僕は身体を、西馬家の今治タオルで拭かせてもらう事になった。ひと目で高級なのだと分かったし、これで血を拭くのは申し訳無かった。勿論、今まで体験した事の無い上等な質感と触感だったが……。
「……うんうん。綺麗になったね」
僕の目の前には、血で真っ赤になってしまったタオルと……そして僕の身体を拭いた西馬琴葉。
あの後、彼女はお詫びと言って僕の身体を拭き始めたのだ。……それはもう、外から中まで丁寧に。
彼女は作業をしている間、「おにいさんは毎日頑張ってるねえ」だとか、「早くボク、おにいさんと一緒に幸せになりたいなあ」とか言うせいで、すっかり参ってしまった。
……正直に言うと、今僕は彼女との距離と本心を掴みきれずにいる。彼女は形容するならば、不思議の国のアリス。
メルヘンという世界に溺れていて……そして僕との幸福を手に入れる事を望んでいる。だがそれは……自殺という手段を用いるのだ。
この事を考えると、彼女の現実と空想のギャップに僕は思わず吐き気を催してしまう。
……不思議の国のアリス。
現代、コンクリートに塗れた灰色の街に住むアリス。アリスは白兎を追いかけ、ウサギ穴に落ちる。……その右手には鋸が握られていて……。
彼女は中学生。もう生命の死という概念についてはある程度理解している歳だ。今はどうか知らないが……小学生の頃に兎なんかを死ぬまで飼育して命の尊さを学び、皆人としての最低限の道徳を持つものだ。
だが彼女は……明らかに何処か、いかれている。普通の女子中学生と同じ様な道徳を持ち合わせていない。……だって、おかしいだろう? 死んで幸せになろう等……。僕はそんな彼女と接している中、ある事実に気付いた。
彼女には保護者と呼べる保護者が家の中に居ない、という事だ。彼女の両親は揃って海外に居る。彼女の身の回りの世話をする家政婦の様な人物は居るのだろうが、僕が入っても何も問題が起きない程、彼女を放っている。
……やはりそうだ。……彼女の周りには、彼女の異常さを指摘してくれる人物が居ないのだ。だから彼女の異常さはどんどん増幅していくし、それを止める術も無い。
……まだ今はいい。中学生だから許される行為もある。だが彼女がこの倫理観を持ち続けたまま成人してしまったら……。彼女はついにただの犯罪者となる。
僕はふと、作業が終わってソファでうとうと首を揺らす琴葉を見た。……こんなにも純粋無垢で、いたいけな雰囲気を持ち合わせていて……綺麗な女の子は今まで見た事が無い。
こんな少女が犯罪に染まる所なんて、僕は見たくない。……なら。
僕が、彼女を守るしかない。……そして、教えてやるのだ。正しい愛の手に入れ方を。正しい幸せの手に入れ方を。正しい愛し方を。
僕はソファにそっと腰掛け、彼女を抱き寄せた。
すやすや寝息を立てる彼女の酸素が消えてしまわない様に、僕は出来るだけ息を止めていた。……それで、太陽が沈みながらしばらく時間は過ぎていった。
その時間だけは、彼女を守れた。……それで、十分だ。
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