知音

合評会2018年05月応募作品

大猫

小説

4,181文字

出張3時間サービスでホテルへ入るメイ。客の中年男松本と運命が交錯……中国人が跋扈する横浜、加賀町警察署の手練れの刑事も手を焼いた……ノワール小説は初挑戦でした。でも楽しかった。2018年5月合評会参加作品。

(一)

メイはいつ日本に来たの? 2011年? 大震災の年だね。中国の人は帰ってしまう人が多かったのにメイは来てくれたの? お母さんと一緒に、親戚のお店の手伝いに? その時14歳? じゃ今は21歳なんだ。でも17、8に見えるね。眼の形がいいね、きりっとした切れ長で。誰かに似てると思ったら亮くんだ。

亮くんて小さい頃に死んじゃった子だよ。一つ下の子で、いつもは一緒に遊ばないのに、その日に限ってお母さんが出かけるんで遊んでやってくれって言われて連れてってやった。小川のほとりに春アザミが咲いてて、いや、川じゃなくてあれは用水路だな。コンクリで固めてあったし。その用水路を一人ずつ順番に跳んで越えたの。幅はこのくらいかな。五、六歳の子供なら楽に跳べるよ。水路の向こうに盛り土をした小さな山があってね、そこが僕らの遊び場で、毎日跳び越えて遊びに行ってたんだよ。でも亮くんだけが跳べなかった。身体が小さくて怖くて跳べなかったんだな。用水路は浅いし水の少ない時期だったから、落っこちたって大丈夫だったんだよ。ちょっと勇気が足りないだけだって僕は思ったよ。僕は亮くんの後ろに並んでて、早く先に行きたくてたまらなくて、もどかしくて、それで亮くんの背中を両手で押してやったんだよ…見たら亮くんはうつ伏せに倒れてて、川底に血が流れて行って、頭の上にアザミの花が揺れてて…

その後はあんまり覚えてない。母親の膝に抱かれてて、母親が泣きながら謝ってて、代わりにこの子が死ねばよかったとか罵る声が聞こえてた…来て一年ほどだったけどその街を離れることになって…母親は苦労したと思うよ。親父と離婚して一人で僕を育てて、ようやく落ち着いたと思ったらまた出て行く羽目になったんだもの…もう四十何年も前の話だよ…

メイのお母さんはどうしてるの? 亡くなった? 悪いことを聞いちゃったね…僕のおふくろ? もうとっくに死んじゃったよ…どうして撫でてくれるの? 可哀想? 誰が? 亮くん? 僕も可哀想? 同情してくれたの? 実はすっかり忘れてたんだけど、メイを見たら急に思い出してしまった…こっちにおいで。

オリエンタル・ジョイクラブを使ったのは初めてだけど、こんな子が来るなんてな。顔が小さくて脚がすらりと長くて。本当に綺麗な子だ。メイ、耳元から首筋、脇の下も、若さが匂ってくるよ…肘も手のひらも、指先まで綺麗だよ…頬っぺがすべすべだ、まだ髭も生えないんだね…くすぐったい? 舐めさせてくれよ、後で洗ってあげるから…こんなおじさんじゃ嫌だろうね…でもすぐいい気持にしてあげるよ…そう、もう少しお尻上げて…こうすると気持ちいい? ここも綺麗なんだね。ピンクの花びらみたいだよ。中国語では何て言うの? 菊花? 日本語と変わらないね。

メイって本名なの? 何て書くの? 「梅暁林(メイシャオリン)」美しい名前だね。「梅」ってお母さんの名字なんだ。メイもお父さんがいないんだね。

 

もう三時間経った? 早いね。いいよ、そのまま行って。僕はもう少ししてから出る。年寄りはこうやって湯舟に浸からないと疲れが取れないんだ。次もメイを指名するよ……今回は上玉だったな。売れっ子なんだろうな…明日からまたバンコクか。めぼしい子もあんまりいなくなったし、次はスリランカあたりに行ってみるか。混血が多いらしいし、黒いのや白いのや…………おっと危ない、ここで居眠りなんかしたら土左衛門だ…なんだ? 頭が重い、沈む、なんでだ? 頭、押さえてる?…メイか? ふざけてる? 動けない、沈む! こいつ本気だ……苦しい、苦しい、これで終わりなのか……何か聞こえる……メイ、何か言ってる…チー…イン…知音

 

(二)

老板娘ラオパンニャン、と言いながらメイが食堂に入って来た。テレビを見ていた女将の陳副社長は二重顎を回して小梅シャオメイ、と声を掛ける。小汚いテーブルの冷えた油条ヨウティアオをつまみ食いして、メイはそのまま食堂脇の風呂に向かった。
「体洗ってこなかったのかい?」
「もう一遍洗う。汚ねえ親爺だったよ」
「商売だろうが」
「臟東西,給我打死了」(汚ねえからぶっ殺してやった)

言いながらメイは壁を拳でドーンと叩いた。ぎょっとした女将の目の前にメイは片手をぬっと突き出した。女将は顔を顰める。
「素手でゴキブリ殺すのやめな」

メイはニヤニヤ笑いながら服を脱ぎ捨てて白い肌を見せた。シャワー音に混じっていつもの歌が聞こえて来る。来日して30年になる女将は、最近の大陸の流行歌は知らない。

 

天涯何處覓知音?   この世のどこに本当の友がいるの?

你敢不敢為我死? あなた、私のために死ねるの?

 

(三)

梅暁林、中国人、年齢21歳、住所横浜市中区、まで確認した加賀町警察署の署員は、容疑者が人懐っこい笑みを浮かべているのを見咎めた。
「どうして笑ってるの? 何か嬉しいことでも?」
「すいません、笑うは習慣です。お客さんの前いつもにこにこ言われてる」
「ここでは笑う必要はないよ。さて、4月14日の夜はどこにいましたか」
「お店にいました」
「オリエンタル・ジョイクラブだね。8時頃にホテル月に行ったね?」
「はい」

梅はその時の客は松本孝一であることを写真で確認し、三時間出張サービスで、8時に入って11時に出たと答えた。
「ちょうどその11時頃に松本さんは死亡している。それについて何か知っていることがあるのでは?」
「僕が出る時、松本さんはお風呂入ってました」
「松本さんはそのお風呂で溺死している。何か知っていることがあるだろう?」
「とても疲れてました。松本さんは老人は疲れる言ってました」

平然と答えた梅に、署員はやや声を荒らげ、松本は酒を飲んでいなかったし特に持病もなく、風呂で溺れる理由がないこと、松本が最後に会ったのは梅であることを挙げて、知っていることを答えるようにと迫った。梅は無表情のまま分かりませんと答えた。
「こうして頭を上から押さえつけて、二分ほど経てば人は溺れて死ぬんだよ。そうだな?」
「分かりません」
「日本語が分からないの?」
「日本語、分かります」
「松本さんを風呂に沈めて殺害したね?」
「いいえ」
「お前しかいないんだよ。殺したんだろう?」
「殺してない」
「もう全部分かってるんだよ。殺したんだろ?」
「殺してない」

脅しても凄んでも、切れ長の黒々とした目からは何の表情も読み取れない。この辺のチンピラでは初めて見る顔だが、なかなか腹が据わっているなと署員は思った。逮捕してはみたものの殺人の明確な証拠はない。そこで戦法を変えることにした。
「2011年にお母さんと遼寧省大連から来日しているね。何の目的で?」
「親戚の仕事手伝うの目的です」
「学校には行かなかったの?」
「行きましたけど、いじめられたからすぐやめた」
「東京で怒羅権チャイニーズドラゴン系の神州団に入っていたことがあるね?」
「はい、でもすぐやめた」
「そこでは何をしていたの?」
「何もしてない。一番下っぱ。殴られて、パシリして」
「神州団は違法ドラッグの裏販路の前線基地だったな。何もしてないはずないだろう。売り子か運びをやったんじゃないのか」
「してない。僕はゲイクラブ」

梅は相変わらず淡々と、仲間入りの数日後にリーダークラスの者たちから輪姦され、ゲイ専門の売春クラブの店員となったことを語った。署員はこの方面での聞き取りは無駄だと判断した。この美貌ならゲイクラブにやられるのも無理はないし、旧神州団の活動歴を調べても梅の名前は見つからなかった。そこでまた話題を変えることにした。
「お母さんのことを聞いていい?」

紙のようだった梅の顔にわずかに表情が現れた。
「お母さん、梅艶さんは2011年に来日して、豊島区の免税店で二年ほど働いた後、下田の船宿へ働きに行っているね。一緒に行ったんだね?」
「はい。でも僕すぐ戻って来た。お母さん、事故で死んだから」
「釣り船の宝新丸が貨物船と衝突した事故だね。五人の不明者のうち、お母さんだけが見つからなかった。君は中国人だからちゃんと探してくれなかったと、日本人を恨んでいたと聞いている。今でも恨んでいるの?」

白い顔が徐々に赤く染まって行き、やがて長い目尻までカッと見開くと梅は叫んだ。
「違う! 違う!」
「あの時は本当に捜索が難航したんだよ。時化が来て水が濁っていて、入り組んだ岩場もあって探し切れなかった。本当なんだ。絶対に中国人だから探さなかったんじゃない」
「知ってる! 僕は日本人恨んでるじゃない。お母さん死んだは僕が悪い。僕が東京嫌と言った。お母さん、本当は東京で仕事したかった」

神州団から逃げるためかと尋ねた署員を無視して、梅はガタンと音を立てて立ち上がった。腰紐でつないだパイプ椅子が宙に浮いた。
「お母さんは仕方ない、釣りの船の仕事やると言った。あそこなら住むところあると言った。あそこはいじめられなかった。親父さん、僕も船乗っていいと言った。でも僕、船乗ると気持ち悪い。お母さん船強くて、お客さんと毎日釣り行った。それで事故あった。親父さん謝ったよ。泣いたよ。でも悪いは僕。東京いれば事故なかった。僕が東京嫌と言っただから…」
「落ち着いて、さあ座って」

ギリギリと噛みしめた唇が血に染まって、端正な白い顔が苦痛に歪んだ。
「いつも思ってる。僕、代わりに船乗って死ぬがよかった…」

 

(四)

松本孝一の溺死体には特に抵抗した跡は見られなかった。遺体から梅暁林の組織片がいくつか検出されたが、性的サービスの後であり殺人の証拠にはできなかった。三時間コースの料金を受け取っただけで金銭等強奪の事実なし、怨恨等の関連もなく、殺害の証拠動機共に認められずで、梅暁林は釈放された。

梅が釈放を知った際に聞こえて来た鼻歌は、留置場でいつも口ずさんでいて同室の者から苦情が来ていたものと同じだった。担当官がそれは何という歌かと尋ねると、梅はニコニコしながらサラサラと歌詞を書いた。

念のためにと留置管理課より届けられたメモを、捜査一課は警察通訳に訳させてみた。

 

天涯何處覓知音?   この世のどこに本当の友がいるの?

你説你知我的心     あなたは私の心が分かると言う。

 

一見しただけでただの流行歌だと打ち捨てられたが、これに続く歌詞を警察が知ることはなかった。

 

你敢不敢替我死?  あなた、私の代わりに死ねる?

你敢不敢為我死?  あなた、私のために死ねる?

2018年5月11日公開

© 2018 大猫

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3.8 (10件の評価)

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"知音"へのコメント 10

  • 投稿者 | 2018-05-22 17:26

    お題は現代ノワールとのことですが、基準を愚直に見ますと、大猫さん、長崎朝さん、Juan.Bさんがかろうじて満たしているなと感じました。現代のノワールとするからには、現代特有の事象を扱うことが必要で、またその内容も男女の痴話喧嘩や単なる冷笑で終わってはならないでしょう。男女が喧嘩するなら1950年代のノワールでも出来るからです。多くの方が外してしまっているのは残念でした。
    大猫さんとJuan.Bさんは移民問題、行動する保守とヘイトスピーチ問題といった新しい型の差別問題、管理社会化といった問題を扱い昇華されている点で同率1位としました。Juan.Bさんは激、大猫さんは静という違いがありますがどちらも得がたい作風でした。長崎朝さんはフィリップ・K・ディック的世界観を独自の観点で構築した点で、現代よりやや未来に向いている感も考慮しましたが2位としました。

    最後に、破滅派は是非関西方面の文フリにも参加していただきたいです。

  • ゲスト | 2018-05-23 20:03

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  • 投稿者 | 2018-05-24 13:22

    んー!!!本当にド直球でした!!これは「現代ノワール」ですね…!!巧いなあ……。

  • 投稿者 | 2018-05-25 00:45

    冒頭の亮君の話がとっても良かったです。個人的にはここが一番のお気に入りでした。ちょっと勇気の足りない亮君が、他人のがまんのできなさによって簡単に死んでしまう。そんなちょっとしたことが、男の人生を大きく変え、長い時間の経過ののち、最期はメイに殺される。話の導入として、とても上手いなと思いました。

  • 投稿者 | 2018-05-25 23:18

    10枚の掌編なのに数字を振って細かく分けている点、3点リーダーの奔放な使い方、社会的弱者の怨念がこもっている感じは、いつものJuan B.さんの破滅的作風を強く連想させる。それが悪いとは言わないが、大猫さんの作風が最初のころよりも着実に破滅のほうへ近づいていることは間違いない。中身は当然最高に破滅派だ。星5つ!

  • 投稿者 | 2018-05-26 15:57

    時間的にも空間的にもスケールが感じられ、豊かで完成された小説世界に引き込まれました。この分量にもかかわらず、得られる情報は多いと思いますし、過剰にならずにさらっとやってしまえるところが素敵です。バランス感覚のある作品だと思いました。

  • ゲスト | 2018-05-26 16:02

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  • 投稿者 | 2018-05-26 23:52

    冒頭の微に入り細を穿った回顧シーンを読みながらこういうの好きなんだよな~と思いました。全体的に特に難はないと思うのですが、読み終わったあとにもっとガツンとくる動機があるとおもったけど読み飛ばしたのかな?と確認してしまいました。殺しはある種の異常状態なので文章にあえて引っかかる部分を作っても良いのではと思います

  • 投稿者 | 2018-05-29 04:56

    中国訛りが超絶リアルなのがさすがです。短い作品の中では状況説明に費やす比率がどうしても高くなってしまうのがテンポを奪ってしまうのは悩ましいですね。本当はもっと長い作品になりそうなのをギュッとバランスよく圧縮してあるのが非常に巧い。

  • 編集者 | 2018-05-29 13:38

    10枚の掌編なのに数字を振って細かく分けている点、3点リーダーの奔放な使い方、社会的弱者の信念がこもっている感じは、いつもの俺の破滅的作風を強く連想させる。
    ……?
    天生萬物以養人,
    人無一物以報天,
    生生生生生生生

    中国と日本、大人と子ども、日本人と在日人、色々な背景と因果が浮かんでは消えていく、とても良い作品だと思う。とくに歌の使い方は恐らく破滅派では誰も及ばないのではないか。

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