ようこそ。春を観に来られたのですね。もっと、奥まで。さ、おあたりになって。あたたかいですから、遠慮せず。……素敵でしょう。喜びが、こんなに素直に、たくましく、みずみずしく、のびやかに現れて。とってもチャーミングだと思いません? さあ、もっと近くで、せっかくですからよくご覧になって。あたたかいでしょう。少しくすぐったくもありませんか。くすくす、お腹の膜がふるえてしまいますね。笑っても結構ですよ。とにかく、わくわくしますね。しかし、なにより、アーティスティックではありませんか。
これが、かの国から送られて来た春なのです。初めて触れた時は、わが国の者は皆、目を見張りました。
これが、同じ春かと。
わが国にも春はあるにはありますが、とても短く、誰もが春をほとんど知らないようなものでした。われわれにとっての春は、努力と技術で「作り上げる」ものでした。春が漏れないように、硬い壁の部屋をこしらえ、火を燃やし、暖をとり、二人だけでしめやかに、ていねいに味わうものでした。春は貴重でした。小さな部屋を満たすので精いっぱいで、そのため、二人より多くの人で味わうのは難しく、だから、他の人が一体どんな春を味わっているのかも分からない。一応、春の作り方の手引きはありましたが、それは先導する者が大真面目に読むもので、大仰というか、つまらなく、そして先導される方はただそれに従うばかりで。楽しむとは程遠い様子でした。
それでも、私達も頑張って春をはぐくんだのですよ。でも春の本場にはかないません。
ひょんなことから、本場からわが国に、春が届けられたのです。噂によると、かの国からこちらに届いた荷物の隙間に、うっかり滑り込んでいたそうなんです。そう、かの国では春はそこら中にあふれていました。わが国のように真面目くさってしめやかにとりあつかうものではなく、もっとつつぬけで、おおらかで、時には笑いとともに打ち捨てられて、それこそ捨てるに惜しくないほど、ありふれたものだったのです。
聞くところによると、かの国の家は紙と木でできているそうです。春を隠すにも、薄い紙と板の隙間から漏れて、隠しようがないと聞きます。それだから、二人で楽しむとも限らず、子供から老人まで、ときには動物までが、おこぼれにあずかることもあったそうで。まあ、おこぼれも何も、元からそこら中にあったと聞きます。
もちろん、かの国にも四季があり、夏も秋も冬もちゃんと巡ってくるのですよ。しかし、ほとんど一年中冬のようなわが国とは比べ物にならない。
ただ皮肉なことに、かの国のひとは春をありがたがっていなかったようなのです。ありがたがるどころか、みっともなくて、だらしない、よその国に見せるなんてとんでもない、と思っていたようなのです。人は、ありふれたものには価値を見出せない生き物なのでしょうか……。
かわりに、かの国の人がありがたがったのが、わが国の冬です。
隣の部屋、もうご覧になったでしょう。それこそ我々はもう飽き飽きしているので、何が良いやらさっぱりですが。……確かに、よくできていますよ。吹雪の中で行き倒れて死ぬとしても、息を引き取るその瞬間に、こんな世界を味わえたら、それは幸せといいます。実際、となりの国の、とある絵描き志望のミルク運びの少年と犬がそうやって死んで、幸せだったということになっています。
しかしそれは現実逃避でしょう。「ないもの」の話です。いきいきとしているのは、どちらです? 「今」「あるもの」を楽しんでいるのはどちらです?
え、あなた、かの国からいらしたんですか? なんてこと、早くおっしゃってください。これは、お恥ずかしいことをしました。釈迦に説法ではありませんか。え? 冬を? 観に来た? そうだったのですか。けど? 春も、もう観られないから? そうでしょうそうでしょう。かの国でも、今では、わが国の真似をして春を閉じ込めていると聞きます。こんなに素晴らしいものを! どうして! 子供からかくまって、女性から遠ざけて、狭いところに押し込めて。あなたの国の春はすっかり元気をなくして。
しかし、あなたがたの春は、閉じ込められて大人しくしているような、お行儀のよいものでもないでしょう。隙間からはみ出て、なんだかおかしなことになっていると聞きますよ。
今やわれわれの方が、あなたの国の春を保存するのは上手かもしれません。そう、われわれは保存が得意な民族なのです。閉じ込めるのも慣れたものです。閉じ込めると一口に言っても方法がありまして。子供からむやみに遠ざけたりしません。16歳未満でも、保護者同伴なら楽しめる。そちらはもう未成年は締め出すそうで。慣れてないことをなさるから。
良かったら、お帰りの際、荷物の隙間に詰めていったらどうです、春。いえいえ、減るものでもありませんし、もともとそちらのものでしたから。え? 税関? 何をおっしゃる。そんな野暮なことはありませんよ。すくなくともわが国から出る時はね。
お陰でこちらもだいぶ暖かくなったものです。心の中に小さな春がともるのです。
え? 帰国したら? このように? 春を観せたい? 素敵じゃありませんか。警察? まさかそんなこと。よろしければ私が力になりますよ。冬の国の人が「アートだと言った」と言い張ればよいのです。そうでしょう?
何も隠すことはありません。ただただ、観せればよいのです。ただの春なのですから。……ええ、しかし、だからこそ難しいのかもしれません。
大丈夫、季節は必ず巡ってきます。地球の裏側から、季節をリレーするのです。
藤城孝輔 投稿者 | 2018-04-21 09:45
観賞用に「閉じ込められ」た春画の話であるが、季節の比喩によって抽象化されすぎているように感じた。「素敵でしょう。喜びが、こんなに素直に、たくましく、みずみずしく、のびやかに現れて。とってもチャーミングだと思いません?」といくら修飾語を連ねても、具体的な描写に乏しいのでちょっとイメージしにくい。例えば、「花の香り」「啓蟄」「雪解け」といった春の事象をうまく加工して、手ざわりやにおいのある物体として「春」を提示すれば、もっと伝わりやすくなるのではないかと思う。
「春」はまあ春画のことだろうと見当がつくが、それに対比させられている「冬」が何を指すのか私にはよく分からなかった。フランダースの犬の引喩はルーベンスを連想させるが、ルーベンスの肉感的な体は本作で説明される冬のイメージにはそぐわない気がする。私は「冬の国」はオランダあたりだろうかと推測しながら読んだが、現実の何かの比喩としてはあまりに一面的すぎると思う。語り手の「春」に対する憧憬も結局のところは19世紀のジャポニズム以降の西洋における異国趣味の言説をふわっとなぞっているに過ぎない。
斧田小夜 投稿者 | 2018-04-22 20:20
なにがやりたかったのかはよくわかりますし、嫌いじゃないですが、具体的なエピソードがあったほうが印象が強くなるかなと思いました。あと、「春は巡る」というなら「かつては謳歌していた」「今は違う」(もしくはその逆)という点が書かれてないと巡っているように見えないので、例えば視点を現代に置いてみると最後の文が生きるんじゃないかなと思います。
波野發作 投稿者 | 2018-04-25 05:50
モチーフにしたのが鳥文斎栄之ということでそこは大いに加点したい。チョイスが渋い。ただなぜ肉筆なのか。というか他の参加者も肉筆の選択が多いなー。皆さん出版史にはあまり興味がないのでしょうか。隣国がオランダということはベルギーか、いや、フランスか。その辺の隠し扉を開けなかったのは無念。
大猫 投稿者 | 2018-04-25 11:40
冒頭の春画、美しいですね。「源氏物語春画巻」というのですね。桜を背景に絞り染めの振袖に島田髷の若い女性は紫の上でしょうか。お歯黒もしていませんからまだおぼこ娘ですね。すると相手は源氏の君ですね。妄想が走りそうになります。
柔らかな語り口がかえって怪しげで、何が始まるのだろうと期待させられます。春画の解説かと思ったのです。語り手がどこの誰なのか最後まで分かりませんでしたが、日本人自身が捨ててしまったものを外国人に絶賛されて、再評価をするという流れでしょうか。
「薄い紙と板の隙間から漏れて」とありますが、本当に昔の人々は、腹が減ったら飯を食い眠くなったら眠るのと同じようにまぐわっていたのだろうなとしみじみ思ったことでした。
Juan.B 編集者 | 2018-04-26 12:42
もう日本はダメだ。日本に戻らない方が良い。そちらの博物館で飾ってもらっていた方が良い。日本に来ると価値が歪められ、焼かれないとしても存在を限りなく消される。日本人にはもうあの心性はない。
という悲しさを改めて感じる話だった。自分たちの祖先がでっかいペニスや地割れみたいなヴァギナを書いたとして何の問題があるのか。日本人は馬鹿だ。混血の俺が革命を起こすまで無事に待っていて欲しい。そしたら旧皇居博物館ででっかく展示するから。もちろん年齢制限なしで。
高橋文樹 編集長 | 2018-04-26 14:49
最近ビールの飲み過ぎで脳みそがスカスカになっているので、「季節を閉じ込めるというのが絵画」なのだと理解するのにじかんがかかってしまった。
絵はアリュージョン(ほのめかし)として言及されるので、元ネタを知らないと意味がわからないかなと思った。
文体は特徴があってよい。