大規模な手術のあったことを、私は憶えていない。目覚めるとそこは病室で、傍らには父とミユキがいた。私は二人の親しげに話す様子を不思議な思いで眺め、おそらくは夢だと判断した。私が目覚めたことに気付いた二人は口々に話しかけてきて、そのうちミユキが泣き出した。私は自分の右足がまだついているかどうか、尋ねた。父は「ついている」と答えた。その目はかすかに潤んでいた。堅い岩のような父が、涙ぐんでいる。母が死んだ時さえ涙を流したかどうか定かではない父の目が、潤んでいる。しかも、その光景は私の瞳を覆った涙のせいで靄がかり、見えにくくなった。私はますます夢だという確信を深め、もう一度眠りについた。
再び目を覚ました時、もう父はいなかった。仕事で帰ったらしい。残ったミユキが怪我の説明をしてくれた。タイヤと車体の間に挟まれた右足の損傷がとくにひどかった。アキレス腱は一度ちぎれ、手術で繋いだ。下腿部の主要な二本の骨も折れ、ボルトで固定してある。もう少しで足ごとちぎれていてもおかしくなかった。
ミユキはそこまで説明すると、「ほんとうによかった」と泣き出した。まだ麻酔の効いていた私は、その深刻さを大げさだと受け止めたが、この時点で私の右足に対する正しい認識を持っていたのは、私ではなく、ミユキだった。
その後、リハビリに三ヶ月を要し、退院しても上手く歩けるようにはならなかった。痛みは確固たる実在として、トイレの最中も、食事の最中も、常に私と共にあった。寝ている時でさえ、その痛みに脅かされた。追いかけられてもなかなか逃げられない夢ばかり見るようになった。低気圧が訪れると、鈍い疼痛に悩まされた。私はもうスポーツをやらなかったけれど、昔のように全力で走ることはできないという事実は、やはり一つの喪失だった。とはいえ、一つ一つだったら耐えられないこともない。それをまとめて引きうけなくてはならないというのが、さすがに憂鬱だった。
そんなことがあったために、この頃の私には、「働く」という考えがまったくなかった。Mを巡る思考さえ、停滞していた。ただ、目の前にある苦痛の集団を相手に、忙殺されていた。例えば、買物に行く時、なるべく階段を避けるルートを選ぶこと――そういったことが私の生活のすべてだった。
もちろん、それだけでは人の生活は成り立たない。私がなんとか生きていたのは、偶然としか思えない恩恵のおかげだった。
まず、何度かの裁判を経た結果、決して少なくない慰謝料が入った。あのワンボックスカーを運転していた青年は、シンカーのキレを惜しまれつつ引退した有名な野球選手の息子だったために、口止め料のつもりか、正規の賠償金以外にも数百万の金をくれた。一度、ゴシップ誌の取材電話がかかってきた。一応、丁重に断っておいた。
次に、母方の大叔母さんが亡くなった。その人は子供がおらず、近しい親戚で残っているのは私ぐらいだったから、東京のN市にあるアパートが遺産として私の物となった。大叔母さんはマメな人で、相続税やらなんやらの面倒なことは、一切手がかからないようにしてくれていた。六部屋の古く小さなアパートだったけれど、店子の入りがよく、地元の不動産屋に管理を委託しておくだけで、ぼおっとしていても月十七万ほどの収入を手にすることができるようになった。
そして、一番大きかったのは、ミユキの変化だった。彼女は私が盲腸で入院した時よりもずっと丁寧に面倒を見てくれ、退院してからもうるさいことを一切言わなくなった。彼女の行動の隅々に活力が行き渡っていて、卵を割るのにも、ゴミ袋の口をしばるのにも、風呂掃除のためにズボンの裾をまくるのにも、私が置きっぱなしにしたテレビのリモコンをしまうのにも、オリンピックに出場するアマチュアスポーツ選手ぐらいの覇気があった。相変わらず困ったように眉をひそめていたけれど、それもエネルギーを持て余して困っているみたいに見えた。
頼りない私に代わってなんとかしなくてはならないという決意が芽生えたのだろう。ただ、どうして頼りない私の元を去らずに、留まることを選んだのかはわからなかった。もうぼんやりとしかミユキのことを捉えられなくなっていた。
そんな風だったから、突然「総合職試験に受かったよ」と言われた時も、よくわからなかった。私が入院中に試験を受けたらしい。彼女にそんな志があったことすら、初耳だった。
「いつから勉強してたのさ?」と、私は尋ねた。
「一年目の時からだよ。言ったじゃん」
「そうだっけ?」
「そうだよ。大体、『自分のキャリアを真剣に考える女になってほしい』って言ったの、そっちじゃん」
「いつ?」
「まだ学生の時だよ。就活中」
たしかに、その頃の私には学生特有の曖昧な上昇志向があったけれど、それをしゃあしゃあとミユキに言ってのけるはずはなかった。とはいえ、ミユキがそうだと言うのだから、そうなのだろう。
彼女はその後、自分のキャリアプランについて話した。聞く分にはかなりいい待遇だ。仕事は忙しくなるが、それに見合っただけの収入とやりがいが得られる。
私は「カタツムリの瞬間移動」を思い浮かべた。カタツムリはほとんど動いていないように見えるけれど、ちょっと目を離すと、いつの間にか別の場所に移動している。それはカタツムリがあんまりのろのろしているから、いつまでも見続けていられないせいなのだけれど、そののろさがなおさらカタツムリの移動を神秘的なものとして印象づける。ミユキの生き方には、どこかそういう飛躍的なところがあった。そのことを彼女に告げようとしたが、「カタツムリ」は誉め言葉ではないのでやめた。
ともかく、そんなことがあって、事故後の私の生活は向上していた。金銭面だけなら、余裕さえ生まれていた。必ずしもいいものではない余裕も。
時間の空白には、必ず無為が忍び込む。私は生暖かい澱みにつかりながら、乾いた草食獣が泥水をすするように怠惰を貪った。それを悔やむ気持ちなどまったくなかった。ミユキの圧倒的な生活力に包まれた私は、彼女がアイロンがけをしている姿を見て、この世にはアイロンという電化製品があったのだと改めて気付かされるほど、色々なことを忘れていた。
それでも、生きるのには仕事が必要だった。子供が砂浜で奇怪な城を作るように、私は個人的な仕事を組み立てた。
仕事とはいえ、実際に動くわけじゃない。怠惰の中に想起するいくつかの断片的な記憶を整理し確認するという、ごく簡単なものだった。傍から見ればぼおっとしているようにしか見えなかっただろう。
それは読んだことのある本の題名を思い出すのにも似ていた。その仕事にある程度熟達すると、なるべく支配的な記憶――母の死や、交通事故や、ミユキとの出会い――を排除し、自分でも忘れてしまっている記憶を掘り起こすことに努めた。それは古書店主的努力を要した。埋もれてしまっていた記憶は、ちょうどしまい場所を忘れた本がそうであるように、つまらないものに決まっているのだから。
得るものは少ないとわかっていながら記憶を掘り返し続けたのは、そこに逆説を探していたからだろう。真理はいつも、逆説によって得られる。つまらない想い出だからこそ、かえって、その中に煌くような、自分でも驚くほどの宝石のような記憶があるはずだ。もっとも、欲深い怠け者の我田引水と言ってしまえば、それまでかもしれないが。
とはいえ、それもあながち間違ったことじゃなかったらしい。埋もれていた記憶の中にも、発見して驚くようなものはあった。どうして忘れていたのか、という類のものだ。それが煌いているかはともかく、驚きという感情の動きが、その記憶は大事なものなのだと私に思わせた。
とりわけ、私が大事にしたのは、ある友人に関する記憶だった。
彼は元史という名で、高校の同窓生だった。私とは苗字が同じで、背格好や顔も似ていた。特に、頑固な直毛はそっくりだった。私は自分の直毛に悩み、いつも短くしていたが、元史もそうだった。兄弟だと間違えられることも多く、一度冗談で二卵性双生児だと言ったところ、同級生のかなり多くが信じた。
高校時代の友人は、元史にもう一人を加えた二人しかいない。他は友人というより、共通の過去を持つ知人に過ぎなかった。部活や、クラスや、趣味――そういった友人になりうる環境要因がほとんどないにもかかわらず、「ぼく」達は友人だった。タンポポが思いもよらない場所に根付くようにして生まれた友情は、反語的に祝福された。
元史に関する記憶をねぶっているうちに、旧友を懐かしむ気持ちが生まれていた。三人がそれぞれの大学へ進んだために途絶えてしまった古い友情。それをもう一度暖め直すことを空想するようになった。そして、大方の空想がそうであるように、私は空想の現実化へと向けて着実に歩んでいき、気付けば、高校の卒業生名簿を手元に受話器を握っていた。
早速、元史の家に電話をかけたが、誰も出なかった。しょうがなしに、私はもう一人の友人、真魚の家へ電話をかけた。出たのは真魚の母親だった。真魚は東京湾にほど近いSにマンションを買い、一人暮しをしている。新しい連絡先を貰ったが、どっちみち昼間は仕事をしているというので、夜になってかけ直すことにした。
夜、電話に出た真魚は、あまり元気のない声だった。私は「なんだ、嬉しくなさそうだな」とふざけた調子で言いながら、残念な気がしていた。
「いや、そういうわけじゃない。ちょっとびっくりしてな。で、どうしたんだよ、急に」
「懐かしくなってね。最近、ちょっと時間も余ってたから」
「そりゃ羨ましい」
「まあね。それで、またあの三人で会おうかなんて思ってさ」
「三人?」
「あと元史だよ」
「何言ってんだ、おまえ? 大丈夫かよ」
真魚は本当に驚いているようだった。私は何が気に食わなかったのかわからず、ただ黙り込んだ。沈黙は尖った刃物になった。真魚は何度も修羅場をくぐった軍人さながら、それを取り払うと、「あいかわらずだな」と言った。私はわけもわからないまま謝った。彼は謝罪に対しては何も言わず、私の空いている日を尋ね、会う日を決めた。
その二日後、私達は真魚の仕事場近く、山手線のS駅で落ち合った。彼の風貌は昔の強気を思い起こさせたが、タバコを吸うようになったせいか、歯が黄ばんでいた。昔の彼の糸切り歯は吸血鬼のようにとがっている上に、氷のように真っ白で、とても綺麗だった。それがほんの数年分のヤニをつけただけで汚く見えてしまうのは、なんだか残念だった。
真魚が導く形で駅から離れ、小じんまりとした居酒屋に向かった。真魚は言い訳をするように「人ごみが苦手になったんだ」と呟いた。通いなれた所だったのだろう、奥まった狭い個室へと案内された。頭をかがめねば通れない、動物の巣穴のような所だった。
「そういえば、元史はどうしてるんだっけ?」と、私は尋ねた。
「まあ、待てよ。一杯空けてからにしようぜ」
彼はそう言うと、生ビールを頼んだ。それが来るまで、会話らしいものはほとんどなかった。端緒になりそうな言葉を呟いても、すぐに消えてしまう。私達はただ、視線を泳がせていた。二つの視線がぶつかるたび、羞恥の念に似たものが生まれた。お互いの距離に戸惑っていた。不慣れな恋人がそうするようなぎこちなさがあった。
私達は届いたばかりのビールにむさぼりついた。真魚は驚くべき早さで飲み干し、深い溜息をついた。
「思い出したくもないってことか」
私は「何が?」と問い返した。真魚は細い目を見開いてから、ふっと笑い、自分を落ち着かせたようだった。
「いや、そうじゃないみたいだな。本当に忘れてやがる。悪意なき記憶喪失。羨ましいもんだ」
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