通りを行きかう足音に紛れて、金魚売りの呼び声が聞こえてくる。金魚、金魚ェー、と呼ばう威勢の良い声に合わせてきんぎょう、きんぎょうとたどたどしく叫ぶ子どもの声も交ざっている。そろそろ薬売りが来る頃合いか、と玄関先から顔を出すと、ちょうど通りの向こうの角を大きな箱を背負った影が曲がってきたところだった。
小学校に通っている子ども達は夏休みの真っ只中だ。家の手伝いが忙しいらしくめっきり顔を出さなくなった子もいたが、逆に時間を問わず訪れるようになった子もいるおかげで、教室は薄暮の時間だけでなく朝から夕暮れまで開放状態になっていた。
夏はいつもこんな調子なんですよ、と先生は笑う。宿題が終わらないだの、自然観察がどうのこうのだの言い出す子ども達の様子を楽しげに眺めてはいたが、連日の暑さに食欲を失い元から少ない体力をさらにすり減らし、顔色の優れない日も多かった。
先生は限界の意味を履き違えている、とつくづく思う。子ども達の前で倒れさえしなければ、教師としての責務を果たせるのなら後で人知れずどれだけ咳に溺れようと、痛みに震えようと構わないと考えている節があるのだ。一度など子ども達に海に連れていってほしいと強請られ、二つ返事で快諾したのを見て思わず馬鹿言うなと叫んでしまったりもした。厠に立とうとしただけで目眩を起こしへたり込むような人間が何を無茶なことをと、心配を通り越して怒りが湧いてくるほどだ。結局そのときは普段滅多に教室に顔を出さず、やることにも口を挟まない先生の弟がこれまた珍しく激昂し泣く子も黙る勢いで先生を散々に叱り飛ばし(それはもう散々だった)、彼が代わりに連れていくことで事なきを得たのだった。
先生の弟は名を直次という。二十二歳とまだ若いが優秀な人物で、中学には進まず家業を継いで間もなく持ち前の器量の良さを発揮して大胆な改革をやってのけ、食うのと先生の薬代で精一杯だった家を見事立て直したという。
海水浴の一件の後もう黙ってはいられないと思ったのか、この時期は比較的仕事が少ないからと言っては頻繁に教室に顔を出すようになった。先生の顔色が少しでも優れないと有無を言わせず休ませ、代わりに子ども達の相手をしてやっていた。子どもの面倒を見るのは苦手だとぼやきつつも、兄によく似た眼差しは彼等に好かれているようだ。
そんなこんなで気がつけば、夏も盛りを過ぎはじめていた。
過ぎ去った月日を思い返し始めたときがその場所を離れるべきタイミングである、というのがこれまで長年各地を流れ歩いた結果学んできたことであり、暗黙の決まりにもなっていた。今いるところに心地の良さを感じれば感じるほど、焦りを覚える自分がいた。帰るところもなく漂ううちにいつしか、どこかに定住することを無意識のうちに恐ろしく思うようになっていた。
正直、ここには長く居過ぎてしまったという感覚があった。捨て子の引き取り手を探すという目的があったからこその長期滞在ではあったが、これまでの自分であったならまず、引き取り手を探すこと自体引き受けようとしなかっただろう。
他人の情に深く踏み入ってしまいそうなことは上手く躱してこれまで流れて生きてきたというのに、何があのときの自分をそうさせたのか。漠然とそのことを考える度に浮かぶのは、あの日息も継げぬほどに咳き入り腕の中に倒れこんできた先生の華奢な体躯の記憶だった。受け止めた瞬間咄嗟に掴んだ二の腕は片手で易々と握り込めそうに細かった。今にも薄い胸を裂かんと軋む喘鳴が記憶に焼きついて離れない。
私は自分の思い描いていた教師にはなれなかった、出来損ないです――そう言った瞬間の下手な笑い顔が、いつものことですからお気になさらず、とやんわり振りほどかれた手のひらの常より高い温度の残滓が、全てが気づかぬうちに少しずつ手足に絡み付いて藤倉を引き留めていた。
ここに残って欲しいならば、そうはっきり言えばいいと思った。しかし彼は決して言い出さないであろうこともまたわかっていた。藤倉は先生の気持ちに最後まで気がついていないふりをし続けることにした。
今がここを離れる最後の機会であると、しつこく警鐘を鳴らし続ける自分自身に気づかぬふりをすることはできなかった。
金魚売りの呼び声が聞こえる。少しずれて楽しげに輪唱しているのは、きっと表通りの八百屋の幼い兄妹だろう。玄関の方から聞こえた物音は、馴染みの薬売りが毎度のことながらそそっかしく薬箱をどこかへぶつけた音か。
慌しくもどこか暢気な日々。もうすぐ夏も終わりか、と薄く開けた窓からもう三日も夕立の来ない、羽毛のような小さな雲が高く浮かぶ空を見上げて思う。
夏に暑さから体調を崩しがちなのは幼い頃から慣れきったことなのだが、それでも今年は随分楽だったと思う。直次が忙しいだろうに仕事を切り上げて子ども達の面倒を見てくれたからだけでなく、藤倉が精神的負担を減らしてくれたのも大きかった。
彼は直次とは違い、進んで大仕事を引き受けるような人ではない。ただ気がつけば池沢先生のところに貰いに行きそびれた薬がいくつかの飴玉とともに文机の上に置いてあったり、そろそろ新しいものにしなくてはと思いつつもそのままにしていた古びた草履が、いつの間にやら新品になっていたり――そういう細かな気遣いができる人だ。
彼はここでの生活に驚くべき早さで馴染んでいった。子ども達がクマ先生、なんて愛称で呼び始めたのが最たる証拠で、最初のうちは面食らっていたようだが、近頃は慣れた様子で呼びかけに応じている。直次とは中々に気が合うらしく、時折難しげに話し込んでいたりするものだから、何を話しているのやら非常に気になったりもする。
藤倉には本当に良くしてもらっている。感謝しているからこそ、彼のことが余計に気がかりだった。
たまに自分より六つ年上の男とは思えない、まるで迷子になった子どものような顔をしていることがある。それは何かに怯えているような、漠然とした不安に絡めとられて知らずのうちに足が竦んでいるような、そんな表情だった。
彼はここに長く居すぎたのだろうと思う。私の甘えと、それに応える彼の優しさが生み出した何か形にならないよくないものが、半紙に一雫ぽたりと落とされた墨のようにじわじわと、それこそ変わりゆく様子に気がつかないほどゆっくりと時間をかけて、日々の中に溶け込んでいったのだ。それは悪意がないゆえに気づきにくいが、確実に彼の自由を奪っていく。痛みも喪失感も与えぬままに。
今ならばまだ間に合う。どうすればいいのかは判っていた。拒絶すればいい、ただそれだけだ。たったそれだけのことを、私は自分が傷つくことを恐れて随分と先延ばしにしている。この数ヶ月間を思い起こす度に沸き上がる小さいとは言えぬ感情の波を、そこに感じる安らぎと喜びを失うことを恐れている。
体に生じる痛みにも精神の痛みにも、慣れることなど決してないのだ。ただ慣れたように見せることが、誤魔化すことだけが上手くなっていく。痛みを感じていることをどうか誰にも気づかれませんようにと願いつつ、同じ心で気づいてもらえる日を待っている……一体誰に? そう自問する度浮かぶのは、子ども達に囲まれ肩車をせがまれている広い背中だった。
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