希虹の望

殺虫小説集(第2話)

Y.N.

小説

4,876文字

 捨てられた傘の切れ端が、元の持ち主を探しながら雨の中をさまよい、ある雨宿り場所にたどり着く。主人公「俺」は、そこで傘の切れ端をいじめる。2020年執筆。

 雨宿りするにはもってこいの天気さ、おかげで地面の下から這い出してきたものを踏みにじる感触も味わいやすいさ……忘れられた傘の切れ端やら、長靴の紐やら、雨とくればこちらのものと勘違いした連中が、ウロウロ、通りを歩き回っているじゃないか……雨宿りにもってこいの場所からそいつらをおびき寄せておいて、いざ足の近くまで来たと思ったら、思いっきり踏んづけてやるのはいい気分さ……雨の日のお楽しみなんて、これ以外のものははっきり言って偽物だよ、ねえ。
 持ち主の呼び声にはすり寄ってくる習性が、こいつらにはね、骨の髄まで染み付いているからね、俺が思いついた声色を一つずつ試していけば、必ずどれかに反応して何かがやってくるって寸法だよ。俺達の肩に降り掛かってくる雨は邪魔だがね、コイツラが少しでも勘違いしやすいように雨粒の一つ一つが声を張り上げていると思えば、まあ、我慢できないこともないだろう。
 声はなんて言っているか聞いてみろよ、「さあ、君たちの出番だ!
 さあ、君たちが活躍する番だ!
 さあ、君たちが外に出て、誰かの役に立つ番だ!」って、けしかけているんだよ、アイツラを。俺達はいわば、肩を濡らしながらね、とばっちりを受けているってわけさ……迷惑だと思わないか?
 ねえ、何年も前に道に捨てられた傘の切れ端に少しばかりいい思いをさせてやるためにね、こんなに水浸しにすることはないじゃないかって思わないかい、この道路も、あの屋根も、必要よりもずっと濡れちまってね、可哀想に……道に捨てられた傘の切れ端がいい思いをするためだけにね、こんなに多くのものが必要よりも濡れちまうなんて、少し迷惑がすぎると思わないかい?
 でもそんな迷惑もさ、踏みにじる瞬間の気持ちよさを準備するものだと思えば、我慢できると思わないかい?
 ねえ、だから呼びかけてやればいいんだよ、持ち主のもとに帰ることだけを思ってずっと道をあちこち漂っていた切れ端がね、どんな気持ちでこちらにすり寄ってくるか……「ああ、ようやく俺を迎えに来てくれたんだな」なんて期待しながらこちらにすり寄ってくるんだろうがね、そんな想像をしながら声色を使い分けるのは、いいぜ、いいぜえ、気持ちいいぜえ。
 俺はどんなものにも優しくするべきだって知っているからさ、切れ端に優しくしない瞬間の「裏切った」感覚が好きなんだよ。
 
 さあ、声色を選んでみようか。
 
1,最近まで目が良くなかったのに、急に気が変わって目を良くした男
 こりゃ、難しいものを選んだね……普通、自分の力では目を良くするなんてことはできっこないって決まっているんだけど、そんなことも知らずにこれまで生きてきたのかね? 無知な奴らからプンプン臭ってくる嫌な香りがしないもんだから気づかなかったけれど、あんた、なかなかの文盲なんだねえ。そんなことじゃ苦労するだろうから、この本を貸してやろう。何、誰でも簡単に読める本だよ。
 おっと、雨の日に読書なんて感心しないねえ。本が水で濡れちまうだろうに、そんなことにも気づかなかったのかい? 全く、無知なだけあるねえ。そういえば雨の日には匂いが伝わりづらい、と俺が最近読んだとても難しい本にも書いてあったから、そのせいで、あんたのいかにも無知っぽい匂いにも気づかなかったんだろうねえ。雨め!
 ほら、せっかく雨宿りしているんだから、そんなところで突っ立っていないで、こっちに来てなにかしろよ。ん、何だあんた、頭だけじゃなくて視力も悪いのか? そっちは外じゃないか。ほら、内に内に進んでいけよ、進めば進むほど、雨は遠のいていくからさ、遠のいたらたまには本でも読んで知識を蓄えるのがいいんじゃないのかって俺は思うんだけど、こういう素晴らしいアイディアを思いつくにはそれなりに難しい本も読まなきゃいけないから、まああんたには到底思い浮かばなかっただろうねえ。
 お、雨に濡れないように本を読むのか? 馬鹿だね、あんた、視力が悪いくせにむちゃしたって書いてあることの半分も理解できないよ……何しろその本は字が細かいことで有名なんだ、そのサイズは0.2ミリ。俺のように視力のいい知識の豊富な者には簡単に読めるんだけど、少しあんたには難しかったかな?
 何だ、その目つきは?
 何だ、悔しいのか?
 なんとか言ってみろよ、バーカ。
 うわ、こいつ泣き出したぞ。
 気持ち悪いなあ。
 
 「どこかで聞いたことのある泣き声……そうだ、俺がもともと居た家で、やっぱりこんな泣き声をよく耳にしたっけ。そうか……そうか……ついに迎えに来てくれたんだ!
 4年前、タクシーの扉がしまった拍子に挟まって、タクシーが発進した拍子にちぎれて、道に放り出されたこの俺のことを忘れずに、泣きながら迎えに来てくれるなんて……なんて心の広い、記憶力のいい、知識の豊富な、心の優しい、記憶力のいい、知識の豊富な方なんだろう!
 おーい、俺はここに居ます!
 おーい、ここに居ますよ!
 おーい!
 聞こえないみたいだからもう少しそばに寄ろう。雨だから、とても気分がいいぞ。
 おーい!
 む、あの方がいる場所は、どうやら雨宿りに適した場所のようだが……まさか俺が雨宿りのときには不要な存在だということをそれとなく伝えるために、こんな意地の悪い待ち合わせ場所を選んだというのだろうか?
 いや、待てよ、俺がちぎれて道に放り出されてからというもの、そうだ、きっとあの方は雨の日が苦手になってしまったんだ。だから、雨の日には、雨宿りできそうなところをあちこち点々としながら俺を探しているに違いない。だが俺のように非常に便利な『傘』という道具ともなれば、そんな苦労はもうさせないぞ! させないぞ!」
 自信満々の足取りで入ってきた傘の切れ端は、雨宿り場所の中をぐるりと見回すと、いかにも自分が雨の日に役立つ道具なのだという顔をしながら、俺に図々しく話しかけてきた。
 「君、このあたりで泣いている方を見かけなかったかね?」
 俺は腹が立った。たかが傘の切れ端ごときの分際で、図々しく話しかけようと考えるこの傘の切れ端の考え方が、どうにも気に入らなかった。
 「泣いている『肩』を見かけなかったか、だって? へえ、ずいぶん変な言葉遣いじゃないか。もしかして言葉に関する知識がそんなにないから、いきなり雨宿り場所に入ってくるや、何か泣いているものを探しているのだと誰かに伝えるためにその探している対象を『肩』呼ばわりするような、意味不明で破廉恥で厚顔無恥な言葉遣いをしたのかな? 知識のなさがプンプンこちらまで臭ってくるようだ! 恥ずかしいですねえ」
 切れ端は肩をぷるぷると震わせて、俺を睨みつけた。「俺は知識はあるぞ!」
 「怪しいものですねえ。それじゃあ、この雨がどうしてこんなに降っているのか、君にはわかるというのかい?」
 切れ端は真っ青になってうなだれた。「知っているが、今は答えたくない……」
 「本当は知らないんだろう。君の知識なんてそんなもんさ。知識がないのに生きていて恥ずかしくないのかな? おい、お前、ちょっとはまともな言葉を使ってみろよ!」
 切れ端はうつむいて、小さい声でボソボソと言った。「俺の言葉遣いはまともでさあ、旦那……」
 「馬鹿な切れ端だ! 切れ端ごときの分際で、まともな言葉遣いができると本当に信じているんだね! こんな馬鹿な切れ端は見たことがない! ……だが、希望がないわけではない」
 切れ端は顔を上げた。「ど、どんな希望ですか!?!?」
 「この本を読むことだ。すごく読みやすくて、字も大きい。君だったら読めるだろう」俺は切れ端に本を手渡した。
 「れ、礼は言いませんよ!」切れ端は希望に顔を輝かせながら本を開いた。

ある物からちぎれて道を漂っている物の末路について
 ちぎれて道を漂っている間に様々なことを考えるのがこうしたゴミたちの特徴だが、その内容はといえば、自分は実はゴミではないのだ、とか、自分だってまだまだ利用価値があるのだ、とか、得てして自分を過大評価する妄想ばかりであり、こうしたことからもゴミの自己認識能力がいかに低いのかがよくわかろうというものである。ある全体からちぎれ落ちた物が、ちぎれ落ちる前と同じだけの利用価値を有しているなどということがあり得るはずがないのに、そんな常識的な考えさえ頭に浮かばないのだから、ゴミたちの知能がいかに低いのかがよくわかろうというものである。
 特に救いようがないのは、傘からちぎれた切れ端のように、雨になると大はしゃぎで自分が活躍できる場を求めて道のあちこちをさまよう連中だ。ちぎれ落ちた部分からは全体としての機能が失われる、ということの最たるものが「傘」から一部がちぎれ落ちることであるのに、そんなことにも気づかないまま、雨を避けるのにはあまりにも少ない面積を、自分では十分大きいつもりで誇示しながら、こうしたゴミたちは、道のあちこちを漂っているのである。だが、彼らの末路は悲惨である。
 繰り返す。末路は悲惨である。
 恐ろしく悲惨である。とてつもなく悲惨である。

 切れ端は、恥ずかしそうにこちらを見て言った。「あのう、すいません、漢字が多くてよく読めないのですが、代わりに読んでいただけませんか?」
 「チッ、面倒くさいな!」俺は本の内容を読み上げた。俺の声はよく通る。
 俺の美しい朗読を聴いていくうち、切れ端の顔はみるみる青ざめていった。歯をカタカタと鳴らし、目を充血させ、心の底から恐ろしさを味わっているのだということが全身(主に顔)から伝わってきた。恐ろしい思いをしているものを眺めるのは良い気分である。
 切れ端はガクガクと震えながら、俺に尋ねた。「あのう、この苦しみはいつまで続くのでしょうか」
 「永遠だ」俺は無慈悲に宣告した。
 「永遠ってことはないでしょう、ねえ、まさかそんな、俺だっていつかは元の持ち主のところへ戻って、またお役に立ちたいんですよ」
 「元の持ち主は、お前を必要としていない」
 「でも、俺だって、面積が小さくなったとは言っても、まだまだ雨を弾く機能は十分持っているんですよ、ねえ、もったいないとは思いませんか」
 「これが、元の持ち主の最近の写真だ」俺は、傘を持って幸せそうにしている男の写真を切れ端に見せた。「元の持ち主は、もうとっくに新しい傘を買ったのだ」
 切れ端は打ちひしがれたような仕草をして絶望を俺に見せつけることで、打ちひしがれることこそ絶望的なのだと俺に伝えようとした。
 俺は足を切れ端に突き出した。「舐めろ」
 「え、なんですか」
 「靴底を舐めろ」
 「え、え」
 「いいから舐めろ!」俺は切れ端を蹴り上げ、蹴り落とし、踏みにじり、踏み潰し、原型を留めないほど醜い姿に改造した。
 突如として、俺の目の前にタクシーが現れた。中から幸せそうな顔をした男がおりてきて、傘を広げた。
 切れ端が息を引き取る間際に見ている夢らしい。
 男が独り言を言った。「私は晴れている日は目が見えなくなる。そこで、傘を杖の代わりに使うのだ。杖のように使えるという観点からも、傘とは便利なものだなあ。
 それに、雨の日は目が見えるから、杖をいきなり傘のように使い始めるのだ。皆びっくりするぞ。
 この傘は物知りのようだね。日頃から向学心に燃える物特有の匂いを発しているよ」
 切れ端が無い知恵を絞って考え出した、精一杯自分にとって都合の良い世界というのが、俺の目の前で演じられ始めたようである。
 「お役に立てて嬉しいな、お役に立てて嬉しいな」かつて傘の切れ端だった醜い物体が、俺の足元で歌うように声を上げた。
 俺は男の手から傘を取り上げると、地面に思いっきり叩きつけた。
 「この雨宿り場所の中で、お前の苦しみは永遠に続くだろう」と俺は再び宣告した。
 
 2,(省略)
 3,(省略)
 4,(省略)
 5,(省略)
 6,(省略)
 7,(省略)
 
 ああ、楽しかったじゃないか! こんな楽しいことがいつまでも続けばいいって、俺、いつも思っているんだよ。
 さあ、いつの間にか雨も止んだぞ。どうやら晴れてきたようじゃないか。おい、見ろよ! 虹だ!
 虹だ!
 俺達の未来は希望に満ちている!!!!!!!

2023年8月21日公開

作品集『殺虫小説集』第2話 (全6話)

© 2023 Y.N.

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