外線一番が鳴る。
窓の外では深まった秋が枯れ葉を舞い散らせている。
微妙に昼休みに突入した時間にこの鳴り方はクレーム電話だな、と確信する。長くこの仕事を続けていると、同じ音のはずなのに、電話の用件によって呼び出し音の鳴り方まで違って聞こえるようになる。家でもセールスや詐欺電話がかかってくるとそれと分かるので、「あ、それ出なくていいよ」と家族に教えている。たまに僕を信用しない母が「○○さんからかかってくるはずなのよ」と言って受話器を取るのだが、出てみるとやはりセールス電話なので、その的中率に家族からは気味悪がられている。
「はい、○○市役所施設課です」
なるべく警戒心を表に出さないよう、機械の自動応答のように喋る。
「あなた、名前は?」
他人の名前を聞くなら先ず自分が名乗るべきだろう、という正論は置いといて、どう考えても可愛い女の声なのに喋っている内容が不躾だから台無しだ。
「はい、立原と申します」
「立原さん、おたくの駐輪場からの通用口、未だに蛍光管なんですけどどうなってるんですか?」
悪いのは市長だ。自らの指導力アピールのために市の施設をすべて白熱灯・蛍光灯からLEDに変更するとぶち上げて派手に市報で宣伝したものだから、変更されてない場所があるとこうして施設課にクレーム電話がかかってくる。
「あの通路はですね、特殊な配線をしてるので通常のバイパス工事ではLEDを取り付けられないんです。なので来年度の予算で工事費用を……」
「いいですか、立原さん、世の中はもうSDGsなんです。役所が率先して環境負荷を減らしていかないと、人類に未来はないんです」
この女、市役所職員の間でも有名なクレーマーで、毎日のように電話をかけてきては持続可能社会の実現のために長広舌を振るう。たしか名前を松野といった。
持続可能社会なんて知らんがな、と内心では思う。なんならSDGsを佐渡島と読んで馬鹿にするくらい、個人的にも興味はない。
「そのくらい、現場の裁量でなんとかならないんですか? おたくのやる気がないだけじゃないんですか?」
「いえ、私どもは市民の皆様の大切な税金をお預かりして仕事をさせていただいている立場ですので、議会で決められたこと以外はできないんですよ」
「じゃ立原さんは市議会がウンコ食えって言ったら食うんですか? 死ねって言ったら死ぬんですか?」
可愛い女の声で言ってることが全然可愛くないのが逆に可愛げがあっていい。いや、いいわけねーだろ。
「とにかく松野様のおっしゃることは貴重なご意見として承りますので……」
「私名乗ってませんけど。なんで名前知ってんですか?」
しまった、と思うが時すでに遅し。
「おたく、個人情報の管理に問題あるんじゃないですか? ちょっと、今から苦情言いに行きます」
あ、まって、と言う間もなく電話は切られる。苦情ってどこに行くんだ、と慌てて市の公式サイトを調べてみる。こういう時でもないと市の公式サイトを見る機会はないので、勝手が分からず求める情報にたどり着くのに時間がかかる。個人情報の取扱に関する苦情窓口。市民課。一階。
一階へとダッシュした。
市民課の窓口の前で待ち構えるが、それらしい人の姿は見えない。しばらくして、窓口に向かって立原、立原と連呼している女に気づいた。SDGsを訴えるクレーマーというからアフロヘアでヒッピーみたいな格好をしたおばさんを想像していたが、なんとまあ小ぎれいで年の頃は十代といってもおかしくない女だった。
「松野さんですか。私が立原です」
「あ、見つけましたよ。さあ蛍光灯を交換してください」
「ですからお電話でお伝えしたとおり、今は交換できないんです」
「交換が出来ないなら、消しておけばいいじゃないですか」
常時消灯しても問題ない場所ではある。が、東日本大震災後の過剰な節電対策の折、消灯していた通用口でおばあさんが転倒して怪我をした。軽傷だったが、おばあさんの家族が当時付き添いをしていたデイサービス業者にクレームを入れ、デイサービス業者が市役所にクレームしてきた。それ以降、通用口は常時点灯と決まっている。
市長のせいで、市ではもう蛍光管を購入できない。つまり今ついてる蛍光管が切れればLEDしか買えないので工事してLEDに切り替えるか、工事できるまで消灯しておくしかないのだ。だが通用口の蛍光管はもう五年以上経つのに切れる気配がない。
それを説明すると、松野は我が意を得たとばかりに言った。
「じゃ私が消して差し上げます!」
松野は通用口に向かってダッシュする。僕は嫌な予感がして追いかけた。
通用口につくと、松野は持っていたバッグからみかんを取り出して投げ始める。みかんでも直撃すれば蛍光管を割るかもしれない。僕は松野を後ろから羽交い締めにし、近くにいた職員に警備員を呼ぶよう言った。人に危害を加えようというのではないから、警備員が来るまで放置しても構わなかったのだが、万一蛍光管を破損すれば立派な器物損壊罪が成り立つ。どうしてか、僕は松野の件を警察沙汰にはしたくなかった。
松野を警備員に引き渡すまでの間、僕の掌は綿シャツ一枚を隔てて華奢な松野の肩を押さえ続けた。みかんを拾って投げようとする度、松野の肩関節は滑らかに動き、軟骨の擦れる音まで伝わってくるようだった。松野が振り乱すチャコールブラウンの髪からはふわっとした石鹸のような匂いがして、僕は何度も羽交い締めを緩めそうになった。
松野が少女のような声で僕に罵声を浴びせると、震える喉と肺のうごきが松野の背中に接した僕の胸にダイレクトに響いてくる。あ、これ骨伝導ってやつか、と妙に冷静に思ってしまう。
何度かみかんを投げるうちにみかんの皮が破れ始め、石鹸の甘い匂いに柑橘の爽やかな香りが混じってくる。
「あー何やってんの」
相撲取りのような体型の警備員が現れてそう言ったとき、僕は自分が問われているのかと錯覚した。
確かに、僕は女の肩を抱いて、ぴったりと身体を沿わせて、何をやってるんだ。
次の日から、僕は毎日松野に会うようになった。
会って、地球と人類の未来について語り合った。討論もした。一緒に活動もした。
もともと、そっちの方の才能があったのだろう。ボランティアや篤志家をまとめあげ、素人のままごとにしか過ぎなかったSDGs活動をより現実的なものへ変えていった。スポンサーを集め、メディアに露出し、政治家にロビー活動をした。佐渡島でのチャリティーマラソンを企画し、環境に配慮した栽培方法で生産したみかんにブランドをつけて売った。髪型をアフロに変えてテレビ番組にゲスト出演もした。三流コメンテーターが「来年までにすべての光源をLED化? そんなことできたらウンコ食ってやるよ」と馬鹿にしてきたので、翌年ウンコを食わせてやった。残念ながらウンコを食っているシーンは本放送ではカットになった。
「松野さん、この部分、『私たちが世界です』はちょっとまずいんじゃないかなあ」
冬が近づいて、すきま風だらけの部屋は少し肌寒くなっていた。僕は松野と同棲して五年が経つのに、未だに松野のことを松野さんと呼んでいた。松野は僕のことを立原さんと呼んでいた。
「大丈夫かい? ぼうっとして。明日のパネルディスカッションの原稿、もう仕上げないと」
松野は面を伏せた。見れば手元の作業はさっきから止まったままだ。両手を机の上に乗せてさえいない。印刷所から段ボールいっぱいに詰められてきた栞にリボンを結びつける内職だ。
「立原さん」
松野は俯いたまま、両手を膝の上で白くなるほどきつく握りしめた。
「私、SDGs活動やめます」
「え」
どうして、という問いに、松野はついに答えなかった。ただ、やめる以上はもう僕とは一緒に居られないとか、仲間に迷惑をかけて申し訳ないとか、僕のことは本当に好きだったとか、そういうサイドストーリーばかりに言及した。
僕はしつこく理由を訊き続けたが、そのうち松野を問い詰めている自分がとてつもなく嫌な奴に思えてきて、アパートを飛び出した。五年間一緒に住んだアパートの階段を一歩下る毎に、ごんごんという音が太く鈍くなり、スローモーション画像の再生速度が次第に遅くなっていって心臓と一緒に止まってしまうのではないかと錯覚した。
蛍光灯にみかんを投げつける松野を羽交い締めにしたときから始まった僕の活動は、その晩秋の日に終わった。僕は波をかき分けて進む船のように、引きずる足で落ち葉の海を踏みしだきながらあてもなく歩いた。仕事を探さなければ、と思った。
僕は中くらいの貿易会社の事務職員として中途採用された。SDGs活動で鍛えた英語と書類処理能力がものを言った。
「立原さん、ランチ行きましょうよ」
同僚が席を立って誘ってくる。見れば、そいつの机ではモニターもデスクライトもつけっぱなしだった。
「ちょっとまだ出られそうにないから、ごめん」
同僚が出ていったあと、僕は彼のごみ箱を漁り始めた。まだ使える裏紙やちびた鉛筆が、捨てられていた。
市役所勤めで身に染みついた吝嗇癖はなおも健在だった。あの頃は余分な電気をつけっぱなしで席を立つと、必ず上役に見咎められ、注意された。まだ使える文房具があるのに、新しいものを買う稟議など絶対におりなかった。
外線が鳴り始めた。
僕は電話機に目をやった。この時間にこの鳴り方は間違いなく客からの怒りの電話だな、と直感した。僕は着信を聞かなかったことにして、モニターとデスクライトを消灯し、上着を手に取った。
退会したユーザー ゲスト | 2022-01-25 09:20
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わく 投稿者 | 2022-01-25 18:00
恋愛感情の発生については理由があまり書かれていないとは私も確かに思いました。
けれど、そこを説明せずにぶっ飛ばしてしまうところが、この小説の魅力なんではないかなあと思いました。
ヨゴロウザ 投稿者 | 2022-01-25 22:56
理由不明のまま振られる、青春の1ページですね。
三島がどこかで書いていましたが、駅のホームで知人に共産党に入らないか誘われ、躊躇しているうちに満員電車に乗ってうやむやになったけどあの時入ってたかもしれない、ある人の政治的立場はそんな些細な事で決まるようなものだとかいうのを思い出しました。まあ額面通り受け取っていいかわかりませんが。
曾根崎十三 投稿者 | 2022-01-26 21:59
何が何だか分からないうちにクスリとさせられたり、切なくさせられたりで、面白かったです。いきなり同棲したりするのも、そういう話しなんだな、と勝手に理解していました。
SDGsを佐渡島と揶揄していた後に佐渡島が出てくるところが好きですね。
クレーマーがかわいい、というのはギャップがあってそういう萌え(死語?)がありそうだなと思いました。
小林TKG 投稿者 | 2022-01-28 17:27
松野さんこわ!
見た目が小ぎれいで、10代っぽくても怖い!怖いですねえ。無理。
そんな怖い松野さん、毎日のようにクレームの電話をしてきて、SDGsって言って蛍光灯をミカンで割ろうとする松野さん。うんこも食べさせるし。
でもそんな松野さんがある日、その情熱を全て使い果たしたのか、あるいは自身の理想の実現の困難を悟ったのか、もしくは単に現状の生活に嫌になったのか、SDGsをやめると言った時、私はほっとしました。良かったと思いました。
大猫 投稿者 | 2022-01-29 14:58
面白かったです。
人が何かの活動にハマるのって思想に共感してというより、きっかけなんだろうなと思いました。松野さんが美しくなかったら器物破損未遂で追い出されて終わりですよね。
前半の市役所施設課員としての行動やセリフがとてもリアルで足に地がついた感じがしました。後半部分は急に話が広がりすぎてちょっと唐突感ありですが、それもまた地道な公務員生活から急に第一線の活動家となった落差として楽しみました。
諏訪靖彦 投稿者 | 2022-01-29 19:29
わはは、みかんを投げつける松野さんのハチャメチャぶりからまさかの一緒に活動する超展開。狙っているのだろうけれど突っ込みどころが満載でそれが面白くてげらげら笑いながら読ませて頂きました。こういった話も書けるんですね。
古戯都十全 投稿者 | 2022-01-29 20:56
後半からの話のテンポや主人公の立場がころころと変わるのは、題名のサステイナブル・ライフと関係があるのかなと推察しました。
人間よりは早く寿命がきてしまう蛍光灯に対して、職業や考え方を変えてでも持続可能的に生を紡いでいく人間のしぶとい姿が垣間見える気がします。
以前はつけっぱなしにしていたデスクライトを消灯するラストの描写が響きました。
Fujiki 投稿者 | 2022-01-30 10:45
クレーム? みかん!? 同棲!!?? と、まったく先の読めない出たとこまかせな展開が楽しい。話が破綻しそうなすれすれでどうにかサステインしている感じ。松野が「僕のことは本当に好きだった」と別れ際に打ち明けたということは、5年のあいだ何もなくあくまで同志として一緒に暮らしていたという理解でよいか?
波野發作 投稿者 | 2022-01-31 00:29
不思議なもので小説は最初の1ブロックでだいたい面白いか面白くないか見当がつく。これは面白いと確信して読んだが、やはり面白かった。持続可能な開発目標に関する活動が5年程度で理由もなく持続不能に陥るという痛快な皮肉は非常に面白いと思いました。ぼくも電話があったとき「あ、営業電話だな」と直感的にわかるのですが、よく考えたらここ5年ほど営業以外の電話がかかってきたことは一度もなかったです。
松尾模糊 編集者 | 2022-01-31 13:15
とても読みやすくて面白い、掌編としても完成度の高い作品だと思います。鈴木さんは他業種男女の恋愛模様を描く作品が多い印象を受けますが、今回は強烈な出会いから、活動を共にして別れまで描いていて新鮮でした。出会いが強烈すぎたので、語り手の立原が戸惑ったように松野さんのSDGsへの熱意が消失したことや、立原への想いが見えなかったところは気になりました。立原の恋愛遍歴連作で公募いけそうです。
Juan.B 編集者 | 2022-01-31 20:51
学生運動が出会いの場になった様に、SDGSも出会いの場になるのだろうか。発想が面白かった。