(8章の1)
わたしはずっと歩いている。「汗よ乾け」と念じていないので、全身汗まみれだ。この時代のシャツは吸水力が悪く、流れ落ちる汗でパンツまでもベトベトになっている。
小さい頃、汗まみれの状態を放っておき、よく腹が痛くなった。冷え、なのだが、腹がくだるという感じではなく、胃から腸から、腹部全体がずしんと重く痛むものだった。
当時、少年野球のチームに入っていたが、屋敷のような豪邸に住むコーチがいた。そして練習や試合が終わると、皆を自宅に招いて夕食を兼ねた打ち上げをすることがよくあった。真夏の夕暮れ、砂埃にまみれたユニフォーム姿で大広間に座ったわたしは、腹の痛みに悩まされたものだ。じくじく、じんじんといった感じで、つかみどころのない痛みなのだ。当時はいやでたまらなかったものだが、こうして思い出してみるとなんだか懐かしい。人生の最晩年を迎えると、苦痛までもが懐かしくなるものなのだろう。
この夕暮れの世界に来て、わたしは何度となく感心している。現実世界と、こんなにも変わらないとは、と……。
こういうものを、仮想現実というのだろうか。バーチャル・リアリティ、などと横文字で言う方が一般的か。
バーチャル・リアリティという言葉くらいは、世間に疎いわたしでも聞いたことがあった。しかし単に知っているというだけで、そんなものはゲームセンターの最新ゲームか科学博物館の展示物くらいにしか思わず、とても自分の人生に関係することなど考えもしなかった。それが人生の最後に来て、これほど深く関わることになるとは。人の一生というものはどう転んでいくか分からないものだ。ましてやわたしの関わることになったものは、進歩の行き着いた先の先とも言うべきものだ。五感に受けるものが現実と変わらないという、バーチャルという言葉を付けずにリアリティと表現するだけで充分と思えるほどのもの。
そういえばと、わたしは一人の男を思い出した。勤めていた会社の人間だ。彼はロール・プレイングのオンライン・ゲームに没頭し、それだけに生きる男だった。
オンライン・ゲームも、一つのバーチャル・リアリティだ。いや、その走りだったと言ってもいいかもしれない。少なくとも、それに打ち込んでいる彼から受ける印象は、仮想現実の世界そのものだった。
彼は人付き合いが苦手だった。周囲からは徹底的に避けられていたし、また彼の方でも関わっていかなかった。だからいつも一人だった。わたしもまた一人でいることが多かったから、彼は話しかけやすかったのかもしれない。もしかしたら同類と思われていたようにも思う。
周囲から浮いた人間によくあるように、彼は他人に関心を寄せない人間だった。だから当然、彼が話しかけてきても、自分のことばかりとなる。そんな自己中心的なところが、嫌われた原因になったに違いない。
しかしわたしはさして気にならなかった。わたしだってうっとうしければ避けていたはずだ。もちろん他の人間のように徒党を組んで排除するわけではないが、単に距離を取っていたことだろう。気にならなかったのは、彼の口調が訥々としたもので、自己を主張する感じが見られなかったからだ。自分の話ばかりをし、人のことなど一切聞かないわりには、押し付ける感じがなかった。なんとなく、風景を語っているような口調だった。
彼は広い世界を持つ男ではなく、話はゲームのことばかりだった。わたしはオンライン・ゲームなどしたことは一度もなく、もちろん関心もない。だから単に聞く一方で、彼にとって打って響く話し相手でもない。しかし真面目に相槌を打つ人間というのは、たとえ話が合わなくても、重要な相手となるものだ。むしろ同好の士は競い合ってしまうため、主張合戦や言い争いに発展することにもなる。だからわたしのような人間の方が気楽だったのかもしれない。
彼はゲーム内にキャラクターを作り、仮想世界の中に住まわせていた。
オンライン・ゲームは、ゲームと名は付いているが、従来使われるゲームという言葉の意味からは大きく外れる。ミサイルを撃ってUFOを撃退したり、迷路を駆けまわってモンスターをやっつけたりするような単純なものではない。高得点を狙ってレバーを捌く遊びではないのだ。むしろゲームというよりは、極端に言うとママゴトと言った方が近いかもしれない。少なくとも、年配者にはそう言った方が分かりやすいだろう。一つの生活空間に、自分のキャラクターを生活させるのだ。もちろんゲームと付いているように、その中では戦いもある。しかしそれはゲームの本筋ではなく、余興という位置づけなのだ。キャラクターを、設定されている世界に継続して存在させ、成長させる。もちろんコンピュータ内のことなので、その世界は近未来だったり他の惑星だったり、昔の戦場だったりと現実世界とは隔たる。しかし、「そこで暮らす」というのは、共通したところだ。
キャラクターには体力、能力を身に付けさせていき、経済力も付けさせる。さらには、他のプレイヤーの操るキャラクターと人間関係まで構築していく。それらの点を総合すると、自分自身の投影と言ってもいいかもしれない。自分の好みの、あるいは思い描いたキャラクターに育てていけるからだ。
しかし、キャラクターは所詮キャラクターだ。感覚まで伝わってはこない。美味しい料理を食べようとも味覚は感じないし、異性キャラと触れ合っても快感は得られない。
このわたしが歩く世界は、言ってみれば自分自身がキャラクターとなっているようなものだ。創造した仮想空間の中で、自身が思ったように行動している。もし長く住んだとしたら、この世界の中で友人知人を作り、キャリアを積んで経済力を付けることも可能だろう。そういった意味では、この夕暮れの世界はロール・プレイング・ゲームの最新版、究極な形とも言えた。
オンライン・ゲームに打ち込んでいた彼がこの世界を知ったら、どう思うだろう。歓喜するのではないか。いや、案外完璧すぎる現実感が鼻につき、逆にしらけてしまうかもしれない。ああいった偏屈者は、自身の思い描いたものから逸脱してしまえば頑なに背を向ける傾向がある。
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