歯車

宮水楓

小説

5,412文字

 「「家族円満」なる家族など、果たして存在するのだろうか。」
 些細なことをきっかけとして子供のことなど考えずに喧嘩を続ける夫婦、責任を感じる主人公に、親の機嫌を取ろうとする弟。「家族円満」であったはずの家族に何があったのか。
 若き文が綴るは、家族を破滅へと導く、歯車。

 

 

互いに支え合い、愛を分け合う家族、「家族円満」なる家族など、果たして存在するのだろうか。

 

 

今日日、私の家では、両親の喧嘩が続いています。どうやら、家事を担当している母が、ランチとして外出したきり、夕食も作らずに夜まで呑み歩き、挙句の果てには、深夜、床に就こうとしていた父に、車での出迎えを、悪びれもなく要求したらしく、それに父が、如何なものかと、お怒りになったのです。私には解りませんが、どうして大人は、時にはこうも、まるで自分そこが被害者かのように、自分勝手になるのでしょうか。

 

 

その次日は休日でした。休日なので、と少し遅めに起きた私は、二階のリビングに向かいました。リビングの少し奥にあるキッチンでは、母が料理をしていました。覗き込んでみると、何やら鍋を作っているようでした。私に気づいた母は、
「おはよう。鍋、作ってあるから。細うどんでも入れて、お昼はお父さんと食べなさい。私は、バスケの試合の観戦に行ってくるから。」
と告げ、準備をして、弟が入っている、ミニバスケットボールチームの試合の観戦に行ってしまいました。
それから少しすると、父が寝室から起きてきました。
「この時間じゃ、間に合わないな。」
と父は、母の嫌味を呟いて、キッチンへと向いました。
「なにこれ。」
と呟く父に、私は、
「鍋らしい。細うどんでも入れて昼食べなって。」
と返しました。すると父は。
「あいつ舐めてるな。俺が言いたいのはこういう事じゃないって。あいつ、やっぱり何も分かってない!」
と、吐き捨て、鍋に細うどんを入れました。
昼ご飯は、その鍋を二人で突くこととなりました。鍋は優しい味がしました。ですが、私がうどんを啜っているときも、父は母への愚痴を、零し続けました。
夕方、母と弟が帰宅しました。夜ご飯は、弟が、ハンバーガーがいいと言ったので、近所のチェーン店で、ドライブスルーしたものでした。母と父は、相変わらず話はしませんでした。リビングには、オンラインで友達とシューティングゲームをしている、何も知らない弟の、大きな声だけが響いていました。私は、無意識のうちに、居心地の悪いリビングを抜け出し、一階の自室に入っていました。
その晩、私は寝る時間となったので、ベッドに転がっていました。近くからは、弟の寝息が聞こえて来ます。その時、二階から父の怒鳴り声が響いてきました。母の声もそれに続きます。私は毛布を顔にも覆い被せ、聞こえないようにしてみるのですが、やはり、声は私の耳に、微かには入ってきます。寝ている弟が起きてしまったらどうするのでしょうか。少しすると声は収まり、今度はシャワーの音が聞こえてきました。私は、ゆっくりとリビングに上がり、
「なにかあった?」
と聞いてみましたが、椅子に不機嫌そうに座っていた父に、
「別に。」
と返されただけでした。

 

 

私の両親は、私の知る限り、初めからこのようなことで喧嘩をするような人たちではありませんでした。
私が記憶するに、初めての大きな喧嘩は、私が小学校四年生の時でした。
「ADHD」注意欠如多動性障害と云う、発達障害のことです。漢字九字を使って、仰々しく記してみましたが、要は、不注意の発達障害です。スマートフォンや、家の鍵を無くしてしまうなどは、云うまでもなく、宿題を忘れたりすることも、その不注意に入ります。
私は、結構なADHDでして、勉強などが分からない、と云う苦労ではなく、宿題などが出せないと云う苦労に悩まされました。
いや、悩まされたのは、私と云うより、私の両親と云った方が、正しいのかもしれません。私と云えば、既に自分のことを知悉していたのか、こう云うことは私には無理なのだと理解していました。別に、身体的理由により、不可能と云う訳ではありません。まるで、運動が苦手な学生が、体育祭などでリレーの走者に選ばれることを避けることや、英語が苦手な学生が、英語を捨て科目として、数学を勉強するように、諦めた方が楽だ、と理解したのです。
ですが、両親はそのように、納得ができるはずもなく、私の不注意は単なる怠惰である、として、私の教育方針を巡って、ある時、父と母は大喧嘩をしました。父は、自分は仕事をしているのだから、お前がしっかり子育てをしろ、と。対して母は、私も頑張っている、父であるのだから、私だけのせいにしないで、と。その喧嘩は三日三晩に渡り続き、結局は時が解決してしまいました。ですが、この時に出来た小さな傷は、永久不滅であり、その傷こそが、全ての原因であったのだと、私は確信していたのです。

 

 

風呂から出てきたと思われる、母の足音は、一直線に寝室へと向かってきました。無言のまま、私に背を向ける形で寝ころび、取り出したスマートフォンの光を顔で受け止める母に、私は、
「父さんとの喧嘩、いい加減止めたら?」
と訊いてみました。すると母は、
「喧嘩なんかしてないわ。」
と言ったきり、終ぞ口を開きませんでした。

 

 

翌朝、毎朝五時ごろから執筆を行う私は、紅茶を淹れるため、リビングに上がることにしました。スイッチに赤色を灯らせ、カチカチと音を鳴らせながら部屋を温めているファンヒーターの奥の台所では、母が忙しなく料理をしています。
朝の七時半ごろから家を出て、午後の六時まで帰ってこない母は、塾のため、それより早く、ご飯を食べてから家を発する私の夕食と、自らの弁当、そして家族の朝食を用意するために、誰よりも早く起き、動き始めます。
その母が毎朝沸かしている熱湯の入ったポットと、スティックの紅茶、カップをもって、私は自室へと降りていきました。
一時間程度が経過し、執筆が一段落したので、最後の僅かな紅茶を飲み干して、大きく一息をしました。真上からは忙しない母の足音が聞こえます。ロールカーテンの奥が、少しずつ明るくなり始めたため、私は、それをゆっくりと上げ、窓を開け放ってみました。
外は、暁闇。山の端から溢れる光によって、その辺りの空は、黄金色や天青に満ちていますが、その上空は、依然として藍色のままでした。空に浮かんでいる細く、薄い雲は、溢れ出ている光によって、ほのかに燃えていました。外から流れてくる、晩秋の朝風に煽られ、その寒さに少し震えてから、私はリビングへ、ゆっくりと上がっていきました。
私は、基本朝食は自分で用意しています。と云っても、自らで調理しているわけではありません。普通に、少量の白飯に、インスタントの卵味噌汁、それに漬物を加えたものです。母の邪魔にならないよう、よいタイミングで動いているつもりなのですが、最近の母からは、邪魔、迷惑、私が今使おうとしていたのが分からなかったの、と最近は特に口を尖らせて、私を怒るのです。十分に気を使っているはずなのに、と半ば苛つきながらその言葉に返事をする、それが最近の朝の風景です。
私の家では、朝食は、各々に予定が異なるため、基本別々に摂ります。私が、味噌汁を啜り始めた時、眠そうな弟と、洗濯物を干し終えた父が上がってきました。いつも父が座っている場所には、父が毎朝食している、卵かけご飯が置いてありました。母は、弟に構い始め、父と母は、又しても口を利かないまま、父は卵黄を割り、卵とご飯を混ぜ始めました。最近は朝、肉まんを食べている弟が、この冷たい空気に何か思ったのか、父に、
「それ、おいしい?」
と訊きました。何も言わずに、ご飯を掻き込む父を見て、弟は何か不満そうな顔をしながら、テレビのリモコンを取って、天気予報を付けました。お天気キャスターの「曇り」の言葉を聞いて、更に不機嫌そうな顔をした弟は、食べる速度を速め、牛乳を一気に飲み干し、学校に行くまでの間、ゲームをすることにしたのか、ゲーム機の電源が入った音が、静かなリビングではよく通りました。

 

 

七時二十分ごろ、そろそろ出発時間が迫っている弟に、母が、
「そろそろ用意しなさい。」
と声をかけました。ですが弟は、母に、気の抜けた、生返事しか返しませんでした。弟の手には強くコントローラーが握られています。母も、出発時刻が迫っているため、弟にしつこく注意する時間はありまん。そのため、父が弟に、
「ゲームを止めろ!」
と急に叱咤しました。びくり、と驚き、ゲームを急いで止めた弟に、更に父が、
「もうこんな時間になってるぞ!お前、ちゃんと準備出来てるんだよな⁉」
と言葉を投げかけました。母は、また始まった、と言わんばかりの顔で、小さくため息をつきました。ゲーム機の前で立ちすくみ、固まってしまった弟に父は、
「今すぐ連絡帳と宿題を見せてみろ!」
と更に追い打ちをかけました。すると、弟は、用意をしていなかったのはおろか、最近の宿題をしていなかったことが発覚したのです。この事実に父は、
「このやっていなかった宿題が終わるまで、ゲーム禁止!母さんもしっかりと見といて!」
と、弟に罰を与え、一人早く家を出ていきました。母は、また仕事が増えたと、呟いてから、
「だから、言ったのに。」
と弟に告げ、早く出なさいと、私たちの出発を催促し始めました。

 

 

「結局時間が解決する。」
学校の友達に訊いてみた結果がこれでした。確かに、私の家では、両親が子供の前で怒鳴り合ったり、暴れだしたりするような、そう云う大喧嘩には発展していないのだから、児童相談所に連絡するや、両親とわざわざ話し合う必要はないのかもしれない、と云う結論に、私の中では至りました。ですが、解決したはずなのに、自分の中では、どこか物足りないような、信用しきれないような、そのような感覚を覚えたのです。ですが、今は、「時間が解決する」を信じようと、信じたいと、思い、それを信じ切ることにして、その感覚は封印することとしました。
これで、良かったのです。

その日の夜、塾から帰ってきていた私は、自室で音楽を聴いていました。ゆったりとした音楽は、塾での疲れをすぐに癒してくれるのです。久しぶりにイヤホンを付けて音楽を聴いていると、天井から父の怒号が、私のイヤホンから流れる音楽を貫いて聞こえてきました。なにがあったのだ、とイヤホンを外すと、リビングから寝室へ、一直線に大きな足音が飛び込んでいきました。その音に続いて、母らしき足音が寝室へと入っていきました。少し時間が経ち、気になった私は寝室へ入ってみました。寝室では、寝ている弟と、スマートフォンを弄って、横たわっている母がいました。私は母に、なにがあったのかを問おうとしましたが、それよりも先に、母が口を開きました。
「あの子、バスケから帰ってきて、ご飯食べて、お風呂入ってから宿題始めたら、お父さんに、こんな遅くまで起きるな、って怒鳴られて、字が汚いからって全部消されちゃって、あの人がやっていなかった分を全部しろ、って言ったのに。それで怒って、さっきまで号泣してたのよ。なんで、とか、あいつが、とかぶつぶつ言ってたのよ。もう寝ちゃったけど。」
母は笑っていました。ですが、その笑いは、私にはどこか生気や、感情がない、乾いたような笑いにも聞こえました。
なぜか、私もなにも思わないようになりました。正確には、この喧嘩によって、弟が飛び火を食らっているこの現状に、嫌気が差していました。ですが、
「時間が解決してくれる。」
これを私は信じることしか出来ないのです。

 

 

翌朝、この日の朝は、静寂でした。誰も、一言も声を発しません、いや、発せられない、の方が適切なのかもしれません。
朝食を用意していた時も、いつもはうるさい母ですが、今日は静かでした。咀嚼音や、食器の音が鳴るたびにリビングに響き渡るような、そのような朝食でした。私は、何も言わずに、すっとリモコンを手に取り、いつものニュース番組を付けてみました。丁度、天気予報の時間でした。お天気キャスターがなにやら解説していますが、なぜか全くに聞き取れませんでした。リビングにて、この声を妨害するものなど決して、存在しなかったのに、私はその言葉が一体どの言語の言葉なのか、どのような意味をもった言葉なのかが、全く理解できなかったのです。しっかりと聞こうとしても、分からないニュースを見ることは止め、テレビを消しました。いつもは絶えず、音や声が溢れる朝ですが、今日は、各々黙々と準備をして、次々と出発していきました。今朝はいつも以上に、居心地が悪いためなのか、私は気が付けば、いつもの十分ほど前には家を出ていました。
まるで導かれるかのように、空を見上げてみると、寒々しい、開けた秘色の空に、光を失った白い残月が、ただ孤独に浮かんでいるだけでした。

 

 

枯風晒され、鼻垂らし、
挙句やおらに、崩れ落ち、
希求友垣、甲斐はなし、
ならば果てまで、ふらふらり。

 

 

家庭の輪を乱すのはいつだって子供だ。両親はそんな子供たちを「愛」という理由で守り続ける。そして、その愛が潰えた時、家庭は崩壊するのだ。互いに支えあい、愛を分け合う家族、「家族円満」なる家族など、存在しない。破滅への歯車が一度回りだせば、子供はおろか、親ですらそれを止めることは出来ないのである。

2023年3月21日公開

© 2023 宮水楓

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