美少女アニメ

かわいいがいい!

合評会2024年9月応募作品

曾根崎十三

小説

4,105文字

9月合評会お題「世界の終わりと白のワンピース」参加作品。最近かわいい女の子ばっかり書いていたので、かわいい男の子も書きたくなって書きました。かわいい男の子の話です。アイキャッチ写真出典:PhotoAC

白のワンピースを着た幼気な美少女。背には夏の青い空。こちらを見て微笑む。白い肌、華奢な体。

それが僕にとっての「かわいい女の子」のイメージだ。

二次元で毎度おなじみ、お決まりの、定番の風景。決して実写ではなく、アニメーションや漫画でこの風景が描かれる。どこか懐かしい風景。しかし、小学生時代の重いステンレスの水筒やランドセルのような親しみのある懐かしさではなく、理想化された風景だ。例えば、赤いランドセルの女の子が庭つきの一戸建てに帰ってきて、迎えに来た大型犬に顔をべろべろ舐められて「くすぐったいよ」と笑っているのを両親が優しい顔で見つめているような、そういう作れられた「温かい家庭」である。実際問題、そういう家庭で育った人もいるかもしれないが、経験したこともないそれを容易にイメージすることができる。同様に、この白いワンピースの少女の姿は作られた「懐かしい夏」だ。そして少女の姿はいつもいわゆる二次元、イラストである。つまりこれは美少女ゲームを知っているようなオタクたちだけの作られたノスタルジーかと思ったが、案外そうでもなく、さかのぼれば1960年代の小説や映画にもそういった描写は出てくるらしい。スマホでググッたら出てきた。モネの「日傘を差す女」もある意味似たようなものかもしれない。思っているよりも狭い世界の話ではないようだ。一時期オカルト界隈を風靡したディスマンのように繰り返し人々の頭の中に現れている。しかしディスマンのように不気味な存在ではなく、爽やかで神聖で甘酸っぱい。そうやって、こすってこすってこすりたおされた少女は僕らの頭の中に作られた「懐かしさ」として現れる。

僕はかわいいものが大好きだ。幼い頃から、暴力で困難を解決する強いヒーローよりも、輝く大きな瞳の美少女アニメのイラストに惹かれていた。家族で家電量販店に行った時は、僕はいつも美少女ゲームのコーナーでかわいい彼女たちを見つめていた。子供向けの食玩や魚肉ソーセージも男児向けより女児向けを欲しがっていた。かわいい女の子が好きだった。幼稚園児のうちは女の子たちと仲良くすることで、上手く社会に溶け込めていた。女の子たちはかわいいものが大好きな子が多かった。うまが合うので一緒にいて楽だった。しかし、そのうちに僕をからかう子が現れた。樋口亜沙美。忘れたことはない。彼女が僕を、おかしい、気持ち悪い、オカマだと声を大にして罵ることで、それに同調するクラスメイトたちも現れ、いつのまにかそちらの方が多数派になってしまった。人間は産まれながらにして差別意識は持っていない。産まれ落ちた時は何の先入観も価値観も持たない。生きて社会にさらされていくうちに規範を身に着け、常識を得て、自分の尺度に当てはまらない人間を排除しようとするようになる。元々は、美少女キャラクターや小動物を愛でていた僕らの中では、そのグループのの中に僕がいることが「常識」であったが、樋口亜沙美の介入に伴ってその常識は是正された。樋口亜沙美が僕らの価値観に勝ったのだ。僕よりも樋口亜沙美の方が社交的で、そして何より、かわいかったから。二次元に匹敵するとまではいかないが、大きな瞳、主張しすぎない薄い唇、すっと通った鼻、薄い体毛。樋口亜沙美以外にも整った顔つきの美少女はいたが、子供ながらに、眉毛が太く、口ひげがうっすら浮かび上がっているような美少女はいくら目鼻立ちが整っていて不完全さを感じた。樋口亜沙美は完全だった。声や仕草までかわいらしく、おならもうんこもしなさそうな完全完璧美少女だった。

この当時はまだ「白いワンピースの少女」の偶像を思い浮かべていなかった気がする。むしろ僕の中の美少女像は樋口亜沙美だった。白いワンピースの少女。樋口亜沙美が白いワンピースを着ていたことはあっただろうか。子供のくせに黒や茶色のやけに落ち着いた色が多かった気がする。きっと白いワンピースも似合っただろうが、白いワンピースを着た樋口亜沙美、というのは僕の頭の中にしかない。少女は美少女アニメ・美少女ゲームに触れていく中で僕の中に現れたのだろう。僕が生まれる前から思い浮かべられ続けてきた少女は文化の中にいた。僕の知らないところに少女はいた。僕の頭の中には人生の比較的最近に現れたのだ。本当に昔からいたのは樋口亜沙美だ。イラストの中のミューズは白いワンピースの少女で、現実世界のミューズは樋口亜沙美だった。

僕はかわいい女の子ではない。不細工でもないが整ってもいない。中の中。顔の自己評価なんてものはおおむね実際よりも高いと言うし、実際は中の下なのかもしれない。少なくともかわいくない。女の子でもない。華奢な体も、白い肌もない。がっちりとした体格で日焼けしやすい肌の僕は大して外にもいないのにいつも浅黒い。服だっていつもTシャツとズボンだ。髪の毛も短く切りそろえなけれいけない。女の子はいろんなものが着られる。男の子よりもはるかにバリエーションも豊富だ。髪型だって同じ。圧倒的に種類が多い。さらにアクセサリーで差をつけることができる。その良さもある。しかし、僕はシンプルな服装が一番良かった。ゆで卵に塩をかけて食べるような、サラダにオリーブオイルをかけて食べるような、そういう素材の持ち味を生かす姿がよかった。それが白いワンピースの姿だった。そのまますぎても駄目なのだ。幼いころに量販店で美少女ゲームのパッケージを見ていたら18禁コーナーに迷い込んでしまい、パッケージ裏を見た僕はショックを受けた。行為そのものにではなく、美少女が一糸まとわぬ姿になっていることに。なぜこんなにかわいいのに何も着ないのか。どうしてそんなもったいないことをするのか。それが僕にはショックだった。そしてそれは僕が成長してからも変わらなかった。かわいい女の子が好きなだけだった。しかし、樋口亜沙美に迫害されるので、僕は美少女イラストを嫌いなフリをしてしばらく生きた。隠れキリシタンのように家に帰って自室にこもってからこっそり見るようにした。息を潜めていた。これは怒られ、虐げられ、不快感を与える趣味なのだ。こんなに美少女は美しいのに。僕は美少女に申し訳なかったし、いつも苦々しい気持ちがあった。自分の「好き」を隠し、我慢し、興味のないふりをして過ごした。しかし、小学校高学年になったあたりから美少女アニメや美少女ゲームを好きな男の子が現れ始めた。ようやく時代が僕に追いついたと思った。やはり無理なく趣味の合う人に囲まれて過ごすのが一番楽だ。そうして、友達は必然的にアニメオタクの男の子になった。しかし、勧められた漫画やゲームのかわいらしいイラストに惹かれて見ると、肌色ばかりのイラストが出てくる。それは僕の求めているものではなかった。白いワンピースの少女がイカ臭くなるのは違うのだ。何度かオタクの友人にそれとなく思いを伝えてみたことがある。「おまえ処女厨かよ」と一蹴された。そうではない。性行為が存在しない少女を崇拝しているわけではない。僕は少女をそういう目で見ているわけではない。小学生や中学生の美少女イラストでシコっているロリコンの友人と似て非なる存在だった。

樋口亜沙美は僕にオタクの友達ができる前に転校してしまった。中学生になった樋口亜沙美はきっともっと美しい。樋口亜沙美と学校が離れて安心しつつも、残念だった。樋口亜沙美が美少女であることは間違いなかったから。学校中を探しても彼女ほどの美少女はいなかった。僕は決して彼女と親しかったわけではない。だから彼女の姿はほとんど僕の記憶の中にしかない。記憶の中の樋口亜沙美はどんどんあやふやになっていく。モネの日傘を差す女みたいに細部がはっきりしない点描のような姿になっていく。日に日に記憶から零れ落ちていく美しい姿を何とかつなぎとめようと、アルバムを探した。赤ちゃんの頃の写真。僕はまだ男か女かも分からない顔と姿をしていた。ここにはあるわけがない。どんどんページを進めて、次のアルバムに差し掛かった。幼稚園の写真。確かに樋口亜沙美はいたが、集合写真しか見つけられなかった。どんどん次のアルバムを開いていく。小学校の写真。これも集合写真ばかりだ。もっと全身が映ったものはないだろうか。ページをめくり、樋口亜沙美を探す。そして、彼女はそこにいた。小学二年生の夏祭りの写真だった。僕の後ろに樋口亜沙美が立っていた。偶然映り込んだようなその写真を見て、僕は頭を殴られたような衝撃を受けた。そこにいた樋口亜沙美は白いワンピースを着ていた。この夏祭りで僕は樋口亜沙美と関わった覚えはない。そもそも話しかけられると「キモイ」と拒絶されるので、こちらから近づくことはなかった。でも僕は視界の端にこの時の樋口亜沙美を認めていたのかもしれなかった。白いワンピースを着たイラストの少女と樋口亜沙美は一つになった。結局のところ僕の中の白いワンピースの少女は人々にあまねく存在する姿ではなく、樋口亜沙美そのものだったのだ。僕の白いワンピースの少女は世間一般のそれとは違うのだ。

僕は樋口亜沙美が羨ましかった。美しさですべてを圧倒するその存在が。

僕はかわいい女の子が羨ましかった。僕がかわいい女の子でないのが嫌だった。女の子ですらない。「かわいい女の子」とはかけ離れた存在だ。

白いワンピースを着た樋口亜沙美を見て、指でなぞる。いいなぁ。羨ましいなぁ。僕は目をつぶる。僕は樋口亜沙美になって白いワンピースに頭を通す。なかなか出口にたどり着かない。いつも着ているシャツの倍もあるのだ。この白い道の中に体を通す。光が見えてきた。そうだ。これは産道なのだ。このワンピースを通して僕は産まれ直すことができる。僕の世界が終わり、かわいい女の子に生まれ変わることができる。ワンピースから頭を出した僕は外の世界を見る。目を開ける。陽が落ちた窓ガラスには、骨ばって髭がうっすらと生え始めたかわいくない男の子が映っていた。虚しくて思わず漏れた声は低く、あの樋口亜沙美の透き通った高い声とはかけ離れていた。

 

2024年9月24日公開

© 2024 曾根崎十三

これはの応募作品です。
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"かわいいがいい!"へのコメント 12

  • 投稿者 | 2024-09-24 07:29

    樋口亜沙美のような少女は大きくなったらどうなっているんでしょう? どこかの会社でお局でもやって、後輩をいじめているのでしょうか。淡い思い出は胸の中にしまっておくほうがいいのかもしれません……

    • 投稿者 | 2024-09-24 12:12

      コメントありがとうございます。
      性格の悪い美女として図太く一生を全うしそうな気もしますが、どこかでとんでもない恨みを買って殺されたり、追い込まれて落ちぶれたりしそうな気もします。まぁ人生いろいろなのでどこかで愛を知るかもしれません。

      著者
  • 投稿者 | 2024-09-24 18:50

     彼の場合は最早、プロの流れで文章を操る人であるが今回はラストのオチが短絡的だった? とは思う。

    • 投稿者 | 2024-09-24 19:16

      コメントありがとうございます。見破られてしまいましたか……。お題を見てオチしか思いつかなかったので、オチから話を生やしていくつもりが唐突な流れになってしまいました。
      白いワンピースの少女への憧れ→あの白いワンピースを着れば自分も美少女になれるのでは?→本当に着るという流れが欲しかったのですが、そうすると尺も執筆時間も足りず断念して一気に風呂敷を畳みました。精進します。

      著者
  • 投稿者 | 2024-09-24 19:37

     いや、面白かったですよ。
     ただ本来の実力を出した? 的に。
     私の拙いエセーは全て実体験なので所謂、オチは、そのまんまを書きますが確かに、創作をすれば逆算しますよね。

    • 投稿者 | 2024-09-24 21:00

      いえいえ、そう言っていただけると、ありがたいです。ありがとうございます。
      本来の実力かと言われると先の理由で微妙なところです。やや悔いです。
      私の場合は、頭が先でオチが生えてくるパターンもありますし、真ん中が先で頭とオチが生えてくるパターンもあるんですが、今回は逆算の甘さでややアンバランスでした。

      著者
  • 投稿者 | 2024-09-25 02:14

    私事ですが、
    昨日すたみな太郎に行ってまいりました。
    作品についての感想を考えましたが、まとまらず。
    そういえばと思いついたのがすたみな太郎で、
    かわいい空間だと思いますし。
    にくがちっさいんです。
    何から何まで全部ありますし且つシンプル。
    そうゆう意味ではかわいいではなくてエロな話だったんじゃないかというのが結論。

    • 投稿者 | 2024-09-25 21:49

      コメントありがとうございます。
      すたみな太郎かわいいんですね!
      いいなぁ。すたみな太郎関西にほとんどないので行ったことないです。全てが揃っているのにシンプル……。良いですね。
      エロとかわいいは共存するんですけど、結局語り手の性の対象ってどっちなんですかね。そこまでいってないというか。かわいい以上エロ未満というか。

      著者
  • 投稿者 | 2024-09-26 12:56

    カッコいいに憧れる女の子は肯定的にみてもらえるけど、かわいいに憧れる男の子は白い目でみられる。ジェンダーフリーのご時世、人々がそれを口にしなくなっただけで、この偏見は厳然と存在し続けてますね。主人公の憧れの美少女が、まさにその偏見を代表している存在であるという設定が秀逸ですね。切ないです。

    • 投稿者 | 2024-09-28 01:09

      コメントありがとうございます。
      性的嗜好とは関係なく、単純にかわいいもの好きが高じて女装している人も、インターネット上では見かけるので、昔よりかは存在が認められてそうではありますが、やっぱり当事者のいたたまれなさとか仲間の少なさはあると思います。好きを貫くのに戦わなければいけないものが多すぎる。
      現実でもたまに見かけますが、やはりデリケートな扱いになるので、「かわいいものが好きな人同士、性別年齢関係なく肩を組んで過ごそう!」みたいな絵にかいたような平和ってなかなか実現しないんだろうなぁと思います。

      著者
  • 投稿者 | 2024-09-26 23:17

    おもしろかったし興味深かったです!そしてすみません死ぬほど長文で乱文です最初に謝ります。
    樋口亜沙美に対して、主人公の趣味に異を唱える子という印象が先行し二人の対立の話かと思ってしまったので、書く順番としてはまず「可愛い子」の言及があった方がいいのかなと思いました。1番可愛い女の子樋口亜沙美→彼女に受け入れられない僕→神格化される樋口亜沙美、というひたすら一方通行でしかない構図、もっと言えば彼女から直接の言葉はなくてもいいのかも。可愛い子に同類とみなされなかった経験で、僕は可愛い存在とは相容れないのだと実感するという。可愛い子というのは同じ土俵で向かい合うものでもないので。
    結末はジェンダーか、二次元からの脱却かなと想像をしていたんですが、大きくできそうなテーマがあくまで個人的な体験に終わるの良かったです。
    僕の中にあった美少女像が一般的なイメージではなく樋口亜沙美の個人的な記憶だった、ということが結末だと思うのですが、でもそこがこの話の結論なんだろうか?とは思いました。
    想像だと思っていた「白いワンピース」は実在してた→自分でも白いワンピースを着る→自分が可愛い存在とは本質的に違うのだという現実がはっきりして僕の「可愛い」の世界は終わる。ということじゃないかと私は思いました。(作中ではワンピースを着ることで僕の世界は終わり生まれ直す、とあるので完全に勝手な想像です。)
    つまり、想像上の可愛い・現実の可愛い・僕、という三つの構図が、樋口亜沙美が白いワンピースを着ていたことで崩れ、想像上の可愛いと現実の可愛いは同じものになり、僕だけがそこに入り込めない。みたいな…?
    となると白いワンピース姿の樋口亜沙美を見た後の僕の世界の変容をもっと見たい気がします。
    超勝手なことばかりすみません!おもしろかったがゆえです!可愛いについて熱くなる人なんだなくらいに思ってください…女の子アイドルオタクを長くやってたので…

    • 投稿者 | 2024-09-28 01:54

      コメントありがとうございます。
      えー! なんかこんな熱意あるコメントいただいてめっちゃ嬉しいです! ほんとありがとうございます!! えー!!
      そんな熱く書かれたら私も熱く書いちゃお!って、なっちゃいました。
      上回る長文乱文失礼します。

      「僕」は樋口亜沙美に苦手意識・畏怖の感情はあるものの嫌いじゃないので、順番的には別にこれで良いんじゃないかと思ってます。苦手・恐怖→畏怖→密かなる崇拝・憧れみたいな感じです。好きと嫌いが紙一重なのと同じような感じです。興味を持たないと強い感情を抱くことはできない。
      読み解きが深い! 「僕」はかわいいものが好きで、かわいいものを見つめていたい、愛でていたい、という気持ちしかないつもりで生きてきたけれど、本当は自分もかわいくなりたかったということに気付いた、というだけの話です。
      私は、深山さんが読み取ってくださった「世界の終わり」の解釈のつもりで書いたので伝わってて良かったです! ありがたし。
      ただ、深山さんのアドバイスの流れだと、結末に直結しすぎている気もするんですが、そもそも気付いてないだけで、結末の気持ちは元々持っていたわけなので、もうちょい伏線があっても良かったかもしれません。逆算が足りない!
      「僕」の世界の変容! 正直、意外とまだまだ書けそうだなーと思いました。「僕」は「自分は『かわいい』の世界にいない!」という衝撃からたぶん女装男子になると思います。人生って続くので、逃げるか向き合うかのどっちかになるんですけど、彼はかわいいが好きな気持ちを抑えることができないので、向き合うしかないと思います。「『かわいい』の世界にいないんだったら、いこう」ってなるわけです。そのうち樋口亜沙美に再会するかもしれません。樋口亜沙美は樋口亜沙美で外見が良すぎるので、何をしても外見しか褒められないことが多く「かわいい」という言葉に対してコンプレックスを持っており、「かわいい」が大好きな主人公に嫌悪感を持っていた、とかは勝手に考えてました。ここは完全に妄想ゾーンなので全く伝わらなくて良い部分です。
      でも全然別の解釈をする人がいても良いと思います。
      私はいつもすごくスケールの小さい話を書くんですけど、どんな社会問題もどんな事件も、突き詰めればすんごい小さい問題とか感情に結びついてると思います。どんな意味不明な奴でも理解できない奴でも、その人にはその人の人生があって、突き詰めればありきたりなちっちゃい感情に帰結するんじゃないかと思ってます。

      私もかわいい女の子好きです!! 好きな女性アイドルがいた時期もありましたし、今もとある女性歌手(かわいい!)にハマってます。街でもイケメンを見かけた時よりかわいい女の子を見かけた方が騒ぎますし、こんなこと言ったら怒られますが、親切が三割増しになってしまいます。「かわいい」が好きなので!

      著者
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