新説・龍の口法難

合評会2023年05月応募作品、合評会優勝作品

大猫

小説

4,190文字

日蓮聖人の処刑寸前で起こった奇跡。
大河ドラマでもこういうのやってくれないかなあ。
合評会2023年5月参加作品。

文永八年(1271年)九月、鎌倉幕府の権力者・平左衛門尉頼綱へいのさえもんのじょうよりつなは日蓮の殺害を決意した。折から蒙古の五度目の使節が大宰府に到着の報が入り、目と鼻の先の高麗には十万の軍が集結しているとの噂もあり、主だった御家人を急遽九州へ進発させつつある頃であった。今こそ鎌倉が、いや日本が一つとなって国難に処すべき時に、外国の侵略の原因は権力者が邪宗に帰依している故であるとして、「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊」などと説法をして人心を惑わす日蓮を捨ておくわけにはいかなかった。将軍執権が深く帰依している鎌倉の有力寺社からも「日蓮を何とかしてほしい」と再三の依頼もあった。

郎党に松葉ヶ谷まつばがやつの日蓮の草庵襲撃を命じると、皆、嫌な顔をする。当時の人々の僧侶への尊崇の念は篤く、たとえ主命であっても僧の殺傷は嫌なものなのだ。ましてや日蓮の草庵には弟子を含めて多くの僧がいる。
「案ずるな。蓮丸はすまるがそばに付いている坊主が日蓮だ。他は殺生に及ばず」

蓮丸とは頼綱の小姓であった。子供ながら如才なく、腕っぷしも度胸もあることから、数ヶ月前に日蓮の元へ密かに送り込んである。間者とも知らず、日蓮は蓮丸を非常に可愛がり、童子僧として日夜側で召し使っていた。頼綱の郎党は皆、蓮丸を見知っているので、それならば安心と弓馬を整えて出発した。

松葉ヶ谷の草庵近くの川で洗い物をしていた蓮丸は、川向こうの大路から兵馬の気配を感じ取った。かねて示し合わせた通り、殺害の決行に違いない。大慌てで草庵へ駆け戻ると、折しも浄土宗の僧が詰めかけて日蓮と法論の真っ最中だった。
「汝、日蓮、法然聖人への悪口、誠に聞き難し。聖人は幼少にして天台山に昇り、十七にして六十巻に渉り八宗を究め、その智は天下第一と謳われたのだ。その御方があまねく諸経を鑑み、深く思慮られて、一切経は煩多にして無用、ただ専修念仏と唱えられたのである。今や日本中男女貴賤を問わず皆、帰依をしておる。汝はあながちに聖人を罵り、近年の災害をすべて聖人の教えの誤りにありと断ずるが、かほどの悪言は聞いたこともない。罪業の重さ恐れるべし」

日蓮は呵呵大笑して言った。
たでの葉を食って辛きことを忘れ、厠におって臭きことを忘る。善言を聞いても悪言と思い、謗者を指して聖人と言う。頑迷なこと誠に迷惑千万。まずは事の起りを聞け、そもそも釈尊説法の内、一代五時の間に先後を立てて権実ごんじつを弁ぜられ……」

兵士がすぐそこに迫っているというのに悠長なことだ。蓮丸は日蓮の袖口に取り付いて叫んだ。
「何者か襲撃のようでございます! 皆様、お逃げくださいまし」

もちろん日蓮は決して逃げないと見越してのことである。日蓮は常日頃から殉教を願っているふしがあった。
「やれ嬉しや。法難を受くる者こそ真の行者である」

日蓮は得意げにすっくと立ちあがった。足腰が頑丈そうな堂々たる体躯である。
「お師匠さま! 御逃げ遊ばさぬのならば、この蓮丸がお守り申し上げます」

蓮丸は日蓮の袖口を掴んだままぴたりと真横に貼り付いた。平頼綱の指示通りである。と、強く袖を引っ張りすぎたか、小袖の襟元がはだけてたくましい胸元が剥きだしになり、横紐がほどけておんぼろ袈裟がずるりと足元に落ちた。教養のある者が人前で肌を見せるのは最大の無礼とされた時代である。襲撃と聞いて逃げようとしていた浄土宗の僧侶は手を叩いて笑った。
「あれ見よ、己が天下第一の知者と申す御方のお姿じゃ」

笑いながら、落ちた袈裟をサッと拾って逃げて行く。元来が恰好付けの日蓮は、このような醜態は我慢がならない。
「取り返して参れ!」

鬼のような形相で怒鳴られて、蓮丸はつい僧侶を追いかけた。お返しくださいまし、と背中に追い縋ったところで、草庵の扉がドスンと蹴破られ、たちまち数十人の兵士がどやどや侵入してきた。袈裟を片手に、ひいっ! と立ちすくんだ僧侶は、その場でずたずたに切り殺された。
「悪僧日蓮、討ち取ったり!」
「他の坊主どもは召し捕れ」

見知った顔の兵士達が鬨の声を上げるのを蓮丸は呆然と聞いていた。

 

殺害されたのは日蓮ではなく、執権一族が深く帰依する浄土宗の僧侶だったと知り、平頼綱は狼狽と激怒で身の置き所もなかった。
「蓮丸の馬鹿めがしくじりおって。幸い日蓮の身柄は捕らえてある、このまま首を刎ねるまでだ」

にわかに仕置きの準備が始まった。日蓮は後ろ手を縛られて馬に乗せられ、鎌倉市街を引き回された後、由比ガ浜から腰越の龍の口たつのくちへと向かう。大勢の弟子たちが泣きながら付き従った。日蓮の絶命を見届けるまでは戻るなと頼綱から厳命され、蓮丸も空泣きをしながら行列に付いていった。

丑の刻も満ちて空には月もなく漆黒の闇。にも拘らず、龍の口の刑場には大勢の見物人が詰めかけている。引き回される間中、日蓮が大音声で喋り続けたせいであった。
「あらおもしろや、平左衛門尉が物に狂うを見よ、日本国の柱を倒さんとすなり。日蓮は首切られに龍の口へ罷る。この数年が間、願いつる事これなり。今こそ日蓮、この首を法華経に奉りて、その功徳を父母に回向し、国土の御恩に報いん。見よや人々」

目立たぬように殺せとの頼綱の命は台無しである。仕方なく無用の者が立ち入らぬよう幕を張り篝火を焚いて、周囲を厳重に兵士に守らせた。刑場へ引き出され、処刑台の敷皮石しきがわいしに引き据えられた日蓮は、悠然と結跏趺坐けっかふざして両手を合わせた。出家在家の弟子達が泣き従い、短刀を持ち出して殉死しようとしている。それを日蓮が笑って諭した。
「不覚の殿ばらかな。これほどの悦び、今は笑う時ぞ」

さすがに殉死の物真似までは無用と、蓮丸は少し離れた街道で遠巻きに見ていた。篝火で刑場の様子が薄ぼんやりと見える。今や日蓮の首の真上に太刀が振りかざされ、弟子たちの悲泣の声の中、「南無妙法蓮華経」と唱える声が朗々と聞こえてくる。この数ヶ月、曲がりなりにも師匠として仕えた人の最期。ある種の感慨が湧いてこないでもない。

これで自分の役目は終わった、と蓮丸は首にかけた守り袋から、小さな油紙の包みを取り出した。
「日蓮は秋までに必ず始末するが、万一、し損ねた時は、そちがやってくれ。寒い折、火桶を焚いたら炭を足すふりをしてこの包みを置くのじゃ。そうしたら一目散に逃げよ。火桶の周りにいる者はたちまちに死ぬ。それこそ天罰としか見えぬ無惨な骸をさらすことになるぞよ」
と、頼綱に言い含められていた。包みの中は酸漿ほおずきほどの黒い玉が入っていた。手触りは炭に似ている。
「これも用無しになったな」

蓮丸は傍らの池に包みごと投げ捨てた。油紙の包みはすぐには沈まず、ぷかぷか浮いて対面へ流れていった。たまたまそこにいた警護の兵が包みを見つけて拾い上げ、なんだこれは、と中身を検めてみれば真っ黒い玉。
「なんだ炭か。ちょうど火の勢いが弱いから足しておいてやれ」

と篝火の中へ放り込んだ。
「待て!」

止める間もあらばこそ、篝火が凄まじい音を立てて破裂し、中から火の玉が飛び出して虚空へ飛んだ。その火力は凄まじく、投げ込んだ兵士はその場で焼け死に、池向こうにいた蓮丸も熱風を浴びて倒れ込んだ。火の玉はバリバリ耳を裂く轟音を鳴らし、四方を明るく照らしつつ、戌亥の方角へ飛び去った。

刑場ではあらゆる人々、兵士も見物人も皆、腰を抜かしていた。ある者は太刀を取り落として尻餅をつき、ある者は馬から落ち、ある者は地面に突っ伏して震えている。極度の狼狽と恐怖の中、日蓮の大音声が響き渡った。
「いかに殿ばら、かかる大罪人より遠のくぞ、近く打ち寄れや! 打ち寄れや! 首切るべくは急ぎ切るべし。夜明けなば見苦しかりなん」

蓮丸も日蓮も、居合わせた人々も、平頼綱でさえその黒い玉の正体を知らなかった。幾度か蒙古から来日した使節に頼綱が面会した際、金品の他に賄賂として受け取ったものであった。「火を点けたらその場で人が死ぬ便利な兵器」としか聞いていなかったのだが、これは当時蒙古下の中国で実用化されたばかりの火薬であった。この数年後の文永の役で蒙古軍が軍備に実装し、手榴弾なみの破壊力をもたらして幕府軍を散々苦しめることになる。

 

もはや日蓮を手に掛けようとする兵はおらず、一行は龍の口近くの御家人の館に預け置かれ、一か月ほどして佐渡流罪が決まった。古来、佐渡に流されて生還した者は稀な上、十月に出発すれば到着するのは十一月。雪が降り積もる真冬の季節だ。

弟子たちが我も我もと同行を願い出た。
「どうぞお供をお許しください。命に代えてお師匠をお守りいたします」
「私は農民ですので、畑を耕して上人様にお仕えいたします」
「お師匠と離れては何の甲斐あって生き長らえておられましょう」

弟子たちの泣き顔に、日蓮は温顔にえくぼを見せながら、一人一人に礼を言った。
「衛門太夫殿や金吾殿は御主君を置いて佐渡へ出奔するわけにも参るまい。善日坊殿はご高齢、まずは御身を労わられよ。妙涼尼殿、お志は有難いが女性の身を伴うわけには参らぬ」

結局、随行は日興、日頂ら数名の弟子のみとなった。蓮丸は皆に交じって泣くふりをしていた。いくら屈強な日蓮でも、極寒の佐渡へ渡れば凍死するしかない。万一、生き残ったとしても現地の代官はわざと食料の調達を妨害するだろうから、結局は餓死する運命だ。自ら手を下すまでもなく、日蓮は死地に赴くのだ。

ふと、蓮丸の目が日蓮と合った。日蓮の大きな目がきらりと光った。
「蓮丸、共に参るか?」
「えっ?」
「おことは夜昼離れず教えを受けたいと申しておったな。鎌倉では何かと所用煩多で相手をしてやることも叶わなんだが、佐渡へ渡れば暇はいくらでもある」

蓮丸は返事に窮した。もちろん佐渡へなど行きたくない。
「蓮丸はまだ童です。冬の佐渡へ渡るのは酷に過ぎましょう」

と他の弟子が口添えをしてくれたが、日蓮は笑って言った。
「いや、連れて参る。これは利発で長ずれば良き僧となろう。それに」

日蓮の口元のえくぼが深くなった。
「蓮丸は神仏から使わされた者じゃ。これのおかげで何度も命が助かった」

人々が不思議そうな顔をする中で、蓮丸はゾッと背筋を震わせた。

 

三年後、日蓮は数々の艱難を乗り越え、無事に鎌倉へ戻って来た。佐渡での布教の成果もあって、帰りは行きの何倍もの弟子を引き連れての鎌倉入りとなったのである。その中に成長した蓮丸がいたかどうかは定かでない。

2023年5月14日公開

© 2023 大猫

これはの応募作品です。
他の作品ともどもレビューお願いします。

この作品のタグ

著者

この作者の他の作品

この作者の人気作

リストに追加する

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 短編集として公開したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

あなたの反応

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

作品の知性

作品の完成度

作品の構成

作品から得た感情

作品を読んで

作者の印象


3.7 (11件の評価)

破滅チャートとは

"新説・龍の口法難"へのコメント 15

  • 投稿者 | 2023-05-17 23:27

    教養がないと書けない一作だ。奇抜な独創を盛り込みつつも、史実とちゃんとつながっている。「信じていない宗教に奉仕している聖職者」は、頼綱の密命を受けて日蓮に奉仕している蓮丸のこと? もうちょっと彼の葛藤にフォーカスしてもよかったかも。

    • 投稿者 | 2023-05-19 21:48

      蓮丸ちゃんは一応、童子僧として日蓮上人にお仕えしていたのでお許しくだされ。本当はちゃんと法名を付けてやらないといけないんですが、佐渡で付けてもらったのでしょうかね。

      著者
  • 投稿者 | 2023-05-18 23:07

    いつもながら作者の日本古典の造詣の深さがうかがえます。読むことは読めるのですが、自分で書くとなるとわたくしできません。以前の合評会でパロディー的な文語文書こうと思ったんですがまるで駄目で、そりゃ別に書けなくても構わないのですがなんだか落ち込みました。書くためのいい参考書などあれば教えていただきたく思います。

    • 投稿者 | 2023-05-18 23:08

      すいませんちょっと文章が抜けました。「文語文を読むことは読めるのですが」です

    • 投稿者 | 2023-05-20 23:56

      私も古文は書けません。参考書があったら私がほしい。一からは書けないけど、真似をすることはできます。今回は日蓮上人の著作から少しずつ拝借しました。著作権もないし(笑)

      著者
  • 投稿者 | 2023-05-19 15:32

    いつもながらどこまでが史実でどこからが創作かわからない作り込みの巧さです。
    特定の宗教人をメインで扱うのは大河では難しいでしょうけど、「鎌倉殿~」でこっち方向に脱線してくれればもっと面白かったかも知れませんね。

    • 投稿者 | 2023-05-20 23:59

      平頼綱は「鎌倉殿〜」に出てきた鶴丸の孫と思います。そして子孫は北条高時と共に自刃した長崎円喜らしく、この一族は執権と共に栄えて滅んだのですね。

      著者
  • 投稿者 | 2023-05-20 18:18

    日蓮を救った光は「てつはう」の光だったのですね。でしたらその場にいた者たちの腰が引けて斬首を免れたことに説得力が増します。「新説〇〇」でシリーズものにできそうですね。

  • 編集者 | 2023-05-20 23:05

    最近になってやっと日本古典や日本史に興味が出てきていたので、とてもこういうお話にグッときます。素人目にも手練れていると感じます。

  • 投稿者 | 2023-05-21 09:53

    この文体を使いこなしておられるのがすごいです。語彙力もすごい。私の褒める語彙力が足りません!
    蓮丸ちゃんの翻弄されっぷりが、日蓮視点だと怪我の巧妙だけど平家視点だとただのしくじりスパイで……偶然が運命みたいな。お題にもしっかり沿ってますし……すみません語彙力が足りないです。

  • 投稿者 | 2023-05-21 12:21

    はからずとも、善鸞vs日蓮に?!
    父型が日蓮宗らしかった(祖母のお葬式に調べて初めて知るレベル)ので、自分にもうす〜く関係のある日蓮伝説。この方の人生苛烈ですよね。
    ちなみに、祖母の3回忌の時に、お仏壇のプチ日蓮さんをどうしたらいいわからず、とりあえずお供えものと一瞬に祖父が飾ったら、初対面の日蓮宗のお坊さんに「これはフィギュアとかとはわけが違うんですよ!」とガチ目に怒られたので、日蓮宗のお坊さんも苛烈です。

  • 投稿者 | 2023-05-21 14:54

    最近大河ドラマに興じているので歴史モノは好物なのですが、破滅派合評のこのテーマにこの重厚なドラマはオーバースペックすぎるのではw 今自分が何を読んでいるか完全に見失いました。残りはもう読まないで青天を衝けの続きを見たいと思います。嘘です読みます

  • 投稿者 | 2023-05-21 15:42

    以前、三谷幸喜さんが多分、鎌倉殿の十三人の時だったと思うけど、それ関係のインタビューで、もっと昔の奈良とかの時代のドラマを作りたいって言ったら、NHKさんが奈良時代とかはまたセットを一から作らないといけないんで、勘弁してください。って言われた(超うろ覚え)。っていうのを見た覚えがあるんですけども、でもまあ、日蓮は鎌倉の人らしいからね。大丈夫ですよ。多分。宗教色が強すぎると嫌がる人はいるだろうけどもwww
    あ、お話はとても面白かったです。最&高。

  • 編集者 | 2023-05-21 18:21

    日蓮が人を巻き添えにする話かと思ってたら…すみません。南無妙法蓮華経。古典と中世の知識の上で人々が生き生きとしており、トリックも上手い。流石でした。

  • 投稿者 | 2023-05-21 18:55

     丁寧な書き込みにより時代の雰囲気が出ている。説明臭さを感じはしたが、読み応えがあった。
     蓮丸はお役御免となり、刑場を遠巻きに見ていたぐらいなのだから、島流しの同行はバックレることができたのでは?
     当時は存在しない〔手榴弾〕を比喩で用いたのは筆が滑った?
     火薬は爆薬と違ってそれほどの殺傷力はないはず。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る