『ガンダムSEED FREEDOM』レビュー その④(タイトル未定)

鹿嶌安路

評論

5,585文字

その④でしたっけ……汗
だんだんと構造が否定されていく流れは、私自身の文学との向かい方に新しい方向を与えています。

第2章:ゆでガニの脱皮と下ネタ

PHASE-11:据え膳を食らう男になるには戦うしかない

 

アスランが大人になったというのであれば、キラはどうか。主人公であるがゆえに喪失や敗北を経験できず、結果「迷う主人公」であり続けなければいけなかったのだという構造は残り続けるのだが、この「構造」という言葉が出来するやいなや、それを否定せんとするのが本作である。脚本の構造は常にディスティニープランと連結し、物語の内部から否定されるのだが、少し細かく焦点を共有しておこう。

そもそも「構造」を保持しない物語は存在しない。最も薄い場合でも文体と呼ばれる思考の癖が存在する。文体という子細な構造に言及したのはウラジミール・ナボコフ(『ナボコフの文学講義』を参照、野島秀勝先生の名翻訳をご覧頂きたい)であるが、この場では本作の「文体」に言及するつもりはない。構造を否定するという本作の「運命」ならぬ「内部からの使命」は、構造を保持しつつそれを否定するという自己矛盾の様相を呈している。「裏切りならぬ裏切り」のテーマが準備するのはこの困難さなのであるが、分かりやすいところから限定していこう。そもそも構造を否定したいのは脚本家でも観客でもない。一部の登場人物たちのみなのだから。

明確な否定は登場人物のうち「キラ・ヤマト」と「ラクス・クライン」によってのみ行われる。その明確さがゆえに、二人にはこの物語を牽引する資格とリーダーシップが備わったと読み解くのは間違いではない。ファウンデーション側の一人「イングリット・トラドール(オルフェに片思いする青髪の女性パイロット)」は構造に対する揺らぎを観察するものの、愛情表現としてオルフェの理論を肯定せざるを得なず、彼の死をもって成就と為すよりほかなかった。それ以外の人間は、各々に必要な敗北を既に喫しているため「頑張る」理由がない。なお、キラが種運でシン・アスカとの直接対決で機体を失っているのも、本作第二幕でファウンデーションの罠に落ち再び機体を失うのも、彼を主人公としない理由にはならなかった(子どもは人生の「主人公」なのである)。これら喪失の連続はむしろ機体を失うことがアイデンティティの喪失を象徴していると読み替えるべきである。キラ・ヤマトは主人公であるがゆえに些細な敗北すら知らず、一方でアイデンティティの「揺らぎ」を幾度も経験する。作品が進行する毎に彼が機体を乗り換えたことも、筆者の本意ではないが、逆説的に彼の「アイデンティティの成長=変化」を表現したものと解釈することはできる。

いま、成長する主人公、という言葉を待ってようやっと「主人公の子ども性」に着眼できる。その前にひとつ、内田樹の著書『寝ながら学べる構造主義(文芸春秋)』から、ジャック・ラカンの論を紐解きかつ、その代表的焦点である自己同一性獲得へのプロセスにまつわる議論とその解説を引き合いに出したい。

内田は本著のなかで、ラカンがフロイト精神分析に強い関心をもっていたことを踏まえて、人間の生後六ヵ月頃に訪れる「鏡への興味」について語っている。要約すれば、人間は鏡に映る「像」を「自己像」であると無意識に感得し、それが「私」ないし「アイデンティティ」の原理的基盤になっているという主張だ。これは他者との違いによって自己の独自性を認知するのでもなければ、言語的整合性に基づいて「私」を定義するでもなく、それらよりも遥か前に既に獲得されているものとして「自己」を定義させる。ところがこの論理展開に対して、内田は次のように結論を用意する。

 

人間は「私ではないもの」を「私」と「見立てる」ことによって「私」を形成したという「つけ」を抱え込むところから人生を始めることになります。「私」の起源は「私ならざるもの」によって担保されており、「私」の原点は「私の内部」にはないのです。……言い換えれば、「鏡像段階を通過する」という仕方で、人間は「私」の誕生と同時にある種の狂気を病むことになります。(内田『寝ながら学べる構造主義』P172 LL6-12)

 

鏡に映る自分が本当に自分かどうか分からないけれど、無意識に「既に信じていた」ものを否定できないまま「きっとそうだろう」という体裁を保ちつつ、過去で「信じた」決定的な瞬間を忘却するほどに「当たり前」とすることを「ある種の狂気」と名付けた。発達の段階で自己が他者から分離している理由を強制的に植え込まれるのが人間である。そういった解釈がこの結論部からは可能になっている。

また別の焦点はラカンの「正常な大人」へ至る障壁にある。このプロセスについて内田は次のようにまとめている。

 

ラカンの考え方によれば、人間はその人生で二度大きな「詐術」を経験することによって「正常な大人」になります。一度目は鏡像段階において、「私ではないもの」を「私」だと思い込むことによって「私」を基礎づけること。二度目はエディプスにおいて、おのれの無力と無能を「父」による威嚇的介入の結果として「説明」することです。

みもふたもない言い方をすれば、「正常な大人」あるいは「人間」とは、この二度の自己欺瞞をうまくやりおおせたものの別名です。(同 P195 LL7-12)

 

引用文に使われた「エディプス」について簡単に共有する。フロイト心理学の発見した「コンプレックス」という精神状態にギリシア神話の「オイディプス王」の物語を接続させ、「母を手に入れるために父と対立する」という精神状態を「エディプスコンプレックス」と呼ぶのは読者にも周知のことだろう。引用文では、人生のある時期で「父」によって「理不尽に無能の烙印を押し付けられる体験」をする時期のことを指している。およそ人格障害の原因にこの「エディプス」の乗り越えが上手くいかなかったケースが散見されるという臨床心理学的見地は併せて確認したいのだが、込み入ったところは数ある先行研究に任せたい。

要はキラ・ヤマトが、エディプスと「折り合いをつける」のではなく「倒し続けて」きてしまったことに着目すればよい。彼が主人公であるがゆえに決定的に負けることが許されなかったからこそ、大いなる敵として立ちはだかってきたはずの様々の障壁を、乗り越えるのでなしに、破壊してきてしまったことが彼を「子どものまま」にしてしまったのだ。筆者はそう主張したい。物語中盤のブリーフィングにおける彼の煮え切らない姿勢も、噴水でのラクス×オルフェのシーンで感じた話せば伝わるはずの不安を言葉に出来ないのも、すべては彼が物語の構造に囚われて「負けない主人公」であり続けた結果なのである。しかしキラは自発的にディスティニープランを否定したわけではないということを思い起こしたい。彼の戦闘参加の理由はすべて「ラクス・クラインの思想」に収束するのであり、彼女が彼に何かを望まなくなった時点で彼のアイデンティティは拠り所を失う。彼は母ならぬ母であるラクスを「信じる」ことしか出来ないのだ。ここに選択肢が生じたことを認めたい。いま、キラは「ディスティニープラン」か「ラクスの思想」かのいずれかを選択したことになる。それも半ば強制的に、押しつけられるようにしてどちらかへ傾いた。筆者はここに、「エディプス」に変わる「ラクス・クライン」を想起する。構造主義が提示する「圧倒的な能力と理不尽」の代名詞として存在した「父=エディプス」は、メディア論という構造主義が生み出した自らの子どもによって容易に乗り越えられてしまう。情報社会の生き抜き方というのは、往々にして次世代の方が優れているものだと言い換えても良い。しかし本作が提示したのは「圧倒的な能力と理不尽」の別名である「運命」よりも遥かに強い力を生み出す磁場である。その磁場に、構造主義が不格好に「エディプス」と名付けたのに敬意を表しつつも、いまここでは「ラクス」と名付けたいのである。この磁場は、能力や理不尽への敗北によって自分自身になることを強制しない。彼女が「愛するから必要なのです」と発言することによって、彼女は磁力を作り出し、子どもたちは自分自身の檻から解き放たれ、かつ自分自身を手に入れる。

恋愛関係によって自己同一性を形作るのがメディア論の世界観である、と読み解いているようでは誤解もいいところだ。むしろ同じ誤解なら「母ならぬ母」とはすなわち万人にとっての「父であり子であり聖霊である」者だと想起するほうが真に迫っている。父が同時に子であるだけでなく、身体を持たない聖霊でもあることを要求する実体とは、認知不能につきそれを神と別言したいのだが、要はメディア論が「メディア」の実体を特定できず、まるでキリスト教の「シスマ」を連想させるほどに様々な「派閥」を作って細分化していることを想起すれば十分である。ある意味で「分裂を内包する個体」と「メディア」を説明してもよいのだが、その誤解の筋を回収したのはほかでもない「分裂する機体」の操縦士、シン・アスカだった。つまりそれを答えとしているようではシン同様、何も分からない子どもののままなのである。

ならば「ラクス」とは何なのか。このフェーズの最後に論じられるべき議題は、ラクスがキラのためにつくった料理が「揚げ物」だったことに端を発する。

互いに忙しい時間の合間を縫って、久しぶりに二人の時間を持てると期待したラクスが二人の部屋でキラの帰りを待つ間に、手料理を準備するシーンがある。昭和のアニメならば「作りすぎちゃったかしら、フフフ」とでも独り言ちそうなほどに大量に作られる揚げ物。このとき、もし観客のなかで「なんで揚げ物?」という疑問が浮かんだとしたら、彼らの飛びつく答えとはどのようなものが挙げられるだろうか。例えば、ラクスの貧弱なレシピバリエーションというのどうだろう。政治に奔走する彼女が「可愛いお嫁さん」になるための「花嫁修業」を経ていないから、カレーすら作れないのだという理屈だ。なかなか面白い切り口ではないだろうか。彼女にもそういったお茶目なところがあって、甲斐甲斐しく愛した男を迎えてやりたいのだ。ところがこの解釈には残念ながら欠点がある。なぜなら彼女が超エリートコーディネーターだということ都合よく忘れているからだ。見た目の可愛さに騙されてはいけない。彼女の運動能力、情報処理速度、再現性はいずれも他を圧倒するほどなのだ。だとしたら彼女が、男の度肝を抜く様なフレンチのコース料理を準備することだって十分に可能だったではないか。だからこそ次に出てくるべきなのは、「キラの好みに合わせた」という解釈だ。これまでに、キラが十分「子ども」の性質を備えていることが理解されていることを前提に、次のような会話を想起して欲しい。

「キラはどのような食事がお好きなのですか」

「ん~、ハンバーグ……とか?」

「他にはありますか」

「唐揚げとか、カレーとか、かなあ」

「まあ、キラったら小さな子どもみたいですわ」

「んん……」

といって困り顔を見せるキラが想像できそうなものだ。つまり食事の好みにレパートリーが少ないから、ラクスの方も毎回同じものを作ることになって、今回はたまたま(そんなことは絶対にありえないのが物語の世界だが、)揚げ物を料理するラクスを目にすることができたという解釈だ。私はこれを部分的に採用したいと思っている。すなわち、具材を衣で「覆い隠す」という出来事の象徴として「揚げ物」が準備されている可能性と絡んで、またそれが食されないことも考慮して、自己表出の肯定をこの場面が伝えているのだと筆者は主張する。ここには二つの論点がある。一つ目は覆い隠すとは何か。二つ目は食べられなかったのはなぜか。後者は次章に譲り、ここでは「覆い隠す」ことの意味を、このフェーズのまとめとともに論じる。

このシーンを構造主義史観で眺めた時、まず浮かぶのは次のようなイメージである。

二重の運命を否定する物語内人物ラクスが、ものの本質を覆い隠す揚げ物を作るとは、機能矛盾、すなわち機能不全である。

こうした読解に慣れている向きは、いまこの場にもう一度「裏切りならぬ裏切り」のテーマを呼び寄せることができるだろう。そのアングルから語れば、まさに彼女が「象徴」の場面において「機能不全」を起こすことは、まさに彼女の思惑通りなのである。本当の自分を解放させるという「物語内役割」を新たに与えらえた私(ラクス)は、その役割を全うすることすらも否定し、「私だけが本当のあなたを知っているの」とでも言わんばかりに食材を隠し続けるのは、構造主義史観を不全に落とすためだと言える。愛するキラに再び「エディプス」を準備する物語構造を否定しつつ、新たなコードの象徴として「覆い隠し」を提示する。この料理のシーンは構造の否定と新秩序の提示が並列した瞬間と言えるのだが、事態はそう簡単に終わらない。残念なことに、その揚げ物は「食べられなかった」のである。すなわち、構造ならぬ新秩序を覆い隠して提示した彼女の複雑で難解なメッセージは、最愛の男にさえ受け止めてもらえなかったのだ。ただその意味するところは、料理のプロセス同様、あちこちに「飛び跳ねて」は小さな火傷を負わせることになる。

とはいえ、一番可愛らしい解釈は一つ残っている。つまりラクスは主人公の可愛い新妻以上の何者でもなく、家に帰ったらラクスが揚げ物作って待ってるなんて、家庭的で素敵じゃないか、と。パチスロ新規勢にはまだ物語の網の目を潜る力は養われていない。構造主義を否定するということは、このくらいの「軽さ」がちょうどいいのだという声も聞こえてくる。ほら、確かに揚げ物は油の海で「浮いて」しまうくらい「軽い」のだから。

2024年2月13日公開

© 2024 鹿嶌安路

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