「姐さんも御人好しだね」
などと云い、内心白痴と罵ったのは、赤子の写真を視た所為で。郁子を得意の手段で籠絡し、餓鬼でも出来る使者に遣れば、大事な物を忘れて行った。肝心の写真は部屋に置き放し。年増女の有頂天、出掛ける段で気が動転。疑われるのは俺じゃない、面倒だから破いちまえ——と、両手で持った即席写真、其処は矢張り赤子の笑顔、残酷だった破壊衝動も萎える。俺だって、そんな大人じゃ無いんだよ——嬰児の強請がましい可愛さに、破けないのも擬かしく、放と投げた。板張に着く其の刹那、翻然と宙に舞い戻り、再び武留の足元へ。再度、笑顔。烏賊墨の褪せた写真には、長い月日が宿ってる。一、二年では出せない色味、今頃は小学校でも上がったか。屹度この子が生まれた頃は、俺もまだ——。
何を苛ゝしてるのか、凡そ理由は知れて居る。数多有る歌小屋の中で涅槃島が行き先なのも因縁めいて、僅かな一語、武留の胸を掻き乱す。
愚図ゝゝすれば、兄貴燕が戻って来るが、感傷を足に纏っちゃ歩けない。街角芸能の節回が耳で、忘れたのか——と、呼び掛ける。
西海岸に東海岸、新世代に旧世代、愚連隊に日本人。郁子の電音の音響装置の周りに並ぶ、小畜音盤の背が懐かしい。一枚掛けては往時を思い、他を掛けては悦に入る。
と、肩を揺らして夢中になれば、背の方から暗い声。
「今晩は」
武留は返事も返さずに、凝と男を見詰めていたが、郁子の身の上話を思い出し、島津さん——と、呼び掛ける。
「あ、何処かでお遭いしましたか」
「風評で少し」
どんな風評——と、笑う島津は、問いを重ねる事もせず、其の侭奥の部屋へと入り、一升の樹脂瓶を持って来た。
「飲めますか」
「少しなら」
「そりゃあ良い。僕は極度の人見知りでね、御酒が無いと、眼も録に合わせる事が出来んのです」
はは——と笑った其の顔は、鼻まで髪で隠れたまんま、細面だから、幽霊なんて野暮な徒名を付けられそうだ。しかも上下が黒ずくめ。膝の出た部屋着洋袴、そして何故だか其の上に、御徒町いらで安く買ったか、此れ亦黒の牛追夫襯衣。匂いからして着た切り雀、肘膝は生地が擦り切れ、透けている。燕と呼ぶには黒過ぎる。鴉と呼べば鴉に悪い。
「何卒、一口」
洋杯に注ぐ焼酎は、巨い樹脂瓶で「大五郎」。島津は急と一息に煽って見せる。其れから僅か半刻も過ぎない内に、瞳が泥酔と座ってしまう。
「君は、彼女の何なんだ」
「落し物届けただけで、親しい訳じゃないですよ」
「如何せなら親しい方が、良かったのによ」
島津は平ゝ笑いつつ、自虐の詩を歌ったが、話の重みに笑う撓みが歪んで潰れ、直ぐに場倒と崩れ伏す。
股の間に手を挟み、眠る姿は寝汚い。郁子に同情する気も起きてくる。とは言えど、我が身を他人の眼で眺めれば、そう笑っても居られない。島津は未来の武留の姿。自堕落は伝染病じゃないけれど、長居は無用。
このまま逃げても仔細は無いが、変に揉めちゃあ厄介だ、其れに写真も有る訳で——と、武留は島津に毛布を掛けて、写真を襯衣の内袋に。皺の細工が繊細な襯衣の後方で、平露舐と舌を出したよに飛び出た標札に子供風、微かに覗く盆の窪には盾の刺青。
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