ビンスとのおもいで

合評会2022年01月応募作品

わく

小説

3,458文字

難しいお題でした。もっと上手く書けるようになりたいです。
改行、段落分けがスマホからアップするとうまくできませんでした。

別にクラスが同じになったこともなければ、部活が同じだったわけでもなく、塾が同じわけでもないのに、なぜか廊下ですれ違うと、バカな挨拶(無意味なチョップやキック、昨日テレビでやってた新しいギャグとか)をお互いにする友達とも言えないような友達が、高校を卒業するまでに、二、三人はいた気がする。ほかの奴は顔を思い出せるだけで、名前は思い出せないけれど、一人だけはフルネームをすらすらといえる。板東敏介。ビンスケって名前は珍しくて「ビンス、ビンス」って呼ばれてたけど、当時バスケをやってる奴らにとっては「ビンス」と言えばビンス・カーターのことで、こいつが本家ビンスと似たようなところはなにもなく、むしろ身長は平均よりも低くてやや猫背だから、どこか嘲りもこめてその名を呼ばれている気もしたが、バスケは下手でもなく、体育ではスリーポイントを決めることも多く、バスケ部の奴らと自信満々に胸を張ってハイタッチしてる様だけは、一流に見えた。おれとビンスも高校の廊下ですれ違うときは、一昔前のアメリカのラッパー並みに勢いある流れるようなハイタッチを華麗に繰り出してから、「ダセェー」と笑いあうだけで、まともな話なんかしたことがなかった。
高校を卒業して、仙台の税理士事務所の事務員になったおれは、奴のことなんて、一度も思い出さなかったし成人式でも会わなかったんだけれど、ある時、付き合いのある弁護士事務所に行って、そこでたまたま再会した。弁護士先生の隣に立っている事務員が奴で、おれたちは、その時はまだお互い名前を思い出せず「おうおう、おうおう!」と言うばかりだったけど、昔のよしみでハイタッチをするわけではないにしても、握手をするにしても、肘をのばした普通の握手ではなく、自然と腕相撲をするときのように肘を曲げた力強い握手になってしまって、先生たちの前でなんだか妙な雰囲気になった。仕事が終わってから、居酒屋でおれはビンスと初めて話した。多分、高校のときにまともに話をしていたら、こいつのことをとっくに嫌いになっていたろう。授業料免除の奨学金をもらって東京の私大に行ったのに、一年で辞めて弁護士事務所の職員として事務の手伝いをしているという。しかも事務所の一角に寝袋を隠しこんで、そこで寝て暮らしているというのだった。
「そんなことすんなら、うちに来いよ。ボロだけど広いから、一部屋は物置にしてるだけで余ってるから貸してやるよ」
おれがそう言っても、奴はせせら笑った。
「おれの寝てるとこに本がおかれるようになったら、そうするよ」
奴が何を言っているのか理解できなかった。三か月くらいたったころ、奴は寝袋をもっておれのアパートにやってきたので一応尋ねてみた。
「本で埋まって、寝れなくなったのか?」
「いや、寝るスペースは変わらずにあるけど。前から言ってたとおり、おれの頭の上に本が一冊置かれるようになったから。『遺産分割の実務』が」
意味不明だったけれど、奴と一緒に生活しはじめると、一事が万事こんな調子だった。おれが「早く出てけ」と言えば、

「ここの蛍光灯が切れたら出てくよ」

と、またせせら笑った。一度、おれがその話を忘れて、自分の部屋と一緒に奴の部屋の蛍光灯を変えたのに、奴はおれが捨てようとした蛍光灯に戻した。
「この薄暗さがちょうどいいから」
勝手にしろよ、って言ったかどうかおれは覚えていないけれど、もうそのころには奴の言うことにおれも慣れていた。なにより奴は料理がうまかったし、職場で寝泊まりしていたくせに、きれい好きで(だから職場の誰にもバレなかったのかもしれない)、おれの部屋までいつもきれいになったし、ネットで出会った十五歳上のセフレの話は面白かった。でもその女とも、

「この百枚入りだったコンドームも、あともう二十枚。これがなくなったら別れるよ」
と素っ気なく言い放った。やることはやるくせに何にもやる気のない変人ってのが、ずっとおれの見方だった。ドラマーとしてバンドに入ってもいたが、

「あのバンドが解散したら、おれもバンドをやめるよ」

と言って、好きなバンドが解散すると本当に奴もバンドをやめた。仕事だって、初めて会ったときからきちんと真面目にやっていたけれど、例のごとく

「この革靴の底が擦り切れたら、仕事はやめるよ」

と言っていた。司法試験の予備試験の勉強をはじめるとも言っていたが、本気かどうかも分からず、出張もせず一日十分くらいしか歩かない奴の革靴の底はなかなか減らなかった。奴になにか情熱らしいものがあったとすれば、同僚でもある先生の娘さんへの思いくらいだったろう。だからこそ、司法試験を受ける気にもなったんじゃないかとおれには思えた。とはいえ、それも

「あの子が結婚したら、もう好きにはならないよ」

と言うだけだった。
こういう奴の考え方が、おれにとってあまりにも当然のものになっていたので、どうしてそんなことを言うのか、理解しようとも思わなくなっていた。けれど、ある時、高校の同級生がおれたちの住むアパートにやってきて、ストレートにそのことを尋ねると、奴はなんともないように答えた。
「終わりを見定めんのはムズいだろ? その時々の気まぐれに任せるのもよくないし。たいていの人は、何かの終わりを期間でとらえようとして、客観的だと思い込んでんだ。スポーツ選手で四十になったら引退しようなんて思ってるのは少ないだろ。ある記録が破れなくなったらとか、ある動作ができなくなったとか、絶対に勝てない後輩が現れたらとか、きっと時間とは別の基準があるはずだろ?」
その話を聞いて、おれはようやく奴のことを本当に理解できた気がした。やる気がないように見えても、実際は自分の人生を自分でコントロールできるのだという強い主体性と意志があったのだ。奴は、その時々の自分のむらっ気に騙されることもなく、ある計画に沿って自分の人生を前に進める能力があるのだと信じているようだった。確かにおれの場合は、貯金をして映画の専門学校へ行こうと思っていたのに、いつのまにか先生を見習って税理士になる勉強をはじめたり、なのに税理士試験の五科目のうち二科目しか合格できないので、行政書士のほうが試験は簡単だと聞くと、そっちの予備校に通いはじめようか悩んだり、二十代後半になってもフラフラしてばかりだった。おれは奴を見習って、今使っている革靴三つが全部ダメになるまでは税理士の試験を受けて、革靴が三つともダメになったらきっぱりやめることにした。時間で区切るのではなく、別の基準で区切ることがやはりミソだった。仮に三年という期間で区切ったとしても、二年で嫌になってしまうかもしれないし、三年やってダメだったなら、それでは四年目には合格できるのではという淡い期待をどうしてもしてしまう。これが革靴基準だと、時間とは違って、その壊れる瞬間にはどこか天命のような意味が帯びてくるので、途中であきらめることもなければ、無駄に何年ももがき続けることもなくなる気が確かにした。別に税理士になれたわけでもないのに、そう決めた瞬間、おれの人生は順風満帆に変わったように思えた。どういうわけか、その時はそんな気がした。それが二〇一〇年の末のことだった。
それから、半年もたたずに震災がやってきた。海から遠い住宅地に住んでいたおれの人生がそれで大して変わったわけではなかった。なにか変わったとすれば、それから地元の建設業界に復興特需がやってきて、その恩恵を少しは受けたというだけの話で。だけど、奴の人生は多分変わった。荒浜に住んでいた親族のもとに、久々の挨拶がてら法律相談を聞きにいった弁護士先生とその娘さんが津波にのまれて亡くなった。革靴が擦り切れても、もう辞める職場はなかったし、彼女が結婚することもなくなり、『もう好きにはならない』タイミングは永遠にやってこないことになった。そして、これは亡くなった人たちに比べればあまりにもつまらないことに過ぎないけれど、地震でおれたちの住んでいたアパートが傾いて、取り壊されることになった。二人ともほとんどのものを捨てて、リュックに入れる以外に大した荷物はなかったけど、奴のほうはお気に入りの蛍光灯を、まるでハンドルのように両手に持って出て行った。あの蛍光灯が切れたとき、あいつはどこへ行くんだろうなと、おれは思った。蛍光灯を両手で握りながら歩く、妙な後ろ姿とともにおれはいつも、奴らしい最後のセリフを思い出す。
「地球から酸素がなくなったら、そん時は死のうと思うよ」

2022年1月24日公開

© 2022 わく

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"ビンスとのおもいで"へのコメント 15

  • 投稿者 | 2022-01-25 09:33

     わくさんの「ビンスとのおもいで」は、高校時代のちょっと風変わりな同級生と再会したことがきっかけでつき合いが始まり、アパートに居候をさせ、互いに人生の目標を見出すが、アパートの取り壊しによって別れのときがやってくるという展開が主人公の独白によって語られる。/途中で友人ビンスの独特の人生観が提示されるため、読者はそれがオチにどう関係するのか、どういうふうに伏線回収がなされるのかと期待する。その期待を上回る着地点を用意できないのであれば思わせぶりな設定をしない方がいいのではないか。/いわゆるバディものを書く場合、相棒二人の立場や性格がまるっきり違う設定にするのが物語を面白くするための基本的手法。相棒二人が似たような立場で、性格もさほどメリハリがないとなると、どう展開させれば面白くなるのかプロでも頭を抱えるはず。すぐれたバディものの映画や小説がたくさん存在するので、意識して鑑賞すればいろいろと勉強になると思う。
    (以下は他の投稿作品についての寸評です。参考になれば幸いです。)

     オニダルマオコゼさんの「蛍光灯を交換する女」は、女性探偵が知人である美術品泥棒から持ち込まれた高価な彫刻作品の消失事件について推理し真相を突き止める内容。/現代小説では一場面一視点が原則とされており、たとえ三人称スタイルであっても登場人物の誰かに視点を固定し、その人物が見たもの、聞いたもの、触れたもの、感じたことなどを描く形で進行させることがいわば約束事となっており、現代のほとんどのプロ作家はその手法を採用している。本作は旧式の作者の視点(あるいは神の視点)が使われているが、新人賞の予選などでは著しく不利になることを承知しておくべき。作者の視点は文章がどうしても説明臭くなり、作者の語り口調を通じて物語に触れることになるため又聞きのような形になってしまって臨場感にも欠けるという短所を抱えている。/話の途中でいったん過去に戻って事件発生時の状況が描かれ、再び現在に戻って、最後に後日談という四段階の構成だが、現在と過去を行ったり来たりする構成は読者にとってごちゃついた印象になり余計な負担をかけるため、たいがいの新人賞で低評価ポイントとなる。現在進行の会話劇の中で事件発生時の状況も伝えることはできたはず。小説現代のショートショートコンテスト入選作などを見ても明らかなように、掌編小説は一場面で描ききる工夫が求められている。/彫刻像の大きさや重さなどが示されていない。石柱に彫る、とあるので結構な重さであり、一人で運べるのかという問題も浮上する。また、彫刻が忽然と消えたという設定ならば、例えば塩や砂糖を固めてそっくりなレプリカを作りそれに水をかけて短時間のうちに溶かして消したのではないか、高性能のホログラム映像だったのではないか、見る角度によっては背景の壁に溶け込んで何もないと感じてしまう錯視トリックを取り入れた彫刻だったのではないかなど、さまざまな可能性を提示することで読者を楽しませるチャンスがあったように思うのだが。/問題の彫刻が億単位の値打ちがあるという設定であれば、保管場所には監視カメラや赤外線感知器が備わっていないと不自然。一般のマンションや企業でさえ顔認証や瞳の虹彩、手のひらの血管模様などを利用したセキュリティシステムが普通に採用されている時代である。警察の捜査状況にも触れておきたい。終盤、事件は窃盗未遂事件として収束したとあるが、持ち出したのであれば未遂ではなく既遂になるはず。
     鈴木沢雉さんの「サステイナブル・ライフ」は、主人公の男性がたまたま知り合った女性と恋仲になり、二人で環境問題に取り組むが、やがて彼女から別れを告げられるという内容。/掌編小説は数分間から数時間、長くてもせいぜい数日間の時間枠の出来事としてまとめるのが基本であり、数か月、数年にまたがる話は基本的に長編の素材となる。そのため、本作の前半部分は小説としての基本が守られているが、後半部分はあらすじを読まされている感じになり、読者が作品世界を疑似体験することが難しくなっている。新人賞などに応募した場合、時間枠についての約束事を守ることは予選通過か落選するかの分かれ道になることが多いことを留意されたい。/女性は環境問題に敏感だという設定であるなら、食べ物(みかん)を粗末に扱ったり蛍光灯を壊そうとする行動は矛盾していないか。軽犯罪ではあるがテロ的行為に走ろうとする女性に主人公が恋愛感情を持ってしまうことについての納得できる理由が欲しい。
     西向小次郎さんの「仕事が済んだら、仕事だぜ。」は、蛍光灯を買うことを頼まれた男が手間賃の計算をしながら行動する話。/落語のような味わいがあり、視点や時間枠なども掌編小説の基本が守られているが、男が何者なのか、自転車で買いに行けば安く済んだのてはないか、この結末でオチになっているのかなど、詰めの甘さを気にする読者が多いはず。例えば、京好糖という地元の老舗菓子を買って来るよう頼まれたのを蛍光灯と勘違いしてしまったが、アクシデントが重なって結果的に京好糖を持ち帰ることになって丸く収まったなど、物語を面白くする方法がいろいろとあったはず。
     諏訪靖彦さんの「目覚める頃には」は、医療技術が発達した近未来でも治せない難病に陥った男が、治療法が確立される未来に期待して人工冬眠に入る話で、安定感があり、書き手の実力を感じる。/結末は複数の解釈が可能で、わざとそうしたのだろうとは思うが、読者のために、「本当はほとんど時間なんて経っていないのではないか?」「ドッキリか?」「詐欺か?」「本当はもう自分は死んでいて脳のデータだけがコンピューターに取り込まれて生きていると錯覚しているだけなのか?」などと主人公に逡巡させて複数の可能性を提示すれば、さらに読み応えが増したように思う。/前半途中でいったん過去に話が戻って発病時からの経過が語られるが、過去と現在を行ったり来たりする描き方は話がごちゃつくだけであまりメリットはない。発病したところから書き始め、時系列に従って進めた方が読者も物語世界を疑似体験しやすいはず。/いくつか散見されるややくどい表現、もってまわった表現をすっきりさせた上で着地点で一ひねりあれば、例えば小説現代のショートショートコンテストでも採用してもらえる水準だと思う。
     松尾模糊さんの「残光虫」は、蛍光灯が切れたのでLED照明に変えようと家電量販店を訪ねた男が、謎めいた店員から「その蛍光灯はまだ切れてません」と言われ、手に持っただけで光ったので唖然とさせられた上に、スタッフルームのロッカーが月へのトンネルになっていて……という一種のパラレルワールドもの。/短時間での出来事を時系列に従い最小限の登場人物で描くという、掌編小説の正しい書き方を理解している人で、結構な実力者。最後に明かされる月の光の真相もユニークで面白い。主人公が何者でどんな人生を送ってきたか、なぜ彼が月へと導かれたのか、謎の店員の正体は、などについて読者が納得する説明があるとさらに完成度の高い作品になったのではないか。例えば、店員をロン毛の女性にして、古めかしい言葉遣いをさせ、実は長年にわたってこっそり月と地球を行き来していたかぐや姫だった、そして彼女はついに竹取の翁の末裔を見つけて月に招待した、とかね。あと伏線として、家電量販店の名前をタケトリ電機にしておくとか。
     Fujikiさんの「世界が闇に包まれても」は、白内障で視界が悪くなり、息子から毒を盛られていると感じている資産家の老女が、若い頃パリに美術留学したときの当地での恋人との思い出を回想する内容。/掌編小説は短時間の出来事をできるだけ一場面で描くことが基本であり、本作は主人公の半生という長編小説の素材を掌編に詰め込んでいるため、全体的にあらすじを読まされている印象になってしまっている。掌編、短編、中編、長編の違いは基本的に物語の時間枠だということを留意されたい。掌編として描くのであれば、息子とのやりとりか、パリ時代のエピソードのうちのどれかに絞りたい。/現在から物語が始まり、少し過去の出来事、さらに半世紀ほど前の出来事、最後に再び現在という四段階の構成になっているが、時系列が前後すると読者にとってはごちゃついていて読みにくいというデメリットがあるだけでなく、主人公が結局はどうなったかが冒頭でバレてしまっているので「この後どうなるのだろう」という楽しみを奪うことにもなってしまう。長編小説であれば読者を飽きさせないための工夫として、現在と過去を行き来させる構成が効果を発揮することもあるが、掌編や短編ではデメリットしかないので、特別の理由がない限り、時系列に従って描くことをお勧めしたい(人気があるプロの作家さんたちの掌編や短編をランダムにチェックすればお判りいただけるはず)。
     なお、北川聖さんの「理想的な人生」、ヨゴロウザさんの「ある孤独死の風景」、古戯都十全さんの「あかりを求めて」、大猫さんの「浅草橋銀杏岡八幡神社の殺人」、小林TKGさんの「Luciola,Candela,and Огонёк」、波野發作さんの「Kick me again」は、400字詰原稿用紙5枚以上10枚以下(最大4000字)という規定が守られていないようで、またJuan.Bさんの「愛国講談「聖代奇談大助長州仇恋討」」は〆切りを過ぎてからの投稿のようで、選考対象として認めていいのかどうかという問題があり、コメントは差し控えます。

  • 投稿者 | 2022-01-25 12:26

    震災の後の、「それでも生きていく」という被災者の方々の悲愴かつ諧謔にあふれる、決意表明みたいなものを久し振りに思い出しましたね。どうでもいいことですが、最初に蛍光灯が出てきたときは完全に直管を思い描いてて、最後にハンドルのように持ってという描写で「あれれ?」となってしまいました。最初に円管だとわかる描写があるといいと思いました!

  • 投稿者 | 2022-01-25 20:44

    わくさん
    上手く書けるようになりたい。
    とありますね。
    文章として、めちゃくちゃ上手いです。
    小説としては下手なんだと思います。
    自信が無いから。
    めちゃくちゃ上手いです。
    哀愁めいた文章が小説ではないと思います。
    一発キメテやったぜ!ぐらいの最強感、
    どこにだって出はってやるぜ!くらいの気持ちしかないと思います。

  • 投稿者 | 2022-01-26 00:23

    以前『勃起していた男』を拝読したときも思ったのですが、「こんなやついたなー(いそうだなー)」という人物を書くのが巧いと思います。そういう人物が奇人変人というわけでもなく普通の人間で、よく見るとけっこう色々起こってる人生なのに山もなく落ちもなく綴られる、徳田秋声風と言うとちょっと違うのですが恬淡としたリアリズムも良いと思いました。わくさんが志向しているところなのかわからないのですが。

  • 投稿者 | 2022-01-26 21:34

     拙文にコメントいただきありがとうございます。いつも勉強になります。
     新人賞に引っかかるレベルに達する作品づくりは一生不可能でしょうが、なんとか今昔物語や宇治拾遺物語の現代語訳と並べても違和感ないくらいの、ブッ飛んだ作品を書けたらなあと思います。

    著者
  • 投稿者 | 2022-01-28 18:09

    新しい基準で生きている男。いや、新しいわけでもないんですかね。でも、とにかくそういう基準で生きてる人。軽妙洒脱っていうんでしょうか。違うのかもしれないんですけども。ただ彼のセリフも相まって、私の中ではビンスは軽妙洒脱なイメージです。実際は髪とかぼさぼさしてるかも知れないけども。

  • 投稿者 | 2022-01-29 00:25

    ビンスの生き方は面白いですね。
    ただ震災を絡めるならもう少しそこが掘り下げられても良かったかなと思いました。
    蛍光灯を持って行ったのが良かったです。二人の関係が終わらない感じで。でも結局は二人ともはなればなれになってるんですね。その辺が明確に描かれても良かったかもしれません。変わらず時々会っているのか、それともどこで何をしてるのかも分からないからこそこうして回想してるのか。

  • 投稿者 | 2022-01-29 17:07

    何回か読むとじわじわ来ます。ビンスの描写がとても優れていて、何年経っても彼のことは飄々とした雰囲気と共に思い出せるのだろうなと。行き当たりばっかりのように見えて、引き際を心得ているビンスは実は人生の達人なのかも。

  • 投稿者 | 2022-01-30 10:53

    蛍光灯が切れたら、靴が擦り切れたら、と引き際を何かに託すのは、自分の能力の限界や自分の気持ちの変化といった自分自身の問題から目をそらす方便と解釈できる。そういう意味でビンスは一見クールなように見えて、実はすごく臆病で弱い面を持った男だと思う。リアルな人間くささがうまく書けている。でも、彼のつまらない処世術がまったく通用しなくなる圧倒的な出来事としての震災に直面したとき、彼にはもっと動揺してほしかった。

  • 編集者 | 2022-01-30 23:01

    わくさんは小中学生時代の思い出の逸話などが妙にリアルで凄いなと思います。ビンスの渾名の付き方とか天才的だなと感じました。もう10年が経って震災後を描くというは定石となっていますが、だからこそもう少し震災後のリアリティみたいなものが描かれているとグっと来たと思います。

  • 投稿者 | 2022-01-31 01:27

    俺は基本的にボッチ体質なので、こんなふうに生活を共にした友人なんかがない人生だったから、彼らの関係性がとてもうらやましく感じた。「条件づけ」というルールをうまく提示した、良い小説だと思う。「下手で」というのはただの謙遜ですよね。

    • 投稿者 | 2022-01-31 01:29

      下手でとは言ってないですね「もっと上手くなりたい」ですね。すでに上手くても、もっと上手くなりたいのはアリですね

  • 投稿者 | 2022-01-31 03:56

    オフビートな作品ですね。私もビンスに近い生き方を送っきました、送っています。最初何事かを辞める、嫌いになるのはこんな出来事が合ったときだなあと思っているも、次第に辞めるための理由を探していることに気がつくんすよね。震災によって娘さんがなくなったあとビンスが何を思ったかわかる記述ががあればなお良かったと思いました。

  • 編集者 | 2022-01-31 19:54

    良いコメントは先にみんながしてしまった。避けられない現実としても自然災害を目の当たりにしても、酸素の話をしているのは、一種の悟りかも知れない。

  • 投稿者 | 2022-01-31 20:23

    なにか制約があるから人生が前に進む、そんなことを考えました。
    同時に進んだ先の引き際というか、身の処し方みたいなことも考えさせられて、ライトでありながらずっしりとくるものを感じる作品だと感じました。

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