殺虫小説集(第4話)

Y.N.

小説

2,331文字

愛犬を殺された男が復讐を決意する。

  灰
恥さらしどもが、愉快な思いをするためだけに、2秒後の世界へと、不吉な呪文を吐き捨てている……見て見ぬふりをしようとして、無関係な通行者っぽさをさらけ出すのに精を出そうと意を決して、恥さらしの真ん前を、足早に通り過ぎても大抵、功を奏すことはないだろう。2秒以上の動作が、常に、通行者たちの体中にはへばりついており、通行した挙句たどり着くことになるであろう場所では、常に、2秒以上の未来が待ち構えているからだ。2秒以上先のどこかの時点で味わうことを定められている悲しみが、ほとんど見ず知らずといってよいほど印象の薄いであろう、2秒以上前に1度だけ見かけたことのある、路上で恥をさらしていた「誰か」が愉快な思いをするために吐き捨てた、不吉な呪文のせいでもたらされたのだと、思い至ったところで慰めにもならず、ただ、悲しそうな恨めしそうな表情を顔へとへばりつかせながら、面白い醜態をさらけ出し、自分こそが恥をさらす番になって、別の通行者たちに愉快な思いをさせるのがおちだろう。――以上のような一般論が、愛犬の死を目の当たりにした私の頭を駆け巡り、そのついでのように、一般論を超克しようとする意志もまた、ふつふつと、腹の底から湧き上がってきた。私の愛犬は、非常に、とても、すごく、良い犬だった。それなのに死んだ。許せない……悲しい……なぜ私がこんなに悲しまなければならないのか、理不尽さに打ちひしがれているうちに、ふつふつ、腹の底から、屈辱感が沸き上がってきた。私は奇妙に思った。「理不尽さ」と「屈辱感」を一般化しうる、何らかのシチュエーションが、知らぬ間に、私の体を取り囲み、そのような感覚をもたらしているのだとすれば、要するに、私の愛犬は、私に屈辱を味わわせようとする何者かの意志によって、死に至ったということになるのではないか、と、私は思い至ったのだ。つまり、殺しだ。殺犬者は誰だろう、と、私は記憶をたどり、いかにも犬を殺しそうな、陰気な顔をさらけ出していた、見ているこちらが恥ずかしくなるような奴が、そういえば、道ですれ違った何人かの中にいたことを、思い出した。「そいつだ! わん」私に乗り移った愛犬が、思わず犬声を上げた。犯人許すまじ……私は、そいつがいた場所へ、退却を始めることにした。だが、その前に計画を。2秒以上たってから、私が悲しい思いをして、そいつが愉快な思いをする羽目になることが、そいつの計画だったのだとすれば、私の計画は、2秒もかからずすべての動作を終えながら、なおかつ、そいつに近づき、悲しい思いをさせてやることである。復讐だ! だが、私に……この私に、そんな器用なまねができるだろうか? 私は……この私は、不安に思った。そこで、私は、有名な、占い師のもとへ、吉凶を見てもらいに行くことにした。占い師は、非常に有名になったあまり、渋々、有名人が足を向けづらい場所に小屋を建て、あまり世間に騒がれないよう気を遣ってはいたのだが、それでもなお、うわさを聞きつけ、足を向ける有名人が後を絶たず、したがって、占い師本人の知名度ばかりか、占われる人々の知名度もまた、平均的に、高いらしいと、非常に、とても、噂になっていたので、私もまた、周囲に有名人がたくさんいる場所へと、これから足を向けるのだなあと、意気込んでいたのだが、いざ、その小屋へとたどり着いてみれば、とても有名人がいそうには思えなかったので、変だと思いつつ、小屋の中に入っても、がらんとしており、しかも薄汚く、とても有名人がいそうには思えなかったので、変だと思いつつ、「先生!」と大声を出した。「ふん、愛犬をいかにも失ったっぽいやつだな……」と、小声が聞こえた。私は、頭に血が上った。なぜ、わざわざ、有名人がいそうにも思えない薄汚い小屋までやってきて、切羽詰まった思いを打ち明けようとしていたにも関わらず、そのように「っぽい」などという軽々しい言葉を、どこからともなく投げかけられなければならないのか。腹の底から屈辱を覚えつつ、私は「誰だ! 出てこい」と叫んだ。「おーやおや、腹の底から屈辱を感じているねえ」と、せせら笑う声が聞こえた。私はぞっとした。手ごわそうだ。いちいち私を見透かしたような口調でものを言う上、その内容がいちいち的を射ているのであるから、要するに私は、完全に相手に見透かされているわけだ。私はX線っぽさを感じながら、「先生に会わせてください!」と叫んだ。「お前、犬の遺骨は持っているか?」と声が聞いた。「もう燃やしてしまいました。遺骨ではなく遺灰ならあります」「では、その遺灰を使え」と声が言った。私は、結局一人の有名人にも会えなかったことにがっかりしながら、小屋を出た。2秒以上たってから、あの声が占い師だったのだと気づいた。有名人と話せたと思うと、私は、むらむらと腹の底から勇気が湧いてくるのを感じた。さて、復讐だ! 意気込んで右足を前に出した瞬間、私は靴底に泥のようなものを感じた。犬の糞を踏んだらしい。くそっ、ついていない! いらいらしながら少し歩くと、犬が歩いていた。この犬の糞を、私はさっき踏まされたのであろう。私は腹が立ち、犬を蹴った。犬は悲しそうな恨めしそうな表情を私にさらしながら、どこかへ飛んで行った。私は排泄を終えた犬のようにすっきりした気分で右足を前に出した。その瞬間、私は靴底に泥のようなものを感じた。また糞かと思い、靴底を見ると、それは、糞ではなく、別の「何か」だった。それが何なのか、私はすぐに分かったが、ここには書かないでおく。さて、私は、私の愛犬の命を奪った恥さらしな「誰か」を探し当て、そして復讐に至るぞ、絶対に、復讐に至るぞ、必ず、復讐に至るぞ!

2023年8月23日公開

作品集『殺虫小説集』第4話 (全6話)

© 2023 Y.N.

読み終えたらレビューしてください

この作品のタグ

リストに追加する

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 短編集として公開したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

あなたの反応

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

作品の知性

作品の完成度

作品の構成

作品から得た感情

作品を読んで

作者の印象


この作品にはまだレビューがありません。ぜひレビューを残してください。

破滅チャートとは

"灰"へのコメント 0

コメントがありません。 寂しいので、ぜひコメントを残してください。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る