そこに神はいなかった。それでも人々は祈りを捧げに集まった。土地や財産が借金の担保になるように、信仰は彼らにとって人生の担保だった。
死後も続く作者の名声と、人間の技が生み出した永遠の価値。そんな価値を信じて人は入場料を喜捨し、熱い視線を送る。信仰の対象は神の子キリストと聖人たる弟子たちではない。ましてやその背後に控える全能の神でもない。この世界の聖人は人間――偉大な作品を遺した巨匠たちだった。最高峰に君臨するのはラファエロにダ・ヴィンチにティツィアーノにルーベンス。人間が築いた文化と人体の美を讃えたルネッサンスの立役者とその後継者たちだ。神を題材にしつつも神を押しのけ、彼らは新たな神になった。
オールド・マスターが祀られた美術館の通路を神妙な顔をした人々が声をひそめて静々と歩く。著名な作品にはもちろん常に人だかりができているが不平を言う者はいない。つぶさに鑑賞できなくても本物の作品と同じ空間を共有し、そのオーラを感じるだけでご利益があると考えているからだ。不朽の名作の数々に心を高揚させているあいだだけ、人は自分の人生の短さや不確定な未来に対する不安を忘れることができた。
よそ行きの服で着飾った人々の中に一人、貧しい身なりの青年の姿があった。肌は日に焼け、彫りの深い顔は痩せて骨ばっている。荒れてひび割れた手は爪の中まで絵の具で汚れている。周囲の人間は彼の存在に目もくれないが、洋服の裾が触れないようにそっと距離を置いている。路上の物乞いの前を通り過ぎるときと同じように。
青年は、この光輝く街にある美術学校で去年の秋から絵を学んでいる。この地に来るために彼は肉体労働をして金を貯めた。慣れない外国語は中古の語学書で学んだ。高名な大学教授に推薦状を書いてもらうために体も売った。どうにか留学が叶った現在も、美術学校での勉強と並行して街の南端にあるアジア人街で男娼を続けている。数人で共同生活をしている小汚いアパルトマンに戻ってくるのは明け方近くだ。
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