前略 警視庁志村警察署は戸田橋以南の国道十七号線中山道を縄張りにしており、例えばさいたま市南区の文蔵四丁目交差点から埼玉県内の中山道の慢性渋滞を回避するルートをうまく通り抜けると署の方には約二十五分で到達する事が可能である。それは国道に並行する脇道から戸田橋の手前まで踊り出て、そこから幅員の広い国道を無理筋なすり抜けで南下し、大型車両をかすめるように”ちょこまか”とやらかしながら、チンピラの、チンピラによるチンピラのための”信号グランプリ”よろしく原動機付自転車第二種の機動力にこそ可能な芸当であって、おそらく我が国の免許区分に依拠するニッチな嗜みの様相を呈している。
そして殊更リターンライダーという訳でもないのに四十路で突如目覚めてしまったバイカー風情は「志村警察署~板橋警察署(国道17号線)の二輪専用通行帯は珍しく、各位、ぜひモデルケースとして参考にされたい」なぞ云々Googleローカルガイド※に投稿して、悦に入るのだった。
至極便利な原付二種を駆り、都内でUberEATS※の副業とシェアリングエコノミーのサーベイ的なマッチポンプのセルフ・エンプロイー・コンサルタントを気取りながら、プライベートでは250cc希少種のホンダ・フェイズ(MF11)Type-S※を駆って、偶にバイク便の仕事を請け負い、総じて一年十万キロペースで走り回っていた。
そもそもバイクに乗り始めたのは、ヤフオク※で衝動的に落札したジャイロキャノピー※のミニカー仕様がきっかけだった。これを高値で売り抜け、次にスズキのアヴェニス125※という、これまたやたら凝った希少種を手に入れた。この後、アヴェニスを人に譲って、次に程度の良い2ストロークのホンダ・キャビーナ90※を手に入れるのだが、この時すでにアヴェニス125※の尖ったスズキ的キャラクターに感化されていて、鈴菌変態仮面を心に宿していたのかもしれない。
それは自動二輪免許から一年が経過した矢先、中型の新機を駆っていたところの交通事故だった。果たして心境如何に、曰く、
「大きな鳥居の『おしかじんじゃ』 オートバイ安全祈願(祈祷) Welcome Riders in Ogano!交通安全 ゆっくり安全運転!by ウェルカムライダーズ実行委員会 小鹿野(おがの)町有志の取り組みです。 口は災い云々とは申しますが、なるほど 自分の足首は(左折8t車に巻き込まれ)靭帯の張力により骨が剥がれ、拝 二礼二拍手一礼」
なぞ云々Googleローカルガイドの投稿につき推敲を重ねる程に、当人はいたく反省しているようだった。尤も、電脳空間に放たれたロボットと同じくしてリアル世界を徘徊するガイドらの献身的な取り組みは、個々のレビュー評点云々というよりも、むしろ時系列的な遷移を明らかにした上で、不可逆の信用情報を積み上げ随時更新されてゆくビッグデータとして様々な可用性に資すると思われ、このプログラムはグーグルの情報収集活動の一環には違いないのだ。多くのロケーションに紐付いた写真の数々がデータの精度を補完し、ガイドらの承認欲求と顕示欲を満たしている。
所轄の事故対応は、鑑識による科学的な実況見分と客観事実に基づく公平な事情説明、これにより当初生じていた当事者同士の供述の矛盾が収束したと思われ、それにしても確信に満ちた記憶の内容が、客観事実と著しく乖離している点には驚くばかりだ。否、記憶というよりもむしろ違う”何か”を脳内で合成している感じで、もしかしたら加齢等の要因により脳の働きに瑕疵が生じている可能性もあり得た。交通事故の当事者は、茫然自失に陥ったり、あるいは一時的に分裂気質の妄言を吐いたりする様だ。とはいえ供述の内容に一切の矛盾が無いのも逆に不自然な話で、その場合、∴故意性向や予定係数介在の可能性を認ム、偶然は制御できないはずでからである。
結局、かかる左折巻き込み事案は8トントラック対単車という図式もあって、相手側の90対当方0という奇特な過失割合で一応の決着をみたのだった。とはいえ交通事故に際しては当事者の供述が信頼性に欠く傾向は明らかであるからして、目撃者の証言が重要だろう。
この度、身をもって理解した事と言えば、二輪事故の受傷リスクは明らかに速度に比例する、という当たり前の事実である。この単純な事柄を骨折してから思い知るのだ。多くの人は想像力を欠いているけれども、死んでから反省はできないのだし、病院も保険も不愉快な事ばかりで良い事はない。今回は時速三十キロ程度で当たっているので死んだりしなかったが、バイクは割りと簡単に死ぬ感じだから、やはり胸部プロテクターはしておいた方が良いし、脚も腕も何等かの装備で保護しておいた方が良いだろう。手足の欠損は更に容易に逝っちゃう感じだから、速度も抑制した方が良い。被視認性に著しく劣るバイクであるから、あらゆる乗り物の死角を意識した運転は大事である。夜はもっと危ない。雨の日のリスクも乗数効果が及ぶに違いなく、二輪は雨や夜が鬼門だ。
直進妨害に対する二輪の脆弱性については、ヤマハのトリシティ※等が最適解を模索中であるが、いまのところ速度の抑制と危険予測以外に身を守る術は無い。いまになってやっと教習所の教官が言っていた事柄を理解したという事だ。何かと嫌われガチな警察の(二輪安全運転)啓蒙活動についても矛盾や間違いは見当たらないけれども、尤も経験者だけが痛感する事柄かもしれない。
さて、搬送先の病院の対応である。当方は所轄署の求めに応じ、当該救急搬送先の交通事故当日のカルテ開示(所謂、診断書)の請求を行った。これについて「後日の診断を要する」だの「後日の診察を経なければならない」だの、噴飯ものの不合理な物言いを「病院の方針」なぞ言い張る事務方には開いた口が塞がらないのだ。そもそも医療事務の恣意的な物言いは医師の専権事項の侵害に当たり、最初から不可逆の遷移として 改ざん不可能な診療録がシンクライアントに上がっている訳で、一体何を騒いでいるのやら。 仕方なく後日に伺うしかなかったのだが、骨折して松葉杖をつく受傷者の順番を最後尾に後回しして2時間半待ちを強要するのは一種のハラスメントであり、身体の保持も辛いし、人権侵害ではないだろうか。理解に苦しむのである。
本来的に我が国の医療保険制度は、先の戦後の混乱期において市中に蔓延した致命的感染症への対策を主として設計された仕組みだと考えられ、ならば 供給不安定かつ希少な医療資源を全国公平に分配するため税金を投入する大義があって、経済合理性を伴ったという事である。焼け野原を再興してゆく人口統計と経済成長を前提にしたモデリングは国民の支持を受け、然るにこの成功体験こそが当局の拠り所であって、医療資源の供給サイドを(抑制的に)統制して、これを采配し、いつまでも自らの存在意義を発揮していたい、と。これが厚労省の立ち位置だろう。
時が流れ、いまやこの仕組みのコストの大部分を高齢者の医療費が占め、高齢者の慢性疾患や延命(治療?)に膨大な保険料がペイされている現状が問題として俎上に上がる昨今である。つまり「保険」としては最早、老人加療に対する数理計算が破たんしているのが現状ではあるまいか。 診療報酬を全国一律に国が定め、結果として儲かる診療と儲からない診療との顕著な差異が現れている。 画一的な公定報酬により、不動産取得や固定資産税といったマージン(固定費)が高い病院の経営環境が不利になり、さらに総量の抑制のため政府は診療報酬を引き下げ、固定費の高い病院にとっては痛手だ。この結果、特定の診療報酬にアプローチしてゆくのは市場の原理だから、第一義的に病院の責任という訳ではない。 ∴「老人地引網」の様な不毛な状況が生じているのが現状であって、我々は、益々スパイラルに陥る負の戦略ゲームを目の当たりにしている。
そして、縦割り行政とエスタブリッシュメントの縄張り意識が、自賠責保険周りの別の権力に遠慮して、如何にも日本人的に付託し、何かと白眼視されがちな交通事故の受傷案件に対する丁寧な対応を忌避する原因となっている。要は医師会として詐傷の疑いと、別の利権に対する配慮であろう。そんな気がしてならないが、果たして邪推の類だろうか。
否、一年前にも身に覚えがあるからして、あながち外した見立てでもないはずだ。あれは酷い事故だった。自分側の保険会社は安請け合いの外資”何たらダイレクト”で、 相手側100%過失、当方無過失の事故であったのだが、訳あり、やむを得ずの人身傷害保険の請求に外資の連中は応じなかった。当方過失による保険請求歴は無いから、まさかモラル事案のフラグは立たないだろう。 大宮バイパス下り線信号待ちの停車中、市の発注した公共事業のバキュームカーがノーブレーキで突っ込んできたという完全なる被害事故である。
相手側の保険会社は八百屋の共済だった。件の当方セルシオは大破したが、彼の頑強な車体だったから無事だったといっても過言ではない。意識を失い、救急搬送されても尚、搬送先の病院ではなぜか詐傷扱いを受け、何等かのフラグが立ち、それを付託する同調圧力が働いている様子は明らかだった。その割に骨接ぎ屋さんの界隈は野放図で、対価の総量は規制されている節が散見されたので治外法権とまでは言えないが、明らかに予定調和の様相を呈していたのだった。そして八百屋の共済はお見舞いの言葉一つなく、問答無用で弁護士を立ててきた如何わしさである。 金融庁の網の外から民業に競合し、アンフェアではないか。農家の役に立つための組織が、本来の組織としての目的を見失っている様にしかみえない。手段が目的化し、組織のための組織、自己目的化した組織の最たる事例として、後世の評価を期すべき頃合いである。
結局、八百屋の共済に反省の色はなかったが、安請け合いの外資”何たらダイレクト”には一応の反省の態度が伺えた点がせめてもの救いであった。この差は、金融庁の網の中にいるか、外にいるかの差だと思われるのだが、果たして如何だったかな。
次に、被害者感情の火柱に油を注いだのが、相談員の名目で予算措置された人員が配置されている消費者庁の国民生活センターだった。中の人の採用基準は不明だが、機知に富んだ相談なんて如何にも無理筋である。メモ書き程度の単なる情報収集(電話番)ならば、そろそろAIにでも代替するべき頃合いではないだろうか。その方が精神衛生上もよろしくて。
斯様、消費者庁から地方自治体に予算の専権(利権)をばらまく様な消費者行政は失敗だったのではなかろうか。ご多分に漏れず自己目的化の傾向がみてとれ、 かつての社保庁の過ちを繰り返している様である。おそらく病巣の元は同根だろう。
管轄官庁の許認可権限とある意味バーターの関係性により弾力的かつ機動的な消費者保護を企図した方が合理的であるのだから、いまからでもやり直すべきである。当事者性を欠いた口入屋の類では意味が無さすぎる。消費者庁は解体し、浮いた予算を有意義に役立てていただけたら、れば。不可逆な後の祭りの機会損失は甚だしい。
閑話休題。確かに、昭和の時代はアウトローの資金源となっていた自賠責保険の仕組みは、是々非々に議論の余地がある事は間違いない。他覚的所見のない頸椎捻挫の類であれば尚更の事だろう。受傷者と、保険屋さんと、整骨屋さんと、弁護屋さんの利権が渦巻くこれまた戦略ゲームの類だ。
一方、厚労省は医療費抑制のため薬価に依拠するレセプトの運用の見直しを進めている。その一環としてジェネリック医薬品の処方の推奨がある。ところが、ジェネリック薬品の中にはコスト安の所謂「安かろう悪かろう」粗悪品が含まれており、当方の経験として例えば、二歳児三歳児に処方される抗生剤の中には、明らかに症状の改善に差異が認められる代物がある。 そして、ジェネリック薬品の効果の低さに起因するものと仮定すると結果として症状が長引く訳であるから、 ∴通院や投薬の期間が長引き、支出される医療費の総額抑制には結び付かない事例が少なくないのではと心配になる訳だ。ましてや薬を出さない、咳や鼻水、初期の発熱の段階で薬の処方を抑制して後に重篤な小児が救急搬送されるケースが増えたら如何だろうか。
翻って、次の心配は愛機の修理である。何せ乗り出し間もなく事故ったのである。神の啓示かよ。怪我が足一本の骨折で済んだ事、況や是幸いに思わずして如何なる人生を哉。鬼嫁はバイクを降りろと騒いでいるが、それでも断ち切れないCK44Aスカイウェイブ400(YHG色)※の威容への潤んだ眼差しは一種の病気である。人はそれを「中二病」と断じるかもしれないが、その実の病原菌は「鈴菌」という訳だった。
任意保険のレッカーサービスを利用して、アドレスV125(K5)※のメーター球交換で立ち寄った事のあるお店に、事故車両を持ち込む事にした。メカドックが可視化されていて、 なるほどなるほど「これが噂に聞く鈴菌のビジネスモデルか」と自覚しながら症状を悪化させた。鈴菌は偏執的精神疾患の一種で、四十路の感性としてやたら琴線に触れるのだった。そして「新宿と人事交流があるという事はメーカー直営系ですか」とか余計な事を言い、ドヤ顔で裏の事情を読みたがる。
店頭ディスプレイのSKYWAVE650※は風格があって格好良いけれども、CK44Aスカイウェイブ400(YHG色)※の出来が良すぎて並んでも引けをとらない気がしていた。そんな風にひとり悦に入りながら、次のドライブを夢見ているのだった。いよいよ夏頃にはスポーツに振ったバーグマン400※がリリースされようが、CK44A~の秀逸なデザインと利便性は勝るとも劣らない気がしている。スカイウェイブ※のリアのリンクサス※はスイングユニットのスクーターとしては世界屈指の出来の良さだと思われ、最早乗り物として完成の域に達している。なぞ”うん蓄”をぶちながら、また怪我が癒えたらバイクに乗る算段を続けているのだつた。
先般は、 とあるご婦人が引っ越しを機に、ながらく乗っていた原付スクーターを返しに来た場面に遭遇して、それはもう柄にもなく感動し、よく聞き耳を立てていた。新車以来、二十年以上の付き合いだったとか。スズキのスクーターは独特なので、やはり正規ディーラーに任せるべきである、と。これぞ鈴菌の面目躍如といった具合だろう。
世界を席巻する栄光の日本メーカー、 されどシュリンクしてゆく日本の二輪市場、 この落差と斜陽の有り様におもいを致す今日この頃である。なるほど、二輪に限らず国内市場においては、主にリスクヘッジの観点から(単価 × 数量)をなるべく均衡させようとするのが(中流の)セオリーだった。しかし、今後は両極に偏差傾向が進行してゆく気がしている。ニッチ、ロングテール、 すなわち煽動型の大量消費経済は無理筋、この高度情報化社会においては情報格差が縮小し、需要はより必需(と投資)に収斂してゆくはずである。 前者が実態経済としての内需(実需)、後者は(回収先ともに)インバウンド、 ∴情報弱者が減れば減る程、資本主義下の経済の規模(GDP)は縮小してゆくのかもしれない。
例えば、低所得者ほど旺盛な消費欲求を発露したり、あるいは成金の承認欲求の琴線に触れる様なプロダクトの単価が高かったり、そんなセオリーの数々が通用しなくなる世の中であれば尚更、 市場はいよいよ難しい。
スモールビークルとしてのバイクの可能性がいわれて久しいけれども、国内ではいまいち盛り上がらない。我が国では自動車搭乗人員の平均は2未満で、プロダクトの小口化が進行するのは自明の理、のはずであるけれども。
欧州合理的アシンメトリーな片目の異端と、俺と、鈴菌変態仮面。
スカイウェイブ400(CK44)※の初期型は、LOWビームが片目である。この欧州合理的アシンメトリーな振る舞いが、琴線によく触れたのだった。ニッポン人よ、世界戦略車は片目の異端なのだと(ドヤァ)。そんな優越感が、鈴菌変態仮面の正体性に他ならない。どやぁ!けれども売れず、すぐにマイナーチェンジで両目になりました、とさ。
閑話休題。問題は、加害者の対物損害賠償保険の免責金十五万円だ。相手の保険屋は上積みの金員しか示談しない。残りは加害者が直接支払うのだ、と。ならば、実際の負担は会社か運転手か。修理工場への金の流れはどうなるのか。バイクの引き取りは、どのタイミングで行うか。200kg近い巨体スカイウェイブ400を乗って帰るには、つま先立ちの具合が回復してからでないと危ない。立ちごけ二次被害の事故だけは避けたい。
何やら不穏な空気が流れていた様だった。たった二回とはいえ事故の相手がいつも悪い。やはり口は災いの門、口は禍の元とはよくいったものだという風に、言霊は痛く反射するものだ。天に唾吐けば顔に落ちてくる。言い散らかして腐臭を放つ糞人間には蠅がたかる。やはり普段から程よく長い物には巻かれておいた方が無難なのである。仕方がないので、弁護士費用特約を用いて弁護士を立てる事にした。何か知らんが、契約書には弁護士五人の連名が為され、強力な弁護団の様相を呈していた。
一般論として、例えば交通事故に関するフリート契約保険の物損免責金額(15万円)が割り当てられている様な好ましからざる加害者に対して、その保険免責金額の請求は本来的に当該債権者(修理工場)が行うべき事柄であるからして、車の受け渡しを当該債務者(加害者)の債務の弁済と引き換え条件にされた当該車両の所有者(被害者、つまり自分)が、当該債務者(加害者)に対して修理代金を払えだの何だのと横槍で強弁した場合、その態様は厳密にいえば非弁活動(弁護士法違反)に該当する可能性があるか。否、普通に考えれば杞憂の類いではあるけれども、 当該債務(保険免責金額15万円)が当該(加害者)個人に帰属する場合も厄介だ。
定型示談書(免責証書)の不備により、例のイレギュラーな態様を正しく反映しない法的書類への記名押印には応じたくない。 更に、保険屋が納車代金の支払いに応じない場合など実に厄介である。
あるいは、当該車両の所有者(被害者、つまり自分)が修理工場に対して修理済み車両の引き渡しを強弁した場合も何らかの問題(リスク)として知覚され得る。何かとややこしい世の中であるが、しかし弁護士に依頼すればワンストップで解決可能な案件ではある。 示談成立後の決済が遅延した場合、やはり弁護士にしかできない事が多い。
教育節度の退廃、悪平等、地方の退廃、グローバル化、シームレス、情報革命、技術の発展、イノベーションのジレンマ、 社畜の群れが余剰し、伝統企業の衰退、偏差値のミスマッチ、可処分所得の偏在、 世代間格差と需給のミスマッチ ⇒ 世代間融通 ⇒ (本来的)ニーズのミスマッチ、需給ギャップ、人手不足、
道路交通は出鱈目、誤魔化し、
とまぁ「自律的行動規範を欠いた社会の劣化がいよいよ深刻度を増す」との言質に矛盾が無ければ当然にして悪党が膨張し、いよいよ弁護士の出番だという事になる。しかし社会の実際は如何だろう、 人の営む社会の白け、投票率の低下(組織票含め三割程度)、政治の劣化、落下傘、議員秘書崩れ、山師、雑魚の敷居が低くなり、組織の論理で社会の矜持(節度)が切り売りされてゆき、有権者は益々白け、
以下無限ループ ➠
そして、今日も剥離した骨の回復と足首のリハビリに勤しむ。通院はタクシーで良いのだが、キャビーナ90※で通っている。松葉杖をギターケースに入れ、ゴム紐を用いてリアの支柱に括りつけている。全高は二メートルを越えたら法令違反だが、一メートル八十センチメートル程で収まっている。前後のはみ出しは其々三十センチまで合法だが、松葉杖は垂直に載せているから大丈夫だ。2ストローク単気筒エンジンのやたら煩い振動がゴム紐の張力に勝ると偶に、松葉杖が横方向に倒れ、猟銃を垂直に構えた異常者の様相を呈する。それはまるで後続車両に対する威嚇であって、仕事帰りの職人方々の琴線に触れて煽られるのだ。ときに行先が青色申告の職人と同じホームセンターだったりするから厄介である。
いつも鈴菌感染症のそしりを気にしていながら、代わりに屋根付きの原付二種を駆る。その感染強度には耐性に対する著しい侵略度合いを認ム。その心に秘めたる鈴菌変態仮面へのこだわりがあって過剰に忠実である。家に帰れば、傍らでは嫁さんが鬼の形相で掃除機を滑らせながら、この足の固定具と松葉杖を邪魔にしている。
明日、床屋にキャビーナ90※で行こう。ブレーキの引きしろが甘くなっているから、修理に出そう。プラグもそろそろ交換時期だ。そう、無理筋なすり抜けさえしなければ大丈夫だ。もう事故はやらないよ。とまぁ、なぜかバイクを降りる気にはならないものだ。
いよいよ懲りない小生は、三歳児の息子君の好意につけ込んで「ママ!パパにバイク乗らせてあげて!」などと口走らせる算段を企図している。
ましてや息子君とのタンデムを夢見ているのだが、これは如何にも自重するべき事柄ではあるまいか。
タンデムの事故は絶対に駄目だ。事故処理が厄介だ。否々、心配すべきはそうじゃないだろう!いい加減にしたまえ、と。果たして理性と良心の呵責は欲望を自重できるだろうか。
万が一、この企みが鬼嫁にばれたときは如何だろう。嫁に詰められ、血涙を流す羽目に陥るかもしれない。拝
三歳児の長男君を連れて、群馬サファリパーク近くの駅前でミニバンのレンタカーを手配した。大型連休は事故や渋滞も多く、現地にて車両を調達するやり方も合理的な選択肢になるという訳である。
一般的に自家用車の稼働率が低く、搭乗人員の平均も< 2未満の社会において、自家用車(多重課税)の所有にかかるコストを尽く引き受けるインセンティブ(承認欲求、自己顕示欲)はニッチな嗜みとなって、ジャストオンタイム”Just on Time”の自動運転車のシェアリング・エコノミーが当たり前の時代がやって来ると思っている。すると如何だろう、多くの月極め駐車場用地は単なる更地と化して余剰するのではないか。租税公課は取りっぱぐれ、GDPと税収の下げ幅は二重の鎖となって宿主を締め上げ、我が国体はシュリンクし、土地本位性金融に依存した市中の銀行は用済みと相成るのでは、と。
俺の名はM、怪我が足一本の骨折で済んだ事、況や是幸いに思わずして如何なる人生を哉。鬼嫁はバイクを降りろと騒いでいる。
未だにして偶に、俺の中の破滅願望が蠢く時がある。この蟲は誠に厄介だ。けれども、かかる破滅願望の思想のシンボルとしての書き方のインタラクティブな案配は、彼方の魂が震えるが如く、むしろふさわしいとさえ思えるのである。草々
Mの旋律、それは冒険者らに捧ぐ叙事詩、永遠のメロディー(了)
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