でぶでよろよろの太陽(1章 の3)

でぶでよろよろの太陽(第3話)

勒野宇流

小説

1,497文字

   (1章の3)
 
 
 川があり、砂利道は、それを渡るほんの十数歩分だけ舗装路になる。錆びた欄干に手を付いて下の流れを覗き込むがよく見えない。それならばと、橋の脇から降りてみる。足元がよく見えずに危険だが、転げ落ちたところでどうということもない。むしろ自然を駆け回っていた幼い頃の記憶に結びつき、懐かしさを満喫できることだろう。
 
 それでもやはり、意識せずとも慎重になる。重心を落とし、一歩一歩足場を確認しながら、河原へと降りていった。
 
 水の流れる音が耳に広がる。雨季でないのに、意外に水量が多い。川っぷちまで行くと、水の音に耳がふさがれた。
 
 一面の赤い世界。水も草も石も本来の色ではなく、夕日が独自に、画一的な色に作り変えていた。川の中央、波立つところだけが金色に輝いている。しかし、光っているのはそこだけ。川全体は赤黒く、浅いのか深いのか見分けがつかない。
 
 聴覚をふさがれることが、妙におそろしい。視覚をふさがれるのとはまた別の恐怖があった。飛行機やバイクの爆音に耳が覆われるとき、まるで目の前で見ているものが現実の世界ではないような、宙に浮いたような感じになる。あの機械音ほどではないが、水の音だってやはり怖い。目の前の川と、妙に距離があるように感じる。
 
 わたしは川から離れて音を緩和する。そして手頃な大きさの石を拾い、川に投げ込む。しぶきは上がるが、着水音はかき消されて聞こえない。ふと、子供の頃、あんま釣りをしたときのことを思い出した。夏休みに父親の田舎で何度かやったものだ。浅い川の中にジャブジャブと入っていくその釣り方は、地域の子どもには一般的なものだった。短い竹竿に、竿よりいくぶん短めのしかけを付ける。川を覗き込むように屈んで立ち、竿の先を川下に沈めて前後に動かす。とても単純な釣り方だ。餌は川虫で、浅瀬で手頃なサイズの石を持ち上げ、へばり付いているピンチョロや黒川虫を剥がして付ける。
 
 あんま釣りは夕方から始めることが多い。川に身を置く釣り方なので、闇に姿が溶け込む時間の方が釣れやすいからだ。
 
 わたしは釣りになど興味がなかったが、田舎でのあんま釣りだけは別だった。釣りそのものよりも、日の落ちたなかで周囲を水で囲まれるという、体の内からわき起こる怖さが好きだった。
 
 昼間に見る水の流れ、それも暑い時期のそれは、とてもやさしい。特に子供が遊ぶような浅い川は。しかしそんな川でも日が暮れれば様子を変えた。子どもの膝すら見えてしまうような川なのに、光が薄れた途端に深さの見当が付かなくなる。底なし沼のように水の中に引き込まれてしまうかもしれない。大きな人食い魚が近くをうろついているのではないか。そんな馬鹿げた考えが頭に浮かんでくるのだ。
 
 こうやって齢を取っても、水への恐怖はさほどの違いがない。わたしはしばらく川面を見つめてから、土手を上がっていった。
 
 電柱はひょろっと伸びる柿の木のようだ。木製で細く、頼りない。何本かに一つといった割で、電灯が付けられている。弱々しい灯りで、真下をぼんやりと映し出す程度。照らす、などとはとても言えないような光量だ。
 
 電柱はどれもが傾いている。しかし当然だろう。アスファルトで整地された、まっ平らな地面ではないのだ。
 
 じっと電灯を見つめると、フィラメントの残像が瞼に貼り付いてしまう。弱いくせに、目にやさしくない光。カナブンが当たり、硬い音が響いた。
 
 錆びついたドラム缶にはビンが山盛りになっている。木製の掲示板に、文字が消えかかっているわら半紙が貼ってあった。
 
 白木の道しるべには『塔ノ湯』の筆文字。手書きの文字で、『塔』の字が大きく、バランスが悪い。もう少し歩けば温泉場だった。
 
 

2017年12月3日公開

作品集『でぶでよろよろの太陽』第3話 (全30話)

© 2017 勒野宇流

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