グッドバイ バッドバイ

時乃

小説

13,368文字

恋人のサエコは卒業式の前夜に息を引き取った。僕はまだ泣いていない。大学を卒業する準備をしすぎてしまったことが原因らしい。学生から社会人へと変身するために、僕はずっと前からいろいろなものを脱ぎ捨てていく努力をしていた。いろいろなものを脱いでいくのは、この寒い季節ではかなり辛いものがあったのだけれど、僕は今まで生きてきたなかでもたくさんの物を脱いできたはずで、一度脱いでしまえば鳥肌が立つのはほんのわずかな間だけ、すぐにまた、この寒さに慣れてくるのだろうと考えていた。きっと僕は、その脱ぎ捨ててきたいろいろなもののなかに、サエコも含めてしまっていたのだろう。

死因は心臓病だった。大静脈が逆流しないようにするための弁に異常ができていて、大学に入ってすぐの頃からずっと病室で過ごしてきたそうだった。僕は今まで何者かの死を間近で経験したことがなかったから、人間の命は箱の底が抜けるみたいにある日突然なくなってしまうものなのだとは知らなかった。サエコの病室に入って、ああ今日は顔色が良さそうだ、今日も元気そうだ、とか言って、いつしかサエコのもとに行くことがまるで友達の家へと遊びに行くような気分になってしまっていたから尚更だ。サエコの最後を見届けたとき、僕はサエコの髪が最初に病室で会ったときよりもずっと長くなっていたことに気がついた。というか全然違っていた。ロングヘアーも似合うんだね。そう言っても、もう彼女には聞こえない。

三月が終わるのはあと半月ぐらいで、入社式は四月にはいたら「待ってました」とばかりに僕を招くために、きっちりと四月一日に予定されている。この日より一日でも早くなったり、遅くなったりすることは絶対にないと誰かが断言しているような気がする。僕は就活生のすぐ目の前に向かい合わせになって立っている。第一ボタンだけを律儀に止めたスーツ姿だからすぐに分かる。僕はその就活生をじろじろと観察する。こういうことをしても全く怪しまれないのは、ここが阪急電車の中だからだ。電車のなかに乗っていると、ふだんはほんの少し近づいただけで変な目で見られる他人という存在が、これほどまで近くに寄り添っても誰も気づかないのだ。僕はその就活生と何度も目があったが、やはり向こうも僕のことに気づいていない。果たして僕は、ここにいるのかな。
目線を窓のほうに向けた。景色が右から左へと流れている。僕は電車の進行方向の反対側に体を向けているから、ちょうど僕の目からは、すごいスピードで後退しているように見える。前に進むものばかり見てきたせいか、なんだか異様なことのように思えてきた。僕は特急のスピードで後ろへと戻っていくらしい。あと少しで大学に着く。

「大丈夫、きっと助かるよ」
病室の入口側にある、表面が剥げた小豆色の長椅子に座って、前かがみになりながら膝と膝の隙間を見ている僕に、看護婦はそんなことを言った。看護婦は僕を慰めるつもりで言ったのか、それとも別の意図があるのか、僕にはよくわからないしそんなことはどうでもいいのだが、少なくともその時の僕はむしろ無神経な言葉だなと感じた。今、サエコは危篤状態で、これから手術をすることになっていたけれど、もうサエコは助かる見込みがないことを、この剥げた長椅子から教えてもらっていた。「奇跡」というものが起こるには、あまりにもみすぼらしい病院だ。医者を、奇跡を起こす神様だと信じることができるほど、ここの病院は完全ではない。蛍光灯が切れている暗い廊下もあるし、天井のあちこちにぶら下がっている案内標識の矢印は原色そのままの赤で塗りつぶされていて古臭さが漂っている。この病院にいるのは、僕よりずっと頭は良いのかもしれないけれど、少なくとも神様ではなくて僕と同じ人間なのだし、人間以外何もいない。
「気をたしかに持って。心が折れてしまったら、絶対に助からないわ。病は気から、というでしょう? あなたがサエコちゃんの気の代わりになるのよ。あなたが頑張れば、サエコちゃんはきっと――」
「……僕はサエコが危篤になった理由、実は知っているんです。解っているんです」
「え?」
「だから分かるんです。僕がサエコの気の代わりになってはならないのだと言うことが」

母親から卒業アルバムを買ってくるように言われたので、僕は長い列の最後尾に立った。中学卒業のときも高校卒業のときも、僕は校舎を見回しても何も感じなかった。だから大学も同じ、もう再び訪れることもないであろうキャンパスを眺めても何も感じないだろうと思っていたら、その予想は裏切られた。右を向くと、髪を栗色に染めた二人の女が泣きながら抱きしめあって別れを惜しんでいる姿が見える。ふだんの僕ならば、大袈裟だなあ、程度の感想しか持たないはずなのに、しかし今の僕はその二人のことが決して他人であるような気がしなかった。強い悲しみが背を打った。――なぜだろう。いつのまにか僕の後ろにも長い列ができていて、僕のすぐ後ろにいる男三人組の会話を聞いてその理由が分かった。そうか、僕は「学生」から卒業するのか、と。

僕はサエコのことが好きだ。だから布団の中に潜ると何時もサエコの顔ばかり浮かんだ。彼女の顔を僕の頭のなかで想像するとき、いつもオルゴールの音のようなものが聞こえた。それがなぜかは分からないし、オルゴールは何かの音楽のように聞こえるけれど、何の曲かよく分からない。でも、そんなオルゴール音はきっとどうでもいいことなのだ。それよりも僕はサエコの顔を、ほんの少しでも細かく想像することに意識を集中させた。初めは、頭の中に浮かんでくるサエコと一緒に映画を見たり、祇園祭に行ったり、僕の家へと誘ったりした。でも、僕はいつの日からか、頭の中にいるサエコに肉体的な繋がりを求めるようになった。それはもちろん、サエコのことを愛しているからこその感情だ。でも僕は心のどこかで、サエコとの関係はいつまでも嘘か冗談のような、カーテン一枚を隔てた関係でしかなくて、その関係のまま終わってしまうような気がしてならなかったのだ。明確な証拠が欲しかった。目に見えないものではなく、もっと分かりやすい、誰が見てもそれと分かる愛のかたちを。僕は僕の頭のなかでオルゴールを耳にしながらサエコと何度も交わった。ずっと病室にいるサエコにはできないことを、頭の中でした。僕の中にある男としての欲望は、みんな頭の中のサエコが引き受けた。しかし、頭のなかで何度体を重ねても満たされる気持ちにはならなかった。だから僕の欲望は、直接サエコに触れなくても満足できるように変貌していった。その変わりようは自分でも恐ろしくなるぐらいのものだった。僕の性欲は少しずつ倒錯していった。頭の中にいるサエコは、もちろん僕の命令を何でも聞いた。当然だ、頭の中では誰も僕を止めるものはいないのだから。だから僕の欲望は際限なく大きくなってしまう。そうしているあいだに、本物のサエコは、今までもこれからも、どこの誰かも分からない医者に「治療」されていくのだと思うとすごく悲しかった。
その日僕は大学に行くつもりで家を出て、電車の乗り違えでいつのまにか病院に着いた。サエコの病室に入ろうとしたら入口に年配の看護婦が立っていて、「まだ入ってはならない」と言われた。仕方がないから、その病室の前でずっと待った。長い時間が立った。時計の針を見ると二十分かかったことになっているが、あの時計は十分ほど針が進んでいるので、正確には十分しかかかっていない。やっと、まだ三十代ぐらいの、なんだか自身に満ちあふれた縁無し眼鏡の男が出てきて、僕は入室を許可された。「何をしていたんですか」とは聞かなかった。

卒業アルバムのページを一枚ずつめくる。ものすごく硬質な紙でできていて、まるで剃刀のようになっているから、うっかりすると自分の指を切ってしまいそうになる。僕の手は自然と学芸員みたいな手つきになる。自分のものであると思えなかった。ようやく僕が在籍している(在籍した)学部のページを開き、ゼミの集合写真から僕の顔を見つけた。分厚いアルバムの中で僕の顔が写っているのはこのページだけのはずだ。僕は、それが義務であるかのように、他のゼミや他の学部の写真を見ていったが、笑顔ないし仏頂面ばかりがあるだけだな、としか思わなかった。もし僕が心を動かすとしたら、そこにはやはりサエコの顔が映し出されているはずだが、あいにくサエコは僕より一つ年下だったし、そもそも同じ大学なのかすらはっきりしない。(僕はサエコのことが好きだけれど、サエコのデータは年齢と性別と好きな本以外何も知らない。僕は「サエコ」が好きなのだ)ふと「We
love
us」という言葉が目に入った。サークルのページを見ていることに気づいた。サークル名は「スプラッシュオレンジ」で、一体何の活動をしているのか皆目分からないが、僕はその写真のなかの立て看板の文字を見ていた。写っている顔が全員女であることと、そのサークル名の印象からチアリーダーのサークルなのかもしれない。「We
love us」それは「I love
you」をもじって作ったのだろう。文法的に変なところはない。でも、強烈な違和感を抱いた。「自分たちは自分たちを愛しています」? 僕は息を吐いてアルバムを閉じた。今のは見なかったことにしたいな、と思いながら。

サエコのベッドに変わりはなかった。いつもと同じだ。とはいえ、それでよかった。サエコの周囲にあるものは尽く背景になろうとしていたが、そのおかげでサエコが僕に見せてくれる顔や仕草の印象が損なわれるようなこともなかった。サエコは四人部屋の一角にいて、残りの三人は入退院の繰り返しで病人がしょっちゅう入れ替わりしているようだった。もっとも、カーテンで仕切られた他人のことなので、実際はどれほどの頻度で病人が変わっていたのかは判然としない。ある冬の日に、僕とサエコが声を潜めて会話をしていたことにどういうわけか腹を立てたらしく、方言のきつい言葉でよく聞き取れない小言をぷくぷくと蟹の泡のように吐き続けた中年の男は、サエコによるとどこかの中小企業の社長だったそうだが、一週間で退院していった。僕はそのとき反撥したい気持ちを押し込めてじっとしていたのだけれど、一緒にいたサエコは時おり相槌を打ちながら、穏やかな目で中年男の話に付き合っていた。一年以上を同じ病室で過ごすサエコは、あの中年男の攻撃めいた言葉すら宝物だったのかもしれない。もっとも、僕が帰ったあとで、きちんと非礼を詫びていたとサエコは言っていた。自分が入院したことで被る会社への悪影響を思うと居てもたってもいられなくなり、神経が荒んでついあんなことを言ってしまった、本当に悪かった、若いのに大変だね、とサエコに向けて優しい口調で話しかけたのだという。でも、少なくとも僕は、あの中年の男がめでたく退院を迎えたときに、やり場のない悔しさを感じた。こんな男がサエコと同列に扱われる理由が分からなかった。
またあるときは、病室の窓のことで一悶着あった。サエコのベッド向かい隣、ちょうど対角線上に位置するベッドにいる誰かが、窓を開けて欲しいと看護婦にしつこく頼んでいるのが聞こえてきた。確かに病室に窓はあるのだが、この窓は基本的に開放されることはない。しかし、換気をするように何度も言っている。天井にある機械が見えないほど耄碌した老人なのだろうかと僕は毒づいたが、サエコが露骨に嫌な顔を見せたのでしまったと思い、黙った。そのときの僕は、サエコの中にある暖かな肺から吐き出された吐息でこの病室を満たしてほしい、なんて変態的なことを考えていたから、とにかく窓を開けないでくれ、と願っていた。換気は天井にある機械で行っているから幻想、というか妄想でしかないことは分かっていたけれど、それでも心理的な問題として、窓の開放には反対だった。
入院したばかりのころは、ベッドのシーツや掛け布団カバーがざらざらしていてとても余所余所しくて、他人の家で寝る時みたいな落ち着かない感じがしていたものだけれど、もう何ヶ月もここにいるからそんな感覚も忘れてしまったな、とサエコは言った。それは僕も同じで、ベッドを区切るカーテンを開けるときのわずかな引っ掛かりや、消毒液の臭いや突然鳴り響く内線電話の音の煩わしさや、これはサエコには言わなかったが、女の子の部屋に入っていくような緊張感もいつのまにか無くなってしまったよ、と僕は言った。僕もサエコも、同じ空間に少しずつ馴染んできている。その日僕は訳もなく微笑んでしまった。何をにやにやしているの、とサエコが聞いたが、そう聞いた彼女も微笑んでいた。幸せだと思った。
僕はサエコの病室に、サエコがいる空間に、心だけではなく体ごと慣れていったような気がする。例えば、昼間は蛍光灯が点いていなくて外から入ってくる陽射しだけが部屋の明かりになっていて、それをカーテンで区切ってしまうために病室は薄暗くなりがちなのだが、僕の目はこの薄暗さが正常であるのだと認識してしまったために、外へ出るとひどく眩しく感じることが何度もあった。僕が慣れていった空間にはいつもサエコがいる。なんだか自分に、男としての生々しい所有欲が湧き上がってくるのを感じる。サエコを僕のものにして、僕をサエコのものにしてほしいと強く願う。女を自分のものにしたい、というその気持ちだけは人並みに持っているらしい。
僕は月曜日と水曜日と金土日曜にサエコの病室へ行った。しかしその日は火曜日のバイトを理由もないのに休んだ。毎週まじめにバイトをしていたこともあって、バイト先は何も言わず休みを許可した。何もやることがないとき、僕の体はサエコの病室へ向かうようにできている。僕は火曜日に彼女の病室へ向かう。そのことを彼女は知らないだろう。もしかしたら、いつも彼女が僕に見せるときよりは少しだけ無防備なのかもしれない。僕はカーテンをさっと横に引いた。たしかに彼女は無防備だった。というのも、彼女は眠っていたのだ。本を読んでいるうちに眠たくなったのだろう、彼女の口もとには一冊の文庫本がある。僕はその本が、新潮文庫の福永武彦という作家の作品であることを知っている。彼女はこの作家が好きなのだ。この人が書くのはね、ものすごく孤独で、ネガティブなことばかりなんだけれど、太宰治や志賀直哉のような嫌ったらしさがなくって、ものすごく静かなんだけれど、どこか星のようなきらめきがあるのが好きで。へえ、きらめき。悲しいことばかり書いてあるから、たまに本当に泣いてしまいたくなることがあるの、真夜中にこの病室で寝ているとね、ときどきどうしようもなく孤独で、不安で、寂しく感じることがあるのよ、そんなときにこの本は、一緒に孤独になっている者どうしが慰め合っているような気分になってね、なんだか涙が出てくるんだ、でもそれはね、同情とか、共感とか、感情移入で泣いているわけでもない気がする、ほら、いい映画とか、音楽とか、絵とか写真とかを見た時と同じ、純粋な感動の涙っていうのかな。僕も福永武彦を読んだことがあるよ。本当、どうだった? 僕もいいな、と思ったよ、でも、サエコが言うほどは感動しなかったかな。どうして? 本当に人が悲しくなったときって、あんなに長々と文章を書けるものなのかなって考えてしまうから、だと思う。掛け布団から、彼女の腕が伸びていた。肘から先の腕だ。外に出られないからとても色白な肌で、血管が透き通って見える。頻繁に入浴できないからあまり綺麗とは言えない。僕は、彼女の腕に刺さっている点滴針が、針を固定するためのテープを隆起させているのに目がいった。この病室には慣れたのに、点滴針を刺されるのは未だに慣れそうにないのよね、消毒液を含ませたガーゼで腕を拭かれただけで腕に力が入ってしまうよ。今、僕の目の前にある針も、昨日か今日か、サエコが腕を緊張させた末に刺されたのだろう。目線を彼女の指先へと滑らせると、睡眠時の生理現象なのか、軽く曲げられた指先がぴくりと震えたのが見えた。僕はいつもと同じ位置にあるパイプ椅子に腰掛けた。椅子に座ったところからでは、サエコの寝顔が布団に隠れて見えない。耳や頬に彼女の髪がかかっているところだけが見える。僕はその一点をじっと見つめる――さっとカーテンが開いた。カーテン外の明かりがサエコの首筋を斜に照らしたのを見て、はっと気がついた。
入ってきたのは、僕もよく知っている看護婦だ。カーテンを閉めて軽く会釈したので僕も同じように会釈した。そのとき看護婦が何か言っていたようだったが、僕には聞き取れなかった。看護婦は僕がいるベッドの反対側に回って突然屈みこんだ。何をしているのだろう。やがて看護婦が立ち上がると、両手で何か得体のしれない形をしたものを持ち上げた。思わず僕は戸惑って、一体何なのかもういちどよく見てみる。乳白色のポリエステル容器で、その口の部分には茶碗を斜めに歪ませたような物体が付いている。容器の中に液面の黒い影が揺蕩っているのが、薄暗い病室なのによく見えた。ああ、なるほど、尿瓶だったのか、と僕が納得したとき、僕は今確かに、サエコに対して見えないけれど決定的な暴力を振るったのだなと自覚した。僕は何かの発作のようにその場から立ち上がった。言葉も思考も遠く及ばないものが胸底から衝き上がってくる。意識が狭窄してサエコの首筋に集中する。掛け布団を引き剥がそうとして僕の指先が布団に触れ――その冷たさに僕は我に返った。
体を硬直させて口を閉じる。するとサエコは小さく唸りながら身をよじって、僕がめくろうとした掛け布団を肩まで引き上げた。寝返りも打ったので僕の目からはサエコの後頭部が見える。枕も動いたため、福永武彦の文庫本がベッドから落ちた。落ちた時に表紙が開き、ブックカバー柄の蝶に見えた。僕はその場から急いで立ち去った。これ以上、病に苦しむサエコをさらに暴力を振るって苦しませることのないように。それから、僕は自分の家の自分の部屋で、誰にも教えられたことのない動きによってその暴力を慰めようとしたのだが、サエコが危篤に陥ったのは、その夜のことであったらしい。翌日の水曜日、「いつも通り」の顔でサエコのもとへ行こうとする僕に、良心の呵責が押し寄せた。サエコが瀕死になっていることを知り、その原因を特定しようと慌ただしく動く医者や看護婦たちの側から離れ、手術室へと運び込まれていくサエコの姿を見送ったあと、僕は表面が剥げた小豆色の長椅子に座った。強い悲しみが降りかかる。そして、本当に悲しいときには、なんの言葉も思考も意味を成そうとしないのだ――。

大学生としての、最後の一週間が始まった。今日は月曜日で、次の月曜日から僕は働きはじめることになる。月曜日だから、僕の足はなんとなく病院へ向かおうとしていることが分かったのだけれど、もうサエコはこの世にいないのだから行っても意味はない。ではこの足で今日は何処へ向かおうか。最後の一週間でできそうなことは、本を一冊読み切ることだろう。行き先は書店に決まる。買う本も迷わなかった。新潮文庫の棚の前に立って、灰色に黒字の背表紙がすぐに見つかった。三作あるらしい。一つ目が「草の花」、二つ目が「愛のかたち」、そして三つ目が「忘却の河」という作品だった。僕が読んだことのある作品は、たしか「忘却の河」だったはずだ。迂闊にもブックオフにて十円で売ってしまったのでもう手元には残っていない。僕は「忘却の河」を含めた三作をまとめ買いした。千七百円でお釣りが来た。最後の一週間で、この三作を読み切ってみよう。
表紙を開いて読み始める。書いてあることは、サエコがいつか言ったとおりネガティブなことばかりだった。でも、その語り口は自らの不幸をひけらかすような印象が全くない。文章のひとつひとつが、とても清潔なのだ。自意識が醸し出す饐えたような匂いがなくて、僕は安心して言葉の流れに身を委ねることができた。今の僕は、たとえ小説の作者であろうと、あまり他人とは関わりあいたくなかった。読みながら言葉ひとつひとつを拾っていって、実像のイメージを頭の中で結実させていくが、そこには常にサエコが虚像として立ち現れているのが分かった。オルゴールの音楽に似ていると僕は思った。僕はオルゴールの音を一つ一つ聞きながらサエコを想う。もういなくなった彼女に会うためには、言葉や音を必要とした。もう二度と直接触れることは叶わないところへ行ってしまったのだ。けれど、それでよかったのかもしれない。病室の周囲にあるものたちが背景へと消えていったのと同じように彼女もまた消えていったけれど、そのせいで僕が浅ましいことを考えて、彼女を傷つけたりすることもない。意味を成さなくなったかと思われた思考や言葉が、僕のもとに戻ってくるのが分かった。
サエコが読んでいた本が、この三作のうちどれだったのかは分からない。でも、どれか一冊は確実に、サエコが生きていたころに読んでいた文章と同じだ。福永武彦の清潔な流跡をたどりながら、僕はサエコに近づいていく。読んでいてふと寂しくなる瞬間が訪れると、読むのをやめて顔を上げ、深夜ひっそりとサエコがあの病室で、福永が描いた寂寞の余韻に浸っていたであろうことを想像する。普通の文庫本なのに、ページの進みがとてもゆっくりだ。長く長く言葉は続いている。その長さは僕にとって救いだった。まだサエコと別れなくて済む。あと二百ページ以上もサエコの側にいることができるし、読み終わっても、まだ二冊も残っている。最後の時間は、まだまだ長い。

ちょうどインフルエンザが流行していたころだ。A型やB型などいろいろな種類があって、僕は何型にかかったのか忘れてしまったけれど、多分B型だったと思う。僕はそのウイルスに感染して、下痢が止まらないうえに少し物を食べただけですぐに嘔吐してしまうという悲惨な状態に陥ったことがあった。軟便を排泄したその便器に向かって嘔吐物をぶちまけるといった感じで、一体僕の体のどこにこれだけ吐き出すものが溜まっていたのだろうかと思ったことを覚えている。そういうわけで僕は深夜に救急車に乗って病院に行き、その場で入院が決まった。脱水症状にならないように生理食塩水と栄養剤を点滴で摂取することになり、病院のベッドに横になれたのはもう明朝で鳥の声が聞こえた。僕は早く寝たい一心で点滴の看護婦が来るのを待っていたら、隣から女の子の声がして、それがサエコだった。両親から本気で心配されるほど僕は異性に興味を持っていなかったし、その時も特に思うところはなかったし、関係のないアルバム写真を見る程度には無関心だった。本好きのことが興味を惹くのはやはり本のことで、初めてサエコを意識し始めたきっかけも、隣からページをめくる音が聞こえてきたから、というものだった。紙と紙が擦れる音は、無機的な病室から聞こえてくる唯一の有機的な音で、何回でも聞いていられるような音だった。その日の夕方にまた少し腸のあたりが傷んだが、ずっと軽いものに和らいできたので、翌日には退院が決まった。わずか二日間だけではあったが、僕は世話になった看護婦に礼をした。その看護婦から、初めてサエコのことを聞かされた。僕より一つ年下で、心臓病に罹っていて、僕と同じく本が好きなのだと教えてくれた。僕もこの二日間、食堂の本棚に置いてあった時代小説を、許可をもらって病室へと持ち出して読んでいたので、僕が本好きであることは彼女も気づいていたのだろう。そのときに僕はサエコのことを少しだけ気にかけたがやはり帰ろうと思って、母親が持ってきた着替えの服を畳んで、大きなブルーのトートバッグに詰めていると、ふと背後から声をかけられた。振り返るとそこには、髪を短く整えた(そう、あの時はかなり短かった)サエコが、カーテンを小さくめくって顔を覗かせていた。その時のカーテンをめくる手つきは、サエコの髪が長くなって横髪が口元にかかるのを払いのけるときの手つきと同じだったのではないかと思う。初対面だったから、彼女はどこか遠慮したような面持ちだったが、僕はむしろその顔に奥ゆかしさを感じた。もしここで、長々と本の話を初めてしまったら、もうそのサエコとは一期一会で終わってしまったことだろう。しかし僕はそのとき、本当に簡単な会話しかしなかった。今日で退院します。そうですか、おめでとうございます。寝相が悪いほうなんですが、鼾とか気になりませんでしたか。あなたよりも私の向かいにいる若い女の人のほうがずっとひどい鼾でした、それに比べればあなたのは可愛いものでしたよ。そうですか、迷惑をかけないで済んで良かったです。あ、回診みたいです、それでは失礼しますね。分かりました、それでは。一分ほどの会話しかしなかった。また明日にでも会えるかのような口ぶりで、僕とサエコは話していた。だからこそ、この日から僕のなかでサエコの影が揺らめくようになったのだ。あの子は一体、何者だったのだろうか。どうして退院間際になってから僕に声をかけたのだろう。話しかけるチャンスはずっとあったというのに――けれど、本当はそんな疑問など関係がないのだ。退院して二日後、僕は見舞い客としてサエコがいる病室へと向かった。これは、僕がサエコに特別な感情を抱き始めているのだと表明することにほかならない。だから最初に自分の足で病院へ向かったときにひどく時間がかかったのは、最寄り駅からどのように歩いたら病院に着くのか分からなかったから、という物理的な理由だけではないことは確かだ。サエコが戸惑うのではないかと思ったし、彼女が戸惑わなかったとしても、彼女の両親や親戚が僕のことをどんな目で見るかわかったようなものじゃない。もともと行動的ではない性格の僕はそれだけで行くのを辞めようと思ったのだけれど、退院後家に帰ったとき靴下が一組足りないことを母親に指摘され、病院に問い合せてみればベッドの下に靴下が落ちていたと言われ、それを引取りに行かなければならない、という理由もあった。その靴下を拾ってくれていたのが、サエコのことを教えてくれたあの看護婦だったことも、なんだか縁のような気がした。カーテンをめくって中に入るまえ、とても緊張したことを覚えている。はたしてどういう反応が帰ってくるのか。僕の背中を押してくれたのは、ある一つの考えだった。それは、僕がサエコのところへ行くのも行かないのも全て僕が決めることであって、病人であるサエコは来る者を拒むことも、去る者を追うこともできないのだから、主導権は僕が握っているのであり、もしサエコが嫌がった時には僕はすぐにその場から逃げ去って、永遠にさようならすればいいだけのことなのだ――という考えだった。彼女は僕の名前も知らなければ住所ももちろん知らないのだし、二度と会うことはない状態にするのは簡単だ。ダメそうならすぐに逃げればいい……そんな情けない考えが僕を強く励ましていたのだ。
でも、僕が意を決して、ゆっくりとカーテンを横に開いたとき、彼女が見せた反応は、ああ、あの時の、と少し驚いた様子を見せて、僕のことを拒否するような素振りを全く見せなかった。本当のところはどう思われているのか分からないけれど、少なくとも僕は、この病室にいてもいいのだとサエコから認められて嬉しかった。

はじめて出会ったときはこれだけうまく行ったというのに、どうしてうまく彼女と別れることができなかったんだろう。ただ側にいるだけで充分だったはずなのに、いつから僕はサエコの身体に触れることばかり考えていたのだろう。僕はそうやっていろんなことを後悔していたし、その気持ちをぶつける場所がどこにもないことが苦しいのだ。この苦しさを他人にぶつけるのか? アイドルグループ五人が横一列に並んでいる携帯電話の広告を見て、とてもじゃないがダメだ、と思った。他人は人を救いたがろうとはするけれど、救われたいものから思いをぶつけられるのは嫌いなものなのだと、僕は本能的に知っているらしい。僕はあと三日で他人の中で、社会の中で働いて生きていかなければならない。この気持ちを抱いたままでうまくやっていける自信がなかった。月曜日と水曜日と金曜日に、サエコの病院へと向かいそうになる足を必死に隠しながら通勤していなかればならないのだ。この電車に乗りながら。
今、僕は電車の中にいる。座席に座っている。金曜日、サエコの病院へと向かう電車だ。僕のすぐ隣で、小さな男の子が靴を脱いで体を後ろに向け、窓の景色をじっと眺めている。僕も少しだけ後ろを見た。相変わらず電車の景色は右から左へと流れていて、まるで後退しているように感じる……この感覚は確か以前にもあったはずだ。僕はなんとなくそのことを書き記してみることにした。今まで小説は、それっぽい作品を何個か趣味で書いたことがある。でも、今から書く文章は小説ではない。あくまで僕の主観に基づいた言葉をただひたすら書き連ねるだけだ。でも、僕はすぐに、今から僕が書くであろう文章の題名みたいなものを思いついた。良いお別れと悪いお別れ、「グッドバイ バッドバイ」にしようと。
まずは病室のことから書こうか。あの空間と同じものは、あの病院の中にたくさんある。つまり画一的なものにすぎない。けれど画一的だからこそ、あの空間にはサエコしかないものがはっきりと色濃く映し出されていたはずだ。そういえばあの部屋はテレビの上に小さな箱が置いてあった。そうだ、オルゴールだ。あの大きさならば間違いない。僕がサエコのことを思い出すたび(もちろん今も聞こえてくる)に再生されたあのオルゴールを、僕はあの空間でずっと聞いていたのだ。ずっと聞いていたせいで、聞いている感覚すら僕の中に消え去っていたけれど、文章を書こうと思い立ってようやく思い出した。あのオルゴールのメロディーは、確か僕も知っている曲だったはず。そうだ、思い出した。あの曲はZARDの「負けないで」だった。

負けないで もう少し
最後まで 走り抜けて
どんなに 離れてても
心はそばにいるわ
追いかけて 遥かな夢を

僕はいつの間にか眠ってしまっていた。目が覚めて手元にある手帳に目を落とした。今まであったことを思いつくままに、とにかく走り書きで書いていた。何を書くか、考えは決まった。あとは、とにかく一生懸命にシャープペンシルで書き連ねていくだけだ。今はもう、サエコのことを思い出すたびにしっかりと「負けないで」のオルゴール音が聞こえてくる。僕はずいぶん前に、あのオルゴールを一度彼女と一緒に聞いたのだ。それは確か、サエコの親戚がやってきたときに部屋に置いていってくれたものだと僕に説明してきた。福永武彦の小説と、ZARDの音楽は似ていると思うの。ZARDが?
そう、たしかに福永武彦はネガティブなことばかり書くし、ZARDはポジティブに生きることを歌い上げているから真逆だけど、していることは同じだよ、私はこの歌を聞いたときも涙が出てきそうになるんだけど、やっぱり共感とか感情移入とか、そういう涙じゃないんだ、純粋に音楽として、私は感動するの、こんな素晴らしい音楽を作った人がこの世界にいるんだ、ってね。そう言って彼女はオルゴールのねじをくるり、くるりと回して白いテーブルの上に置いた。とても小さな音で、原曲よりもいくらかテンポの遅いオルゴールが流れて、有名なサビの部分を繰り返した。病室だから、あまりうるさくしたら怒られるんじゃない? 別にいいじゃない、ちょっとぐらいなら。さらに思い出したことがもう一つ。あの中小企業の社長は、このオルゴールの音がうるさくて寝ることができないじゃないか、と言って僕たちを小言で叱責したのだ。僕は邦楽に偏見を抱いていたから、あのZARDの音楽を適当に聞いていたのがまずかった。もしあの音楽をサエコと一緒にまじめに聞いていたら、そしてサエコの話をもっと真剣に聞いてさえいれば、ぼくはあんなバッドバイを迎えずに済んだのかもしれなかった。病に倒れそうになっても挫けないために、彼女はあのオルゴールをよく聞いていた。あの音楽は彼女の支えとなるもので、僕がサエコの側でじっくり何度でも聞いてあげなければならなかったものだったのだ。
そして今僕は、サエコのことを思い出すたび、このオルゴール音を一音たりとも漏らさず聞き取ることだろう。
窓の景色は左から右へ流れていた。寝ているうちに終点に到着して折り返したらしい。僕はサエコのいる病院から離れていく。僕の学生生活は、あと二日ちょっとで終わる。この土日で、福永武彦の小説を読み終えなければ。僕はそう思いながら、家に帰るために次の駅で電車を降りた。

2013年5月29日公開

© 2013 時乃

読み終えたらレビューしてください

リストに追加する

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 短編集として公開したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

あなたの反応

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

作品の知性

作品の完成度

作品の構成

作品から得た感情

作品を読んで

作者の印象


この作品にはまだレビューがありません。ぜひレビューを残してください。

破滅チャートとは

この機能は廃止予定です。

タグ

この投稿にはまだ誰もタグをつけていません。ぜひ最初のタグをつけてください!

タグをつける

タグ付け機能は会員限定です。ログインまたは新規登録をしてください。

作者がつけたタグ

---

"グッドバイ バッドバイ"へのコメント 0

コメントがありません。 寂しいので、ぜひコメントを残してください。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る