鍵の束

殺虫小説集(第5話)

Y.N.

小説

2,040文字

 ゴミ捨て場で、犬の死骸を発見した主人公「俺」。イライラしていた「俺」は、つい、死骸を殴りつけてしまう。だがその直後、「俺」は、犬がまだ生きていたことに気づく。

 誰よりも善良で繊細な俺が、ある日、ゴミ箱を漁っていると、恥知らずにも、犬の死骸が転がり出てきて、自分の存在を俺に誇示した。俺の作業を邪魔するかのような、物言わぬ死骸の意思を感じたような気がして、俺は腹がたった。さながら、腐った果物の匂いを思いっきり肺に吸い込んだ時のような苛立ちだ。俺は苛立ちを抑えるべく深呼吸した。
 2秒吸い、5秒、吐く。
 2秒吸い、5秒、吐く。
 2秒吸い、5秒、吐く。
 何度も繰り返しているうちに、苛立ちは、ますます強まっていった。ふと、犬の死骸の下を見ると、腐った果物がそこに隠れていた。俺の鼻を、腐臭が、くすぐりにくすぐっていたわけだ。犬の死骸が、腐臭の原因たる果物を隠して俺の苛立ちの緩和を邪魔したかのような錯覚を感じ、俺はますます腹がたった。
 犬の死骸め! 犬の死骸め! 俺は、怒りに任せて、犬の死骸の頭を殴りつけた。生きていれば犬が感じたはずの痛みを、頭の中で再現して、それを視覚的なイメージへと変換し、何度も、犬の死骸へと、頭の中で投げつけた。このようなことを繰り返していると、犬が本当に痛がって、苦痛に顔を歪めているような気になってきて、うめき声まで聞こえてくるような気にもなってきて、愉快に思え、苛立ちも、緩和されるのだ。
 しかし、しばらくそのようにイメージをぶつけながら死骸を殴っているうちに、本当に、うめき声が聞こえてきた。うめき声の方を見ると、そこには、俺が今殴っている死骸があった。声を出すにしては、死にすぎている。が、死んでいるにしては、声を出しすぎている。ということは、この犬は、生きていなすぎてはいない、ということになる。俺は、犬を殴るような真似をした瞬間、その場に死んでいない誰かがいたことにうんざりした。これでは、俺が犬を殴るような残酷さを持ち合わせているのだと、誰かに知られてしまうではないか!
 俺は、言い訳の言葉を思い巡らせながら、死んでいなかった犬に話しかけた。「もしもし、どうしました」
 犬は、ガタガタ震えだした。
 「どうしました。信じられないものを見たような目で、私を見ないでもらいたいですね」
 犬は、俺をじっと見ながら、口を開いた。「頼むよう……う、う、……殺さないでくれ」
 俺は驚いた。犬の立場に立ってよくよく考えてみれば、ゴミ箱で寝ているところへいきなり俺がやってきて、いきなり目の前で深呼吸して、いきなり顔を殴りつけてきたのだから、俺が犬を積極的に死なせようとしているのだと、犬が誤解したとしても仕方がないことなのだ。しかし、俺にはそれは思いもかけない発想だった。そうか、……殺されるかもしれないと思ったのか……。
 「頼む……、う、う、う、……勘弁してくれ」犬はまた俺に命乞いした。
 俺は、正直に言って、この発想の素晴らしさに感銘を受けた。俺は、誰よりも繊細で、善良だということで通っているのである。ゴミ箱で寝ていただけの犬を、死骸と勘違いしたというやむを得ない事情があったとはいえ、殴りつけてしまったのだと皆に知られてしまっては、俺の繊細さと善良さに傷がついてしまう。それを避けたいのであれば、取るべき手段はただ一つだけである。そのことを、死の直前に俺に教えてくれたのだから、この犬の生涯にも意義があったというものである。
 よし、殺そう! 俺は、再び犬を殴った。
 う、と犬は言った。
 俺は犬を殴った。
 う、と犬は言った。
 俺は犬を殴った。
 うう、と犬は言った。
 俺は犬を殴った。
 う……、と犬は言った。
 俺はまた腹が立ってきた。拳が痛くなるばかりで、犬はちっとも死にそうにない。殺そうとするとき、相手を殴るというのは、あまり良い手段ではないのかもしれない。
 では、どうするのが良いのだろう。俺は2秒ほど考え、5秒ほど考えたが、良い発想は浮かばなかった。
 そこへ、犬のうめき声が聞こえた。
 「頼む……助けてくれ……」
 俺は犬に答えた。「助けてあげても良いですよ。その代わり、クイズに答えてください」
 「何でもする……」
 「第1問。あなたは何の肉が好きですか」
 「うー、……ヤギだ」
 「第2問。ヤギを屠殺するとき、何を使いますか」
 「うー、…………刃物かな……」
 へーえ、そうだったのか……と感心しながら、俺は、良い情報を犬から聞けて、喜んだ。というのも、俺のポケットには、ちょうど、偶然にも刃物が入っていたからである。ヤギと犬とでは勝手が違うかもしれないが、まあ、なんとかなるだろう。
 それにしても、俺の残酷さが目撃されたときは目撃者を殺せば良いと教えてくれた上、殺すときには刃物を使えば良いと教えてくれるだなんて、役に立つ犬だ。死ぬ直前に自分が有用だと示せて、犬冥利に尽きるだろう。
 俺は刃物を取り出し、犬を殺し始めた。
 しばらくして、殺し終わった。犬は生き終わり、無事、死に始めた。
 ところで、刃物で体中を刺している途中、俺は、犬の体の奥から、カチャリカチャリと音がすることに気がついた。そこで、俺は、音がする箇所をほじくり返してみた。
 さて、そこから出てきたものは何だと思いますか?

2023年8月24日公開

作品集『殺虫小説集』第5話 (全6話)

© 2023 Y.N.

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