どんぐり拾い

大猫

エセー

3,065文字

全くの実話です。子供の工作の宿題のために夜中の公園にどんぐりを拾いに行くというだけの話です。

残業していたら、家から電話が入った。
「今日、何時に帰る?」

夫の不機嫌な声の背後から、かすかに小学校一年生の息子がべそをかく声が聞こえてきた。何事かと尋ねた私を無視して、夫は、
「帰りにどんぐりを拾って来い」
と言った。

静かにキーボードを叩く音だけが聞こえるオフィスに、どんぐりって? と聞き返した私の声が響き渡った。

「明日の図工でどんぐりが要るらしい。今ごろになって言い出すから困った」

「秋の物」を使って、好きな作品を作るのだそうだ。綺麗な落ち葉だとか、花だとか、木の実だとか、それからどんぐりだとか。

「秋の物って言ったって、もう11月も終わりじゃない。どんぐりなんか落ちてるわけないでしょう」

夫は相変わらず不機嫌に、そんなこと知らない、枯葉や紅葉じゃダメで、どうしてもどんぐりが要ると言って泣くから拾って来い、と言う。あなたが行ったらどうだ、と言いたかったがやめた。外国人である夫はどんぐりも松ぽっくりも知らない。時計を見た。もう十時近くになる。電話はそれきり切れた。

 

仕事を片付けて会社を出たら、十時半を回っていた。オフィス街の灯りも大方は消えて、青白い街灯が神田川の川縁を薄ら寒く照らしている。これからどこへ行って拾えというのか。冗談じゃない。

まったく学校というところは。と、心で悪態をついた。
母親なら全員昼間から家にいると思っているらしい。なるほど、子供が午後に家に戻ってきて、明日どんぐりが要ると言えば、明るいうちに公園にでも行って拾ってくることもできるだろう。花を摘んだり、落ち葉を探すことだってできる。父親がどんぐりの何物かを知らず、母親が深夜残業をしているような家があるとは想定していないのだろう。

 

それにしても困った。手ぶらで帰れば、明日の朝、子供が泣くに決まっているが、会社の近くにはどんぐりなんか落ちていない。街路樹はみんな銀杏で、それも雄株ばかりだからギンナンさえ落ちていない。自宅周辺の公園を思い出してみても、どんぐりのありそうな木があるところは思いつかない。第一、この暗さでは落ちていたとしても簡単に見つかりそうもない。

 

王子の飛鳥山公園なら、と電車に揺られながら思い出した。たしか頂上の児童公園に大きな樫の木があった。息子がまだ小さい頃、連れて行ったことがある。あの時もたしかどんぐりを拾っていた。飛鳥山公園は樹木の生い茂る小さな丘がまるまる公園になっている。あのくらい大きな公園なら、遅く実ったどんぐりの一つや二つ落ちているに違いない。下手に小さいところを探し回るより確実だろう。

 

かくて私はJR王子駅で下車することとなった。学生時代にこの近くに住んでいたから、ここいらの地理はよく知っている。飛鳥山公園に行くには、南口で降りて高架陸橋を渡って行くのが早い。陸橋を渡りきったところが丘の中腹になっていて、頂上へ上る階段に合流する。昔はよく通った道だ。でも、夜は女の子は決して一人で行ってはいけないと言われていた。夜になると痴漢や「ヘンな人」の溜まり場になって、一人歩きの女性が幾度となく被害にあっていると聞かされていた。

南口を出て人ッ子一人いない陸橋を見上げた時、俄かに心細くなった。

なんの、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」とも言う。みすみす宝の山を前にして、引き返す手はない。痴漢ごときを恐れていてどんぐりが拾えるものか。
我と我が心を叱咤し、へっぴり腰で陸橋の階段を上り、続いて飛鳥山公園へ続く木の階段を上がった。常夜灯は点いてはいるけれど、足元はずいぶん暗い。これではたとえどんぐりが落ちていたって見えるはずもない。

児童公園の奥に公衆便所があって、そのそばに樫の木があったはず。公衆便所はすぐに見つかった。傍らに数本の巨木が聳えている。暗くてよく分からないが、周りを探せば何か見つかるだろうと、私は臭い便所の周辺を這いつくばるようにしてどんぐりを探した。

 

……ない。

どんぐりなど影も形もない。

地面を手探りで三十分も探したが、落ちているのは大量の落葉だけだ。

やはりここではなかったのか。他を探してみようか。でもどこを探せばいい。こう暗くてはどれが何の木だかも分からない。あてずっぽうに探しても無駄な時間を費やすだけだ。時計が見えないから正確な時間はわからないが、多分、もう十二時を回っているだろう。夕飯も食べていないし、寒いし、ずっとしゃがみ込んでいたから足腰は痛むしで、もう、ぶつぶつぶつぶつぶつぶつ、出るのは悪態ばかり。

 

私は思案に暮れた。

便所の向こう側を探してみようかと思ったが、どういうわけだかこの臭い便所のそばを離れる気がしない。前にどんぐりを拾った記憶に、ベッタリと便所のイメージがこびりついているからだ。あの時は、家族三人で来たのだった。青くて固いどんぐりが、そこら中に落ちていた。私と夫が見守る中、小さい息子は有頂天でどんぐりを拾い集めては、自慢そうに私たちのところへ見せに来た。たくさん拾ったね、と誉めてやったら、息子は急に難しい顔をして、うんち、と言った。それで慌ててトイレへ駆込んで、うまくしゃがめない子供を後抱きにして用を足させてやった。トイレが近くにあってよかった、と思ったはずだ。

再び探すこと数十分、ベンチの足元に一つ目のどんぐりを見つけた時の嬉しさは、ちょっと言葉では言い表せない。喩えて言えば、迷子になっていた子供がやっとお母さんを見つけた時のような、砂漠をさ迷ったあげくについにオアシスを見つけた時のような、一言で言えば地獄で仏、よくぞそこにいてくださいました的感激の瞬間であった。季節はずれで熟れ過ぎて、すっかり茶色くなったどんぐりだったが、まさに千金で購っても手に入らぬ宝である。落とさぬように両手て捧げ持って、そうっとポケットに仕舞い込んだ。

 

面白いもので、一つ見つかると憑物が落ちたように、次々にどんぐりが見つかった。目が慣れてきたせいもあるのだろう。樫の木の落ち葉は薄くて軽く、葉には鋸状のギザギザがあって、これほど大量に落ちているのに、街灯のほのかな光の中ではあるかなきかも分からぬほど頼りない。
まろやかでどっしりしたどんぐりの影は、落ち葉のそれとははっきり異なっている。雑踏の中でただ一人、じっと動かぬ人のように、すいと目に飛び込んでくる。三個、四個とどんどん拾う。ポケットの中でどんぐりたちがコロコロとぶつかり合っているのを感じる。子供の喜ぶ顔が目に浮かんで来て寒いことなど忘れてしまう。

 

ふと背後から人の声が聞こえてきた。すわ、悪者が出たかと、一瞬ドキッとしたが、笑いさざめく若々しい男女の声は、痴漢や変質者の類ではなさそうで、どうも飲み会帰りの若い人たちのようだ。
私は安心してどんぐり拾いを続けた。男女の一団はザッ、ザッ、と落ち葉を踏みしめながら私のそばを通り抜けて行った。通り過ぎてしばらくしてから、「あの人、ヘン」と言っている女の声が聞こえた。私のことだろうか。たしかに夜中の十二時過ぎに公園の便所の近くて這いつくばっていればヘンな人と思われるに決まっている。まあ、それなら痴漢も変質者も恐れることはない。私自身が「ヘンな人」なのだった。

ポケットを茶色いどんぐりで一杯にして、私は終電で帰った。

 

翌日、息子はどんぐりのネックレスを作って来たが、熟れすぎて柔らかくなっていたどんぐりは、ランドセルから取り出した途端、あっけなくポロポロと針金から落ちて行った。

2018年5月1日公開

© 2018 大猫

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