でぶでよろよろの太陽 (2章 の2)

でぶでよろよろの太陽(第5話)

勒野宇流

小説

2,307文字

   (2章の2)
 
 
 開いているガラス戸の幅は痩せた子どもが通れる程度のもので、わたしは戸に手をかけて横に滑らせた。レールに砂が噛む、いやな音が響き渡る。顔をしかめながら店に体を入れたあと、ガラス戸の端を握る手に力を込め、極力音を立てないよう持ち上げ気味に閉めた。戸の枠の木目が、手のひらにいい感触を与える。
 
 戸を閉めたわたしはくるりと振り向き、さぁ懐かしい駄菓子でも見て回ろうと一歩踏み出した。そこで、強い視線を受けた。
 
 まるで置き物かのように座っている、やせぎすの老婆。遠慮のない、下から見上げる視線。不意だったこともあり、わたしは息を呑んで一歩あとずさる。老婆はこの店の主なのだろうが、しかし快く客を受け入れようという気持ちは、微塵も感じられない。
 
 わたしが子ども時分にかよっていた駄菓子屋は、客が来るたびに店主がサンダルをつっかけて出てくる形態だった。そのイメージがあったので、店主がいて、いきなり睨みつけられることになるなど思ってもみなかった。
 
 老婆は胡散くさそうにわたしを見る。正面からではなく斜めに顔を向け、眉間にしわを寄せて上目遣いに。口はへの字に閉じられ、むずむずと動いている。
 
 もっとも、そんな態度を取るのも分かろうというものだ。背広姿のいい大人が、ふらっと入ってきたのだから。本筋の客層から大きく外れていることは承知している。それでも、だれ一人知る者のいない村のことで、遠慮なく振る舞うにはこれ以上ない土地。わたしは視線を無視して老婆を通り越した。
 
 奥で子どもが一人、じっと駄菓子を見つめていた。

「ほら、早く帰らんと」
 
 老婆はだみ声で子どもを促す。その声に含まれるのは、遅くまでうろついている子どもへの配慮よりも、店を閉められない苛立ちだ。待ってあげたところでたかが知れた額なのだ。子どもは敏感だからその辺りのことは感じ取っているが、貴重な貴重なこづかい、どうやったら最も満足できるカタチで使えるのだろうという大問題を抱えていては、雰囲気に圧されていいかげんに選んでしまうわけにはいかない。
 
 わたしはそのやりとりをぼんやりと見ていた。そうそう、少年というのは駄菓子屋のおばちゃんと相克を繰り返していたものだ。早く選べと追い立てられ、べたべた触るなと小言を浴びせられる。理不尽な扱いを受けているというのに、駄菓子屋の定休日には手持ち無沙汰と寂しさを感じてしまう。子どもたちを引き寄せる、まか不思議な場所なのだ、駄菓子屋というのは。
 
 わたしは駄菓子の棚に目を向ける。いくら田舎の店とはいえ、木枠のガラスケースに入っている、というほど時代がかっているわけではない。商品はそれぞれ個別包装されて並んでいる。それをいくつかつかんで老婆の前の台に置く。黒ずんで板目がほとんど失せた、年季の入った木の台だ。手の垢と小銭の汚れがたっぷりと沁みこんでいることだろう。
 
 わたしの思い出の中にある駄菓子屋には、こんな会計台などなかった。アイスの製氷機が代金の受渡し場所になっていて、ガラスの開け口に小銭でも落とそうものなら派手に舌打ちされたものだった。
 
 老婆は駄菓子を見ながら五つ玉のそろばんをはじく。これもまた指の脂が沁み込んで、黒いプラスチック製のよう。しかし弾かれる玉の音は間違いなく木のそれだ。わたしは小学生の頃にかよっていたそろばん塾を思い出した。
 
 紙袋は台の下から取り出す。駄菓子の分量に合わせ、大小さまざまあることだろう。
 
 わたしは小銭を台に置き、紙袋を持って店を出た。そして再び、夕日に照らされた砂利道を歩き出す。買った駄菓子は歩き食いなどせず、店の軒下で食べなさい。先生からちょくちょく注意されたものだが、今や四十もなかばをすぎたいい大人だ。それくらいは許してもらいたいものだ。
 
 1個10円の、だいだい色のビニールに包まれたラムネを取り出す。捻られた上部を反対に捻って包みをほどくと、大きな、これもだいだい色のラムネがひとつだけ入っている。風呂の栓、といった程度の大きさのもの。わたしはポイと口に放り込む。子どもの頃はずいぶん大きく感じ、ちょっと熔けるまで口の中の動きが取れなかった記憶があるが、こうしてあらためて口に放り込むとさして大きく感じない。口がでかくなったということだろう。
 
 口中に安っぽいオレンジの香りが広がる。とても粉っぽい。やはり記憶していた味とずれがあるが、懐かしさは充分感じられる。
 
 駄菓子にラムネは多く、種類も多かった。口に入れた途端に熔けてしまうものと、熔けるまでにある程度時間のかかるものがあった。オレンジラムネは時間のかかる方だ。しばらくころがしていると角が崩れて丸みを帯びる。わたしは子どもの頃もそうだったように、噛み砕きたい気持ちがわきあがってくる。それを抑えながら口の中でころがし、ゆっくりと味わった。
 
 手の中に残ったラムネの包みを見つめる。オレンジ色のビニールの、ちょうど中心に楕円で黒くなっている部分がある。クジになっているのだ。暗くてはっきりは分からないが、近づけて目を凝らすと「当たり」と書いてあるようだった。わたしはすぐさま引き返して駄菓子屋に入り、包装紙を見せた。だが老婆はじっと動かない。訝しげな表情でわたしを見て、さらにはあらぬ方向に視線を向けて黙っている。昔からそうだ。駄菓子屋の店主は「当たり」が出たっておめでとうなんか絶対に言わないし、態度にも出さない。それならこちらも黙ってもう一つ取るだけだ。証拠の包装紙を台の上に置いて、ラムネをひとつ摘んだ。まだ駄菓子を選んでいた少年がうらやましそうに見つめていたので、わたしは当たったラムネを渡した。わたしはばあさんの舌打ちを背に、店を出た。
 
 
 

2017年12月4日公開

作品集『でぶでよろよろの太陽』第5話 (全30話)

© 2017 勒野宇流

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