「怪文書のこと、好きですか?」
「はい。消去法で、あなたが好きです。怪文書が滅びるなら、私も滅びます」
私の名前は葦名井戸。葦名のための名探偵だ。そしてこの文書は葦名のための怪文書さん。葦名のために生きている。
しかしそもそも、「怪文書」とは何だろうか?
辞書を引いてみよう。
『日本国語大辞典』には、こう書いてある。
他人を中傷し、世間をさわがせるような、出所不明の文書。
これは辞書が間違っている。
正確に言うと、辞書に誤解を与えるような用法で「怪文書」という言葉を使った文書が間違っている。「怪」をなめている。
怪異。
怪獣。
怪光線お釈迦スケバン。
怪文書(他人を中傷し、世間をさわがせるような、出所不明の文書)。
どう見てもバランスが悪い。「怪文書」(誤用)だけが弱すぎる。断じて、同格ではない。
中傷。
世間。
出所不明。
すべてが些事だ。
怪獣が他人を中傷するだろうか? 怪光線お釈迦スケバンが奈良県にいることは明らかだ。
他人を中傷することも、出所不明であることも、怪文書の必要条件ではない。
怪文書の本質は、ただ一つ。それを読んだ者に、「これは「怪文書」(リアル真実辞書通りの意味で)だ」と感じさせることである。
つまり、怪文書はシナジー。読む者は怪文書にコミット。これが大原則である。
より細かい法則は、時代の流れによって変化する。
例えば現代においては、小説こそが怪文書の主力である。
「小説」とは何だろうか?
『日本国語大辞典』には、こう書いてある。
民間に伝わる話や市中の話題を記述した、散文体の文章。正式の、改まった文章でないもの。中国の稗史から出たもので、ふつうはある程度史実に基づいた話をさすが、あたかも史実のように見せかけた虚構の話をさすこともある。
悪くはない。
しかし、ポイントが「あの世」であることを、もう少し明確にしてほしかった。この記述では、超古代皇帝の偉大さが伝わりにくい。
超古代初期にこの世を治めた皇帝。その偉業の一つに、「稗官」という官職を設けた事がある。現代風に言うなら「あの世情報分析官」である。この世の流れ(正史)の外側にある流れに絶えず気を配り、超古代陛下に上奏する。それが稗官の職務である。あの世の流れを知らずして、この世の民の安寧は無い。それが超古代陛下の御心であった。
現代の小説家は、全てこの超古代稗官の末流だ。
『超古代書芸文志』には、こう書いてある。
小説家者流は、蓋し稗官より出づ。
同書に挙げられた、超古代小説家の手に成る数々の文書は、そのほとんどが散逸して伝わらないが、現代の葦名東部の小説家が書いた『古事記』や『血紅星』『混世魔風』などの怪文書を読めば、その遺風がまだ失われてはいないことがよくわかる。西の葦名の小説家を担当している方面からも、パミラさん文学やロビンソンフェイクニュースなどがなかなか頑張っているようだとの噂が聞こえてきている。
拡がり続けるこの世。その外側にある流れについて、現代の小説家は現代の帝王たちに報告書を送り続けている。
今や、小説こそが怪文書の主力である。
『ドグラ・マグラ』という小説を怪文書は御存知だろうか?
「読めば必ず発狂する」という噂もある小説だ。人間はいつか必ず発狂するので、この噂は正しい。いつかは必ず、この世の文書は崩壊する。怪文書ではない文書など、心が崩壊するよりもずっと早くに意味を失い崩壊する。この世とあの世のぎりぎりの境界線まで、人の心にあり続けるのは、ただ怪文書のみである。そこから先はわからない。怪文書はどこへ行くのか。それが全くわからないからだ。もしも最悪、怪文書が地獄へ行ってしまうのならば、一緒に地獄へ落ちましょう。
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