どうでもいいと思うようになった。何でもいいと思うようになった。やりたいことがなくなり、同時に、やりたくないこともまた、なくなった。
上京して、半年が過ぎた。最初から、なんとなくわかっていた。自分はダメ人間だ、と。自分は落ちこぼれだ、とわかっていた。
それでも、上京した理由は、少しでも逃げたかったからだ。親の期待に応えようと決意したわけでも、自分を信じるなどという、仮初めの希望を抱いたわけでもなく、ただ、一人で暮らし、故郷や親、友人たちから離れていたかっただけだ。逃げたかったのだ。
親や友人たちには、大学へ通っているふりをしているだけで、実際には、一人で酒に溺れているだけだった。金がなくなれば、参考書を買うと言って、茅ヶ崎にいる姉を騙し、また酒を飲む。
いつかは、ばれるにちがいないが、今が良ければそれでいいと思うようになった。
明日が来るのが、少しだけ、怖くなった。
別に、自暴自棄になっているわけではない。ペシミスティックに考えているわけでもない。事実を受け止めただけだ。ダメ人間と言われても、何も感じないほどに、自分はダメなんだと理解しただけだ。厭世などという、お高くとまった情念なんかではない。むしろ、世の中のことは好きだ。過ぎゆく人々を、井の頭公園で傍観することが、しばしば、あるが、その人たちに怒りは感じない。親子が遊んでいたり、カップルが擽り合っている光景は、微笑ましくさえある。要するに、「自分」に嫌気がさすのだ。
父から、よく手紙が来る。「やい、ちゃんと飯は食ってるだか? 元気か? 母さんが心配してるぞ。大丈夫ずらな? 父さんは、お前のこと信じてるでな。米はあるら? なくなったら言ってくりょう。すぐ送るで。米はいくらでもあるでな。いいか、ナカ。いつでも帰って来たいときに帰って来いや」。大体、こんな内容である。故郷の言葉を読む度に、また、自分が嫌になり、子どもの頃に戻りたいという願望が強くなるのだった。モラトリアム。手紙を読む度に、申し訳なく思うのだが、すぐに開き直り、まあ無理なものは仕方ない、と言っては、酒を飲みに、家を出る。人間が腐っている。
自殺しようと思ったことは一度もない。そんな勇気があるのなら、とっくに努力している。自殺するのも、勇気と呼ぶべきだと、僕は考えている。ある変化を覚悟すること、それは勇気だ。自殺が善いとは思わないが、悪いとも思わない。
僕は、自殺もできないほどの、底辺なのだ。自傷行為すら、嫌だ。ピアスも嫌なのだ。痛いのは嫌いだ。そんなクズ。そう理解しても、悔し涙も出ない。平気でいられる。口笛を吹いて、薄ら笑いを浮かべる。たちが悪い。
生きていることが嫌なのではない。ずっと生きていたいとさえ思う。ただ、「自分」が嫌なのだ。皆が僕に抱いているイメージとしての僕、その僕と、僕の中の僕のズレが許せない。僕は、僕のイメージに殺されかけている。理想が現実を殺す。
皆の中にいる「自分」が、嫌で仕方ないが、そもそも、イメージは殺せないし、そのイメージを作ったのは僕なのだ。どうしようもない。八方塞がり。四面楚歌。
東京には、何でもあった。暇つぶしのための娯楽が、ありとあらゆるものが、あった。だが、僕は退屈している。
東京には、何でもあったが、しかし、僕の欲しいものは、何一つなかった。
ある日、久しぶりに、大学へ行くと、数人が話しかけてきた。ドイツ語の授業のときであった。語学の授業はクラス分けされており、僕は第二言語としてドイツ語を専攻していた。ドイツ語など、学ぶ気はさらさらなく、ただ、暇つぶしに授業というものに出てみただけだった。
話が逸れたが、ドイツ語の授業で、同じクラスの人たちが話しかけてきたのだ。
「全然大学来てないけど、単位大丈夫かよ?」
男だった。その、話しかけてきた男以外に、男が三人、女が四人の計八人のグループが僕を囲んだ。
「大丈夫じゃないね。でも、いつも酒ばかり飲んで、ついついサボっちゃうんだ」
僕は笑顔で答えた。何も楽しくないのに、笑った。僕は生まれつき器用で、人付き合いに困ったことはない。世故に長けていて、絡まれれば、相手に調子を合せる。相手の顔色を常に窺って生きてきた。世渡りのために、他人に調子を合わせる、そんな自分だが、惨めに感じたことはなかった。うまく生きていく上で、必要なことなのだから。ただ、少しだけ、虚しいと感じた。
話しかけてきたグループの人たちは、全員、年が一つ下だった。無駄に浪人したことを後悔した。年がちがうだけで、何か壁を感じたからだ。それから、その八人は全員が東京出身で、大学の付属高校を出ていた。僕が長野県出身だと告げると、一人の女が、「帰れる場所があるっていいよね、帰省とか羨ましいもの」と言った。たしかに、帰省先があることは幸せなことなのかもしれない。でも、僕には『帰れる場所』なんてなかった。
「なんて呼べばいい? 名前は?」
「名前は仲次。昔からナカって呼ばれてきたよ」
そんなやりとりが、暫く続き、女の一人が急に口を開いた。
「ナカって好きな女の子のタイプは? どんな娘が好きなのよ?」
そう訊かれて、僕は困った。自分が、どんな娘が好きなのか、あまり考えたことはなかった。もちろん、高校時代に、何人か恋人と呼べる相手はいたが、大抵、向こうが僕を好いてくれる相手と付き合ってきた。
「ああっ」
僕は声を上げてしまった。恐ろしいことに気付いたためだ。それは、もはや僕には好きということがわからなくなってしまっていることだった。
「人を好きになる」というものが、どんな感情だったのか、忘れてしまったのだった。
「どうしたのよ?」
その女に訊かれたが、僕は答えられなかった。
アルバイトなど、したことがないし、やろうとも思わない。働くことは億劫だったが、金を使うことは止められなかった。つまるところ、ダメ人間、である。
東京には、捨てるほど人がいる。故郷とはまるで比べ物にならないほど、人がいる。でも、僕はなぜか、東京に来てからの方が、強く孤独を感じるようになった。
吉祥寺で、よく酒を飲む。ハーモニカ横丁という、飲み屋街があり、その中の「メランコリー」という店の常連だった。店内はレゲエ風で、ヤマさんと呼ばれる店長がいる。飲み屋街の二階にあり、六畳ほどの狭い飲み屋だ。僕は、そこのジャスミンハイが気に入っていて、よく飲みに行く。週に四回は行く。
そこに来る、ダイちゃんと名乗る男と仲良くなった。ダイちゃんは、僕よりも七歳年上で、パチンコ屋を経営していた。雰囲気で、クスリに手を出しているな、とわかった。彼の全身には刺青があり、僕は彼の右肩の刺青に魅せられた。「生きた証を残しているんだよ。何かある度に刺青をすれば、自分の人生を振り返りやすいだろう?」と、彼はよく言っていた。
僕には、生きた証を欲しがる彼の気持ちがわからなかった。人間は、何をしても、いつか必ず死ぬ。死んだら、すべて終わりだ。
ダイちゃんに刺青を勧められたが、僕は断った。結局、一生残るものに怖気づいたのだ。無頼派を気取っているが、本当に堕落するのは怖いのだ。そんな中途半端な人間。落ちこぼれ。
僕が魅せられた刺青は、『九尾の狐』の刺青だった。
自炊など、当の昔に止めてしまった。「料理が好きな人間は奴隷に向いているんだ。僕は軽蔑するよ」なんて言い訳をして、自炊から逃げ、外食を繰り返す。
煙草を吸う回数が増えた。カートンで買ってきたものが、一週間もしないうちに終わる。セブンスターのメンソール。薄荷の香りが僕を落ち着かせる。祖父の遺物として、祖母から煙管をもらったのだが、そこにセブンスターを取り付けて、優雅に吸うのだ。
煙草の火は、いつか必ず消えてしまう。そこが許せないようで、また、どこか安堵を覚えるところでもあった。
僕のアパートにはテレビがない。買う金がないわけではなく、テレビが嫌いなのだ。下らない。あの箱に作られたイメージで、多くの人間が自分をフォーマライズしているかと思うと、吐き気がした。或いは、それは羨望の裏返しなのかもしれないが、とにかく、新聞とはちがい、自分の知りたくもない情報まで、強制的に受け取ってしまう。そこで、人々はもはや、自分の欲しいものを買うのではなく、欲しいと思わされたものを買うのだ。テレビは押しつけがましい。嫌いだ。
大学の単位を尽く落とした。留年であろうか? 不安になった。いや、留年することに対して不安を抱いたのではない。留年しそうだというのに、全く焦らず、それほど悩みもしない自分の神経に対して不安を抱いたのだ。
親に合わせる顔がない。
まあ、なんとかなるか。
飯田橋を通る度に、思い出す人がいた。今まで生きてきたなかで一人だけ、本当に愛した女性である。高校時代の恋人で、今は法政大学に通っていると噂で聞いた。そのために、飯田橋を歩いていると、彼女がいるのではないかと思ってしまうのだ。
「あたしの右手をナカにあげるよ」
そう言って、いつか、彼女は僕に、手の形をしたキーホルダーをくれたことがあった。そんな、川端康成の小説みたいなことを言う人だった。明るく、元気な性格なのに、時々、ひどく繊細な面を見せる彼女。そんな彼女に惹かれた。何よりも、彼女は美しかった。
彼女とは半年ほど付き合って別れた。原因は僕だ。こんなダメ人間の僕を、彼女は、長くは愛してくれなかった。別れ際に彼女が言った言葉を、僕は今でも覚えている。
「ナカは無責任すぎるよ。自分の言ったことに対して無責任すぎる。他人に自分の意見を押し付けるくせに、自分はその意見に責任を持たないんだわ」
その通りだった。無責任な僕は、目の前で涙を流す彼女に向かって、「そうだね」としか言えなかった。
「それしか言わないの? 他に言いたいことはないの?……最低だね……」
そう言って、彼女は二度と僕の前に現れなかった。
彼女に謝ろうともせず、会おうともせず、何もしないでたらたらと生きている。彼女の右手。あのキーホルダーを、どこかに失くしてしまった僕。最低人間、僕。
今でも彼女を愛しているかと訊かれたら、返答に困る。もちろん、全く未練がないと言えば嘘になる。でも、もう一度、彼女に会いたいとか、縒りを戻したいとは思わないのだった。ただ、あの頃に戻りたいと思うときはある。彼女と笑いあえていた頃の自分に。
斜陽族になりたいと思ったが、田舎の百姓の息子には、土台無理な話であった。
同じ夢を何度か見る。海に潜っていく夢である。生温かい海。海なのに、色は淡いピンク色である。朝日を浴びている海なのではないかと思う。そんな海に、僕が潜っていく。海中でも、不思議と息ができる。どんどん潜っていく僕。もっと深く、もっと深くに潜りたくて仕方ない。でも、途中で酒と煙草が欲しくなる。欲しくなるが、酒と煙草を手に入れるには、海から出ないといけないのだった。海から出たくはないが、なんとか煙草が欲しい。僕は悩む。長いこと悩む。そして、気が付くと、目が覚めているのだった。
目覚めて、フロイトでも読んでみようか、と思っては、すぐに寝起き煙草を吸う。
右手をくれた彼女が、いつか言っていた。「偽った自分を好きになってもらうくらいなら、本当の自分を嫌いになってもらう方がましだよ」と。
「本当の自分が、自分ですら嫌いなときは、どうすればいいのか?」と彼女に訊いてみたい。
「自分」でいたくない。
駅に行こうと思い、青梅街道沿いを歩いていたとき、野良猫を見た。歩道の脇に入ると、五匹もいた。そのうち、三匹はまだ子猫で、ニャーニャー鳴いていた。周辺に住んでいる老婆が餌をあげているのを偶に見る。ツナ缶が置いてあり、そこに野良猫が群がっているのだった。大人の猫は臭くて、汚かった。
なぜか子猫は綺麗に見えた。
「早く成功したいよ」
井の頭公園で、昼下がり、ベンチに腰かけてビールを飲んでいたら、隣にカップルが座った。話を盗み聞きしていると、男の方が、「早く成功したい」としきりに言っていた。
成功? 何が成功なのか?
何が成功なのかわかる人間なんていないと思う。何が正義かわかる人間がいないように。
なんとなく、自炊でもしてみようかと思った。インスタントの味噌汁に、買ってきた漬物、それに米を炊いただけであったが。
米を盛る茶碗を探すと、放っておかれた台所で黴を生やしていた。思い出せないほど前から、洗っていなかった。故郷から出てくるときに祖母が渡してくれた茶碗である。
面倒だったが、その茶碗を綺麗に洗ってみたくて、洗った。
飯を食っている途中、不意に懐かしい匂いがして、僕は驚いた。何の匂いだろう? よくわからないが、懐かしい。そう思って、辺りを見回した。必死になって探した。そして、見つけたのだ。
匂いは、茶碗の中から立ち上っていた。
その夜、僕は酒を飲まなかった。
今の僕には夢というものがない。理想や野望がない。なりたい自分というものを、どこかに忘れてきてしまった。いつかわからないほど遠い昔に。
水清ければ魚棲まず。
ドブのような汚い川でも、生きられる魚がいるのだ。
最終電車で、自宅近くの駅まで帰ってきた。真夏が鬱陶しくて、ベトベトと暑さが肌に張り付いてきた。音楽を聞き、煙草を吸いながら歩いていた。アパートを目指して。
今日は少し、金を使いすぎた、と思いながら、フラフラと酔った体を動かした。星が見たくなって、僕は夜空を見上げた。
なんだ、曇りか、と思った。星はひとつも見えなかったからだ。でも、その次の瞬間、僕は立ち止ってしまった。
曇ってなどいない、と気付いた。空が鈍よりと霞んで、星が白濁に塗られてしまっているのだ。故郷の空とは全然ちがった。東京の空には、星がなかった。
すると、どこからか、あの匂いがした。茶碗から立ち上っていた、あの匂いである。
「ああっ」
僕は声を上げて、その場に座り込んだ。
突如広がった、虚無の哀愁。それに涙した僕。格好悪いと自分でも思ったが、涙を止められなかった。
それでもまた酒に溺れては、煙草を求める。
その繰り返し。そんなエブリデイ。
ダメ人間。落ちこぼれ。底辺。クズ。最低人間。人間が腐っている。
そうかもしれない。
それでも、今日が来る。
それでも、僕は生きていく。
アンゴウ ゲスト | 2010-08-15 20:16
太宰治を読んでいるであろうことが窺えます。そして、太宰の悪いところをそのまま写したようであり、何もできていないように思われます。おそらく、事実を書いているかと思いますが、事実を書いたところでなんにもなんにもならないだろうと思います。生きることも何も、別段変っているわけでもなく、ただ、最初から同じことを書いているだけでしょう。