本年度の春、ディッキー・ベッツが他界した。丁度、無聊を託つしていた私のトコロに千葉から親友が訪れて呉れ、その彼が帰宅した翌日だった故、ディッキーの他界日をも忘れる事は無いだろう。
初期のオールマンブラザーズバンドでの彼の名曲、邦名『エリザベスリードの追憶』はディッキー・ベッツが金銭が無いので墓場で一人、安いワインを呑んでいたら急に曲が降りて来たらしい。エリザベスリードとは、その時に居た墓に刻まれていた名前で家族、恋人でも何でも無い。まあロックではこうしたサプライズ、逸話は良く有る事だ。
然し私も故・ディッキーに負けない墓場好きである。特に深夜。水木しげる先生も驚愕するくらいに。当然、AC/DCのナイトプローラー的な犯罪行為は皆無である。
ここ半年程、早寝早起きをしていたが最近、深夜に目が醒める為、墓場を歩こうか、直ぐそこにあるし……となった。
自身もよく同じ行為を行っていたらしい、横溝正史が述べていたが墓場の良さは静謐、非現実的だろう。私はディッキーや横溝正史では無いから何も降りてこないが墓場で思考するのは愉しいと言わざるを得ない。空虚な空間に更に空虚な自身の身体を運んで来ている訳であって。後、暇になれば私は幽霊を一切、無いと考えている為、深夜の墓場は恰好の舞台である。「来なよ、来なよ」と酔って挑発した事も有るが一度も遭遇した事が無い。結句、水木先生の作品の全テーマ「霊は居ないが妖怪は居る」に賛同するしか無い。自身、妖怪はまだ見ていないが今まで女性達によく「貧乏神」と述べられていた故、私自身が彼女達からの視点で、一瞬は人を魅力する妖怪だったのかも識れぬ。
だが然し、深夜の墓場散策の注意点は長くスティすると自ら、このまま消え去りたいと云う雰囲気に流されそうになるのは如実にある。敢行するならば気を付けた方がよいと思う。空気感と霊とはまた違う。
そうした時、山谷感人の唯一の能力が発する。猫には好かれる、である。いつの間にか数匹の猫が集まって来て鳴いている。私は山谷感人として容易く、その野良猫達を均等に抱き、下らないが未だ存在している全身を沈める為に陋屋に戻る。そう云えばディッキー、横溝正史は犬の方だったけか? どちらも動物好きである。
結句、この駄文で何が言いたいのか? 私自身も判らずにスマホから羅列しているが、猫には本当に好かれているなる、シンプルな事実を山谷感人して最早、軽く酔っている為、承認欲求でも何でも良いから語りたかったのであろう。纏めはしないといけないから「昼夜を問わず墓場散策を趣味にするなら、猫や犬などに好かれないといけない」
追記・『ジェシカ』と云うディッキーのオールマンブラザーズバンド時代の曲がある。往時、一緒に住んでいた愛猫が大音量で狂喜していたが、流石に深夜の墓場で野良猫達の為に流したら捕まってしまうので自粛している。
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