<ある学生新聞からの抜粋>
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ジャンプ用の浮石としての二〇二三年(リンギンズ氏インタビュー)
文責:菫ニードル<D状態のコケシ>
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呵呵!
人類群シミュレーション学が潔癖な精度で、見るのもイヤな様々な事象の因果のもつれを整理し、新しい歴史観を打ち立てることに成功したのは御存知の通り。これまで無価値だった二〇二三年が突如脚光を浴びたのも、この分野が散らした派手な火花のおかげだ。
しかし、因果をほどくための立役者たる二〇二三年への関心が高まり続ける一方、意外にも二〇二三年そのものへの注目は挑発的な低空飛行を続けている。なるほど、乗換駅はあくまで乗換駅に過ぎず、その駅にどのような人々の暮らしがあり、どのような文化があり、どのような食生活があるかということは人々の関心を引かないのだ。二〇二三年は未来から過去へ遡る道に横たわっているが、人々は注意深く跨ぐかそのまま土足で乗り越えてゆく。さながら花火大会に集まった空ばかりを見上げる群衆が、路上で寝転ぶ犬やバッタを容赦なく蹴飛ばしたり律儀に踏み潰してゆくようすに似ている。
かわいそうに、駅前のトイレのすべてが満員だったために河原の草むらに駆け込む浴衣の女性の背中を見送ったことがある。しばらくして女性は浴衣の狭い歩幅で駆け戻ってきて「先客がいたの」と一言漏らした。
著名な比較年代学者が言った。「二〇二三年とはこの惑星の歴史上、最も無意味の一年間であり、見るべきものはなにもない」
この瑞々しいお言葉の影響力が、人々の脳漿を水漏れした板床のように傷ませていた可能性がある。だがその断言調のお言葉の根拠となる研究データはいまだ断片的にしか公開されておらず、しかもそれら断片ですら醜いペダントリー、単なる言葉の廃墟であるということは、わたしなりに、あくまで非断言調に、一言しておく。注釈が言い訳に化けるとは、なんとも情けない。
わたしたち学生の出番がここにある。
理解ではなく信仰を促すような耄碌を許さず、自らの知的好奇心に従い、客観的事実を根拠にして正しさを追求する、わたしたち学生の出番が。
少なくとも、この学生新聞の一記事を任されているわたしは、自らの無知迷妄ぶりを胸に自戒しつつ、それでいて純粋で恐れ知らずの知的好奇心のみを導師と仰ぐ心づもりでいる。
二〇二三年の実地調査、つまり実際にその過去を生きた人物への取材が困難を極めるのは、人間の寿命がとっくに乾涸びてしまうことによる。最もリスクの低い延命技術といわれる Re-Live が開発されたのは二〇五一年。そこから、人々の精神的障壁の撤去というこれまた時間のかかる啓蒙が求められ、一般化したのはそこからさらに数年後。
しっかり探せば、延命処置を一般普及より前から実施している人物を一人くらい見つけられるだろう、と自分でもわかりきった気休めを口にするけれど、これは海底の沈没船に価値の曖昧な財宝を期待しながら、海上の同じ円周をぐるぐると航行するのと同じ仕草とみえる。・・・・・・財宝?
改めて、わたしは熱心な学徒である。理性が否定する可能性にすがって、延命技術に偏見のなさそうな職業からしらみ潰しにコンタクトを取っていった。魚の目専門医師、ゴムのような看護師、電子ピンポンのプロ選手、低俗天界論理学者、鍼灸メンタリスト、猟奇的なファッショニスタ、顔面の斜面角度に極度の自信を持つインスタグラマー等々・・・・・・。ついにわたしは見つけ出した!
わたしが発見したその人物の名前に、読者のみなさんは驚くかもしれない。少なくとも最初に驚いたのはわたしで、取材を快く受けてくれるという話を聞いて、わたしは感極まる思いだったし実際「オーマイガ」と口走った。
その人物とは、魔術と科学の倫理学についての最初期の理論書である「催眠漂流」の著者にして、魔術批判の急先鋒として今も活動を続ける吝嗇作家リンギンズ氏である。彼/彼女がいけ好かない人物だったとしても、当コラムのインタビュイーとして登場してもらえるのなら、いわば、ゼロサムである。
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時は移って取材当日、わたしは指定された氏の私宅(つまりわたしは光栄にもお呼ばれしたというわけだった!)である古いヒプナゴジック様式の、人間的ぬくもりがことごとく排除された金属質な客間に通された。金属製の蒸気人形が運んできた温かい紅茶が白い煙を上げていた。シトラスの香りがした。私が座る席の向かいの壁際に巨大なひな壇があり、鎮座する数百体の手の平サイズの人形が見下ろしてくる。一つ一つに、意味深な微笑が浮かんでいる。
待ちながら様々なことを考えた。だが、そんなことを思い出すのは紙幅の無駄だから、すぐに数分後、八脚の移動装置に乗ったリンギンズ氏が顰め面で滑るように入室してきた場面に移ろう。
悪く言えば羽をむしられたフクロウのような姿のリンギンズ氏に挨拶するため、立ち上がろうとするわたしを「時間を無駄にしてはいけません」と言って制止して「人生は有限ですよ、きみ」と、リンギンズ氏は温もりのある口調で続けた。すると氏の背後の棚に並ぶ人形たちが声を上げて笑い出した。すべての人形は氏と同じ顔をしていた。
余談だが、時は金なりという言葉は、時間こそが最大の価値という意味ではなく、時間ですら金で買うことができるという意味だということを最近知ったのだが、読者のみなさんも知っていただろうか? 人は労働で失った時間を金で買い戻そうとする。世の中では、そこに商機が生まれ続けているというわけだ。
「お静かになさい」
リンギンズ氏がざらついた声でそう言うと、背後で騒いでいた人形たちは一斉に黙った。わたしは手短にスケジュールをあけてくれたことへの感謝を述べて、早速インタビューを開始した。
菫ニードル<D状態のコケシ>:このたびはインタビューをお受けいただきありがとうございます。
ドアを蹴破ったそのままの勢いで、エンジニアはリンギンズ氏の頭部に電流グローブを押し当てた。頭皮への文字通り電撃的な奇襲だった。「あ、あ、あ、」とリンギンズ氏は呟くと、そのままがくんと脱力して動かなくなった。死んでしまった、というよりは機能を停止させてしまったという方が正しい。この機能停止というのは、人間で言うところに死に相当しない。死んだ人間は再起動できないが、機能停止はあくまでもダビングしてある意識のうちの一つの機能不全であり、早急に意識をスワップすることで、最大ダウンタイム15秒以内には復旧する。常識ではあるが、この範囲が未履修の初学年向けに、機能停止プロセスについて少し補足した。
すでにリンギンズ氏は首元にナプキンを付け、トレイの蓋を開けていた。トレイの上で厚さ3センチほどの、焼けば美味しくなりそうな生肉が血をにじませていた。「生体認証が通らないときの、奥の手なの。リンギンズの生肉」リンギンズ氏はそう言うと、手掴みで肉にかぶりついた。
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