人・殺兎事件

殺虫小説集(第3話)

Y.N.

小説

8,279文字

 公園で、地面に絵を描いて遊んでいた兎を、主人公「俺」が誘拐する。2022年執筆。

 あ、あ、あ、あ、と声を上げながら動き回る者たちの姿を、丹念に見分けようとしたところで、それらは結局、白っぽい、耳の長い、足の短い、しっぽも短い、兎に毛の生えたような生き物でしかないのである。もっとも、兎にだってもともと毛が生えていることを思えば、要するに、俺が眺める先にある場所に飽きるほどたくさんいる生き物は、どれも一つ残らず、兎でしかないのである。その場所とは――公園だ。
 広い。そして遊具はない。広場のような公園である。山のようにいる――兎どもが。白い兎たちは、ある部分では身を寄せ合い、別の部分では1匹で、思い思いに遊んで、公園が、公園としての役割を果たす手伝いを、知らず知らずのうちに行っている。役割とは、その全体を通じて、「遊ばれる」ということである。
 公園全域に、うさぎたちの、兎どもの、鳴き声が、泣き声が、響き、鳴り、渡っている。
 あ、あ、あ、あ、あ、あ。
 あ、あ、あ、あ、ああ、あ。
 俺は、彼らの声に紛れながら、そのうちの1匹に近づいた。
 その兎は仲間と遊ぶのが嫌いらしく、公園の隅で、つまらなそうに、地面に絵を描いていた。俺は、その絵を眺めた。
 「これはなんの絵だい」
 兎は俺を見て、微笑んだ。「山です」
 俺は兎と向かい合っていたので、絵はむしろ谷のように見えたのだが、兎がどれだけうまく絵を描いているかを褒めるには、そんな感想を挟むべきではないと思い――思ってもいないことを口にした。
 「いい絵だね。とても、山、って感じがするよ」
 兎は得意そうな顔をした。「絵を描くのは得意なんです」
 「他にも絵を描いているのかい?」
 「よく描きます。でも、描いた絵は、全部時間が経つと消えてしまうんです」兎は少し悲しそうな顔をした。
 地面に描いているのだから、時間が経てば消えるのが当たり前である。そんなことをわざわざ悲しむとは、よほど利口ではない兎なのだろう。
 よし、この兎にしよう――と俺は思った。馬鹿な兎ならば1匹消えたところでなんの損にもならないだろう。
 兎の信頼を得るべく、俺は作り話を始めた。「僕もね、絵を描くのが好きなんだ」
 兎は、意外そうな顔をした。
 「僕の家には、絵を描くための道具がたくさんあるんだ」
 兎は、羨ましそうな顔をした。
 「絵を描く道具がたくさんありすぎて、誰かにあげようと思っていたんだ」
 兎は、物欲しそうな顔をした。
 「誰か、いい心当たりはないかな?」
 兎はもじもじと体を動かした。「あのう……僕ではだめでしょうか」
 俺はわざと意外そうな声を出した。「へえ! 君が!」
 兎は恥ずかしそうにした。「僕も、絵を描くのが好きなので……もし譲っていただけるのなら……」
 「ふむ! 君がねえ」俺は、どちらが立場が上かをわからせるために、高圧的な視線を容赦なく兎に浴びせかけた。
 俺の視線の中で、兎は溺れそうになった。「あの、ご迷惑でなければ……どうか……」
 「ふん! まあいいでしょう」俺はもったいぶって、はじめから思い描いていたとおりにことが進むのに満足しながら、いずれにせよ最後は告げるはずだった言葉を告げた。
 兎は、いずれにせよ最後はそう告げられていたのだとも気づかぬ様子で、ホッとした。
 「では、僕の家まで来てくれ。絵を描く道具を、君に見てもらいましょう」
 「今からですか?」
 「善は急げだよ」
 「しかし、わざわざお邪魔するのも……」
 「急がば廻れだよ」
 「しかし、あのう……」兎は言いづらそうに言った。「知らない方についていくのは、どうも……」
 「もう、知らない方じゃないでしょう」俺は優しい口調で言った。「僕たちは2人共、絵を描く仲間同士じゃないか。水臭いことを言うなよ、君」
 絵を描く仲間などというものを持ったことがないであろう兎は、俺の言葉に感銘を受けたらしい。「はい、そうですね!」と元気に答えた。簡単なものである。
 「じゃあ、行こうか」
 「ちょっと待ってください。仲間に言ってきます」
 「その必要はないよ。すぐ近くに行くだけさ」
 「でも、心配すると思うので……」
 「誰も君の心配なんかしないよ」俺は兎の心をえぐるような言葉を告げた。「さあ、行こうか」
 兎は悲しそうな顔をした。「そうですね……。確かに心配されたことはないですね……。描きあげた絵をふまれたことは数え切れないほどありますが、心配されたことは一度もないですね……。一緒に絵を描こうと誘って断られたことは何度もありますが、心配されたことはないですね……。山を描いて谷のようだと罵られたことはたくさんありますが、心配されたことはないですね……」
 「君が不必要な兎だからだよ」
 あ、あ、あ、あ、あと兎は言った。何か悲しいことを思い出しているらしい。
 俺は兎が誰にも告げずに公園を離れる決心をしやすくなるよう、励ました。「でも、そんなゴミクズ以下の存在価値しかない君でも、然るべき道具で然るべき絵を描けば、みんな驚くかもしれないよ」
 兎の顔が少し明るくなった。「こんな僕でも、みんなに驚いてもらえるでしょうか」
 「もちろんだとも。でもそのためには、みんなに知られないよう、こっそり動かないとね」
 兎は嬉しそうにした。簡単なものである。
 「では、行こうか」
 俺達は他の兎に見られないよう、公園を抜けた。
 
 「で、どのくらい貴方の家は近いんでしょうか?」と兎は俺に聞いた。
 「バスに乗っていこう」と俺は告げた。
 俺達は、公園前のバス停まで移動した。
 随分と殺風景に思える場所に、立っていたのはバス停だ。殺風景だ。人っ子一人通らない、という程ではないものの、随分、俺達にとって殺風景に思えるのは、何しろ、先程まで俺達が、兎たちであふれる公園にいたからだろう。
 「殺風景ですね」と兎は心配そうに言った。
 「バス停とはそういうものだよ。そんなことも知らないのかい、君?」俺は兎の無知をチクチク指摘した。
 兎は悲しそうな顔をした。簡単なものだ。
 「それで君、なぜ山の絵ばかり描いているんだい?」バスを待つ間、兎に話しかけ続けることで、俺は兎が何かを不審に思わないよう誘導することにした。
 「昔、山に住んでいたんです」兎は自分のことを話し始めた。自分の過去を、相手もそれに興味があると決めつけて、躊躇もなく話し始めるのは、兎が幼稚である証拠である。
 「そうか、山はいいところだね」と俺は相槌を打った。
 「はい。でも、時々人が来て、僕を追いかけ回したんです。あれは辛かったなあ」兎はまた悲しそうな顔をした。そして、歌を歌い始めた。

人に追われし かの山
 人に釣られし かの川

 「いい歌だね。君が作ったのかい?」
 「いえ、結構有名な歌ですよ」意外そうな顔で、兎が俺を見た。「ご存じなかったですか」
 兎の分際で俺の無知をあげつらうとはおこがましい。俺は自分の優位を崩さないような言葉を選びながら、兎に反論した。
 「君の歌い方が変だから、つい、別の歌かと思ってしまったんだよ。歌というのは、上手い人が歌うのを聞けばうまく思い出せるものだし、そうでない場合は、思わず、その人が作ったオリジナル楽曲なのかと誤解してしまうものなんだ。そういう一般論を踏まえた上で相手の言葉に耳を傾けるのは、常識なんじゃないかな? 常識について知らないくせに、人が何かを知っているかどうか尋ね返すなんて、君は本当に非常識だねえ」
 兎はまた悲しそうな顔をして、小さく、あ、あ、あ、あ、あ、あと言った。
 そこへ、バスが到着した。
 
 兎は元気を取り戻して、バスに飛び乗った。俺も兎のあとからバスに入った。
 バスは発進した。
 「あ、あの席が空いていますよ」兎は、バスの走る方向に水平に並べられた、左側の真ん中あたりのシートを指差した。
 反対側の正面に、老婆が座っていた。
 誰かに兎と一緒にいるところを見られるのは好ましくない。真正面に座っては、老婆に俺達のことを記憶されてしまうかもしれない。それは避けたかった。
 もちろん、老婆に限らず、他の人々にも、俺達の姿は見られたくなかった。ということは、最も見られづらい場所であるところの、最後列の、バスの走る方向に垂直に並べられたシートに座るのが好ましい。
 しかし、最後列にたどり着くまでの間に、俺達の姿は、途中のシートに座っている人々に目撃されてしまうかもしれない。目撃者は少なければ少ないほどよい。
 とはいえ、目撃者一人が俺達を眺める時間が少ないことを思えば、目撃者の数が多少増えたところで、さほど問題にならないかもしれないな、と俺は気がついた。
 つまり、目撃者の多さ、かける、目撃された合計時間こそが重要というわけだ。
 老婆が、ちらりと俺を見た。俺はゾッとした。リスクが2秒分ほど増えてしまった。
 俺は急いで、最後列のシートへと移動した。
 座る前に振り返ると、俺についてきているものと思っていた兎は、はじめに俺に指差したシートへと勝手に1匹で座っていた。
 なんとのろまな兎だろう。まるで亀だ。おまけに俺の許可も取らずにシートに腰掛けている。礼儀知らずだ。
 俺は引き返し、小声で「こっち、こっち」と言った。
 「あ、はい!」兎が元気よく答えた。
 老婆がまた俺達を見た。俺はゾッとした。兎が大声を上げるから、バスの中で目立ってしまった。
 再び最後列のシートにたどり着き、俺は愕然とした。
 そこには、男が一人、あぐらをかいて座っていたのである。俺は舌の先から血の気が引いていくのを感じた。
 幸い、一つ前の右側のシートが空いていたので、俺は、何気ない風を装って――つまり最初からそちらのシートへと座るつもりだった風を装って、そちらに腰掛けた。
 兎は、俺の左側、つまり通路の側に腰掛けた。
 俺はそこで、兎を窓側に座らせたほうが、兎の目撃時間が減ることに気がついた。
 俺は立ち上がり、兎に、奥に行くように促した。
 兎は、窓の側に座れて嬉しそうだった。
 俺は、俺達のすぐ後ろにいる青年について考えた。なぜ、俺達が、目撃されまいとしながら最後列にたどり着くであろうタイミングを見計らったかのように、青年はその場にいたのだろう。なにか深い意味があるのだろうか。
 しかも彼は、あぐらをかいていた。これはどういうことだろう。この男があぐらをかこうと決断するに至る人生の必然性が、俺達が最後列にたどり着くことになる経緯の必然性とたまたま重なった、などということがあるだろうか。必然性と必然性の偶然の重なり合いが、なぜ、たまたま「あぐらをかく」という行為によって表れ出たのだろうか。
 なにか深い意味があるのだろうか。
 ある意味を伝えようとするとき、「あぐらをかく」という行為が有効なのはどのような場合か、俺は推理することにした。
 まず俺は、「あぐら」という言葉の持つ重みについて考えてみた。「あ」という文字の前向きな感じが、次の「ぐ」で縮まり、最後の「ら」で、「あ」ほどではないもののまあまあの平板さを取り戻す、という物語が、まるで序破急のように、この言葉に込められている。つまり、「ぐ」を経由すると、「あ」は「ら」にならざるを得なくなる、というメッセージを伝えるのに、これほどふさわしい言葉はない、ということである。
 また、「あぐ」という音の響きは、アグアグという擬音から、食べる、ということを想起させる。「ぐら」は、言うまでもなく、グラグラ、つまり不安定ということだ。「食べる」と「不安定」という2つのイメージを他人に伝えるとき、「あぐらをかく」という行為は、まさしくぴったりと言えるではないか。
 俺は、ある有名な曲の歌詞を思い出していた。

兎、美味しいか? ノー。いや、まっ
 コーヴ――なあ、釣師か農家は?

 この詞からもわかるとおり、兎が俺とともにいる、という事実は、当然、俺が兎を「アグアグ」と食べるかもしれない、という可能性を想起させるだろう。そのような行いによって、俺の立場は「グラグラ」と不安定になる――ということを、青年の「あぐらをかく」という行いは、表現しているのではないか?
 ここで、「あ・ぐ・ら」と「あぐ・ぐら」という2つの切り離し方は、一つに結びつくのかもしれない。「あぐ」というファンクションによって「ぐら」を引き起こす、という過程を、「あ」が「ぐ」というファンクションで「ら」に変わる、というメッセージによって伝えるとすれば――そう、「あぐら」という語を相手に伝えるのが、このためには、最も手っ取り早いことなのだ。
 そのような行為を、この男が、俺が兎と一緒にいるときを見計らったかのように、俺に見せつけたという事実――俺はゾッとした。
 俺は、指先から血の気が引いていくのを感じた。
 「あの……」と兎が言った。
 俺はイライラしながら答えた。「何だ」
 「大丈夫ですか?」
 兎は俺を心配そうな目で見ていた。具合の悪そうな他人を見たら、まず心配してみせるべきだと信じて疑わないかのような、透明な目だった。
 俺は、兎の目の向こうに、「透明さ」とは真逆の何物かを重ね合わせることを想像した。そして、いらだちが緩和されていくことを感じた。
 「ああ」とだけ、俺は答えた。
 そこへ、車掌が、俺の家のそばのバス停の名前の呼び声のスピーカーからの再生のための行いを、行った。
 「次は、地獄、地獄」こんな感じである。
 俺は降車ボタンを押した。
 しばらくして、バスは、俺の家のそばのバス停へのたどり着きを、行った。
 「まもなく、地獄、地獄」こんな感じである。
 俺達は、急いでバスから降りた。降りる前に666円払った。
 
 俺の家のそばのバス停もまた、殺風景だった。その側にあるのだから、俺の家もまた、付近が殺風景である。
 その殺風景な家まで、俺達は、バス停から少し歩かなければならない。
 歩けば歩くほど、ある場所が近づいてくるという事実は、まるで、生きれば生きるほど、ある時点が近づいてくるという事実を物質的に再現するかのようであった。俺の中には、この兎を「不透明」なものに変えたいという衝動が渦巻いていたが、俺の中と俺の外を隔てる薄い皮膚は、まるで、そのような衝動がこの世に存在するのだという事実を、物理的に隠すかのように機能した。
 薄い皮膚からほんの少しだけ「こちら側」へと踏み込めば、確実に存在するはずのものを、兎たちはけして見ようとは思わない。この生き物たちがけして見ることができないものが、確実に存在するのだと、俺はこの瞬間、知っているのである。
 そうした事実について思うとき、俺の苛立ちは、いつも少しだけ緩和されるのだ。
 俺は、前に別の兎を家に招いたときのことを思い出した。音楽が好きだという兎に、楽器をあげると嘘をついて、家に連れてきたときのことである。
 その時、家の扉を閉めるやいなや、俺は兎に、「服を脱げ」と命じたのだった。
 俺の変わりように驚きながら、兎は、恥ずかしそうに服を脱いだ。服と言っても、いつも下半身は丸出しにしているのだから、本当は恥ずかしがる必要などないはずである。
 どの兎も、頭が悪い。
 俺は、兎を持ち上げると、鋏を使って全身の毛を剃った。そして風呂場に連れて行った。
 「音楽をやるなら、体の中をきれいにしなきゃいけない。手伝ってやろう」と言い、俺は兎を、水の張ってある風呂に落とした。
 風呂は、兎の大きさよりも遥かに深くできている。兎は、水を飲み込むまいともがいた。
 「水を飲め」と言い、俺は兎を水につけた。10秒ほど経ってから、水から上げた。
 兎はひいひいと言った。
 1秒後、俺は同じことをやった。
 兎はぜいぜいと言った。
 1秒後、俺はまた同じことをやった。
 兎はあ、あ、あと言った。そして泣いた。
 2秒後、俺はまた同じことをやった。
 もうやめてください、苦しいです、死んでしまいます、お願いします、許してください、ごめんなさい、助けてください、もう帰してください、などなどの言葉を吐いた末、兎は、「もう楽器はいりません」と言った。
 「もういらないのか」
 「もういいです。ごめんなさい」
 「音楽をやめるのか」
 「はい。やめます。ごめんなさい」
 「さっきまで音楽が好きだと言っていたじゃないか」
 「すみません。ごめんなさい」
 「嘘をついたのか」
 「ごめんなさい」
 「謝るな。答えろ」
 「嘘じゃないです」
 「だが音楽をやめるのか」
 「はい。もうやめます」
 「嘘じゃないか」
 「はい。嘘です」
 「嘘つきは嫌いだ」
 自分の好き嫌いを伝えたところであまり意味のなさそうな場面で、あえて嫌いなものを伝え、俺の好みこそが相手の生死を握っているのだと実感させることを、俺はそこで行ったわけだ。そして、水面に何度も兎の顔を叩きつけた。
 「み。耳に水が」兎が泣きながら訴えた。
 「音楽を捨てたお前に耳など必要ない」俺は鋏を取り出して、兎の耳を切った。
 あ、と兎が言った。
 血が出た。
 俺は尻尾も切った。
 兎の4本足を縛った。
 鋏で腹を裂いた。
 あ、と兎が言った。
 腸が出た。
 画鋲を取り出し、兎の腹に詰めた。
 兎は面白い顔をした。そして痙攣した。
 「ふざけるな」と言い、俺は兎の顔を2,30回殴った。
 兎を殴るたび、俺の拳が痛くなった。兎はこれよりも遥かに痛い思いをしているに違いない。その証拠に、腹を押すたび、画鋲がどこかに突き刺さるらしく、兎の声が風呂場に響き渡るのだ。
 先程まで、新しい楽器をもらって喜ぶ未来を思い描いていた兎が、このような痛い思いをしているのだという事実を思って、俺は、普段あまり味わうことのない感情が込み上がってくるのを感じずにいられなかった。すなわち、その感情は、安らぎだ。俺にとって、それは常に、他人が目の前で味わっているらしい感情でしかなかったのであり、味わうことを禁じられた感情にほかならなかったのである――普段は。
 例えば楽器をもらって喜ぶ兎は、存在しても良いことになっているが、激痛を感じながら死んでいく兎は、存在してはいけないことになっている――普段は。「存在してはいけないことになっているはずのもの」について思うとき、俺は常に、「存在しても良いものたち」たちによって、存在を脅かされてきたのである。それはつまり、「存在しても良いものたち」に本当に満足しているか、常に、何者かによって点検されてきた、ということにほかならない。常に、感じてもいない安らぎを、感じているふりをさせられてきた、ということにほかならない。
 安らぎは、常に、俺以外の誰かが、例えばすれ違いざまに、これみよがしにほのめかしてみせるものでしかなかったのである。――普段は。それは言うなれば、本当に俺が安らぎを覚えているかどうか、「安らぎを覚えない」という罪を犯していないかどうか、点検するための振る舞いだったのだろう。今、ここで「安らぎ」を感じるのは、こんなに自然なことなのだ――と、俺に見せつけ、納得させようとするための振る舞いだったのだろう。目の前にある「存在しても良いもの」に満足しないこと――満足するべき場面で、安らぎを感じないこと――これは、この世界で最大の罪とされていることであるらしく、しかも、そのような罪があり得るのだということ自体が、巧妙に隠されているのである。
 そのことに気づくこと自体が、罪である。
 だが、それを罪とする世界は、確実に間違っているのである。俺だけが、そのことを知っているのである。
 先程、兎が公園にいたことが確実なのと同じ意味で、今この場所で兎が痛がっていることも確実だ。ありえないと思われた2つの「確実さ」が1つの舞台で出会い、重なり合っている。存在してはいけないはずのものが、つまり激痛を感じながら死んでいく兎が、確実に存在するということだけが、俺の正しさを教え、本当の安らぎを与えてくれるのだ。
 それ以来、俺は、街を歩いていても、バスに乗っていても、誰かと話していても、目の前にある「物」たちが、痛みを味わい、腸を露わにし、血まみれになって殺されていくことが「可能」なのだと思うことで、つかの間、安心を、心の平和を、取り戻すことができるようになったのだ。
 俺は、隣を歩く兎を見た。絵を描く道具をもらう気満々で、嬉しそうに、飛び跳ねながら進んでいる。この兎も、30分後には確実に激痛を味わうことになるのである。その時、俺は確実に安らぎを味わうことになるのである。
 今この瞬間も、あるいはこの3秒後の世界でも、世界の何処かで酷く殺されていく「物」があるのだという事実――なぜこの事実は、俺をこんなにリラックスさせるのだろう。
 なぜ、兎を殺すのはこんなに楽しいのだろう。
 そんなことを考えているうちに、俺の家にたどり着いた。
 「では、入ろうか」と俺は言い、扉を開けた。
 もちろん兎は、これからもらえる道具のことで頭を一杯にしながら、嬉しそうに中に入っていった。

2023年8月22日公開

作品集『殺虫小説集』第3話 (全6話)

© 2023 Y.N.

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