込み、全てを無に帰してしまった。その直後の記憶はない。気づいたときには俺は今の俺に戻っていて、ごく普通の生活を送っていた。

その時には何が起きたのかはわからないが、少なくとも俺の大量の人格は正常な生理機能と共に破壊されたのだった。いじめのグループもいつのまにか俺のパシリに変わっていた。

 

悶えが収まるのを待ってから、俺は迷わずに天守閣跡へと向かった。

四方を木造の柵に囲まれ、中央にラクガキが大量に刻まれたベンチが四つ置かれている。メールアドレスやら、携帯の番号、『SEX』の文字や、相合傘。ベンチに火をかけたい衝動に駆られたが何とか自分を押さえ込む。ここが歴史遺産だとは到底信じられない。唾を吐いてやろうと思ったが、口の中が乾ききっていて、一滴も染み出てこなかった。

なぜ俺は天守閣跡へと来たのか。俺は自分がやらなければならぬことを自覚していたからだ。ここで五年前の続きをするのだ。いや、続きをしなければならない。それは意志というよりも、義務に近いことのような気がした。ちょうど人気もなく、スケッチのジジイも見当たらない。

今しかないのだ。徳川家康の醜い欲望の塊が燃え尽きたこの場所で、五年前俺の中の悪魔が死滅し、新たな種を産み残したこの場所で、あの日の清算を行わなければいけないのだ。

五年前の俺は、気づかないところで正常な精神が異常性を帯び始めていた。それは本当に些細な事実に過ぎなかった。机の上から消しゴムが一つ転げ落ちた程度のつまらない出来事だったのだ。それが俺自身にとってはイジメという行為であった。それから間違った我慢が蓄積され、崩壊が加速していくことになった。制御不能となった心はいつのまにか悪魔に支配されていたのだ。

あの修学旅行の日、落雷の衝撃によって死滅したが、死の間際に悪魔は種を植えたのだ。そしてその種は今俺の無自覚さによって成長し、かつての忌まわしい事態を繰り返してしまう可能性を持つほどに悪魔は力を持ってしまった。

だからこそ、この特殊な便秘症は俺を警告していたのだ。種の存在を知らしめようとしていたのだ。

俺はあの時と同じ格好になって同じように力んでみた。雷が鳴り出して痛みはさらに増大した。

 

俺は悪魔を産むのだ。

 

激しい光の洪水に包まれたとき、俺自身が知覚していたのはその言葉だけだった。

 

数日後、奇妙な封筒が届いた。恐らくあのスケッチジジイからだった。

【悪魔の母よ、胎児を忘れることは許されない】

そういったメッセージが英語で封筒に書き込まれていて、中身は八つ裂きにされたあの日のスケッチだった。彼も何らかの理由でスケッチにしいたげられていたのかもしれない。

雷が鳴り始めた。俺の便秘症はすっかり影を潜めてしまっている。遠くで雷が落ちるのがわかる。辺りは不気味な光に包まれ、やがて轟音が響き渡る。

俺はまたあの種を見つけた。

2008年10月13日公開

© 2008 児島啓祐

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