【真夏の避寒エッセー】まことに不本意で・・・・・・

燐銀豆|リンギンズ

エセー

3,485文字

盛夏の候、皆様健やかにお過ごしのこと・・・・・・(以下略)

建物がつくる日かげからオレンジを絞ったようなぬらりと光る日なたへ足を踏み出すとすぐ、強烈な夏の西日に彼女は顔を焼かれた。日傘よりも低く鋭い角度で飛散する太陽光――彼女はそれを毒光線と呼ぶ――を防ぐためには、日傘を構えなおす必要があった。その黒い日傘の中心には「殺」という文字が白抜きされている。真昼に傘をさしていればその言葉に仮託された想いは垂直に宇宙の、水素原子たちが乳繰り合う盛り場、またはあらゆる諸悪の光源へと届いただろう。でも、今日このときに限ってその一単語は、忘却の流れるプールをのんきに泳ぎ続けるなにも知らない市井の人々へも向けられていた。垂直ではなく水平に差し出されて。

よろこばしいことだ。どのような種類のものであれ、強い感情を持つということは。確固たる価値観を持つということは。

他者の価値観に迎合し、他者の意見を尊重すればするほど、壁に囲まれたわたしたちの陣地は狭まり酸素は薄まり、呼吸困難の酩酊へとまっしぐら。不完全な呼吸がもたらす意識の混濁は時間を加速させ、さながら生きているのに死んでいる、そんな状態の中にわたしたちをぐいと押し込む。さながら家計にひびく悪戯をした子どもを、狭いクローゼットに押し込む調教行為のように。ああ、鼻孔をくすぐる防虫剤のクスノキの芳しい香りがなつかしい!

繰り返しになるけれど、よろこばしいことだ。強い感情と確固たる価値観、加えて他者否定の精神さえあれば、死にかけの健康体から生き生きした死にぞこないという鮮烈な生き方へ、わたしたちは開放されてゆくだろう。

そんなことしたら嫌われ者になってしまうのでは、と一抹の不安が? でも、誰に嫌われることを気にかけるのか。 政治家でも、芸能人でも、スポーツ選手でも、芸術家でもない、誰からも認知されていないわたしたちが、嫌われることを恐れる必要があるだろうか? むしろ、堂々と生きれるのでは。

 

 

盾のように傘を傾けた彼女の周りで風は止み、アスファルトから立ち上る熱気は38度を超えている。焼け石に水ならぬ焼け石の街路樹は、熱射に焼かれてすべて褐色に枯れた。土は粉末状になって乾燥している。犬がおちゃめに舌を出しながら白目をむいている。意識を失った蝉は地面に落ち、アスファルトとの邂逅のショックで起床、とっさにあらぬ方向へと飛び立ったけれどそれは天へと至る道、国道を走るスズキの HUSTLER のフロントガラスが蝉を抱きしめる。相対時速80kmの抱擁。

銀色の体液を撒き散らして、蝉の短い一生が終わる。悲しみは小さなしみとなって、粘性の輝きを放ちながら車と一緒に走り去る。

彼女の首筋やこめかみに流れる汗を、紫色のアサガオが描かれたハンカチ一枚で拭き取り切ることはできなかった。それは彼女にとっては当たり前のこと。暑いから汗をかくのだし、真夏であれば暑さが引くということはまず無いから汗は流れ続ける。だから汗を止めることではなく、むしろ汗として出ていってしまう分の水分を補給することを考えたほうが合理的。

どうしてか、わたしたちがその終わり無き汗拭きに感情を動かされてしまうことはひとえに、皮膚がめくれてむきだしになった肉のようにわたしたちの感覚が過敏になりすぎたと考えるべきだろう。汗が流れる。汗を拭く。汗が流れる。汗を拭く。以上。結構。他に言うべきことがあるだろうか?

奇妙なことに、言うべきことはある。なぜならわたしたちはそのとき、その繰り返しの仕草を見るとき、涙が出そうなほどの悲しみ襲われるのだ。もしもこれが感動の涙であるなら、わたちしたちはこれを胸の引き出しにしまっておき、虚栄心が働いたりしたときなどに引っ張り出してきて詩などにして発表すると良い。うまくいけば、プラスチック製の宝石のように見栄えのするものをでっち上げることができるかもしれない。

でも、これは、この鼻の奥の灼熱とともに絞り出されてきた涙は、わたしたちではない人たち(もしいるとすれば、だが。)がけっしてよろこばしいとは思わない、憎しみと呪いの反作用。むしろその突発的な事件の不可解さ不気味さに対して、紛れもない嫌悪感を抱くかもしれない。わたしたちは一面では、その状況を露悪的に楽しむことができる。でも別の一面では、子どもを皆殺しにされたシラスの親たちのように、よりいっそう悲しむだろう。むき出しの白い神経に冷笑の吐息が触れる、その痛みが永遠に共感されないという事実を受けて縮こまってしまう孤独な一匹の稚魚。

 

 

彼女はこの西日を傘で防ぎながら、どこまで歩いていくのか。

毒光線による目隠しの先に6階建ての総合病院がそびえる。健常者以外を決して通そうとしない城門のように待ち構えている。

彼女は4階の呼吸器内科に向かっているのかもしれない。血の気のない白い肌が示し続ける彼女の持病を抑え込むため、休日の夕方の予定は毎週埋まっていて、今後その予定が移動することはあっても無骨な藍色の革製のスケジュール帳から消え去ることは一生ない。むしろ、初めから来院予定がプリントされた1年間のスケジュール帳をオーダーメイドしてしまったほうが気楽かもしれない。

一階で受付を済ませ、エレベーターを待つ。可愛らしい病院着の子どもが、大きすぎるスリッパをペタペタと鳴らしながら通り過ぎていく。後頭部に毛が生えていなかったけれど、そのことに意味はないはずだった。

4階には別の受付があり、1階の受付で受け取った受診用の個人情報が入ったファイルを渡すとすぐに個室に案内される。部屋の中には医師の背中があり「調子はどうです?」と背中が聞き、彼女は「今まで一番」一呼吸置いて、「最低よ」と背中に向かって答え、手にしていた日傘の尖った先端を、悠長に振り向いた医師の右目に突き立てる・・・・・・。

わたしたちは、彼女になにを期待しているのだろうか?

現実での自己実現、あるいはささやかな進捗を期待していても仕方ない。あるのは停滞のみ。

自動車の排ガスの他に大気を揺らすものがない舗道に立ち尽くし、彼女の幻を追い続けているこの両目をふさぎ、毒光線の反射と網膜が結ぶ世界の像を、単一で退屈な視界を一度否定しなければならない。まるで、故障したアプライアンスの再起動を試すかのよう。この陳腐さは、もはや愛らしくさえあるのではないか?

あるいは人類のすべての偉業は、現在のこの退屈さ、凡庸さ、俗悪さ、極度の倦怠を花開かせるための種だったのだろうか? 精神に撒く窒素肥料のようなもの? わたしたちのなかに、腐った土から生えだす一本のイリスの花のような、そんな知性を持つ者はいませんか。教えてほしい。なぜ、わたしたちはここにいるのか? この灼熱の日差しの下で汗だくになっているのか? たまたま同じジェット機に乗り合わせた他人なりの縁を示して。

 

提示された比喩

 

電球が切れたので、家電量販店に行きました。さっそく照明コーナーで商品を選んでいると、すぐに汗だくになってしまいました。きっと、所狭しと並ぶ20台以上の照明が熱を持ってしまっているせいだと考え、店員に
「すみません、室温が上がっていて暑いので、照明を間引いてもらえますか?」
と頼みました。すると店員は、
「お客さん冗談でしょう? LEDのエネルギー変換効率をナメないでください。白熱電球じゃないんだから」と薄ら笑いを浮かべながら、さらに次のように続けるのです。「お客線自身の熱を考慮に入れましたか?」

急に恥ずかしくなって、あまり吟味もせずに照明の一つを購入しました。そして帰りのバスの中、店員の言葉を思い出して、青白く燃えるガスコンロの炎があばらの内側で揺れるところをイメージしてみましたが、自分の熱によって自分が汗を流すというのはどうしても納得できませんでした。

ところで、この話には続きがあるのです。店が暑かったのはLEDのせいではありませんでしたが、自分の胸の奥で揺れる炎のせいでもなかったのです。

というのも、店側があえて空調を暑めに設定し、客の正常な判断力を削ごうとしていたのです。これは一種の営業戦略ですね。暑さによって買い物中の客の自制心に揺さぶりをかける、それが店側の狡猾な狙いだったのでした。これは生政治の一例? いや、そんな大したものじゃないでしょう。

 

 

なるほど、ひどく悲しい話だけれど、涙を流すほどではない。

胸の奥に炎があろうとなかろうと、そんなことは当人だけが知っていればよいことなのだから。あるものはあり、ないものはない。じつにわかりやすい。

2023年8月20日公開

© 2023 燐銀豆|リンギンズ

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